trick or ――

 「残業になった」とデートをドタキャンされた矢先、ドラキュラの仮装をして楽しそうに女と手を繋いで歩く男と遭遇した。
 ドラキュラは、たった今まで彼氏だと思っていた男だった。
 頭に血が上り、持っていたかぼちゃのプリンをぶつけてやった。

「trick or beer!」
 桃花は声を張り上げた。もう何杯目かは覚えていない。
「えっと……ビールでよろしいですか?」
 店員が困惑した表情を浮かべている。
「そう! ビールで~す!」
「いや、お前飲み過ぎだろ! すみません、ビールはなしで、お冷をお願いします」
 向かいに座る悠真が勝手にキャンセルしたことで、また怒りが込み上げた。
「飲まないとやってらんないの! 彼女のいないあんたにはわかんないんだよ。この怒りと悲しみと失望と絶望と……」
 数時間前の出来事が桃花の脳裏をよぎる。
 あの忌々しいドラキュラの顔が――
「男と別れる度に呼び出される俺の気持ちも、お前にはわかんねえだろ」
 悠真が呆れたような表情で、淡々と口にした。
「あんたどうせ暇でしょ?」
「はあ? 暇じゃねえよ!」
「うそ。だって電話したらいつでも来るじゃん」
「……」
「ほらぁ、図星じゃん!」
 桃花は勝ち誇ったように言い放った。
 けれど、それっきり悠真は口を閉ざした。

「ねえ……ねえってば!」
 勝手に会計を済ませて店を出た悠真は、ひとりで先々歩いて行く。
「待ってよ。悠真ぁ、ごめんって」
 悠真は振り返りもしない。
 当然だ。突然呼び出されて絡まれ、罵られ、会計までさせられて、喜ぶ奴なんていない。
「ゔっ……お腹痛い」
 小さく漏らし、桃花はその場にしゃがみこんで子供騙しの小芝居を打った。
「おい、大丈夫か!?」
 慌てた様子で駆け寄ってきた余りにも人が良すぎる悠真の反応に、思わず笑いが込み上げた。
「あはは、うそだよー」
 顔を上げると、鬼のような形相の悠真と目が合った。
「お前、マジ許さねえ!」
 悠真が風を切るように踵を返した瞬間、胸の奥が凍りついた。
 なんで? いつもみたいに笑ってよ。
「やだ、行かないでよ」
 不意に涙が溢れる。
「ひとりにしないで――」
 桃花は立ち上がることもできず、その場で泣き崩れた。
 本当は感謝していた。こんな理不尽なわがままが通用するのは、幼馴染みの悠真だからだ。
「何泣いてんだよ……俺が泣きてーわ」
 呆れたような口調なのに、どこか突き放しきれない優しさが滲んでいる。
「ほら、早く立てって。人が見てる」
 再び顔を上げると、やはり悠真は呆れた表情を浮かべていた。差し出された手に掴まって立ち上がると、不意に胸元に引き寄せられ、次の瞬間、温かな腕が背中に回った。
「trick or date」
 悠真がぼそっと呟く。
「え?」
 ――デート? 
「一回ぐらい、俺にも付き合えよ」



【完】