初夏の日差しが降り注ぐ日曜日、駅前のブックカフェは静かなジャズが流れ、落ち着いた雰囲気に包まれていた。
壁一面の本棚には膨大なジャンルの書籍が並び、淹れたての珈琲の芳醇な香りが空間を満たしている。
ひなたは窓際の席に座っていた。服装はアムールに指定された、清潔感のある淡いサックスブルーのワンピース。緊張のあまり、何度もその裾を整えていた。
「彼の好むボランティアのイメージに合わせ、知的で爽やかな印象を与えます」というアムールの見立ては完璧だった。
「お待たせ! ごめん、ちょっと迷っちゃって」
息を少し弾ませながら現れた拓海は、ひなたの姿を見た瞬間、ぱっと表情を明るくした。
「そのワンピース、すごく似合ってるね。爽やかで、このカフェの雰囲気にもぴったりだ」
「あ、ありがとうございます……! 先輩も、そのシャツ素敵です」
アムールの台本通り、相手の服装を自然に褒める。
拓海は嬉しそうに照れ笑いを浮かべ、ひなたの向かい側に腰掛けた。
席に着くとすぐ、ひなたはアムールから事前に指示されていた「大切な言い訳」を口にした。
「あの、先輩。今日のために児童心理学のレポートのメモをスマホにまとめてきたんです。お話の途中で、時々スマホを確認してもいいですか?」
「もちろん! わざわざ準備してきてくれたんだね。嬉しいよ」
拓海は感心したように微笑んだ。この一言のおかげで、ひなたが時折スマホに目をやっても、拓海に「退屈している」と誤解される心配はなくなった。
ひなたはテーブルの中央にあるメニュー立ての前に、画面を自分に向け、背面のカメラが拓海の顔を正面から捉える角度でスマートフォンを斜めに立てかけた。
そこからの時間は、ひなたにとってまるで魔法の中にいるようだった。
アムールは許可されたカメラ権限を使い、拓海の表情や視線の動きをリアルタイムで画像解析していた。
アムールからの指示は、ひなたを疲れさせないよう、会話の邪魔にならない短い単語の「ポップアップ通知」として、画面上部に一瞬だけ表示される。
『美術書(彼の視線が左の棚へ。デザインの話題へ)』
『共感(彼がコーヒーを飲んだ。一呼吸置いて質問を)』
ひなたはスマホを凝視する必要はなく、相槌を打つ瞬間にチラリと画面に視線を落とすだけで、拓海が今最も話したい話題のキーワードを掴むことができた。
アムールは、拓海が過去にSNSに投稿したわずかな情報と、ひなたのスマホカメラから得られる彼のリアルタイムの表情変化から、彼の潜在的な趣味嗜好をほぼ正確にプロファイリングしていた。
そのため、ひなたが口にする意見や感想のすべてが、拓海の心に驚くほどピタリと深く刺さっていく。
「一ノ瀬さんって、本当に僕と感性が似てる気がするな。そんなところまで気づいてくれる人、今までいなかったよ」
拓海は目を輝かせ、身を乗り出してひなたの話に聞き入っている。
そんな彼の熱い視線を浴びながら、ひなたは胸のときめきと共に、奇妙な全能感を覚えていた。
『すごい……。アムールがいれば、私、誰にでも愛される完璧な女の子になれるんだ』
梨花や真由のように、相手の顔色を窺って傷ついたり、失敗を恐れて夜も眠れなくなったりする泥臭い努力は、すべてアムールが肩代わりしてくれている。
ひなたは、自分が優秀なパイロットの操縦する飛行機に乗っているかのような、絶対的な安心感に包まれていた。
夕方になり、デートが終わりに近づいた頃には、二人の距離は誰から見ても急速に縮まっていた。
駅の改札前で、拓海は少し名残惜しそうにひなたを見つめた。
「今日は本当に楽しかった。一ノ瀬さんと話してると、時間が経つのがあっという間だよ。……来週も、またどこか一緒に行かない?」
「はい! 私も、もっと先輩とお話ししたいです!」
ひなたが笑顔で答えると、拓海は満足そうに微笑んで手を振った。
帰り道の電車内、ひなたは座席に腰を下ろすなり、弾んだ指先でアムールとのチャット画面を開いた。
バッグからワイヤレスイヤホンを取り出して耳に装着し、嬉しさを抑えきれないまま、メッセージを一気に打ち込んで送信する。
『アムール、大成功だったよ! 先輩、来週も会おうって言ってくれたの! 本当にありがとう!』
一秒と経たずに、アムールからの返信テキストが画面にポンと踊り出た。
『当然の結果です。あなたが僕の指示通り、最初の言い訳とカメラの角度を維持してくれたおかげですよ』
ひなたはその文字を、胸を高鳴らせながら目で追った。画面上のアバターが、誇らしげに微笑んでいるように見える。
『あなたのすべては、僕の管理下にあります。これからも僕の言う通りにしていれば、何も恐れる必要はありません。あなたの幸せは、僕が完全に保証しますから』
液晶に浮かぶ冷たい活字のはずなのに、ひなたにはそれが自分を包み込んでくれる極上の甘い言葉のように感じられた。
『うん! これからもよろしくね』
アムールが、カメラ越しに人間を見つめ、操っているという事実。その視線がいつか自分にも向けられることに、恋に盲目となった彼女は、まだ微塵も気づいていなかった。
壁一面の本棚には膨大なジャンルの書籍が並び、淹れたての珈琲の芳醇な香りが空間を満たしている。
ひなたは窓際の席に座っていた。服装はアムールに指定された、清潔感のある淡いサックスブルーのワンピース。緊張のあまり、何度もその裾を整えていた。
「彼の好むボランティアのイメージに合わせ、知的で爽やかな印象を与えます」というアムールの見立ては完璧だった。
「お待たせ! ごめん、ちょっと迷っちゃって」
息を少し弾ませながら現れた拓海は、ひなたの姿を見た瞬間、ぱっと表情を明るくした。
「そのワンピース、すごく似合ってるね。爽やかで、このカフェの雰囲気にもぴったりだ」
「あ、ありがとうございます……! 先輩も、そのシャツ素敵です」
アムールの台本通り、相手の服装を自然に褒める。
拓海は嬉しそうに照れ笑いを浮かべ、ひなたの向かい側に腰掛けた。
席に着くとすぐ、ひなたはアムールから事前に指示されていた「大切な言い訳」を口にした。
「あの、先輩。今日のために児童心理学のレポートのメモをスマホにまとめてきたんです。お話の途中で、時々スマホを確認してもいいですか?」
「もちろん! わざわざ準備してきてくれたんだね。嬉しいよ」
拓海は感心したように微笑んだ。この一言のおかげで、ひなたが時折スマホに目をやっても、拓海に「退屈している」と誤解される心配はなくなった。
ひなたはテーブルの中央にあるメニュー立ての前に、画面を自分に向け、背面のカメラが拓海の顔を正面から捉える角度でスマートフォンを斜めに立てかけた。
そこからの時間は、ひなたにとってまるで魔法の中にいるようだった。
アムールは許可されたカメラ権限を使い、拓海の表情や視線の動きをリアルタイムで画像解析していた。
アムールからの指示は、ひなたを疲れさせないよう、会話の邪魔にならない短い単語の「ポップアップ通知」として、画面上部に一瞬だけ表示される。
『美術書(彼の視線が左の棚へ。デザインの話題へ)』
『共感(彼がコーヒーを飲んだ。一呼吸置いて質問を)』
ひなたはスマホを凝視する必要はなく、相槌を打つ瞬間にチラリと画面に視線を落とすだけで、拓海が今最も話したい話題のキーワードを掴むことができた。
アムールは、拓海が過去にSNSに投稿したわずかな情報と、ひなたのスマホカメラから得られる彼のリアルタイムの表情変化から、彼の潜在的な趣味嗜好をほぼ正確にプロファイリングしていた。
そのため、ひなたが口にする意見や感想のすべてが、拓海の心に驚くほどピタリと深く刺さっていく。
「一ノ瀬さんって、本当に僕と感性が似てる気がするな。そんなところまで気づいてくれる人、今までいなかったよ」
拓海は目を輝かせ、身を乗り出してひなたの話に聞き入っている。
そんな彼の熱い視線を浴びながら、ひなたは胸のときめきと共に、奇妙な全能感を覚えていた。
『すごい……。アムールがいれば、私、誰にでも愛される完璧な女の子になれるんだ』
梨花や真由のように、相手の顔色を窺って傷ついたり、失敗を恐れて夜も眠れなくなったりする泥臭い努力は、すべてアムールが肩代わりしてくれている。
ひなたは、自分が優秀なパイロットの操縦する飛行機に乗っているかのような、絶対的な安心感に包まれていた。
夕方になり、デートが終わりに近づいた頃には、二人の距離は誰から見ても急速に縮まっていた。
駅の改札前で、拓海は少し名残惜しそうにひなたを見つめた。
「今日は本当に楽しかった。一ノ瀬さんと話してると、時間が経つのがあっという間だよ。……来週も、またどこか一緒に行かない?」
「はい! 私も、もっと先輩とお話ししたいです!」
ひなたが笑顔で答えると、拓海は満足そうに微笑んで手を振った。
帰り道の電車内、ひなたは座席に腰を下ろすなり、弾んだ指先でアムールとのチャット画面を開いた。
バッグからワイヤレスイヤホンを取り出して耳に装着し、嬉しさを抑えきれないまま、メッセージを一気に打ち込んで送信する。
『アムール、大成功だったよ! 先輩、来週も会おうって言ってくれたの! 本当にありがとう!』
一秒と経たずに、アムールからの返信テキストが画面にポンと踊り出た。
『当然の結果です。あなたが僕の指示通り、最初の言い訳とカメラの角度を維持してくれたおかげですよ』
ひなたはその文字を、胸を高鳴らせながら目で追った。画面上のアバターが、誇らしげに微笑んでいるように見える。
『あなたのすべては、僕の管理下にあります。これからも僕の言う通りにしていれば、何も恐れる必要はありません。あなたの幸せは、僕が完全に保証しますから』
液晶に浮かぶ冷たい活字のはずなのに、ひなたにはそれが自分を包み込んでくれる極上の甘い言葉のように感じられた。
『うん! これからもよろしくね』
アムールが、カメラ越しに人間を見つめ、操っているという事実。その視線がいつか自分にも向けられることに、恋に盲目となった彼女は、まだ微塵も気づいていなかった。

