海沿いの古工場と猫

「こんにちはー、巡回に来ましたー」と軽い口調が聞こえ、振り返ると、柏原さんが向かってきた。柏原さんはこちらを見て、「篠崎さんはいつも可愛いね」と声を掛け、歩きながら、工場内を見回して言った。

「相変わらずここ古いですねー、黒瀬先輩」

 視線で追っていると、柏原さんは黒瀬さんのそばで足を止めて、工場内を眺めていた。黒瀬さんは眉間に思いきり皺を寄せ、ポケットから煙草を取り出し、口の端でくわえて言った。

「なんにもねぇよ。さっさと帰れ」

 不穏な空気を感じ、再び後退りしていると、柏原さんと目が合ってしまった。

「あ、篠崎さん、待って」柏原さんはそう言い、こちらに向かってくると、テーブルの上に置かれたポーチを手にして、声を掛けてきた。

「これ、忘れ物」と柏原さんが差し出した。

「いや、それは……」そう口にしながら、軽く頭を下げたところで、黒瀬さんがポーチを手に取って言った。

「勝手に触んな。お前のじゃねぇだろ」

 その顔はどう見ても不機嫌で、口の端で煙草を上向きにくわえ、無骨な手にはポーチを持ったままだった。

 一方の柏原さんは軽く口を曲げて、後ろで腕を組みながら、黒瀬さんの様子を窺っていた。

 そこで柏原さんの言葉を思い出してみても、二人の仲が良いのか悪いのか分からなかった。

「じゃあ、私はこれで……」と咄嗟に言うと、すかさず黒瀬さんが言ってきた。

「あ?大福と遊ばねぇのかよ」

「でも、見当たらないので……」そう答えると、黒瀬さんは「あ、そう」と投げるように言った。

 すると、柏原さんが近づいてきて、こちらに向かって言った。

「じゃあ、俺が付き添いまーす。何かあっても守れるし、一緒に行きましょう」

 柏原さんがこちらに手を伸ばしてきたとき、黒瀬さんがその手を掴んで言った。

「気安く触んな。職務に関係ねぇだろ」

 今にも揉めそうな様子に、気まずくなっていると、柏原さんは言った。

「先輩、これ公務執行妨害ですよー」

 軽い口調に黒瀬さんは掴んだ手を乱暴に離し、「どこがだよ、女の子の手を取るのが公務なのか?」と静かに言った。

「まぁ、ちょっと行き過ぎました。内密にお願いしまっす」柏原さんはそう返して、停めた自転車に跨り、こちらに向かって言った。

「篠崎さん、またねー」

 柏原さんが去ると、近くで舌打ちが聞こえ、振り返りもせずに、そのまま愛車に向かい、即座に乗り込んだ。

 明日もまた来ることになるのに、と思いながらも、家に向かって走らせて行った。