その翌日、クリスティアーナの部屋へ入ったヴィッキーは、ひどく上機嫌でこう言った。
「お姉様。このお部屋、今日からあたしが使うことになったわよ」
南向きの大きな窓からは柔らかな陽が差し込み、その向こうには薔薇が咲き誇る庭園が見える。屋敷の中でも特に日当たりがよく、眺めにも恵まれた部屋だ。
「ヴィッキーが……?」
「そうよ。だって、お姉様には不釣り合いだもん。こんな素敵なお部屋は、魔法も使えない人にはもったいないわよ」
ヴィッキーは部屋をぐるりと見回す。
「あたしこそがこの部屋を使うべきじゃない? これはお父様が決めたことよ。あら、この鏡台も綺麗だわ。この椅子も可愛い。あ、この宝石箱もあたしがもらうね」
「待って。それはお母様がくださったものよ」
クリスティアーナが慌てて手を伸ばすと、ヴィッキーは素早く宝石箱を抱え込み、ぴしゃりとその手を振り払った。
「だから何よ? あたしに逆らう気? お父様はあんたよりもあたしが大事だって言ったのよ」
「だけど……それはわたしのものよ。返して」
「ふふっ。お姉様には宝石なんて必要ないわよ。だって、もう着飾る必要なんてないんだから」
ヴィッキーは愉快でたまらなかった。ついこのあいだまで、ヴィッキーは愛人であるクラウディアの娘――庶子にすぎなかった。こんな大きな屋敷に住んだことも伯爵令嬢として扱われたことも、もちろんない。
それがジョアンナの死後、母のクラウディアがテニエス伯爵の後妻に迎えられたことで、自分も正式な伯爵令嬢になったのだ。
そして今、生まれたときから伯爵令嬢だったクリスティアーナは、魔法も使えない落ちこぼれとして扱われている。その姉の部屋も、ドレスも、宝石も、今では自分が好きにできるのだ。
(ああ、楽しい! 今が最高に幸せだわ!)
「……なぜ? 着飾る必要がないって……どういうこと?」
「厄介者のお姉様は、メイドになるんだって。あ、そっか。もうお姉様って呼ばなくていいんだっけ。あははっ、ざまあ見ろだわ。同じ時期に生まれたのに、あたしとお母様は隠れて暮らさなきゃならなかった。あんたは贅沢なこの屋敷で何不自由なく生活していたのにね。でもこれで逆転したわね」
ヴィッキーは宝石箱をさらにしっかりと胸元へ抱き寄せた。
その日のうちに、クリスティアーナは自分の部屋から追い出された。部屋もドレスも、母から贈られた宝石も、そこにあったものはすべてヴィッキーのものになった。
自分の部屋を追い出されたクリスティアーナは、廊下に立ち尽くしていた。すると、亡き母ジョアンナの部屋から、クラウディアの声が聞こえてきた。
開け放たれた扉から中を覗くと、クラウディアがジョアンナの宝石箱の前に座り、宝石を一つずつ手に取っていた。
「これは使えるわね。古臭いデザインのものは作り替えてしまえばいいわ」
「そんな……お母様の部屋まで……信じられない。今日はわたしの誕生日なのに」
呆然と呟いたクリスティアーナの背後には、いつの間にかテニエス伯爵が立っていた。
「おまえの十歳の誕生日だからこそだ。なにもかもおまえのせいだ。魔紋が現れ少しでも魔法が使えるのなら、こんなことにはならなかった。無能な自分を恨むんだな」
そう言うなり、テニエス伯爵はクリスティアーナを引きずるようにして歩き出した。連れてこられたのは、屋敷の裏手に建つ古びた小屋だった。昔は園芸道具や壊れた家具を入れていたので、中には埃っぽい匂いがこもっている。そこには小さな窓があり、古びた寝台がひとつ置かれていた。壁にはひびが入り、床板もところどころ軋んでいた。
「さあ、今日からここがクリスティアーナの部屋だ。魔法ひとつ使えないおまえにはぴったりだろう?」
「ここに……わたしが住むのですか?」
「嫌なら馬小屋でもいいのよ」
振り返ると、いつの間にかクラウディアとヴィッキーもついてきていた。
「お母様、馬小屋なんて馬に迷惑よ? 馬より価値が低いクリスティアーナなんて、邪魔だもん」
「確かにその通りだな。役立たずの娘より馬の方が遙かに大事だ」
テニエス伯爵はヴィッキーに同意して笑った。
「明日から使用人と同じように働け。掃除、洗濯、厨房の手伝い。仕事はいくらでもあるぞ。今まで贅沢したぶん、働いて返すのだ!」
テニエス伯爵は忌々しげに言った。
昔からクリスティアーナやジョアンナに仕えていた侍女たちがそれを見て、たまらず前へ出る。
「旦那様。いくらなんでも、これはあんまりです。せめて奥様の形見くらい、クリスティアーナ様に残してください。それに、ここは物置小屋ではありませんか」
「お前たちは今日限りで暇を出す」
テニエス伯爵は冷たく言い放った。
「え……」
「聞こえなかったのか。荷物をまとめて、この屋敷から出ていけ! 前の妻に仕えていた者や、クリスティアーナの専属侍女など、もう必要ない」
追い出されたのは、その侍女たちだけではなかった。
ジョアンナが嫁いできた頃から屋敷に仕えていた執事も侍女長も暇を出され、クリスティアーナを庇う使用人たちは、すべて屋敷を去ることになった。
「お嬢様……」
泣きながら別れを惜しむ彼らの手を、クリスティアーナは握った。
「ごめんなさい。わたしのせいで……わたしに魔紋があって、強力な魔法が使えたらこんなことにはならなかったのに」
「クリスティアーナ様は何も悪くありません。私どもこそ、お守りすることができず申し訳ありません」
その言葉を最後に、執事たちは屋敷を出ていった。
それまでクリスティアーナを「お嬢様」と呼んでいた声も、屋敷の中からすっかり消えた。
渡されたのはメイド服だけ。
小さな窓からは、伯爵邸にあるかつての自分の部屋の灯りが見えた。
昨日まで、あそこがクリスティアーナの部屋だった。
けれど、もう戻ることは許されない。
十歳になったその日。
クリスティアーナは、テニエス伯爵家の娘として持っていたすべてを奪われたのだった。
「お姉様。このお部屋、今日からあたしが使うことになったわよ」
南向きの大きな窓からは柔らかな陽が差し込み、その向こうには薔薇が咲き誇る庭園が見える。屋敷の中でも特に日当たりがよく、眺めにも恵まれた部屋だ。
「ヴィッキーが……?」
「そうよ。だって、お姉様には不釣り合いだもん。こんな素敵なお部屋は、魔法も使えない人にはもったいないわよ」
ヴィッキーは部屋をぐるりと見回す。
「あたしこそがこの部屋を使うべきじゃない? これはお父様が決めたことよ。あら、この鏡台も綺麗だわ。この椅子も可愛い。あ、この宝石箱もあたしがもらうね」
「待って。それはお母様がくださったものよ」
クリスティアーナが慌てて手を伸ばすと、ヴィッキーは素早く宝石箱を抱え込み、ぴしゃりとその手を振り払った。
「だから何よ? あたしに逆らう気? お父様はあんたよりもあたしが大事だって言ったのよ」
「だけど……それはわたしのものよ。返して」
「ふふっ。お姉様には宝石なんて必要ないわよ。だって、もう着飾る必要なんてないんだから」
ヴィッキーは愉快でたまらなかった。ついこのあいだまで、ヴィッキーは愛人であるクラウディアの娘――庶子にすぎなかった。こんな大きな屋敷に住んだことも伯爵令嬢として扱われたことも、もちろんない。
それがジョアンナの死後、母のクラウディアがテニエス伯爵の後妻に迎えられたことで、自分も正式な伯爵令嬢になったのだ。
そして今、生まれたときから伯爵令嬢だったクリスティアーナは、魔法も使えない落ちこぼれとして扱われている。その姉の部屋も、ドレスも、宝石も、今では自分が好きにできるのだ。
(ああ、楽しい! 今が最高に幸せだわ!)
「……なぜ? 着飾る必要がないって……どういうこと?」
「厄介者のお姉様は、メイドになるんだって。あ、そっか。もうお姉様って呼ばなくていいんだっけ。あははっ、ざまあ見ろだわ。同じ時期に生まれたのに、あたしとお母様は隠れて暮らさなきゃならなかった。あんたは贅沢なこの屋敷で何不自由なく生活していたのにね。でもこれで逆転したわね」
ヴィッキーは宝石箱をさらにしっかりと胸元へ抱き寄せた。
その日のうちに、クリスティアーナは自分の部屋から追い出された。部屋もドレスも、母から贈られた宝石も、そこにあったものはすべてヴィッキーのものになった。
自分の部屋を追い出されたクリスティアーナは、廊下に立ち尽くしていた。すると、亡き母ジョアンナの部屋から、クラウディアの声が聞こえてきた。
開け放たれた扉から中を覗くと、クラウディアがジョアンナの宝石箱の前に座り、宝石を一つずつ手に取っていた。
「これは使えるわね。古臭いデザインのものは作り替えてしまえばいいわ」
「そんな……お母様の部屋まで……信じられない。今日はわたしの誕生日なのに」
呆然と呟いたクリスティアーナの背後には、いつの間にかテニエス伯爵が立っていた。
「おまえの十歳の誕生日だからこそだ。なにもかもおまえのせいだ。魔紋が現れ少しでも魔法が使えるのなら、こんなことにはならなかった。無能な自分を恨むんだな」
そう言うなり、テニエス伯爵はクリスティアーナを引きずるようにして歩き出した。連れてこられたのは、屋敷の裏手に建つ古びた小屋だった。昔は園芸道具や壊れた家具を入れていたので、中には埃っぽい匂いがこもっている。そこには小さな窓があり、古びた寝台がひとつ置かれていた。壁にはひびが入り、床板もところどころ軋んでいた。
「さあ、今日からここがクリスティアーナの部屋だ。魔法ひとつ使えないおまえにはぴったりだろう?」
「ここに……わたしが住むのですか?」
「嫌なら馬小屋でもいいのよ」
振り返ると、いつの間にかクラウディアとヴィッキーもついてきていた。
「お母様、馬小屋なんて馬に迷惑よ? 馬より価値が低いクリスティアーナなんて、邪魔だもん」
「確かにその通りだな。役立たずの娘より馬の方が遙かに大事だ」
テニエス伯爵はヴィッキーに同意して笑った。
「明日から使用人と同じように働け。掃除、洗濯、厨房の手伝い。仕事はいくらでもあるぞ。今まで贅沢したぶん、働いて返すのだ!」
テニエス伯爵は忌々しげに言った。
昔からクリスティアーナやジョアンナに仕えていた侍女たちがそれを見て、たまらず前へ出る。
「旦那様。いくらなんでも、これはあんまりです。せめて奥様の形見くらい、クリスティアーナ様に残してください。それに、ここは物置小屋ではありませんか」
「お前たちは今日限りで暇を出す」
テニエス伯爵は冷たく言い放った。
「え……」
「聞こえなかったのか。荷物をまとめて、この屋敷から出ていけ! 前の妻に仕えていた者や、クリスティアーナの専属侍女など、もう必要ない」
追い出されたのは、その侍女たちだけではなかった。
ジョアンナが嫁いできた頃から屋敷に仕えていた執事も侍女長も暇を出され、クリスティアーナを庇う使用人たちは、すべて屋敷を去ることになった。
「お嬢様……」
泣きながら別れを惜しむ彼らの手を、クリスティアーナは握った。
「ごめんなさい。わたしのせいで……わたしに魔紋があって、強力な魔法が使えたらこんなことにはならなかったのに」
「クリスティアーナ様は何も悪くありません。私どもこそ、お守りすることができず申し訳ありません」
その言葉を最後に、執事たちは屋敷を出ていった。
それまでクリスティアーナを「お嬢様」と呼んでいた声も、屋敷の中からすっかり消えた。
渡されたのはメイド服だけ。
小さな窓からは、伯爵邸にあるかつての自分の部屋の灯りが見えた。
昨日まで、あそこがクリスティアーナの部屋だった。
けれど、もう戻ることは許されない。
十歳になったその日。
クリスティアーナは、テニエス伯爵家の娘として持っていたすべてを奪われたのだった。



