嫌われ公女が継母になった結果

  Ψ  Ψ  Ψ


ビクッと小さな身体を震わせたパトリスを呼んだ。


「パトリス? こちらにいらっしゃい」


露天の湯船で立ち尽くす入浴衣姿のパトリスが、ぎこちなくふり向く。


「あ……、うん」


大人しいパトリスだけど、初めての温泉には控え目に興奮していた。

湯船に浸かってからもジッとしてはいられなかったようで、離れて座るカトランにソワソワと近付いていった。

それがカトランを驚かせてしまったみたいで、湯煙越しに見える真っ赤な瞳からは、鋭い気迫のようなものを感じさせられた。


――長く戦場で暮らしたカトランに、黙って近付くのは良くなかったわね……。


カトランは、ソランジュ殿下に割り当てた山荘を睨んでいるようにも見えた。

殿下が温泉行きへの同行を申し出られた意図は読みにくい。カトランが考え込んでしまうのも無理はない。

そんなとき、不意に近付いてきたパトリスを、咄嗟に警戒してしまったのだろう。


「……養父上は、難しい政治の考えごとをされているようですわ。邪魔しちゃいけませんよ」

「はい……。ごめんなさい、養父上」

「あ、いや……。別にいい」


カトランの方が恐縮したような声を出す。

パトリスはわたしの隣に戻って、チャプンと湯に浸かった。


「……ビックリしちゃったわね?」

「う……、うん」


暗い表情で俯くパトリスに、湯の中でそっと手を伸ばした。

指先でパトリスの手にチョンと触れると、わたしの指をギュッと握ってくれた。


――パトリスも、少し驚いただけみたいね……。


カトランの様子にも変わりはないし、あまり騒ぎ立てず、そっとしておく。

ふぅ~っと、息を抜いて湯の温かさを身体の芯まで迎え入れた。

見上げると、わたしたちの入浴衣によく似た淡い青色をした冬空が、雲ひとつなく晴れ渡っていた。


「気持ちいいわね」


と、パトリスに笑顔を向けると、言葉なく頷いた。

カトランを驚かせてしまったショックがまだ消えないのか、パトリスはわたしの指を2本握ったまま放さない。

湯面に浮かぶフリルを、反対の手で下からつついて揺らしてみた。


「ほら、パトリス? ふわふわしてるでしょ? ザザがつくってくれたのよ?」

「う、うん……」


パトリスは言葉少なにフリルを見詰めた。

湯で上気したのか、青白んでいた顔色も戻ってきた。

謹厳な家風のガルニエ家は無駄口を好まない。無言の時間も重たくはない。

パトリスと一緒にフリルを眺めて過ごす。

ザザと試作した入浴衣で城の浴場に浸かってみたときのことを、ふと思い出し、クスリと笑ってしまった。


「おっ。しっかり〈ずん胴〉になったんじゃねぇか?」

「ず、ずん胴……」


ザザの言葉を、そのまま返した。

カットを工夫した入浴衣は、湯から立ち上がっても腰回りのくびれや、胸まわりの膨らみにあまり貼り付かない。


「なんだ? ……色っぽくは見られたくないけど、可愛くは見られたいのか?」

「だ、だってぇ……」

「アデールもなかなか忙しいな」


と、ザザは片眉をさげて笑い、わたしはすこし口を尖らせてしまう。

雑貨屋で商品をつくっていたザザは、手先が器用だし、いろんな工夫も思い付く。

麻の入浴衣に、絹のフリルを付けてくれた。


「わ、可愛い……」

「これなら湯に浮かぶし、身体を隠してもくれる。姫様のご要望どおりではございませんこと?」

「あ、ありがとう」


嬉しくなった勢いで、カトランとパトリスの入浴衣も縫ってしまった。

色がおそろいの入浴衣でみんな一緒に湯に浸かるなど、とても家族らしい。実はおそろいの刺繍も裾に小さく縫ってある。

湯に浮かぶフリルと、湯煙越しのカトランとパトリスを何度も眺めてしまう。

わたしもパトリスではないけど、どこかソワソワ、ウキウキとしている。


「……先にあがるぞ?」

「あ、はい」

「……のぼせないように気を付けろ」


と、カトランが湯を出て、山荘に戻って行く。

男性の入浴衣は上半身裸なことも多いけど、家風に合わせて上着も縫った。ズボンの丈も長めにしておいた。

湯からあがっても動きやすそう。

ザザからアドバイスをもらいながら縫ったのだけど、我ながらいい出来だ。

なにより、わたしの手縫いの服を、カトランとパトリスが身に付けてくれているのが嬉しい。

ウキウキと準備した甲斐がある。

わたしがカトランの逞しい背中を見送っている間も、パトリスはフリルを見詰めたまま、ギュッと指を握り続けてくれていた。

夕食をいただき、暖炉の前でくつろいだ時間をすごす。

ソファに腰かけたカトランは書物に目を落とし、パトリスは傅役のギオを側に置いて、黙ってお絵かきで遊んでいる。

わたしは、それを眺め、ちいさく微笑む。

少しくらい会話があってもいいとは思うけど、これもガルニエ家の団欒の形だろう。

暖炉からするパチッ、パチッという薪の音に耳を傾け、この穏やかな気持ちを噛み締めたくて笑顔のままで目を閉じた。

不意に、身体がぶるっと震えた。


「ん? 寒いか?」

「あ……、ううん。大丈夫」


ザザの気遣いに、笑みを返す。

静かで穏やかな情景に、かつての家族での賑やかなピクニックを思い起こしてしまっていた。

もう、二度と手の届かない景色。

今は、わたしの頭の中にしか存在しない。

嬉しくて楽しかった景色をまぶたの裏に眺める、今のわたしは物悲しい。


――春が来たら……、カトランとパトリスと一緒に……。


そう思い、心の底に静かに蓋をして、微笑んだ。


   Ψ


「家族水入らずの時間を邪魔するつもりはありませんわ」


と、ソランジュ殿下は、生真面目そうな若い侍女を通じてお伝えくださっていた。

とはいえ、ずっと放置したままという訳にもいかない。

貴人にとって、温泉地とは社交の場でもある。

3日目の朝に、入浴をご一緒しませんかとお誘いした。

カトランは、


「女性の殿下とご一緒というのは……」


と、遠慮してしまい、わたしとパトリスと殿下の3人で湯に浸かった。


「かえって気を使わせてしまったようで、申し訳ありませんわね」

「いえ、王女殿下と湯をご一緒させていただくなど、光栄なことです」


湯煙越しに、微笑み合う。

今のところソランジュ殿下から政略的な意図は感じられない。ご用意した山荘で寛いでお過ごしのようだ。

わたしたちとは入浴の時間もズラしてくださり、長身でスリムな体型によくお似合いの白い入浴衣姿も初めて拝見した。

カトランは社交が不得手なようだし、ここはわたしが辺境伯夫人として頑張る。

姉や兄からは無粋と嘲笑われてきたわたしでも〈堅物王女〉のお相手なら出来るのではないかと、和やかな雰囲気を心がけた。


「……この地は、カトラン公が実に100年ぶりに帝国から奪還されたのです」

「あら、そうなのですね……。夫人でありながら、何も知らず……」

「ふふっ。カトラン公はアデール夫人を実に大切にされていますから」

「……と、申されますと?」

「血なまぐさい話題は避けておられるのでしょう。……おふたりの関係に派手さは一切ありませんが、拝見しているとこちらまで心が安らぎます」

「まあ……、そのように過分なお褒めの言葉をいただいては……」


わたしの言葉に、ソランジュ殿下がクリスタルのような碧い瞳を大きく見開かれた。


――な、なにか変なことを言ったかしら?


と、思わず顔に笑顔を貼り付けてしまう。

けれど殿下は、穏やかな微笑みを浮かべて空を見上げられた。

編み込みのアップスタイルにまとめられた銀髪が、とてもお綺麗だった。


「……いまの私の言葉を、褒め言葉と受け取っていただけるとは」

「あ、ええ……。あれ? ……違いましたでしょうか?」

「いえ。……言葉が過ぎるかもしれませんが……、本当にアデール夫人は大公家の方らしからぬお方であるな……、と」

「あ、いえ……」


そうかと、内心で納得する。


――派手さはない。


などと言われたら、姉や兄は気分を害するかもしれない。いや、害するだろう。

爽快そうに笑われたソランジュ殿下が、わたしをまっすぐに見詰めてくださった。


「よろしければ、今後も私と個人的なご交誼を願いたく思います」

「それは、光栄なことにございます。こちらこそ、どうぞよしなに」

「そういえば、パトリス公もおられましたわね」


と、わたしたちの間で湯に浸かるパトリスにも、ソランジュ殿下が気品ある微笑みを向けてくださった。

緊張しているのか、パトリスは唇をすぼめて前をまっすぐに見ている。


「ふふっ。……可愛らしい子爵閣下であること」


と、殿下が目をほそめられた時だった。


――あっ!


と思ったときには、すでにソランジュ殿下がパトリスを抱き締めていた。


「このように可愛らしいご令息がいれば、夫婦仲も良くなろうというものですわね」


楽しげに微笑まれるソランジュ殿下の胸の中で、パトリスが身体を強張らせている。


「……で、殿下。パトリスが……、すこし緊張していますようで……」

「これは失礼をしました。あたらしい友が出来たことに、つい気持ちを昂ぶらせてしまいました。……パトリス公、お許しくださいませね」


と、ソランジュ殿下が腕をほどき、パトリスはぎこちなく、わたしの隣に戻った。

ソランジュ殿下がパトリスの異変に気付かれたご様子はなく、空を見上げて心地よさげに目を閉じられた。

それから、パトリスは、わたしの膝に座ってくれることも、手を握ってくれることも、なくなってしまった。