断罪された悪役令嬢ですが、神様のハッピーエンドなんてお断りです〜私を救ったのは死神公爵でした〜

 ミハエルがオニキス城に滞在するようになって、三日が経った。その間、アズリアは驚くほど穏やかな日々を送っていた。

 侍女たちに起こされ、朝食を済ませて、庭を散策する。それから昼食を摂って、午後は庭園の散策や与えられた客室や本を読んだり花を眺めて、のんびりと過ごしてお茶の時間を楽しみ、日が暮れると夕食を摂る。食事はルキフェルとミハエルの三人で囲むことが多かった。

 ただし、ひとつだけ困ったことがある。

「あの、ルキフェル様」
「何だ」
「どうして私の隣で、お仕事するんですか?」

 朝食後、庭園にある東屋でアズリアは手元の本から顔を上げ、隣で書類を捲(めく)るルキフェルを見た。黒い髪が風にさらりと揺れ、その様子すら絵画の一場面のようだ。

「俺が一緒では不都合か?」
「そういうわけではないですけど。ただ、お忙しいのに、なぜかなと思いまして」
「お前の傍に居たいからだ」

 サラリとした短い返答だった。けれどルキフェルの双眸は真っ直ぐアズリアを見ていて、彼女の頬は熱をもった。

「……そうか、まだ伝えてなかったか」

 アズリアの反応を見て、ルキフェルは柔らかく笑う。

「俺はお前が好きで大切に思っている。だから王城から連れ出したし、オニキス(俺の)城へ連れてきた」

(……ルキフェルもアズリア(私)が好き?)

 またストーリーから逸れていると、そんなことを考えないと、アズリアの思考は暴走してしまいそうになる。推しでもあったイケメンが現実になって、その彼に口説かれているのだ。心揺れるなという方が難しい。

(……待って、落ち着け、違う。……ルキフェルが好きなのは悪役令嬢(アズリア)だ。私じゃない)

 揺れた心の底で、アズリアの理性がそう囁いた。それを聞いて、その通りだと感情が凪(な)いだ。

「……私は、ミハエル殿下の恋人だと聞きました。ルキフェル様も、そうなのですか?」

 婚約者がいたにも関わらず、アズリアが秘密の恋人を作る……それは、ゲーム内では無かったシナリオだ。けれど、そんな無かったシナリオの先に今があるなら、恋人が二人いても不思議じゃない。今、自分が置かれているのが、どんな状況なのか……それを把握するために、彼女はルキフェルを真剣な瞳で見つめた。

「……お前は、そんな女じゃない。ミハエル殿下の言った恋人という話を、俺は正直なところ疑っている。……お前とミハエル殿下の噂など、聞いたことがなかったからな」

 少し呆れたような眼差しでルキフェルがアズリアを見た。けれど、その口振は優しい。それにつられるようにアズリアは口を開いた。
 
「……あの、ルキフェル様」
「何だ」
「……あなたといると、なぜか落ち着くんです」

 口にしてから、アズリアは自分で驚いた。

(何を言っているのだろう、私……)

 彼女の中では、まだ、出会って数日しか経っていない存在だ。しかも、彼は死神公爵だ。ゲーム内ではラストでヒロインの敵になり、王国に攻め入る人物なのだ。

(もっと警戒すべき相手のはずなのに……)

 分かっているのに、彼には警戒心が湧かない。馬車の中で目覚めたときもそうだったし、彼の声を聞くと、胸の奥にあった不安が消えていく。

「……不思議なんです。ルキフェル様のことは、ほとんど何も知らないはずなのに」

 彼の紫の瞳が、わずかに揺れた。柔らかいのに切ない目だとアズリアは思った。

「……そうか」
「はい。……迷惑じゃなければ、もう少しだけ、一緒にいてくれますか?」
「あぁ、迷惑なんて思うはずがない。お前が望むなら、いくらでも付き合おう」

 ルキフェルの低い美声が、優しく告げた。その言葉にアズリアの胸が暖かくなる。ルキフェルの顔には、少しだけ笑みが乗っていた。彼の手がアズリアの髪に伸びて、そっと触れる。

 まるで壊れ物を扱うような、優しい手つきだった。

「……無理をするな」
「え?」
「思い出せないことを、無理に思い出そうとしなくていい」

 彼の声は静かだった。

「お前が、ここにいる。それだけでいい」

 アズリアの胸の奥が、ギュッと締めつけられる。

(どうして……)

 その言葉が、ひどく懐かしく感じられた。

「……ありがとうございます」

 アズリアは、どうにかそれだけを口にした。

 ルキフェルの手が髪から離れる。それを惜しいと思ってしまった自分に気づいて、アズリアは慌てて表情を隠すように俯いた。

(……だめだ)

 彼は、自分を救ってくれた恩人だ。その恩を仇で返したくない。——婚約破棄の汚名を着せられた悪役令嬢(アズリア)は傍にいない方がいい。傍にいれば、彼にまで悪い影響があるかもしれない。

——そう思うのに

「アズリア」

 ルキフェルに呼ばれて、彼女は顔を上げた。彼の優しい目が彼女を捉えるように見ていた。

「明日も、一緒に庭に出よう」
「……はい」

 否定の言葉は返せなかった。そんな彼女にルキフェルが、また嬉しそうに口の端を上げた。

————
 

 その日の夜、アズリアとルキフェル、ミハエルは晩餐を囲んでいた。

「ずいぶん楽しそうでしたね、アズリア」

 向かい側に座るミハエルが、にこやかに微笑んだ。

「庭園の散策がお気に召したようで。叔父上が付き添ってくださったのでしょう?」
「はい。とても綺麗なお庭でした」
「それはよかった。今度は僕にも、ぜひエスコートさせてください。……そうですね、さっそく明日は、どうですか?」

 ミハエル殿下は穏やかに頷いて首を傾げる。アズリアは困ったように視線を下げた。

「……明日は」
「明日は俺が先約だ」

 優雅にナイフを動かしながら、ルキフェルが、にべもなく告げる。

(守って……くれた?)

「おや、それは残念。それでは、明後日は、いかがですか?」
「……明後日なら」

 明日の約束は、ルキフェルとした。けれど、明後日の約束はない。断り続けるのも悪い気がして、アズリアは、ゆっくりと頷いた。それを見て、ミハエルは嬉しそうに笑う。

「ありがとう。楽しみにしています」

 ミハエルの笑顔は、絵に描いた王子様のように美しい。なのにアズリアは、どこか恐ろしく感じてしまう。

 その感情を飲み込むように、アズリアは曖昧に微笑んだ。ルキフェルが心配そうな目で彼女を見ていることには、気づかなかった。