モブの私に、王太子殿下は本気らしい

 入学式が終わり、私はようやく教室にたどり着いた。
 幸い、私の席は窓際の後ろから二番目。
 目立たない場所としては申し分ない。
 これなら、誰にも注目されずに過ごせるはずだ。
「リリアーナさん、だよね?」
 隣の席から声をかけられた。
 振り向くと、栗色の髪をした可愛らしい女の子が笑っていた。
「私、ミレーユ・アシュフォード。よろしくね!」
「うん、よろしく!」
 よかった。
 優しそうな友達ができそうだ。
 ミレーユと話していると、教室の扉が開いた。
 途端に、周囲がざわめく。
「殿下だ……!」
「アレクシス殿下!」
 私は反射的に背筋を伸ばした。
 教室に入ってきたのは、もちろん、先ほどの王子様だった。
 彼は教師と短く言葉を交わし、教室を見渡した。
 そして。
 なぜか、私と目が合った。
 にこっ。
 王子が微笑んだ。
 ……え?
 今、私を見て笑った?
 いやいやいや。
 気のせいだ。
 だって、王子様は優しい人だもの。
 誰にでも微笑むに決まっている。
 私は慌てて視線をそらした。
 ところが、王子はそのまま教室の中を歩き、私の席の前で立ち止まった。
「リリアーナ嬢」
「は、はいっ!?」
 クラス中の視線が、いっせいに私へ集まった。
 お願いだからやめて!
 目立ちたくないのに!
「先ほどは、ありがとう。あの子は私の弟の友人でね。とても助かったよ」
「あ、いえ……!」
「もしよければ、昼食を一緒にどうかな?」
 …………。
 え?
 今、なんて?
「ちゅ、昼食……ですか?」
「うん。君と、もう少し話をしてみたいんだ」
 教室が静まり返った。
 誰かが小さく息をのむ音が聞こえた。
 私は、笑顔のまま固まっていた。
 だって。
 王子様と昼食?
 それって、乙女ゲームなら好感度イベントでは?
 しかも、私、まだ何もしていない。
 ただ子どもを助けただけなのに!
「あ、あの……私なんかでよろしければ……」
「本当かい?」
 王子の顔が、ぱっと明るくなった。
 まるで、ずっと欲しかった贈り物をもらった子どものような笑顔だった。
「ありがとう。楽しみにしているよ」
 そう言って、彼は去っていった。
 私は机に突っ伏した。
「……終わった」
「リリアーナ」
 隣から、ミレーユの震える声がした。
「あなた、今……王太子殿下にお昼ご飯に誘われたのよ?」
「うん……」
「どうしてそんなに冷静なの!?」
「冷静じゃないよ……」
 むしろ、今すぐ布団にくるまって現実逃避したい。
 私は知らなかった。
 この日、アレクシスが昼食の時間を心待ちにしていたことも。
 そして、彼が側近のノアに、こんなことを言っていたことも。
「ノア。昼食の予定を空けておいてくれ」
「殿下、今日の昼食は以前から決まっていたはずですが?」
「変更してもらったよ」
「……どなたのために?」
「リリアーナ嬢だ」
 ノアは、しばらく無言だった。
 そして、主君の顔をまじまじと見つめた。
「殿下。今朝、初めてお会いになった方ですよね?」
「そうだね」
「……まさか、一目惚れですか?」
 アレクシスは少し考えたあと、穏やかに微笑んだ。
「そうなのかもしれないね」
 その顔があまりにも幸せそうだったので、ノアは何も言えなくなった。
 ――王太子殿下の恋は、本人が思っている以上に、ずっと早く始まっていたのである。