海沿いの古工場と猫

 黒瀬さんは赤いスポーツカーに乗り、工場内まで進めて停めると、すぐに抜け出してきて、ボンネットを開けて覗き込んだ。女性は黒瀬さんを見ながら近づいて行き、隣に並ぶようにして尋ねた。

「どれくらい掛かりますか?」

 途端に黒瀬さんは眉間に皺を寄せ、ポケットから煙草を取り出し、口の端にくわえて言った。

「今、見てんだろ。邪魔すんな。海にでも行ってろ」

 投げるような口調に、視線を逸らすと、こちらに大福が向かって来て、膝の上に飛び乗った。

「お帰り」と私は呟き、小さな頭を撫でながら、口元を緩ませていると、女性の声が聞こえてきた。

「大事な車なんで、離れられません。それより、この近くに食事が出来る場所知りませんか?」

「あっそ。携帯で調べりゃ出てくんだろ」

 黒瀬さんの口調は荒く、舌打ちまで含まれていて、不穏な空気が漂い始めた。

 そこで、海を眺めていると、また女性の声が聞こえてきた。

「番号交換しませんか? 黒瀬さんタイプなんで」

 その瞬間、ボンネットを閉める音が、工場内に響いた。そして……。

「うるせぇな……もう市街に持ってけ」

 やたらと低い声がし、思わず視線を向けると、黒瀬さんは軍手を外しながら、くわえた煙草に火を点けた。

 白い煙を真っ直ぐ吐き出したところで、女性が怒ったような顔で言った。

「レッカーくらいあるでしょ、出してくれます?」

 黒瀬さんは煙草を何度も吸い、あきれたような顔をしながら、女性に言った。

「しつけぇなぁ……市街までなら車は乗れる、さっさと行け」

 その口調や態度は気怠く、ついには重い溜息まで吐いていた。

 不意に女性はこちらを見ると、軽く口元を上げて言った。

「田舎くさ」

それを聞いても、特に返すこともなく、女性が車に乗って行くのを見ていた。

女性はアクセルを思い切り踏み込み、煩い音を立てながら去って行った。

 瞬く間の出来事に、ふと息を吐いてから、膝の上を見ると、大福がタオルを掛けたように伸びていた。

 柔らかい毛を撫でながら、目を細めていると、椅子の横に黒瀬さんがしゃがんできた。

  黒瀬さんは大福と視線を合わせるようにしていて、指先を向けていたけれど、その顔はとても優しく見えた。

  すると、黒瀬さんがこちらを見て、すぐに逸らして言った。

「さっきの、気にすんなよ……」

  何を指して言うのか分からず、軽く首を傾げたあとで、大福の身体を撫でながら言った。

「良かったんですか?あんな風に言って……」

「別に普通だろ。どうせ何もしてこねぇよ」

 黒瀬さんはそう言うと、大福の頭を軽く撫で、こちらを見て少し笑った。

 その顔をまともに見られず、大福に視線を移し、身体を撫でていた。