八月。
お盆を過ぎ、空がわずかに高さを増した頃、二人の蜜月は最悪の形で露見した。
「神宮寺の名を汚すとは何事や。この馬鹿者が!」
神宮寺家当主である父の罵声が、重厚な屋敷の壁に跳ね返る。
「どこの骨とも分からん学生など、庭を這いずり回る虫ケラと何ら変わりない。名前すら覚える価値もない、ただの『汚れ』や。そんな寄生虫に身を委ねるとは、神宮寺家の千年の歴史を泥水に沈める恥知らずな行為なんやぞ!」
鋭利な刃物のような侮辱は、尚美の心を執拗に切り刻む。しかし、言葉が激しさを増すほど、彼女の瞳の奥では『自由』への渇望が、消えることのない青い炎となって燃え上がっていた。
厳しい監視下に置かれた尚美だったが、一度自由の味を知った彼女を止めることは誰にもできなかった。
深夜、シーツを繋ぎ合わせて窓から脱出し、隠し持っていた中古の軽自動車で洋平と合流。
二人は夜の闇に紛れ、京都を脱出した。
辿り着いたのは、滋賀県の山間にあるひっそりとした町。洋平は名前を偽り、日雇いの土木作業で泥にまみれて働いた。狭いアパートでの暮らしは貧しく、冷房もない部屋で一台の扇風機を分け合う日々。それでも、尚美の顔には屋敷にいた頃にはなかった生命の輝きが宿っていた。
「洋平さん、見て。今日は肉じゃが作ってみたんや。ちょっと焦がしてしもたけど」
「美味しいよ、尚美……。でも、本当にこんな生活でよかったんか?」
「それ以上は言わんといて。私、今が一番幸せ。誰の娘でもない、ただの尚美として、あなたと生きてるんやもん」
しかし、神宮寺家の執念は二人の想像を絶していた。逃亡から三ヶ月。山々が血のような赤に染まり始めた頃、その終わりは唐突に訪れた。
洋平が仕事から帰ると、アパートの前に黒塗りの高級車が三台、異様な威圧感で居座っていた。
嫌な予感が背中を伝い、階段を駆けあがる。
「尚美!」
ドアを蹴破るようにして飛び込んだ洋平の目に飛び込んできたのは、数人の男に羽交い締めにされた彼女の姿だった。
「黙れ! この出来損ないが!」
尚美の叫びを遮ったのは、背後から現れた父の無慈悲な拳だった。
床に崩れ落ちる尚美。
逆上して飛びかかろうとした洋平には、暴力の専門家たちが牙を剥く。一撃で顎を砕かれ、二撃目で腹部を抉られる。床に転がった洋平へ、容赦のない蹴りが降り注ぐ。
「身の程を知れ、ゴミ屑が。神宮寺の血をお前のような泥が汚してええはずがないやろうが!」
顔面を踏みつけられ、鼻骨が折れる鈍い音が響く。視界が鮮血で真っ赤に染まった。
「やめて!私 が帰るから、彼は関係ない! 殺さんといて!」
尚美の悲痛な叫びを余所に、洋平の伸ばした手を男は無慈悲に踏みにじった。
何度も何度も。骨が軋み、指が不自然な方向に曲がる。
父は怒りで震える手で尚美の髪を掴み上げ、血まみれの洋平の眼前にその顔を突き出した。
「見ろ! これが貴様が選んだ男の成れの果てや。分をわきまえん下衆には、言葉より痛みがふさわしいわ」
父は汚れた靴を拭うような眼差しで洋平を見下ろすと、杖の先を彼の喉元へ深く突き立てた。
「……なお、み……」
薄れゆく意識の中、最後に見えたのは、スモークガラス越しに泣き叫ぶ、彼女の歪んだ顔だった。
お盆を過ぎ、空がわずかに高さを増した頃、二人の蜜月は最悪の形で露見した。
「神宮寺の名を汚すとは何事や。この馬鹿者が!」
神宮寺家当主である父の罵声が、重厚な屋敷の壁に跳ね返る。
「どこの骨とも分からん学生など、庭を這いずり回る虫ケラと何ら変わりない。名前すら覚える価値もない、ただの『汚れ』や。そんな寄生虫に身を委ねるとは、神宮寺家の千年の歴史を泥水に沈める恥知らずな行為なんやぞ!」
鋭利な刃物のような侮辱は、尚美の心を執拗に切り刻む。しかし、言葉が激しさを増すほど、彼女の瞳の奥では『自由』への渇望が、消えることのない青い炎となって燃え上がっていた。
厳しい監視下に置かれた尚美だったが、一度自由の味を知った彼女を止めることは誰にもできなかった。
深夜、シーツを繋ぎ合わせて窓から脱出し、隠し持っていた中古の軽自動車で洋平と合流。
二人は夜の闇に紛れ、京都を脱出した。
辿り着いたのは、滋賀県の山間にあるひっそりとした町。洋平は名前を偽り、日雇いの土木作業で泥にまみれて働いた。狭いアパートでの暮らしは貧しく、冷房もない部屋で一台の扇風機を分け合う日々。それでも、尚美の顔には屋敷にいた頃にはなかった生命の輝きが宿っていた。
「洋平さん、見て。今日は肉じゃが作ってみたんや。ちょっと焦がしてしもたけど」
「美味しいよ、尚美……。でも、本当にこんな生活でよかったんか?」
「それ以上は言わんといて。私、今が一番幸せ。誰の娘でもない、ただの尚美として、あなたと生きてるんやもん」
しかし、神宮寺家の執念は二人の想像を絶していた。逃亡から三ヶ月。山々が血のような赤に染まり始めた頃、その終わりは唐突に訪れた。
洋平が仕事から帰ると、アパートの前に黒塗りの高級車が三台、異様な威圧感で居座っていた。
嫌な予感が背中を伝い、階段を駆けあがる。
「尚美!」
ドアを蹴破るようにして飛び込んだ洋平の目に飛び込んできたのは、数人の男に羽交い締めにされた彼女の姿だった。
「黙れ! この出来損ないが!」
尚美の叫びを遮ったのは、背後から現れた父の無慈悲な拳だった。
床に崩れ落ちる尚美。
逆上して飛びかかろうとした洋平には、暴力の専門家たちが牙を剥く。一撃で顎を砕かれ、二撃目で腹部を抉られる。床に転がった洋平へ、容赦のない蹴りが降り注ぐ。
「身の程を知れ、ゴミ屑が。神宮寺の血をお前のような泥が汚してええはずがないやろうが!」
顔面を踏みつけられ、鼻骨が折れる鈍い音が響く。視界が鮮血で真っ赤に染まった。
「やめて!私 が帰るから、彼は関係ない! 殺さんといて!」
尚美の悲痛な叫びを余所に、洋平の伸ばした手を男は無慈悲に踏みにじった。
何度も何度も。骨が軋み、指が不自然な方向に曲がる。
父は怒りで震える手で尚美の髪を掴み上げ、血まみれの洋平の眼前にその顔を突き出した。
「見ろ! これが貴様が選んだ男の成れの果てや。分をわきまえん下衆には、言葉より痛みがふさわしいわ」
父は汚れた靴を拭うような眼差しで洋平を見下ろすと、杖の先を彼の喉元へ深く突き立てた。
「……なお、み……」
薄れゆく意識の中、最後に見えたのは、スモークガラス越しに泣き叫ぶ、彼女の歪んだ顔だった。



