クソ神に突き落とされて数分後。
ドガシャァン!!
凄まじい音を立てて、恋結は夕暮れの異様な静けさに包まれたシャッター街のアスファルトへと叩きつけられた。魔法の力のおかげか怪我はない。だが、精神的なダメージは致死量だった。
「っざけんなクソ神ィィィ! 露出度高えんだよこのドレス!」
短いスカートを必死に引っ張りながら恋結が立ち上がると、『それ』はいた。
高級そうな黒いビジネススーツを隙なく着こなし、頭部だけが不気味なカマキリのようになったバケモノ。闇の組織の幹部――怪人『インセクト・ジェントル』が、鋭い鎌のような腕をブラブラと揺らして立っていた。
「おや……? 驚きましたね。まさか本当に新しい魔法少女が降臨するとは。」
怪人はカチカチと顎を鳴らし、驚くほど低く、洗練された敬語で喋った。
「しかし、見るからに品を欠くお嬢さんだ。ピンクのフリルドレスを身にまとっていながら、そのお淑やかとはかけ離れた眼光、ガニ股の立ち姿、地を這うような低い声……。およそ『愛と正義』には程遠い」
「あァ!? 誰がガニ股だコラ! 悪いがこちとら機嫌が最悪なんだよ。そのスカしたツラ、今すぐ原型残らねえほどブチ砕いてやる!」
恋結は地面を蹴り、一瞬で怪人の懐へと飛び込んだ。ヤンキー時代に培った超高速の踏み込み。手元には、いつの間にかハートの装飾がついたファンシーな魔法のステッキが握られていた。
「いっけえええ! 『マジカル・まゆゆ』の、…………ひ、必殺ストレートォォッ!!」
魔法少女としての可愛い技名なんて1ミリも知らない恋結はステッキの先端を怪人の顎めがけて、渾身の力で突き出した。狙うは一撃必殺のノックアウト。
パシィィンッ!!
「……なっ!?」
手応えがない。怪人は、まるでダンスのステップを踏むかのような優雅な動きで恋結のステッキを躱し、そのまま鎌の生えた右腕を軽く振るった。
「粗暴ですね。魔法少女ならば、もっとこう、華麗な光線でも放ったらどうですか?」
ドゴォン!!
怪人の腕から放たれた目に見えない衝撃波が私の腹部を直撃した。
フリフリのスカートをなびかせながら、恋結は戦車に跳ね飛ばされたように数十メートル後方へ吹き飛び、シャッター街の洋服屋のガラスに背中から激突する。
「がはっ……!?くっそ、いってぇな……!」
魔法のバリアのおかげで骨は折れていない。だが、衝撃がダイレクトに内臓に響く。
地元の暴走族のヘッドとはワケが違う。こいつ、ガチの強敵だ。
「さあ、終わりです。愛と正義の戦士とやら。我が闇の組織の前にひれ伏しなさい。」
怪人がゆっくりと歩み寄ってくる。その爪先が冷酷な音を立てる。
恋結は立ち上がろうとするが、足に力が入らない。おまけに、脳内にあのクソ神のヘラヘラした声が響き渡った。
『あ、まゆゆちゃん。言い忘れてたけど、変身は3分以内5万円ね。タイム、スタート!』
ピピッ、と手元のステッキの液晶画面に【02:40】という数字が浮かび上がり、猛スピードでカウントダウンを始めた。
「はぁぁぁぁ!? 5万ってなんだよ! 3分で5万とかどこの闇金だよ!」
『君の将来のバイト代から自動で前借り・天引きされまーす! 3分超えたらプラス5万ね!』
「ふざけんなァァァァ! 私のバイト代ィィィ!! 嫌だ!! また毎日もやしだけで飢えを凌ぐ生活に戻るのは嫌だァァァ! 頼むから3分以内に死んでくれクソ怪人がァァァ!!」
お金(5万円)の恐怖で涙目を浮かべ、必死に立ち上がろうとする恋結。
怪人はそんな彼女を見て、哀れむようにハサミを鳴らした。
「ほう、経済的な理由で泣き叫ぶ魔法少女ですか。実に夢がない。では、その苦しみから今すぐ解放して差し上げます。」
怪人が必殺の鎌を振り上げた、その瞬間だった。
「ぎゃぁあぁぁぁぁぁぁぁ!!」
遥か上空から、夕暮れの空を引き裂くような絶叫が響き渡った。
見上げれば、紺色のセーラー服を盛大になびかせ、ツインテールをプロペラのように振り回した美少女が、猛烈な速度で真っ逆さまに落ちてくる。
「な、何事ですか!?」
怪人が驚愕して上を見上げた。その顔面の、ちょうど真上に。
――ドゴォォォォォォォォォンッッッッ!!!!
シャッター街全体が大きく波打つほどの、凄まじい地響きと爆破音が炸裂した。爆風で私のピンクのドレスが激しくめくれ上がる。
「グハァッッ!?!?!?」
落ちてきたセーラー服の美少女――サトちゃん(中身:佐藤ひろし・42歳)のお尻が、怪人の脳頭頂部に完璧な質量兵器としてクリティカルヒットしていた。
見た目は華奢で可憐な女子高生。
しかし、クソ神が『変身時の体重設定』を元の人間から修正するのを完全に忘れていたため、中身の42歳男性(78キロ・やや肥満・最近ビール腹が気になる)のリアルな質量が、そのまま自由落下のエネルギーを伴って激突したのだ。
鈍い骨折音と共に、さっきまで最強の威厳を放っていた怪人は、大根のようにアスファルトの地面に深くめり込んだ。ピクピクと足を痙攣させた後、白目を剥いて煙のように消滅していく。幹部、一撃死である。
「……はぁ?」
あまりの光景に、恋結はもやし代の涙も引っ込んで、呆然と口を開けた。
クレーターの中心でお尻をさすりながら、謎のセーラー服ツインテール美少女がゆっくりと立ち上がる。
「痛たた……。いや、待て。痛くない! 四十肩も腰痛も完全に治ってる! すごい、動くぞ、これが魔法少女のパワー……! 俺は今、生まれ変わったんだ!!」
自分の細い手足をパタパタと動かし、涙ぐんで感動に震えている美少女。
しかし、そんな彼女(おっさん)の耳元にも、あのクソ神の声が響いた。
『あ、サトちゃんも契約完了ね! 変身は3分ごとに5万円! 二人とも口座とバイト代から自動で引き落とされまーす!』
ピピッ、とサトちゃんの手元にあるストップウォッチが無慈悲な音を立てた。
「……はぁぁぁぁぁぁ!?」
「ぁあ゛あ゛ーーーーー!!忘れ゛てた゛ぁーー!!!」
二人の絶叫が、夕暮れの戦場に響き渡った。
「ふざけんなァァァ! 俺の1ヶ月のお小遣い三万円より高いじゃねえかァァァ!! 3分で5万とか破産するわクソ神ィィィ!!」
「私のバイト代ぃぃぃぃぃぃ!! 嫌だァァァ! 今日のもやし代すら残らなくなるぅぅぅ!! あと1分40秒以内に次の敵を連れてこいコラァァァ!!」
お互いがお互いの発言に強烈な違和感を覚えつつも、【5万円】という共通の重すぎる絶望を前に、二人の魂は一瞬で共鳴した。
「おいお前! そこに突っ立ってんじゃねえ! 金が減るだろ、次の獲物を探すぞ!」
「あ、ああ! 分かった、1秒たりとも無駄にはせん!! 走るぞ、まゆゆ!」
「その名前で呼ぶんじゃね゛え゛ええ!!」
こうして、お互いの正体が「ヤンキー女子高生」と「42歳既婚おじさん」だとは夢にも思わないまま、命と財布(5万円)をかけた最悪のシンクロバディの、最初の1分40秒の猛ダッシュが始まったのだった。

