H.Nさんのこと

H.Nさんのこと

先日、約三十四年ぶりくらいに中学校の同窓会に参加した。前回の参加は多分三十歳前後の頃だったはずなので相当の年月が開いている。
長年参加をしなかったのは、中学生当時住んでいたところから成人し長らく住まいとしていた場所にそれなりに距離があること。
そして僕自身が、生まれ持っての出不精であること。そんなことが相まって「また次でいいだろう」
などと考えているうちに、私生活の環境に変化があり引っ越しを数回重ねているうちに、どうやら僕の居所は「同窓会」にとって不明扱いとなってしまったようなのだ。なので過去二十年近く、開催の知らせが来た事はなかった。
しかし人生とは不思議なもので、というか人の縁、
とはありがたいもので「同窓会」とは全く無関係の人が縁をつないでくれたのである。

その人物(以降はW君と呼びます)は僕の高校の後輩であり、同じ軽音楽部に所属していた。といっても彼は僕が卒業した年に入学してきたので、互いの高校生活は重なっていない。
なのだが我が母校の軽音楽部と言うのは数代にも渡り、年齢が十歳以上離れていても一堂に会して定期的にOB会を催すのが習わしだ。
そんなこともありかなり以前からW君とは会うたびに二言三言と言葉を交わすことがあったのだが、
それはW君が僕のことを自身の三歳離れた兄と中学時代の同級生であり、かつ同じ野球部員として友人であったことを知っていたからである。
そんなことから、W君が昨年の春に催された母校軽音楽部のOB会出席時に「I(僕のこと)先輩、一緒に写真撮ってもらってもいいですか?」と言うので「もちろんだよ」と僕は答え、彼の持つスマホの画面に収まったのである。
そしてしばらくしたら再びW君が僕のところに来て、「さっきの写真、兄貴に送ったら『来年は俺が中学同窓会の幹事だから、Iの連絡先を聞いて俺に教えてくれ』と言っているのですが、先輩の携帯番号、兄貴に教えてもいいですか」と言うのである。
もちろん断る理由もなく、よろしく頼むね、と僕は答えた。

それからおよそ一年ほど経った今年の春が過ぎた頃か、W君の兄貴(以下、W兄と呼ぶ)つまり僕の中学時代の同級生からメールがあり、今年開催される中学同窓会の場所と日時等の連絡が来た。
そして最後に近いうちにそちらに出欠を問う往復はがきを送るので是非参加してほしい、と文章は括られていた。
以前と違い、中学時代に住んでいたところに少しは近いところに引っ越しをしたこともあり、かつてほどの距離感は無いのである。しかしあいも変わらず僕は生粋の出不精であり、しかもバスや電車といった公共交通機関を利用することが大嫌いなのである。
なんせ数百メートル先のコンビニエンスストアにも、車で出かけるような性分だ。そんなこともあり野球部時代の友人から是非に、と言ってもらえているのに果たして出席するべきか?などとずっと不謹慎にも悩んでいたのである。
そしてその後、W兄の言っていた通り自宅に出欠を確認する往復葉書が届いた。
そこには以前もらった連絡の通りの日時や場所、
会費等の詳細が印刷されていた。
しかし僕にとって大きな驚きとなったのは、さらに読み進めていったところに今回の幹事名が載っており、そこにある女の子(今ではもう女の子ではないのかもしれないが、僕にとっては今でもその子は「女の子」なのである)の名前が記されていたことだ。
その女の子の名前はH.N さんといい、僕が小学校五年生の時に転校して中学を卒業するまでのおよそ四年半を共に過ごした子である。
ではなぜそんなに心に残っていたのか、と言えばその子は学年で唯ひとり、あるいは全校でも他にいたかどうかわからないくらい当時としては稀少なほど髪の色が茶色い女の子だったからだ。
男女問わずほとんどの日本人が黒髪が当たり前の時代に、その子は信じられないくらいに綺麗な色の髪をしており、しかもその髪は極めて細くそして絹の様な艶があった。天候や光の具合、あるいは見る角度によっては、時に彼女の髪は僕には金色に輝くようにも見えた。僕は一目でその女の子のことが気になる存在、となってしまったのだ。小学校五年生であるから十歳位のはずだが、それまで一度も人の髪の色などに目を奪われたことがなく、もちろん何の興味もなかった。しかしながら、「その僕が」である。
話は戻るが、その女の子に逢いたい一心で、散々出席するかどうかを悩んでいた僕の心は、一気に「出席」へと舵を切った。

当日は所用で二次会からの参加となり、その旨はあらかじめ伝えてあったのであるが、会場に到着するとすでに一次会から流れてきた面々は会場内に着席していた。当然会場内に入った僕は見事なほど身の置き場がないのである。それも身から出た錆のようなもので前回出席から既に三十年以上、中には中学卒業以来五十年近くも会っていなかった同級生も多いのである。そして僕の気になる存在であったその女の子も、僕が前回出席したときには来ておらず実に五十年ぶりの再会なのだ。
(実はその後彼女と話をした時、その時は妊娠中であったと知ることになる)
そんな状況なので彼女の姿を追い求める余裕もなくW兄が「Iが来たぞー」との叫び声とともに僕は会場内に入ったのだが、
やはり大方の男子は生きてたのか?何年も顔出さずに何やってたんだ?のような僕にとっては非常に居心地の悪い出迎えだったのである。
隠れるように入り口から最も近いと思われる空いている席に逃げ込むように着席した。思っていた通り、誰ひとりとして顔と名前が一致しなかったのであるが、しかしその居心地の悪さも瞬時のことで五十年の長きブランクはさほど苦労をせずに解消された。
運良く僕が逃げるように座ったその席の対面に野球部時代の悪友がデンと座っていたのである。
そのおかげで、事なきを得たのであった。
そしてしばらくして、僕の右側からある女性が近づいてきた。
名前を間違ってしまうと当然非常に失礼となるわけで、僕は左隣のK君に「(僕の右側に来た女性は)誰?」と聞いた。かなり頻繁に同窓会に出席しているのか、K君はすぐさま「H.Nさんだよ」と教えてくれた。
僕は多分、その時一瞬息を飲んだはずだ。
はてさて?なんと挨拶をするべきか?
どういう表情でどういう話しかけをすればいいのか?何の企てもなく、準備もなく当日を迎えてしまったわけだからほんとにどうしたら良いのかわからなくなっちゃったんだけど、僕は意を決して彼女の顔を見た。多分二、三秒は凝視したのかもしれない。
「(彼女の氏である)Nさん?」と問いかけた。
中学時代と異なり、どちらかと言えば丸みを帯びていた彼女の顔は今はほっそりとした印象になっていた。
確か彼女は「I君?」と答えてくれたはずなのである。が、正直言うと僕は彼女に会えたことから来る緊張のせいか、彼女の言葉を正確には覚えていない。おそらく僕は「うん」と答え、彼女は「中学卒業してから一度も会っていないよね。五十年ぶりくらい?」と言ったはずである。
それに対しても多分僕は「うん」と答えたはずだ。それからお互いに少しの間、懐かしさを語り合ったと思う。
彼女は六人いる幹事のうちのひとりだったので他の出席者よりは遙かにいろいろなことをやらねばならず忙しい立場だった。
だけど彼女は状況が許すと、ほとんどの人間の顔と名前が一致しない僕のことを気遣い(彼女は僕が会場に入ってみんなから「俺のことが誰かわかるか?」と聞かれるそばから「わからないよ。誰だよ?」
と答えていたの見て知っていたのかもしれない)
僕の手を引き出席者全員に僕を紹介し、そしてそこに座っている出席者の名前を僕に教えてくれた。
僕は紹介された一人ひとりにとりあえずの挨拶をした。
それからは僕は大空に解き放たれた小鳥のように
自由になった。会場に入ったときのあの得も言われぬ居心地の悪さから抜け出すことができ、心底同窓会を楽しむことができた。でも、これも僕の曖昧な記憶なのだが、彼女は僕を連れ会場内を回っている最中、ずっと僕の手を握ってくれていたはずなのである。もしそれが僕の記憶が間違っていないのであれば、それを見た同級生たちは果たしてどのように僕たちを見ていたのだろうか?彼女は皆にどのように思われようが一切構わないと思っていたのであろうか?
だって、席を立ってから再び着席するまでずっと手を握っているなんて、女性にとってはとても恥ずかしいはずだから。

途中で予期せぬアクシデントもあり、それでも無事に二次会が終わりその後、と言う時間になった。数名の慣れたメンバーが三次会の段取りをしてくれて僕たちは場所を移すことになった。H.Nさんは決して乗り気ではなかったようであるが、W兄や僕たちに口説かれ次に向かうことになった。車を近くの駐車場に置いてあった僕が、W兄、K君、そしてH.Nさんを乗せて行くことになり僕は駐車場から車を出した。待っていた三人が僕の車の周りに集まった。僕は彼女に「隣に乗りなよ」と言った。
彼女は「うん」と答え、W兄とK君が後部座席に座った。僕は運転の時、左側巻き込み防止のため運転席から確認しやすい様に助手席シートをかなり寝かせる癖がある。その方が左側の窓から自転車や通行人が確認しやすいからだ。でも駐車したときにそれを直さないまま停めたので、シートは寝たままであった。なのに彼女はそのままシートに乗り込み「これ、どうやって直すの?」と言っている。しかし人の車はなかなか勝手がわからないのが当たり前で、彼女の後ろに座ったW兄が窮屈なことを僕は知っていながら助けようともせず、
「そのまま寝て行きなよ。起きた頃には着いてるよ」
などといい加減極まりないようなことを言ったのだが、W兄は怒ろうともせずに自分の不幸な状況を受け入れていた。
出発してから次のお店に着くまで、二次会の時に起こったアクシデントのことや同級生同士の人間関係や、いろんなことを取り止めもなく話していたのであるが、
その途中彼女が「ここを左に入ると、私の家」と言った。僕は中学を卒業するまで彼女の家がどこにあるのかは知らず、その時初めて知ったのである。
そこは子供の足では学校まで非常に遠い地域だった。中学校からは自転車通学が許されていたはずなので、彼女は自転車で通っていたのであろうか?
僕はそんなことを考えながら、事故だけは起こしていけないと注意深くハンドルを握っていた。
しかしその一方で、中学卒業までのおよそ四年半を共に過ごした「なんとなくいつも気になっていたとっても髪の綺麗な女の子」が、五十年の時を経て僕が運転する車の助手席のシートを倒して、僕の隣にいるのである。このような摩訶不思議な体験とその時の心境は、もちろん初体験だったしもうおそらく僕が死ぬまで、二度と起こり得ないことだと思った。
僕は「H.Nさんはこのようなところに住み、そして学校に通っていたんだ」と自分のことでは無いにもかかわらず、なぜか感慨深い気持ちになった。

そんなことをしながら僕はさすがにW兄が不憫になり、彼女の助手席のシートを少し立てようと試みた。だけど相変わらず彼女はそのやり方に四苦八苦しているようなので、僕は彼女の右手を左手で取り
助手席シート右側のある部分に彼女の手を導き、
「左側の今、右で触っているあたりにレバーがあるからぶりぶりしてみて」と言った。
彼女は「うん。ぶりぶりね」と言って挑戦しようとしたが、シートはさらに倒れかかってしまった。

ほどなくして僕たちは目的のお店に着いた。
そこはいわゆるカラオケスナックと呼んでも良い場所で既に大いに賑わっていた。
ほんのわずか先に僕たちより先についた数名を合わせて十名くらいであったか、僕たちは用意された席に座った。僕はW兄に、隣にH.Nさんが座れるよう、一席空けて欲しいと頼んだ。
そして僕は彼女に「ここに座って」と勧めた。
僕は彼女ともっとゆっくりと静かに、本当であればふたりきりで話をしたかったのだけどさすがにそれは無理なので諦めざるを得なかった。
店内では常に誰かがマイクを持ちカラオケを歌っている状況の中で僕たちは話をした。でも不思議なもので、もう僕の耳にも、もしかすると彼女の耳にもカラオケを歌う他のお客さんの声は聞こえていなかったのかもしれない。
少なくても僕の耳には、もう店内の僕たちにとっての雑音は一切シャットアウトされて彼女の声しか耳に届かなかった。
僕たちは髪と髪がわずかに触れ合うくらいに近づき、
そして、話し始めた。
彼女は、僕に好意を持っていた「I君のことがずっと好きだった」と言ってくれた。
僕は黙って聞き続けた。「I君が転校して来て同じクラスになって、私の隣に座った。覚えてる?」と彼女は訊いた。
僕は本当のところ、転校して教室に入り黒板の前で担任教師に自己紹介を促され、正直緊張していたのである。なので挨拶の後、隣の席が一体誰であったのか?
今となっては全く思い出せなかったのである。
そしてそれは決して彼女に魅力がない訳でも僕に彼女に対する興味がわかなかったからでもなく
僕はその時同じクラスになった女子生徒、誰ひとり記憶にないのだ。記憶に残ってるのはクラスを代表するいわゆる悪がきどものみなのだ。
僕は、彼女のその質問には明確には答えずその場の風に任せた。彼女は、僕が彼女の問いかけにしっかりと答えなかったことには触れず、静かに続けた。
「I君は、私に意地悪したの」
「えっ?どんな?消しゴムを隠したりとか?」
「うんうん(違う、と言う否定)。そんなことじゃなくて」
彼女は僕が何をしたのか、をきちんとは話してはくれなかった(と思う)。だけど僕に伝えてくれたのは、その意地悪が嫌だったのではなく、むしろ何かうれしかった、そんな意味合いのことを言った。
僕は謝るでもなく、彼女の横顔を見ていた。
五十年ぶりに近くで見る彼女の顔は、もちろん中学生の頃の彼女ではなかったが、しかし成熟した女性の美しい顔だった。
しばらく会話が途切れたのかもしれない。
少しの間を置いてそして僕は彼女に、ずっと心の中に留まっていたことを訊いてみた。
「Nさんて、ひとりだけ髪が茶色かったよね。それがすごく不思議だったんだ」
彼女は「うん」と答えた。そして実の娘も同じような髪の色で、学校で「染めているのか?」のような指導を受けたと話してくれた。
その後は他のメンバーもいた手前か、ふたりきりだけで話し続ける事はせず、彼女のほうはちょこちょこと席を変えた。ときたま僕の隣に戻ってきては
「何か歌って」と言ったり、一曲だけ一緒に歌ったり、そんなことをしながら、時間は過ぎていった。
僕たちは一緒に歌うとき、僕は彼女の手を取り、彼女は空いた手を僕の腰のあたりに添えていてくれたように思う。ある時はステージの上で僕の横に立つのではなく、いつの間にかなぜか真後ろに立っているのである。なんで?と思ったのだが、僕は振り返ることもなく、でも彼女の右手は僕の右の腰あたりに添えられたままであった。

再び席に座ると、僕は彼女に何かを悟られないように、いかにも何気なくを装いながら思い切って生まれて初めて彼女をファーストネームで呼んだ。もちろん呼び捨てではなく「ちゃん付け」であるが。
つい少し前、彼女は僕に好意を持ち続けていてくれたことを告白してくれた。僕はその彼女の言葉に対して「ありがとう」でも「うれしいよ」でもなく、
何の言葉も返さずに、ただ黙って聞いていた。
それはきっとどんな言葉を返しても、ただ白々しいだけの空虚なものになってしまうような気がしたから。僕の彼女に対する真摯な思いはそんな軽々しい言葉では表現できないと思った。

でも、一方では彼女の告白に対して何も応えない、のは自分の思いにも反する気がした。
僕は意を決してきちんと彼女に聞こえるように「Hちゃん」と呼んだ。そうすればきっと彼女は僕の君に対する思いに気がついてくれるに違いないという期待も込めて。
彼女は特に驚いた風もなく、そのまま会話に応じてくれた。

しばらくして何回目かに僕の隣に戻ってきた時、彼女は僕に中学時代誰か好きだった女の子はいたのか?と言うようなことを何か遠慮がち(僕がそう感じただけかもしれないが)に、聞き取れるか聞き取れないか位の小さな声で訊いた。僕はその問いには黙っていた。でも彼女は「M.Nとか?」と続けた。
その女の子の名前は校内で同級生の男連中から、
僕の好きな女の子、と認識されていた女子生徒の名前だった。僕はその問いかけにも、黙ったまま答えずにいた。なぜだったのか?は今もよくわからない。確かにその名前の女の子は僕の気になっていた子ではあった。でも今日僕がここに来たのは紛れもなくその子に会いたかったからではなく君に会いたかったから、そう伝えたかったのかもしれない。
その一方でそんなことを言えば、何か薄っぺらく捉えられてしまうことを避けたかったのかもしれない。
そしてその彼女は、同窓会には出席していなかった。

やがて、そろそろ帰ろうと言うことになったのだが
彼女は最後まで僕の中学卒業から今までのことを聞こうとはしなかった。
結婚はしたのか?したのであれば、それは何歳の時か?子供はいるのか?孫はいるのか?
そのようなこと一切である。
なので彼女は、僕が離婚経験者であり今が二度目の結婚であることは知らないのかもしれない。
ただ僕が、音楽で身を立てようとずっとその道を歩んできた事はどうやら噂で聞いて知っているようでもあった。
途中でテーブルの上に置いてあった僕のスマホの待ち受けがチラッと見えたことがあり「お孫さん?」
「うん」
僕の家庭についての話はたったそれだけだ。
でも考え直すと僕のほうも彼女に卒業後の細かな事は聞かなかったと思う。
今振り返って見ると、おそらくその時の僕の心境はただただ彼女とのふたりだけの空間と時間をひしひしと自分に感じさせたかったのだと思う。
五十年も会うことがなかった彼女と一切の余分を省いて、ただ一緒にいたかったのだと思う。
彼女が背負って来た今までのすべてを感じそれを自分に纏わりつかせるには、来し方はむしろ邪魔になってしまうような気がしたのだと思う。
それは彼女も同じだったのかも知れなかった。

店を出る時、いちばんやんちゃな男子生徒だった奴が「N!大好きなIと一緒に帰れよ!」
と野次を入れたが、彼女は全く否定もせず、
ただ少し恥ずかしがっていたのかもしれないけれど
「大好きなI君と帰るよ!」とそんなに大きな声ではなかったが、しかし潔く(僕にはそう聞こえた)そう言い放った。
でも実際には彼女は女友達が運転する車で帰り、
そして僕はW兄を自宅まで送った後、我が家へ戻った。


僕は今、同窓会から二日後の自宅でこの日記を書いている。
これはミクシィに残すためではなく、自分の人生の集大成として、あとそう何年は生きないであろう男が最後に残さなくてはならない大切なものとして、
書こうと決心した結果である。

僕はこの文章の最初の方で、彼女の髪の綺麗さに触れた。僕は二十代の後半か三十代の前半に、自分のある性癖に気がついた。それは、女性の髪に対しての自分では異常かな?と思うほどの執着である。正直、自分はもしかすると変態ではないのかと悩んだこともあった。しかしある時「髪フェチ」なる言葉をネット上で目にした。そしてその意味を読むにつれ自分がそれに該当しているのだ、とほぼ確信するに至った。幸いにもそれは決して変態ではない、とも書かれていた。
僕は中学を卒業し高校入学以来、自分では気づかなかったのであるが女性を見る時、いちばん最初に顔ではなく髪を見るようになっていたのである。そしてその髪が栗色、または茶色で且つサラサラでなければ、その時点で一切の興味がなくなるのだ。そしてそれは齢六十をとうに過ぎた今でも変わらない。僕は無意識のうちに彼女と出会ってから後、Hちゃんと同じ美しい髪を持った女性でなければ好きになれないようになってしまったのだ。それはどうやら紛れもない事実みたいである。そして彼女はその美しい髪だけではなくとても瞳の綺麗な人だった。
一切の邪念や不純物がなく純粋な心がその瞳に宿んでいた。思い出せば、彼女はとてもかけっこが早かった。運動会ではおそらくいつもいちばんだったし、必ずリレーの選手として選ばれていた。僕はそんな彼女が綺麗な髪をなびかせながら先頭でゴールテープを切るのをいつも見ていた。勝っても全く奢ることがなかった。
いつもニコニコしていた。僕は運動会のフォークダンスで、なぜだか彼女が今どこで誰と踊っているのか?自分までは回ってくるのか?そんなことが気になっていた。
前にも書いたが、僕はほとんど女性に深い執着や興味を持たずに生きてきた人間だ。なので学生時代を通じて、こちらから女子生徒に話しかけた記憶は全くない。そんなことだから向こうから話しかけられることもほとんどなかったのであろう。
だから女の子の顔をまじまじと正面からしっかりと見た記憶はほとんどない。でもそんな僕でも、彼女が他の女の子とは全く違う、という事はきちんと理解ができた。
彼女は今、自分の家庭を持ち子や孫にも恵まれ、幸せな生活を送っている。自分からそれを誇示することもなく僕が望んだので、多くの写真をスマホで見せてくれた。人の幸せをこんなに嬉しく思った事はなかったかもしれない。あの綺麗な髪が風に揺れ、いつもニコニコして、僕を髪フェチにしてしまい、そして僕のことをずっと好きだったと言ってくれた彼女。
でもそれは違うと思う。
僕の方こそ君のことをずっと心の中に抱いていた、知らず知らずのうちに君が心の中にいた、それに長い間気がつかなかった、
それが「本当のこと」だと思う。

そういえば、なんだけど同窓会で君に会って
今になって思い出したことがある。
僕が転校して多分すぐのこと、僕が転校したのは五年生の十月だったからもしかしたら運動会の全体練習だったのか、あるいはごく普通の朝礼だったのか?それははっきりとしないのだけれど、
全学年全生徒が校庭に整列し、でもなんだかワサワサしていたんだけど、M先生が朝礼台に登った途端、みんながいきなりまるで軍隊の演習のようにピリッとしたんだよね。転校したばかりの僕はそのあまりの変わり様にびっくりしたんだけど、瞬時に何かを悟り君に聞いたんだよね。
「あの先生、怖いの?」
これが僕の記憶に残る最初の僕から君への話しかけ。
後から知ることになるけどこのM先生、
ほぼ陸軍大将のような存在だった。
君は確かこの時「うん」と教えてくれたと思う。
あの時、なんで僕は君に聞いたのだろう?
他にも聞く人はいただろうに。
今思い返せば、僕は君に話しかけたかったのかもしれない。よくわからないけど(笑)
そしてうんとうなずいてくれた時も、君はニコニコしていたね。
話は途中になってしまったけれど、今も十代の前半だった頃の「あの君」が僕の頭の中に、心の中に鮮明に残っているし、
五十年ぶりに会った今の君も、やっぱり素晴らしく美しく可愛かった。

Hちゃん(彼女のファーストネーム)ありがとう。
僕はずっと君のことが好きでした。
でもそれが恋愛感情であったのか、果たしてどのようなものであったのか?その頃は吉田拓郎に憧れいつかはミュージシャンになりたいと音楽のことで頭の中の大半が占められていた僕には、
今でも自分で答えが出せないのです。
でもひとつだけはっきり言えるのは、教室でも校庭でもどこででも思わずその姿を探してしまう女の子は君だけでした。僕はその後、それなりの数の女性と交際をし結婚をしたけれど、この歳になって思い起こすのは交際をした女性たちではなく「結局は付き合うことのなかった君」なんです。
この矛盾な一体なんなのだろう?

ただ僕がずっと君のことが好きだったと言う事は、今となっては君に伝えられないのかもしれません。
むしろ伝えることによって、君の迷惑や重荷になってしまうかもしれない。
でもいつか自分が死ぬ時が来たら、あるいは縁起でもないことだけど万が一君が先に死んでしまうようなことがあったら、この気持ちは最後にきちんと伝えたいと思います。
そのためにミクシィにこの日記を残します。
そしてこれは本当なら中学生の時に
君に渡さなければならなかったラブレター
なのかもしれません。

君は僕の心の中に五十年以上も輝き続けた太陽です。