静寂に包まれた林の中で、一人の少女が歩いていた。手にはヴァイオリンが入ったケースを抱えている。
季節は春。
林の木々は、桜の花で彩られていた。
この少女――水島楓は、ひときわ大きな桜の木を見つけると、足を止めた。
そっと木に触れる。
触れた手のひらに、かすかな温もりが伝わってきた。
いる――。
あの人は今日もここにいる。
楓の心が弾んだ。そして木に向かって話しかけた。
「こんにちは、かなたさん」
「こんにちは、楓さん」
温かみのある、低い男性の声が返ってきた。
周囲は誰もいない。
それでも、声は確かに聞こえてくる。
「学校、終わったんですね。お疲れ様」
「ありがとう。かなたさん」
「今日の学校は、どうでしたか」
「実は……圭と仲直りできたんです」
圭は、楓のクラスメイトで、一番仲の良い女友達だ。
「それはよかったですね」
かなたの嬉しそうな声が響いた。
楓は頬を赤らめた。
「かなたさんのおかげです。かなたさんが、口でうまく言えないなら手紙を書いたらいいと教えてくれたから……」
「いいえ。書いたのは楓さんです。きっと一生懸命書いたのが伝わったんですよ」
かなたは穏やかに言った。
「はい……」
「今日、こちらは天気がいいですよ。楓さんのところはどうですか」
楓は空を見上げた。

