海沿いの古工場と猫

 次の日。定食屋に行くと、祥子さんは変わらない笑顔で迎えてくれた。昨日作ったお菓子を渡したら、とても喜んでくれた。祥子さんはお菓子を口にしながら、店に置いたら売れると言い、また作った時にでも持っておいでと付け足して笑っていた。

 祥子さんの言葉に嬉しくなり、また作ってこようと思い、すぐにエプロンを着けて、仕事に取り掛かった。その日は晴天で、客入りが多く、慌ただしく動き回り、息を吐く暇もなかった。

 ようやく店の中が落ち着いた頃、祥子さんがビニール袋をカウンターに置き、こちらに声を掛けてきた。

「千乃ちゃん、悪いけど、また持って行ってくれる?今日はこれで帰っていいから」

「はい。お疲れ様でした」そう答えてから、ビニール袋を持ち、店を抜け出して、愛車に乗り込んだ。そこで、ビニール袋の中にお菓子を入れてから、目的地に向かって行った。

 工場に行くと、姿が見当たらず、よく見ると、車の下から足先が覗いていた。相変わらず忙しそうな気配に、息を潜めて、テーブルの上にビニール袋を置いた。静かに踵を返し、愛車に乗り込んで、家に帰って行った。

 海岸線から見える空は雲が一つもなくて、鮮やかな水色が広がっていた。身体の調子も良くなったし、家に帰ってから町を散策しようと思い付いた。愛車を駐車場代わりにしている場所に停め、運転席から抜け出して、町の中を歩いて行った。

 穏やかな坂道を登って行くと、大きな家から人が出てきて、軽い笑顔で挨拶をされた。同じように応えて、歩いていると、今度は小さな農家から人が出てきた。同じような受け答えをして、足を進めていたら、あちこちで人から声を掛けられ、皆が笑顔で迎えてくれている感じだった。

 途中の幼稚園や小学校も、小さな子どもたちが可愛く手を振ってくれていた。道を曲がって、坂道を下っていると、目の前には水平線が広がり、優しい潮風が吹き抜けた。

 そこから続く小さな商店街でも、通行人に声を掛けられ、殆どが叔父と年代が近かった。女性も男性も愛想が良くて、気前も良さそうで、心が温かそうな人達だと感じた。

 やがて足取りも軽くなり、歩いていると、目の前に交番が見えてきた。背の高い男性が交番の横から、自転車を押していた。

 柏原さんだと思ったけれど、声を掛けることはしないで、そのまま踵を返した。

 そして、海岸沿いに着いたところで、振り返り、この町に来て良かったと思えていた。