「佐藤、お前やる気あんのか!? この資料の数字、1マスズレてんだろ! 何年この仕事やってんだよ!」
「申し訳ありません! すぐに修正いたします!」
夜のオフィス。
年下の上司からの理不尽な怒声が響く中、俺――佐藤ひろし(42)は、これ以上ないほど綺麗な角度で頭を下げていた。
日頃のデスクワークのせいで、慢性の腰痛とガチガチの四十肩が悲鳴を上げている。
パソコンの画面を見すぎて目もしょぼしょぼだ。
結局、残業を終えて会社を出たのは21時過ぎだった。
「はぁ……。今日も疲れたな……。」
住宅ローンは残り三十年。
愛する娘のために必死に満員電車に揺られる日々。
鬼嫁には頭が上がらず、毎月のお小遣いは三万円。お昼はワンコインランチで必死に生き繋ぐ。これが平凡な中年サラリーマンのリアルだ。
疲れ果ててトボトボと夜道を歩き、せめてもの癒やしにと、コンビニの自販機で缶コーヒーでも買おうとした、その時だった。
突然、目の前の景色が変わる。
気がつけば俺は、夜の道ではなく、雲の上のようになびく真っ白な空間に立っていた。目の前には、光り輝く後光を背負った、白いローブ姿の金髪男がヘラヘラ笑っている。
「…誰だ。あんたは…。」
「僕は神様!そんなことより、おめでとう!君は愛と勇気の魔法少女に選ばれたんだ!」
まほ…?何を言ってるんだこいつは。
「こんなおじさんがですか?冗談はよしてくださいよ。」
「ふーん?そんなこと言っちゃって大丈夫?」
神はニヤッと笑い,声色を変えた。
「――おい佐藤、お前が寝室のクローゼットの奥、ゴルフバッグの底に隠している『へそくりの現金十二万円』と『限定版のギャルゲー』の証拠写真を、今すぐ奥さんに着払いで郵送してもいいんだぞ?」
「それだけはっ……それだけは勘弁してください神様ァァァ!!」
拉致されて早々、俺は床に涙ながらに平伏していた。
「佐藤君。僕は世界を救うために、君という逸材をスカウトしに来たんだよ? 魔法少女の相棒、やってくれるよね?」
「できるわけないでしょう! 俺はただのサラリーマンですよ!? 魔法少女なんて、うちの娘がテレビで観るもんだ!」
必死の抗議だった。
しかし、目の前のクソ神は空中から『妻の顔のホログラム』を取り出した。しかも、般若のような形相で激怒している時の妻の顔だ。本能的に胃がキリキリと痛み出す。
「もし断るなら、あのへそくりがバレるだけじゃない。君が夜な夜な家族が寝静まった後に、液晶画面に向かって『あぁ~、聖(ひじり)ちゃん今日も可愛いねぇ、ペロペロ』と呟いていた音声データも一緒に送信しちゃうよ?」
「ひ、ひぃぃぃぃぃぃっ!?」
俺はガタガタと全身の骨が鳴るほど震え上がった。
年下の上司の小言などより、数億倍リアルな『命の危機』。
もしそれが妻の知るところとなれば、隠し口座の凍結はおろか、リビングのソファーでの就寝すら許されず、間違いなく外に追い出されるだろう。
「わ、わかった!サインします! 契約書でも何でも持ってきてください! だからその音声だけは消去してくれぇぇぇ!!」
「は〜い、毎度あり~!じゃ、頑張って!」
パチン、と神様が指を鳴らした瞬間、俺の足元の床がパカッと開いた。
「うわあああああああ!?」
配慮もクソもない自由落下。
風圧で顔の皮が引っ張られ、口の中に猛烈な風が吹き込んでくる。
(俺の人生、ここで終わりか……。ミク、パパは先に逝くよ……)
愛する娘の顔を思い浮かべて目を閉じた、その時だった。
(…ん…あれ?)
落下している最中、体に劇的な変化が起きていることに気づく。
さっきまで俺の首を苦しめていたガチガチの四十肩が、スーッと軽くなっていく。さらに、歩くたびにピキッと痛んでいた慢性の腰痛が、跡形もなく消え去っていくではないか。
(か、軽い……! 体が、羽のように軽いぞ……!?)
驚いて目を開け、風の中で自分の両手を見つめた。
そこに映っていたのは、42歳のおっさんの濁ったぶよぶよの皮膚ではなく、白くて細い女子高生の腕だった。
しかも、着ていたスーツのジャケットはいつの間にか、フリルとリボンがたっぷりあしらわれた、紺色の可愛いセーラー服風ワンピへと変貌を遂げている。
「な、なんだこの姿はァァァァ!?」
戸惑う俺の手の中に、どこからともなくピピッ、と電子音を鳴らす『ストップウォッチ』が握らされた。
そして、眼下には何やら巨大な化け物が暴れ回り、ピンク色のドレスを着た女の子が今まさにピンチを迎えている戦場が迫っていた――。

