海沿いの古工場と猫

 次に起きた時には、少し部屋が明るくて、身体の怠さが抜けていた。付近から携帯を探し出して、手にしてみると、かなり長く伏せていたことを知った。携帯を脇のほうへ置き、静かに身体を起こした。軽くはなっていたけれど、若干の熱が残ってるように感じた。

 ふと、横に視線を向けると、黒瀬さんが居た。いつもの格好で、胡座をかき、俯いている。寝ているような気がして、音を立てないように腰を上げようと、布団を捲った時だった。

「おはよ、まだ起きんな。おかゆ持ってきてやる」黒瀬さんは言ってから、立ち上がって、すぐキッチンのほうへ向かった。

 捲った布団を戻して、軽く姿勢を正してみると、自分の家にいることが分かった。曖昧な記憶を思い返そうとしたとき、黒瀬さんが茶碗とスプーンを持って、こちらに向かってきた。

「どうぞ。味の保証はしねぇけど……」そう言って、茶碗にスプーンを入れ、こちらに差し出した。

「ありがとうございます」と答えながら、受け取り、手にした温もりに、口元が緩んだ。

 おかゆを一口含んでみると、ちょうどいい味で、胃の中に優しく溶け込んでいった。

 そこで、黒瀬さんを軽く横目にしたら、少し笑っているように見えた。

 再びおかゆを口にしていると、黒瀬さんがこちらを向いて言った。

「お前さ、独りになりてぇのか?」

 尋ねられたことに、一度手を止めて、噛みしめるように口にした。

「そういうわけでは、ないですけど……」

 黒瀬さんは煙草の箱を手にし、表裏を返すように弄んでいた。

 煙草の箱がまたひとつ翻ったとき、黒瀬さんの視線がこちらに向けられた。

「あ、そう。けど、話してみろよ、楽になんだろ」黒瀬さんは言って、煙草をポケットに仕舞った。

「別に話すほどのことでは……」と口を閉じようとしていると、黒瀬さんは気怠そうに、じっとこちらを見てきた。

 黒瀬さんの態度を窺いながら、意味もなく辺りへ視線を巡らせていると、声が掛かった。

「別に全部聞かせろって言ってねぇって……」

 低い口調には少しだけ優しさがあるように聞こえた。

 その僅かな優しさに、私はようやく口を開いてみた。

「婚約者に、浮気されて、相手に子どもが、出来て、街中で、スライディング土下座された」

 途切れながらも口にして、最後だけは思いきり吐き出した。

 すると、黒瀬さんは、「へぇ……」と言って、こちらが食べ終わった茶碗を持ち、視線を向けて口を開いた。

「お前がここに居るなら、俺は気にしねぇけど」

 そう言って、黒瀬さんはキッチンに向かって行った。