「ストレア・シュタインベル! 私はこの場をもって、君との婚約を破棄する!」
その宣言が響き渡った瞬間、華やかな舞踏会場が静まり返った。
つい先ほどまで優雅な音楽を奏でていた楽団が演奏を止め、談笑していた貴族たちが一斉に声の主へと視線を向ける。
声を上げたのは、アズナル王国第一王子にして王太子、レイド・アズナル殿下だった。
黄金色の髪に、同じく黄金色の瞳。
この国で最も尊ばれる色を持つ彼は、まさしく王族の象徴ともいえる存在だ。
そんな王太子の前に立っているのは、一人の少女だった。
腰まで伸びた銀白色の髪。
雪のように白い肌。
そして、淡い水色のドレスに身を包んだ、息を呑むほど美しい少女。
彼女の名は、ストレア・シュタインベル。
王国でも屈指の名門であるシュタインベル公爵家の一人娘にして、王太子の婚約者だった令嬢だ。
「……婚約破棄、でございますか」
「ああ、そうだ! 君との婚約は、この場限りとする!」
「恐れながら、理由をお伺いしてもよろしいでしょうか」
突然の宣告にもかかわらず、ストレア嬢の声音は落ち着いていた。
背筋を伸ばし、相手の目を見て言葉を紡ぐ。
その姿には、長年積み重ねてきた淑女としての教養が表れている。
だが、王太子は不快そうに顔を歪めた。
「理由など、わかりきっているだろう! その瞳だ!」
「……私の、瞳でございますか」
「そうだ! 黄金の瞳こそが高貴さの象徴であるこの王国で、王太子妃となる女がそのような瞳を持っているなど、認められるはずがない!」
その言葉を聞いて、僕は思わず眉をひそめた。
……また、それか。
この国では、黄金色の瞳が何よりも尊ばれている。
建国の英雄である初代国王が黄金の瞳を持っていたことから、黄金色こそが神の祝福を受けた色だと考えられているのだ。
貴族たちはこぞって黄金色の瞳を称賛し、それ以外の色を持つ者を軽んじる。
特に、青系統の瞳は冷たさや不吉さの象徴とされることも少なくない。
まったく、馬鹿馬鹿しい話だ。
生まれ持った瞳の色で、人間の価値が決まるはずもないだろうに。
「それに比べて、リディアを見ろ!」
王太子は隣に立つ令嬢の肩を抱き寄せた。
艶やかな金髪に、宝石のような黄金色の瞳。
リディア・ヴァルツ侯爵令嬢。
王太子が近頃、婚約者であるストレア嬢を差し置いて親しくしていると噂されていた人物だ。
「彼女こそ、次代の王妃にふさわしい女性だ!」
「……左様でございますか」
ストレア嬢は静かに目を伏せた。
周囲から、ひそひそと囁き声が漏れ始める。
「やはり、あの瞳ではねえ……」
「いくら公爵家のご令嬢といっても、王太子妃にはふさわしくありませんわ」
「お可哀想に。でも、仕方ありませんわよね」
誰も彼女を庇おうとしなかった。
ストレア嬢が王立学院でも屈指の成績を収めていることは、誰もが知っている。
礼儀作法、政治学、外交学、魔法学。
どの分野でも優秀な成績を残す彼女は、教師たちからの評価も高い。
実際、僕も学院の研究発表で彼女の姿を見かけたことがある。
難しい質問にも淀みなく答えるその姿は、同じ学生とは思えないほど堂々としていた。
そんな彼女が、ただ瞳の色が違うという理由だけで蔑まれている。
どうにも納得できなかった。
「……承知いたしました、殿下」
ストレア嬢は静かに頭を下げた。
「ただし、王家と公爵家の婚約は正式な契約にございます。解消に際しては、両家の協議が必要となりますが」
「そんなものは後で済ませればよい!」
「かしこまりました。では、本日のお言葉は確かに承りました」
そのまま彼女は優雅に一礼した。
完璧だった。
これほど理不尽な仕打ちを受けても、決して取り乱さない。
まさに公爵令嬢の鑑といえる振る舞いだ。
けれど。
彼女が顔を上げた、その瞬間だった。
「…………っ」
僕は、思わず息を呑んだ。
視線が合ったわけではない。
ただ、彼女が顔を上げたことで、その瞳が僕の視界に飛び込んできたのだ。
淡い水色。
まるで、冬の朝日に照らされた湖面のような。
あるいは、透き通った氷の中に空の色を閉じ込めたような。
そんな、美しい瞳だった。
シャンデリアの光を受け、彼女の瞳がきらりと輝く。
……なんだ、あれは。
綺麗だ。
あまりにも、綺麗すぎる。
僕はしばらく、その瞳から目を離せなかった。
これまで幾度となく舞踏会に参加してきた。
美しい令嬢だって何人も見てきた。
けれど、誰かの瞳を見て、これほど胸が高鳴ったことはない。
「……綺麗だ」
思わず、声が漏れた。
そのとき、彼女がほんの少しだけ俯いた。
細い指先が、ドレスの裾を強く握りしめている。
それを見て、胸の奥がきゅっと締めつけられた。
……ああ、そうか。
彼女だって、傷ついているんだ。
いくら完璧な淑女だからといって、感情がないわけではない。
婚約者から容姿を否定され、大勢の貴族から嘲笑されて。
それでも、泣くことすら許されない。
そんな彼女を見ているうちに、僕の足は自然と動いていた。
「少々、失礼いたします」
貴族たちの間を抜け、会場の中央へ進み出る。
突然現れた僕に、王太子が怪訝そうな顔を向けた。
「……何者だ、貴様は」
「エールリッヒ伯爵家が次男、ライズ・エールリッヒと申します」
僕は胸に手を当て、一礼した。
「殿下。一つ、お尋ねしてもよろしいでしょうか」
「なんだ?」
「先ほど、ストレア様との婚約を破棄するとおっしゃいましたが、そのお考えに変わりはございませんか?」
「くどい! そうだと言っているだろう!」
「左様でございますか」
僕は頷いた。
「それを伺えて、安心いたしました」
「……何?」
王太子が不審そうに眉を寄せる。
しかし、僕はもう彼を見ていなかった。
目の前に立つ少女へ、身体を向ける。
「ストレア・シュタインベル様」
「……はい?」
「突然お声がけして申し訳ありません。僕はライズ・エールリッヒと申します」
「ええ……先ほど、お聞きいたしましたが」
「ああ、そうでしたね」
しまった。
どうやら、少し緊張しているらしい。
自分でも驚くほど、心臓がうるさかった。
それでも、伝えたいことがあった。
僕は彼女の瞳をまっすぐに見つめる。
「あなたの瞳は、とても綺麗ですね」
「…………え?」
彼女の目が、大きく見開かれた。
「まるで、冬の湖のようです。こんなにも美しい瞳を、僕は初めて見ました」
「あ、あの……」
「先ほどから、ずっと見惚れてしまっていたんです」
彼女は何度か瞬きをした。
そして、困惑したように自分の目元へ指を添える。
「……私の、瞳が?」
「はい」
「ですが、私の瞳は黄金色ではございません」
「そうですね」
「この国では、黄金色こそが最も美しいと……」
「それは、この国の人たちが決めたことでしょう?」
僕は微笑んだ。
「少なくとも、僕は違います」
「…………」
「僕は黄金の瞳よりも、あなたのその淡い水色の瞳のほうが、ずっと美しいと思います」
その瞬間。
彼女の白い頬に、淡い朱色が広がった。
「……っ!」
慌てたように視線を逸らす。
なんだろう。
その仕草まで、ひどく可愛らしい。
「貴様! 何を言っているかわかっているのか!」
王太子の怒声が響いた。
「その女は、この私が王太子妃にふさわしくないと判断した女だぞ!」
「ええ、承知しております」
「ならば、なぜそのようなことを!」
「殿下が彼女を美しいと思わないことと、僕が美しいと思うことは、別の話ではありませんか?」
「なっ……!」
王太子が絶句した。
……ああ。
これは、少しばかり失礼だったかもしれない。
けれど、嘘を言うつもりはなかった。
僕は改めてストレア嬢へ向き直る。
「ストレア様」
「は、はい……」
「初対面で、このようなことを申し上げるのは非常識だと理解しております」
「……はい」
「ですが、どうか一つだけ、お願いを聞いていただけませんか」
僕は彼女の前に片膝をついた。
そして、そっと右手を差し出す。
「もし殿下との婚約が正式に解消されましたら、どうか僕に、あなたへ求婚する機会をいただけませんか?」
会場が静まり返った。
誰もが息を呑んでいる。
目の前の少女も、言葉を失っていた。
「…………え?」
やがて、彼女の唇から小さな声が漏れる。
「え、ええっ!?」
それは、先ほどまで完璧な淑女として振る舞っていた少女からは想像もできないほど、素直な驚きの声だった。
「きゅ、求婚、でございますか!?」
「はい」
「わ、私に……?」
「もちろんです」
「ですが、私たちは今日初めてお話ししたばかりで……!」
「ええ。だからこそ、まずはあなたを知る機会をいただきたいんです」
僕は正直に告げた。
「今の僕は、あなたの瞳に一目惚れしただけの男です。あなたがどんな食べ物を好きで、どんなことをしているときに笑うのかも、まだ知りません」
「…………」
「けれど、あなたがとても努力家で、立派な女性だということは知っています」
彼女の瞳が、わずかに揺れた。
「……私のことを、ご存じなのですか?」
「学院で何度かお見かけしたことがあります。研究発表も拝見しました」
「そ、そうでしたか……」
「ですから、あなたのことをもっと知りたいと思いました」
そして、僕は微笑んだ。
「あなたの瞳だけでなく、あなた自身のことを、もっと好きになりたいんです」
「~~~~っ!」
彼女の顔が、耳まで真っ赤に染まった。
その反応を見て、僕の胸もまた高鳴る。
……ああ。
どうやら僕は、本当に恋をしてしまったらしい。
そのときだった。
「……ほう」
背後から、低い声が響いた。
「随分と興味深い話をしているではないか」
それまでざわめいていた貴族たちが、一斉に道を開ける。
現れたのは、銀混じりの髪を後ろへ撫でつけた壮年の男性だった。
黒い礼服を纏い、鋭い眼差しをこちらへ向けている。
その姿を認めた瞬間、ストレア嬢が声を上げた。
「お、お父様……!」
……お父様?
僕はゆっくりと男性を見上げた。
彼は、笑っていた。
いや。
正確には、口元だけが笑っていた。
「私はガイウス・シュタインベル。この娘の父親だ」
「…………」
「王太子殿下から娘が婚約破棄を言い渡されたと聞き、急ぎ参ったのだが……」
そこで、彼の視線が僕に向けられた。
「エールリッヒ伯爵家の次男坊、と申したな?」
「は、はい!」
「貴様、今……私の娘に求婚するつもりだと申したか?」
……ああ。
これは、まずいかもしれない。
どうやら僕は、王太子殿下よりも遥かに恐ろしい人物の前で、とんでもないことを言ってしまったらしい。
けれど。
ちらりと視線を向けると、ストレア嬢はまだ頬を赤くしたまま、こちらを見つめていた。
その淡い水色の瞳は、やっぱりどうしようもなく美しい。
だから僕は、もう一度背筋を伸ばした。
「はい、公爵閣下」
そして、はっきりと答える。
「僕は、あなたの娘さんに恋をしました」
ガイウス公爵の眉が、ぴくりと動いた。
「……ほう。ならば、その覚悟、詳しく聞かせてもらおうか」
どうやら、僕の平穏な学院生活は今日で終わりらしい。
けれど、不思議と後悔はなかった。
だって、そうだろう?
あんなにも美しい瞳を持つ少女に出会ってしまったのだから。
これが僕、ライズ・エールリッヒと、後に誰よりも大切な存在となる少女との出会いだった。
その宣言が響き渡った瞬間、華やかな舞踏会場が静まり返った。
つい先ほどまで優雅な音楽を奏でていた楽団が演奏を止め、談笑していた貴族たちが一斉に声の主へと視線を向ける。
声を上げたのは、アズナル王国第一王子にして王太子、レイド・アズナル殿下だった。
黄金色の髪に、同じく黄金色の瞳。
この国で最も尊ばれる色を持つ彼は、まさしく王族の象徴ともいえる存在だ。
そんな王太子の前に立っているのは、一人の少女だった。
腰まで伸びた銀白色の髪。
雪のように白い肌。
そして、淡い水色のドレスに身を包んだ、息を呑むほど美しい少女。
彼女の名は、ストレア・シュタインベル。
王国でも屈指の名門であるシュタインベル公爵家の一人娘にして、王太子の婚約者だった令嬢だ。
「……婚約破棄、でございますか」
「ああ、そうだ! 君との婚約は、この場限りとする!」
「恐れながら、理由をお伺いしてもよろしいでしょうか」
突然の宣告にもかかわらず、ストレア嬢の声音は落ち着いていた。
背筋を伸ばし、相手の目を見て言葉を紡ぐ。
その姿には、長年積み重ねてきた淑女としての教養が表れている。
だが、王太子は不快そうに顔を歪めた。
「理由など、わかりきっているだろう! その瞳だ!」
「……私の、瞳でございますか」
「そうだ! 黄金の瞳こそが高貴さの象徴であるこの王国で、王太子妃となる女がそのような瞳を持っているなど、認められるはずがない!」
その言葉を聞いて、僕は思わず眉をひそめた。
……また、それか。
この国では、黄金色の瞳が何よりも尊ばれている。
建国の英雄である初代国王が黄金の瞳を持っていたことから、黄金色こそが神の祝福を受けた色だと考えられているのだ。
貴族たちはこぞって黄金色の瞳を称賛し、それ以外の色を持つ者を軽んじる。
特に、青系統の瞳は冷たさや不吉さの象徴とされることも少なくない。
まったく、馬鹿馬鹿しい話だ。
生まれ持った瞳の色で、人間の価値が決まるはずもないだろうに。
「それに比べて、リディアを見ろ!」
王太子は隣に立つ令嬢の肩を抱き寄せた。
艶やかな金髪に、宝石のような黄金色の瞳。
リディア・ヴァルツ侯爵令嬢。
王太子が近頃、婚約者であるストレア嬢を差し置いて親しくしていると噂されていた人物だ。
「彼女こそ、次代の王妃にふさわしい女性だ!」
「……左様でございますか」
ストレア嬢は静かに目を伏せた。
周囲から、ひそひそと囁き声が漏れ始める。
「やはり、あの瞳ではねえ……」
「いくら公爵家のご令嬢といっても、王太子妃にはふさわしくありませんわ」
「お可哀想に。でも、仕方ありませんわよね」
誰も彼女を庇おうとしなかった。
ストレア嬢が王立学院でも屈指の成績を収めていることは、誰もが知っている。
礼儀作法、政治学、外交学、魔法学。
どの分野でも優秀な成績を残す彼女は、教師たちからの評価も高い。
実際、僕も学院の研究発表で彼女の姿を見かけたことがある。
難しい質問にも淀みなく答えるその姿は、同じ学生とは思えないほど堂々としていた。
そんな彼女が、ただ瞳の色が違うという理由だけで蔑まれている。
どうにも納得できなかった。
「……承知いたしました、殿下」
ストレア嬢は静かに頭を下げた。
「ただし、王家と公爵家の婚約は正式な契約にございます。解消に際しては、両家の協議が必要となりますが」
「そんなものは後で済ませればよい!」
「かしこまりました。では、本日のお言葉は確かに承りました」
そのまま彼女は優雅に一礼した。
完璧だった。
これほど理不尽な仕打ちを受けても、決して取り乱さない。
まさに公爵令嬢の鑑といえる振る舞いだ。
けれど。
彼女が顔を上げた、その瞬間だった。
「…………っ」
僕は、思わず息を呑んだ。
視線が合ったわけではない。
ただ、彼女が顔を上げたことで、その瞳が僕の視界に飛び込んできたのだ。
淡い水色。
まるで、冬の朝日に照らされた湖面のような。
あるいは、透き通った氷の中に空の色を閉じ込めたような。
そんな、美しい瞳だった。
シャンデリアの光を受け、彼女の瞳がきらりと輝く。
……なんだ、あれは。
綺麗だ。
あまりにも、綺麗すぎる。
僕はしばらく、その瞳から目を離せなかった。
これまで幾度となく舞踏会に参加してきた。
美しい令嬢だって何人も見てきた。
けれど、誰かの瞳を見て、これほど胸が高鳴ったことはない。
「……綺麗だ」
思わず、声が漏れた。
そのとき、彼女がほんの少しだけ俯いた。
細い指先が、ドレスの裾を強く握りしめている。
それを見て、胸の奥がきゅっと締めつけられた。
……ああ、そうか。
彼女だって、傷ついているんだ。
いくら完璧な淑女だからといって、感情がないわけではない。
婚約者から容姿を否定され、大勢の貴族から嘲笑されて。
それでも、泣くことすら許されない。
そんな彼女を見ているうちに、僕の足は自然と動いていた。
「少々、失礼いたします」
貴族たちの間を抜け、会場の中央へ進み出る。
突然現れた僕に、王太子が怪訝そうな顔を向けた。
「……何者だ、貴様は」
「エールリッヒ伯爵家が次男、ライズ・エールリッヒと申します」
僕は胸に手を当て、一礼した。
「殿下。一つ、お尋ねしてもよろしいでしょうか」
「なんだ?」
「先ほど、ストレア様との婚約を破棄するとおっしゃいましたが、そのお考えに変わりはございませんか?」
「くどい! そうだと言っているだろう!」
「左様でございますか」
僕は頷いた。
「それを伺えて、安心いたしました」
「……何?」
王太子が不審そうに眉を寄せる。
しかし、僕はもう彼を見ていなかった。
目の前に立つ少女へ、身体を向ける。
「ストレア・シュタインベル様」
「……はい?」
「突然お声がけして申し訳ありません。僕はライズ・エールリッヒと申します」
「ええ……先ほど、お聞きいたしましたが」
「ああ、そうでしたね」
しまった。
どうやら、少し緊張しているらしい。
自分でも驚くほど、心臓がうるさかった。
それでも、伝えたいことがあった。
僕は彼女の瞳をまっすぐに見つめる。
「あなたの瞳は、とても綺麗ですね」
「…………え?」
彼女の目が、大きく見開かれた。
「まるで、冬の湖のようです。こんなにも美しい瞳を、僕は初めて見ました」
「あ、あの……」
「先ほどから、ずっと見惚れてしまっていたんです」
彼女は何度か瞬きをした。
そして、困惑したように自分の目元へ指を添える。
「……私の、瞳が?」
「はい」
「ですが、私の瞳は黄金色ではございません」
「そうですね」
「この国では、黄金色こそが最も美しいと……」
「それは、この国の人たちが決めたことでしょう?」
僕は微笑んだ。
「少なくとも、僕は違います」
「…………」
「僕は黄金の瞳よりも、あなたのその淡い水色の瞳のほうが、ずっと美しいと思います」
その瞬間。
彼女の白い頬に、淡い朱色が広がった。
「……っ!」
慌てたように視線を逸らす。
なんだろう。
その仕草まで、ひどく可愛らしい。
「貴様! 何を言っているかわかっているのか!」
王太子の怒声が響いた。
「その女は、この私が王太子妃にふさわしくないと判断した女だぞ!」
「ええ、承知しております」
「ならば、なぜそのようなことを!」
「殿下が彼女を美しいと思わないことと、僕が美しいと思うことは、別の話ではありませんか?」
「なっ……!」
王太子が絶句した。
……ああ。
これは、少しばかり失礼だったかもしれない。
けれど、嘘を言うつもりはなかった。
僕は改めてストレア嬢へ向き直る。
「ストレア様」
「は、はい……」
「初対面で、このようなことを申し上げるのは非常識だと理解しております」
「……はい」
「ですが、どうか一つだけ、お願いを聞いていただけませんか」
僕は彼女の前に片膝をついた。
そして、そっと右手を差し出す。
「もし殿下との婚約が正式に解消されましたら、どうか僕に、あなたへ求婚する機会をいただけませんか?」
会場が静まり返った。
誰もが息を呑んでいる。
目の前の少女も、言葉を失っていた。
「…………え?」
やがて、彼女の唇から小さな声が漏れる。
「え、ええっ!?」
それは、先ほどまで完璧な淑女として振る舞っていた少女からは想像もできないほど、素直な驚きの声だった。
「きゅ、求婚、でございますか!?」
「はい」
「わ、私に……?」
「もちろんです」
「ですが、私たちは今日初めてお話ししたばかりで……!」
「ええ。だからこそ、まずはあなたを知る機会をいただきたいんです」
僕は正直に告げた。
「今の僕は、あなたの瞳に一目惚れしただけの男です。あなたがどんな食べ物を好きで、どんなことをしているときに笑うのかも、まだ知りません」
「…………」
「けれど、あなたがとても努力家で、立派な女性だということは知っています」
彼女の瞳が、わずかに揺れた。
「……私のことを、ご存じなのですか?」
「学院で何度かお見かけしたことがあります。研究発表も拝見しました」
「そ、そうでしたか……」
「ですから、あなたのことをもっと知りたいと思いました」
そして、僕は微笑んだ。
「あなたの瞳だけでなく、あなた自身のことを、もっと好きになりたいんです」
「~~~~っ!」
彼女の顔が、耳まで真っ赤に染まった。
その反応を見て、僕の胸もまた高鳴る。
……ああ。
どうやら僕は、本当に恋をしてしまったらしい。
そのときだった。
「……ほう」
背後から、低い声が響いた。
「随分と興味深い話をしているではないか」
それまでざわめいていた貴族たちが、一斉に道を開ける。
現れたのは、銀混じりの髪を後ろへ撫でつけた壮年の男性だった。
黒い礼服を纏い、鋭い眼差しをこちらへ向けている。
その姿を認めた瞬間、ストレア嬢が声を上げた。
「お、お父様……!」
……お父様?
僕はゆっくりと男性を見上げた。
彼は、笑っていた。
いや。
正確には、口元だけが笑っていた。
「私はガイウス・シュタインベル。この娘の父親だ」
「…………」
「王太子殿下から娘が婚約破棄を言い渡されたと聞き、急ぎ参ったのだが……」
そこで、彼の視線が僕に向けられた。
「エールリッヒ伯爵家の次男坊、と申したな?」
「は、はい!」
「貴様、今……私の娘に求婚するつもりだと申したか?」
……ああ。
これは、まずいかもしれない。
どうやら僕は、王太子殿下よりも遥かに恐ろしい人物の前で、とんでもないことを言ってしまったらしい。
けれど。
ちらりと視線を向けると、ストレア嬢はまだ頬を赤くしたまま、こちらを見つめていた。
その淡い水色の瞳は、やっぱりどうしようもなく美しい。
だから僕は、もう一度背筋を伸ばした。
「はい、公爵閣下」
そして、はっきりと答える。
「僕は、あなたの娘さんに恋をしました」
ガイウス公爵の眉が、ぴくりと動いた。
「……ほう。ならば、その覚悟、詳しく聞かせてもらおうか」
どうやら、僕の平穏な学院生活は今日で終わりらしい。
けれど、不思議と後悔はなかった。
だって、そうだろう?
あんなにも美しい瞳を持つ少女に出会ってしまったのだから。
これが僕、ライズ・エールリッヒと、後に誰よりも大切な存在となる少女との出会いだった。
