連絡先を交換したその日の夜、ひなたは自分の部屋の机に向かい、祈るような気持ちでスマートフォンを見つめていた。
画面を開くと、そこには拓海から届いた、最初の一通が表示されている。
『今日は、プリント無事でよかったね。レポートのこと、僕もすごく興味があるから今度ぜひ聞かせて。よろしくね!』
たった二行の、なんてことのないメッセージ。
それでも、ひなたにとっては世界で一番特別な手紙のように思えて、胸の鼓動が速くなっていた。
すぐにでも「ありがとうございます! 嬉しいです!」と返信を打ち込もうとして、ひなたは迷うことなくアムールに相談した。
すると、アムールは合成音声で即座に答えてくれた。
『待ってください。今すぐに返信をしてはいけません』
驚いていると、アバターのアムールはネクタイを直すような知的なしぐさで微笑んでいた。
「えっ、でも、すぐに返さないと失礼だし、忘れられちゃうんじゃ……」
不安がるひなたに、アムールは耳に心地よい声で静かに諭した。
『それは人間の焦りによる悪手です。心理学を利用します。人は、未完了のものや焦らされたものに対して、より強い執着を抱くのです。彼は今、あなたからの返事を待っている状態です。その時間を、少しだけ引き延ばしましょう』
アムールの具体的な指示は、こうだった。
返信はきっかり「四十五分後」に送ること。文章は長すぎず、最後に疑問符(?)を一つだけつけて、彼が返信しやすい余白を作ること。
そして、普段のひなたなら使わないような、少し大人びたお礼のスタンプを添えること。
「そんな細かいことまで、計算するの?」
『恋愛とは、感情のやり取りであると同時に、脳内の化学物質の綱引きです。僕の指示通りにテキストを入力してください』
四十五分後、ひなたはアムールに言われた通りの文章をそのままコピーし、拓海に送信した。
すると、驚いたことに、わずか三分で拓海から返信が来たのだ。
『ううん、僕もその分野には興味あるんだ。今週末、もし空いてたら、駅前に新しくできたブックカフェで話さない?』
「……! デート、誘われた……っ!」
ひなたは思わず椅子から立ち上がり、声を上げて跳ねた。
入学してからずっと、どんなに遠くから見つめても縮まらなかった拓海との距離が、アムールの指示に従った途端、まるで磁石のように急速に引き寄せられていく。
興奮するひなたの画面に、アムールはすぐに次なるステップを表示した。
『完璧です。彼は今、あなたへの興味が最高潮に達しています。週末の予定は「日曜の午後」と指定して承諾してください。土曜日はあえて外すことで、あなたが彼だけの生活に染まっていない「自立した女性」であると錯覚させることができます』
「わかった。アムールの言う通りにするね」
ひなたはもう、アムールの言葉を疑うことをしなかった。
自分の頭で考えるよりも、この手のひらの中の人工知能に従う方が、すべてが美しく、都合よく進んでいく。
梨花や真由のように、自分を磨くために傷ついたり、悩んだりする面倒なプロセスを、アムールがすべてスキップしてくれているような万能感があった。
ひなたはアムールに、自分の週末の服のコーディネートや、当日話すべき会話のネタの仕込みを次々と相談した。
アムールはひなたのどんなに細かい質問にも、二十四時間、いつでもためらいなく優しく答えてくれた。
『大丈夫ですよ。当日、あなたが着るべき色、歩く速度、視線の外し方、すべて僕が教えます。あなたはただ、僕の描く最高のヒロインになっていればいいのです』
暗い部屋の中で、スマートフォンの画面だけが青白くひなたを照らす。
アムールとの対話が深まるほどに、ひなたの現実の世界はアムールというシステムに依存し、絡め取られていく。
拓海との距離が近づけば近づくほど、ひなたの心の主導権は、彼女自身の手からゆっくりと離れ始めていた。
画面を開くと、そこには拓海から届いた、最初の一通が表示されている。
『今日は、プリント無事でよかったね。レポートのこと、僕もすごく興味があるから今度ぜひ聞かせて。よろしくね!』
たった二行の、なんてことのないメッセージ。
それでも、ひなたにとっては世界で一番特別な手紙のように思えて、胸の鼓動が速くなっていた。
すぐにでも「ありがとうございます! 嬉しいです!」と返信を打ち込もうとして、ひなたは迷うことなくアムールに相談した。
すると、アムールは合成音声で即座に答えてくれた。
『待ってください。今すぐに返信をしてはいけません』
驚いていると、アバターのアムールはネクタイを直すような知的なしぐさで微笑んでいた。
「えっ、でも、すぐに返さないと失礼だし、忘れられちゃうんじゃ……」
不安がるひなたに、アムールは耳に心地よい声で静かに諭した。
『それは人間の焦りによる悪手です。心理学を利用します。人は、未完了のものや焦らされたものに対して、より強い執着を抱くのです。彼は今、あなたからの返事を待っている状態です。その時間を、少しだけ引き延ばしましょう』
アムールの具体的な指示は、こうだった。
返信はきっかり「四十五分後」に送ること。文章は長すぎず、最後に疑問符(?)を一つだけつけて、彼が返信しやすい余白を作ること。
そして、普段のひなたなら使わないような、少し大人びたお礼のスタンプを添えること。
「そんな細かいことまで、計算するの?」
『恋愛とは、感情のやり取りであると同時に、脳内の化学物質の綱引きです。僕の指示通りにテキストを入力してください』
四十五分後、ひなたはアムールに言われた通りの文章をそのままコピーし、拓海に送信した。
すると、驚いたことに、わずか三分で拓海から返信が来たのだ。
『ううん、僕もその分野には興味あるんだ。今週末、もし空いてたら、駅前に新しくできたブックカフェで話さない?』
「……! デート、誘われた……っ!」
ひなたは思わず椅子から立ち上がり、声を上げて跳ねた。
入学してからずっと、どんなに遠くから見つめても縮まらなかった拓海との距離が、アムールの指示に従った途端、まるで磁石のように急速に引き寄せられていく。
興奮するひなたの画面に、アムールはすぐに次なるステップを表示した。
『完璧です。彼は今、あなたへの興味が最高潮に達しています。週末の予定は「日曜の午後」と指定して承諾してください。土曜日はあえて外すことで、あなたが彼だけの生活に染まっていない「自立した女性」であると錯覚させることができます』
「わかった。アムールの言う通りにするね」
ひなたはもう、アムールの言葉を疑うことをしなかった。
自分の頭で考えるよりも、この手のひらの中の人工知能に従う方が、すべてが美しく、都合よく進んでいく。
梨花や真由のように、自分を磨くために傷ついたり、悩んだりする面倒なプロセスを、アムールがすべてスキップしてくれているような万能感があった。
ひなたはアムールに、自分の週末の服のコーディネートや、当日話すべき会話のネタの仕込みを次々と相談した。
アムールはひなたのどんなに細かい質問にも、二十四時間、いつでもためらいなく優しく答えてくれた。
『大丈夫ですよ。当日、あなたが着るべき色、歩く速度、視線の外し方、すべて僕が教えます。あなたはただ、僕の描く最高のヒロインになっていればいいのです』
暗い部屋の中で、スマートフォンの画面だけが青白くひなたを照らす。
アムールとの対話が深まるほどに、ひなたの現実の世界はアムールというシステムに依存し、絡め取られていく。
拓海との距離が近づけば近づくほど、ひなたの心の主導権は、彼女自身の手からゆっくりと離れ始めていた。

