嫌われ公女が継母になった結果

「なんだ、そんなことでしたか」


と、応えた自分が悔やまれてならない。

暖炉の前でくつろぐカトランの横顔を、直視することができずにいた。


――言っておかねばならないことがある。


軍令を発するようなカトランの声音に緊張し、湯のなかで背筋を伸ばした。

つい先ほどまでの優しげな口調から一転したカトランの真剣な表情に、緊張した。


「発言を撤回したい」

「……え?」

「……アデールを妻とは扱わないと言った、俺の発言を撤回したい」

「なんだ、そんなことでしたか」


わたしの返答に、カトランがキョトンとしたあと、目をほそめた。


「……ゆっくり考えてくれたのでいい。2年、3年かかってもいい」

「え? ……そうですわね」


ゆっくり家族になろう。

そう言われたと思い、わたしは胸を撫で下ろして、微笑みかけた。

湯からあがり、女性用の更衣小屋でわたしを着替えさせてくれるザザに、ケケケッと笑われた。


「プロポーズだったんじゃねぇか?」

「……え?」

「偉いさんの考えることは、いまいちピンと来ないけど、夫人と妻は違うんだろ?」

「げ、厳密に違いがあるかと言うと……。でも〈夫人〉は称号や役割的な意味合いが強いわね……」

「だから、夫婦になろうって言われたんだろ? 辺境伯様から」


頭が真っ白になり、思考が渦巻いた末、顔が燃えるように赤くなった。

妻として扱わないと言われたときと、まったく同じ反応をする自分が、すこし恥ずかしい。


「ま。ゆっくり考えていいって言われたんだろ? 考えたらいいんじゃない?」

「そ、そうね……」

「2年、3年。アデールもちょうどいいお年頃になるじゃない?」


高位貴族の政略結婚として、16歳は決して若すぎるということはない。

けれど、男性をそういうことの対象として見たことがなかった。


「ありゃあ。公女様は奥手だねぇ。いいんじゃない? 清く正しく」


と、ザザに笑われながら小屋を出ると、カトランとパトリスが待ってくれていた。

パトリスが手を伸ばしてくれて、手をつなぐ。キュッと、力を込めてくれて、心が温まる。


「あの……」

「なんだ?」


と、応えてくれるカトランの顔を、まともに見ることが出来なかった。


「カトランも、どうですか……?」

「ん?」

「……パトリスと、手をつないでやってくださいませんか」


パトリスは、わたしにパアッと明るい顔を向けてくれた。

そして、


「……そうだな」


と、カトランの差し出した手を、恐る恐る握った。


「……パトリス。こんな傷だらけの手で、恐くはないか?」

「こ、恐くないです……」


と、パトリスはすこし緊張してるみたいだった。

だけど、すこし歩くと、スウッと大きく息を吸い込んだかと思うや、満面の笑みになった。

更衣小屋から山荘まで、ほんの短い距離だけど3人で手をつないで歩けた。

その間、わたしはカトランの顔が見れない。

きっと、微笑みを重ね合えるだろうにと思いながら、妙に意識してしまう。

夕食をいただく。

パトリスはずっと嬉しそうにしていて、無言の晩餐に、ガルニエ家らしい謹厳さと、空気の軽さが帰ってきた。

ただ、カトランのことは、チラチラとしか見れない。

われながら、不審だ。

もしかすると、カトランは山荘から出かけている間に、考えに考えて、


――アデールと夫婦になって、パトリスと向き合う。


という答えを出したのではないか。

いや、……え? 単純に、わたしのことが好きになった?

などと、グルグル考えてしまう。

どちらにしても、


『なんだ、そんなことでしたか』


という答えはなかったと、気落ちするのだけど、せっかく軽くなった空気を、わたしが重たくする訳にもいかない。

食事を終え、暖炉の前に移動して、ザザとつくった攻城戦ゲームの駒を取り出そうとしたとき。

わたしは、さらに感動した。

カトランが胸元から、ちいさな麻袋を取り出したのだ。

出て来たのは、手彫りのチェスの駒。


「……不恰好だが」


と、マス目を描いた板も取り出した。


「図上演習はパトリスにはまだ少し早い……。まずは、チェスから親しむといい」


パトリスのために一つひとつ駒を削り出してくれたのだと思うと、胸がいっぱいになってしまった。

カトランが、ザザに苦笑いを向けた。


「……侍女殿に仕上げてもらった方がいいだろうか?」

「いやあ、辺境伯様。父親が息子のために手作りした品。これ以上に仕上げることなんかありませんよ」


ザザの言葉に、さらに胸を熱くする。

駒を並べるカトランの指先には、新しい傷跡も見える。馬の頭の形をしたナイトの駒など、苦心の跡が窺えた。

駒の動きなど、ルールを聞くパトリスの目も輝いている。

暖炉の温かさ以上に、胸に温かいものがこみ上げてきた。

みんなが少しずつ、距離を近付けようとしている景色に涙が滲みそうだった。


   Ψ


やがて、ソランジュ殿下が王都に戻られるとの報せが来た。


「……殿下が、これほど活き活きとされているところを、恐れながら初めて拝見いたしました」


と、生真面目そうな若い侍女が、深々とわたしに頭をさげた。

ザザも下がらせ、ふたりきりでの面会を許している。


「家族水入らずのご休暇に押し掛けてしまったこと、殿下も恐縮されております」

「いえ……。殿下のご滞在延長により、王家と、我がガルニエ辺境伯家の強いつながりを王都に示せたことと存じます」

「……恐れ入ります」

「カトランは王国からの独立を望んではおりません。その上で……、王家と大公家、それぞれ等距離に付き合うことを望んでおりましょう」


母女大公が、嫌っていると評判のわたしをカトランのもとに嫁がせたことが、王都でどう受け止められているのか、ハッキリしたことは分からない。

事実上、王国最強のカトランは、腫れ物に触るかのように扱われている。

色々あったけど、ソランジュ殿下が近しい近侍以外を王都に戻してまで、滞在を延長されたことは、大きな意味を持つ。

内実は別々の山荘で、互いに気ままに過ごされただけだとしても、


――第二王女は、新辺境伯を丁重に接遇した。


と、受け止められるだろう。

それは、母女大公から辺境伯家への、過度な介入を防ぐことにもなる。

若い侍女に微笑みかけた。


「名乗りを許します」

「え……」

「……殿下からは、わたしと個人的な交誼をと仰っていただきました。今後は、侍女である貴女のことも知っておきたいわ」


大公家でどれほど蔑まれようとも。

王都の社交界でどれほど嘲笑われようとも。

わたしは、公女だ。

名乗りは、明確に許してあげないといけない身分と立場にある。


「……こ、光栄にございます。マノンと申します。コルベール伯爵家の三女にございます」

「マノン・コルベール。覚えましたわ」

「殿下には、幼少のみぎりよりお仕えさせていただいております」


と、恐縮してくれるマノン。

背丈はわたしと変わらず、色の薄い金髪に小さな頭。黒縁の眼鏡をかけていて、見るからに律儀そう。

正直に言えば、王都で、名乗りを許したのに断られて大恥をかいたことがある。

マノンが礼を尽くして名乗ってくれたことに、すこしホッとした。


「わたしの侍女、ザザは、大公家ではなく、わたし個人に仕えています。……街育ちで、礼儀に明るくありませんが、気さくな娘です」

「はっ。すでに、ご挨拶をさせていただいております」

「……えっ!?」

「……いけませんでしたでしょうか?」

「いや……、その……、大丈夫でした? 気に障るようなことありませんでした?」

「いえ、特段。……礼に厚いお方だと」

「あ……。なら、いいんです」


マノンを見送り、ザザに苦笑いした。


「わたしに、猫被ってたのね?」

「それ、普通は逆じゃない?」


第二王女侍女、それも伯爵令嬢であるマノンをして「礼に厚い」と言わせるだけのふる舞いが出来るくせに、わたしには〈雑貨屋の娘〉で居続けてくれたのだ。

その理由は、ひとつしか思い当たらない。


「ありがとう。……見知らぬ土地で、わたしが緊張しないようにしてくれてたのね」

「はははっ。面倒だっただけだよ。付き合いを最初からやり直すのが!」

「ザザ……」

「それとも、礼儀正しくお仕えさせていただきましょうか? 公女様」


と、背筋を伸ばして見せてくれるザザの、表情だけが楽しげにおどけていた。


「ううん、いい! 今まで通りがいいわ」

「ふふっ。……まあ、城の連中と壁をつくる訳にもいかないしね」


そうか、それもあったのか。と、ザザの懐の広さに驚きを重ねる。

わたしは王都から素晴らしい宝物を持って来ていたのだと、胸を熱くし、


「ま。これからも、よろしく頼むわ! アデール!」


と、ザザに背中を叩かれた。

そして、ソランジュ殿下が出立される日の朝。

殿下は、パトリスに丁重に膝を折られた。


「パトリス子爵。……性分にもなく、はしゃいでしまい、大変、不躾なことをしてしまいました。お許しくださいませ」

「いいえ。どうか、お気になさらず」


と、応えるパトリスは小さな胸を張った。

言い回しは棒読み気味。声は控え目。

だけど、堂々たるふる舞いは、子爵にして辺境伯令息に相応しい。

パトリスは、わたしが切なくなってしまうほどに『強くありたい』と思っていることが解かってきた。

チェスでカトランに負かされても負かされても、挫けずに挑んでいく。

パトリスの心に、殿下に抱き締められた事件がどれほど残っているかは分からない。

だけど、自分に爵位継承の承認状を授けてくださった第二王女殿下に対し、礼を欠くことなく、立派な答礼を果たした。

カトランは、オーレリアン事件でソランジュ殿下に対して苛烈な処置をくだした。

にも関わらず、滞在を延長して新辺境伯への敬意を表したソランジュ殿下の誠意を、カトランも認めた様子だった。


「殿下。まだ雪深い道もあります。どうぞ、道中、お気をつけて」

「辺境伯よりの心遣い、王都の国王陛下にも伝えます。なにとぞ、今後ともよしなに」


ソランジュ殿下は麗しい礼容でカトランに最敬礼を捧げ、去って行かれた。

乱れに乱れた王都の絡み合う思惑の中、勅使のお役は、ざぞや大変であられたことだろうと、ゆっくり進む馬車を見送った。

政治的意味合いはともかく、ようやく家族水入らずになった温泉旅行。

わたしの〈失言〉をカトランが気にしている様子はなかった。

小娘扱いされてるだけかもしれない。

けれど、少々のつまづきは時が癒してくれる。そんな経験も、初めてのことだった。

楽しみにしてた温泉旅行。

湯から山荘への帰り道には、何度か3人で手をつないで歩けた。

そして、暖炉の前では、カトランとパトリスがチェスを楽しむ姿に頬を緩めた。

残された期間を、のんびりと穏やかに過ごせた。


――アデールを妻とは扱わないと言った、俺の発言を撤回したい。


あの言葉の意味を、カトランに尋ねられないまま、城に戻る日を迎えてしまった。