嫌われ公女が継母になった結果

湯をあがり、ザザに着替えさせてもらってから、膝を抱えて、パトリスに視線を合わせた。


「よく、我慢できたわね」


側にいるザザにもギオにも聞こえないように、小さな声で囁き、微笑んだ。

ソランジュ殿下に不意に抱き締められてしまい、それでも突き飛ばしたりしなかったことを褒めたのだ。

ぎこちなく頷くパトリスに笑顔はない。

この件は、カトランにも内緒にするとパトリスに約束している。

ソランジュ殿下に抗議するような内容でもない。わたしも〈堅物王女〉に油断して、パトリスを間に座らせてしまった。

そして、なにより、パトリス自身が恥ずかしいことだと思い込んでいる。わたしから、これ以上に口出しすることは控えた。

山荘に戻る短い道で手をつないでくれなかったのは寂しいけど、無理強いしたら、もっとツラい思いをさせるかもしれない。

ただ、カトランとの3人の時間の空気が重たくなってしまった。

無言はいつものことだけど、ピンと張り詰めた空気は、わたしが城に嫁いで来たばかりの頃のようだった。


「……どうも、辺境伯様も様子がおかしいな」


と、ザザがラム酒を片手に呟いた。

ギオも軽く頷いて、グラスを傾ける。

皆が寝静まった後、ザザの部屋に集まって作戦会議だ。

ギオがいるので扉は少し開けていて、その分、小声でヒソヒソと話し合う。


「ジイさんはどう思う?」

「……まあ、お疲れが出てるだけなのかもしれませんな」

「う~ん……」


楽しみにしてた温泉旅行だけに、なんだか空気がおかしくなってることが残念でならない。


「へっへ。マルク殿がいたら笑い飛ばしてくれるんですがね」

「まあね。……呼ぶ?」

「いやあ……、城を守る者も要りますからな。笑いにだけ来いというのも……」

「そりゃ、そうだな」


食事も入浴も礼儀正しく時間通りに、まさに軍隊のように消化されていく。

わたしの肩のケガは快方に向かっているし、カトランの調子も良さそうだ。湯治という目的は果たせている。


「う~ん……」


と、伸びをするわたしを、ザザとギオが苦笑い気味に労ってくれた。


――仲良くして。


このひと言が、わたしにはどうしても言えない。

言ったところで、すぐに変わるものでもないのだろうけど、母の勘気を被った記憶が身体を強張らせる。

たちどころに喉がカラカラになる。

それでも、今のわたしにはザザもギオもいる。


――相談相手がいるというのは、ありがたいものだな。


そう言ってくれたカトランが、今はわたしに何も相談してくれない。

ギオの言う通りカトランには疲れが出てるだけで、わたしの考え過ぎなだけかとも思うけど、ザザの目にもカトランの異変が映っている。

なにより、いまはパトリスに寄り添ってあげてほしいタイミングだ。

その訳をカトランに伏せているのが、これまたもどかしい。


「まあ……、話の流れでうまくゲームにでも誘ってみてはどうですか?」


と、ギオが言ってくれた。


「バカ、ジイさん。流れもなにも、話自体がないから困ってるんだろ?」

「へっへ。そりゃ、そうなんですがね」

「でも、そうでもしないと、なんだかずっとこのままのような気もするわね」


と、わたしの言葉に、ふたりが頷いた。

攻城戦ゲームの駒は城に置いてきてしまったので、明日からザザと作ると決めて、今夜は解散にした。

そお~っと自分の寝室に戻り、ひとり布団に潜る。

心許せる友がいるとは、なんと心強いことなのだろうと、頬を緩めてしまった。

話せてないことも、話せないこともあるけど、ふたりは、わたしのために心を砕いてくれる。

そして、新しい友が、湯に誘ってくれた。

夕暮れ時。ソランジュ殿下と肩を並べて湯に浸かった。


「ケガのお加減はいかがですか?」

「ええ、湯が効いたのか、もうほとんど跡も残っておりません」


突然パトリスを抱き締められたことは、悪意あってのことではないと分かる。パトリス自身も、自分の悩みをソランジュ殿下に知られたくないと思っている。

ただ、今日はパトリスは連れて来ず、わたしひとりでお相手させていただく。


「……私がデビュタントを迎えたのは、女大公殿下が即位された年でした」

「ええ……」


祖父大公が急逝し、母に連れられて慌ただしく王都に移り住んだ。

その頃、わたしはまだパトリスと同じくらいに幼かったけど、第二王女殿下の社交界デビューについては何となく覚えていた。


「アッという間、2年を経ずに女大公殿下は王都を席巻され……、私は離宮に引き籠りましたわ」


ソランジュ殿下は母女大公の娘であるわたしを相手に言葉を選んでおられる。

けれど、要するに母の乱した社交界を忌まれているというお話だ。


「……女大公殿下に張り合う父王や叔父王弟、兄王太子、姉第一王女には疎まれておりますけれど……、どうにも肌が合わず」

「そうでしたか……」

「ふふっ。……恐ろしい狂戦公への使者に私を選んだのも、いなくなっても困らないと考えたからでしょうね」


そう微笑まれる、第二王女ソランジュ殿下の笑顔は誇りに満ちていた。

家族に疎まれても信念を貫かれる生き様が、わたしには眩しかった。


「……ここは、いいですね。静かで」

「ええ……」


王国にそびえ立つふたつの頂点。

王家と大公家。

その家族とうまくやれなかった妹ふたりで、冬空を見上げた。

滞在を延ばされたのも、単に王都に戻るのが嫌になられただけなのかもしれない。

カトランの城は規律正しく、いつも整理整頓されている。


『とにかく掃除だ。元が山賊だろうと野盗だろうと、掃除さえしていれば、まともな生活に戻れる』


というのが、カトランの考えで、ガルニエ家の家風だ。

それに耐えられない本当の悪人たちは皆、逃げてしまったそうだ。

言葉遣いは粗野で、気性が荒くとも、残った城の兵士たちの士気は高く、忠誠心に篤い。掃除も丁寧。

それどころか、一度身を落としたことで身に付けた、義侠心さえ感じられる。

弱い者を労わる心を持っている。

王都の者たちとは比べものにならない。

きっと、そんなところが〈堅物王女〉のご気性にも合ったのだろう。

カトランがご自分に課した果断な処置でさえ、好ましく思えるほどに。

ソランジュ殿下が穏やかに微笑まれた。


「ふふっ。……湯に浸かり、身体を伸ばすと、心が緩むのでしょうね」

「ええ。とても、いい湯ですわ」

「……つい、イヤなことも思い出してしまいます」

「え……?」

「緩んだ心に隙が出来るのでしょう。……普段は忘れているつもりのことまで、頭によぎらせてしまいます」

「え、ええ……」


わたしも、家族とのピクニックのことを思い出して身を震わせていた。


「まるで……」

「……はい」

「……心の奥底に隠していた傷が、湯に溶け出していくよう。なのに、湯の温かさが優しくて……。時折、こうして自分と向き合うことも大切なのでしょうね」


ソランジュ殿下は、わたしより8歳年上のお姉様。

気品ある微笑みは、わたしの傷も包み込んでくださるようだった。


「……イヤな気持ちを、移してしまっていたら、ごめんなさいね」

「いえ、そんな。とんでもありませんわ」

「ふふっ。私とおそろいにしてくださったのですね?」

「あ、ええ……。とても、素敵で」


ザザに頼んで、髪を編み込みのアップスタイルにまとめてもらった。

湯煙越しに微笑んでくださる、ソランジュ殿下の優しげな眼差しに、照れてしまう。

その惹き込まれるような笑顔に、ふと優しかった頃の母の笑顔を重ねてしまい、胸がチクリと痛んだときだった。


――カトランも重ねてしまったのだ……。パトリスと……、その母親の顔を。


と、気が付き、愕然とした。

なぜ忘れていたのだろう。

温泉に来る前、ふたりが打ち解け、楽しげに過ごしていたせいだろうか。

晩餐会の練習で、わたしに隠れてヒソヒソ内緒話をする姿は、本当に仲のいい親子のようだった。

ただ、気が付いたところで、わたしに出来ることが思い浮かばない。

夕食と、そのあとの暖炉の前で過ごす時間。よく観察すると、カトランはパトリスと目を合わせようとしていなかった。

パトリスもそれに気が付いている。


――きっと、パトリスは……、自分が母親に似ていることも、母親とカトランの間に起きたことも、……聞かされていない。


カトランから理不尽に嫌われたと、パトリスが感じていても仕方のない状況だ。

ただでさえ、ソランジュ殿下に抱き締められ、母親のことを思い出して身体を強張らせた自分に落ち込んでいるときだというのに。

わたしの呼吸も浅くなる。

まるで、大公家の冷たい晩餐の席に戻ってしまったかのようだ。

そして、ついにカトランは近隣の視察に行くと言って、山荘から出てしまった。

パトリスをそんな目で見てしまう、自分が許せなくなったのだろう。


――カトランが気分を入れ替えて帰ってくることを、わたしは祈ることしか出来ないの……?


カトランの視察は3日。それまでの間、この山荘にはわたしとパトリスだけ。

深く思い悩み、わたしは決意する。


「パ、パトリス……?」

「……うん」

「ゲームしようか?」

「う~ん……」

「新しいゲームを考えたの」

「新しいゲーム?」


と、パトリスがわたしの顔を見た。

すこし目が輝いている。

ゴクリと唾を飲んだ。


「わたしが、パトリスを抱っこします」

「……え?」


パトリスの透んだ瞳を、見詰め続けた。