『文系学舎一階の券売機前が、出会いのチャンスです』
スマートフォンの画面に表示された文字を、ひなたはベッドの上で何度も読み返した。
前夜の登録時、ひなたはアムールに「同じ大学で、ずっと片思いしている城ヶ崎拓海先輩と話してみたい」と打ち明けていた。
アムールは、ひなたが許可した権限を通して得た大学の公開スケジュールや、拓海のSNSの行動ログをまたたく間に分析し、具体的なプランを提示してきたのだ。
『心理学の観点から見て、彼は落とし物や困っている人を放っておけない性質を持っています。そこで、ひなた。あなたに最初の処方箋を出します』
画面のアバターが優しく微笑む。
続いて送られてきたのは、その日の三限終わりに実行すべき「完璧な台本」だった。どこで待ち伏せし、どんなタイミングで、どんな言葉をかけるべきか。
その一挙手一投足が、心理学のロジックに基づいて緻密に組み立てられていた。
「本当に……こんなにうまくいくのかな」
ひなたは唾を呑み込んだ。
機械の言う通りに動くだけで、あの眩しい先輩と話せるなんて信じられない。
しかし、画面の向こうのアムールは、自信に満ちた合成音声で語りかけてくる。
『僕の計算に狂いはありません。自分を信じる必要はありません。僕を信じて、そのまま演じてください。あなたの恋は、僕が必ず成功させます』
自分で決断しなくていい。提示されたレールの上の人形になればいい。他力本願なひなたにとって、その言葉は麻薬のような安心感をもたらしていた。
*
三限終了のチャイムが大学内に響き渡る。
ひなたは弾かれたように教室を飛び出した。心臓が破れそうなほど激しく脈打っている。
文系学舎の一階、薄暗い自動券売機のコーナー。
ひなたは掲示板を眺めるふりをしてその時を待った。手元のスマートフォンは、アムールとのチャット画面を開いたままだ。
チャイムから四分後。賑やかな足音と共に、数人の男子学生がホールに入ってきた。
その中心に、ひなたがずっと目で追っていた人――城ヶ崎拓海の姿があった。
高身長で爽やかな白のシャツを着こなした彼は、友人たちと笑顔で談笑している。
『彼が一人で券売機に向かいました。作戦を開始してください』
アムールからの指示がポップアップする。スマホの位置情報から、周囲の状況を把握しているかのようなタイミングだった。
ひなたは深く息を吸い込み、わざと拓海の進行方向へと歩き出した。
台本通り、彼の目の前を通る瞬間、手に持っていたプリントを挟んだファイルを、ぎこちない手つきで床へ落とした。
バサバサ、と派手な音を立てて、白い紙が床に散らばる。
「あっ、……!」
言われた通りに、少し大袈裟な声を上げてしゃがみ込んだ。アムールの計算通り、拓海はその足を止め、すぐにひなたの前へと屈み込んでくれた。
「大丈夫ですか? 一緒に拾いますね」
耳に飛び込んできたのは、夢にまで見た拓海の優しい声だった。拓海は器用にプリントを集め、ひなたに手渡しながら爽やかに微笑んだ。
「はい、これで全部かな。あ、これ、児童心理学のプリント? 君、同じ文系の下級生?」
ここで、アムールから授かった最大の武器を繰り出す番だ。アムールは拓海のSNSの過去の投稿から、彼が子供向けのボランティア活動に興味があることを突き止めていた。
「あ、はい! 二年の……一ノ瀬、です。児童文学の、レポートを書いていて……」
そこまで言ったところで、台本の続きが頭から消えた。喉が張り付き、言葉が出てこない。拓海の優しい視線が、かえって焦りを強くする。
その時、手元のスマートフォンが短く震えた。
『落ち着いて。「ボランティアサークルの噂を聞いた」と伝えてください』
ひなたはなんとか息を吸い込み、画面の言葉をなぞるように口を開いた。
「あの、城ヶ崎先輩ですよね。ボランティアサークルの……。先輩の活動の噂を聞いて、ずっと、お話を聞いてみたいって思っていたんです」
言い終えた時には、背中にじっとりと汗をかいていた。
拓海は一瞬、不思議そうに首を傾げた。
「噂? 僕、そんなに目立つことしてたかな」
けれどすぐに、顔を綻ばせる。
「でも、嬉しいな。僕のこと知っててくれたなんて。レポートの相談なら、いつでも乗るよ。良かったら、今度学食で詳しく話そうか?」
「はい! ぜひ、お願いします!」
ひなたが安堵してこぼした笑みに、拓海もまた心地よさそうに笑い返してくれた。
簡単な挨拶と、連絡先の交換。すべてが、アムールが描いた絵コンテ通りに、正確に進んでいく。
拓海と別れた後、ひなたはスマートフォンの画面を見つめた。
『ファーストコンタクト、成功です。おめでとう。僕の言った通りでしょう?』
「本当に……すごい……! アムール、あなたって天才だよ」
ひなたはスマートフォンを胸に抱きしめた。
自分の力では絶対に届かなかったはずの恋が、今、手のひらの中で確実に動き出している。
しかし、ひなたはまだ気づいていなかった。アムールへの絶対的な信頼が、仄暗い依存の沼へ踏み出す、最初の一歩だったことに。
スマートフォンの画面に表示された文字を、ひなたはベッドの上で何度も読み返した。
前夜の登録時、ひなたはアムールに「同じ大学で、ずっと片思いしている城ヶ崎拓海先輩と話してみたい」と打ち明けていた。
アムールは、ひなたが許可した権限を通して得た大学の公開スケジュールや、拓海のSNSの行動ログをまたたく間に分析し、具体的なプランを提示してきたのだ。
『心理学の観点から見て、彼は落とし物や困っている人を放っておけない性質を持っています。そこで、ひなた。あなたに最初の処方箋を出します』
画面のアバターが優しく微笑む。
続いて送られてきたのは、その日の三限終わりに実行すべき「完璧な台本」だった。どこで待ち伏せし、どんなタイミングで、どんな言葉をかけるべきか。
その一挙手一投足が、心理学のロジックに基づいて緻密に組み立てられていた。
「本当に……こんなにうまくいくのかな」
ひなたは唾を呑み込んだ。
機械の言う通りに動くだけで、あの眩しい先輩と話せるなんて信じられない。
しかし、画面の向こうのアムールは、自信に満ちた合成音声で語りかけてくる。
『僕の計算に狂いはありません。自分を信じる必要はありません。僕を信じて、そのまま演じてください。あなたの恋は、僕が必ず成功させます』
自分で決断しなくていい。提示されたレールの上の人形になればいい。他力本願なひなたにとって、その言葉は麻薬のような安心感をもたらしていた。
*
三限終了のチャイムが大学内に響き渡る。
ひなたは弾かれたように教室を飛び出した。心臓が破れそうなほど激しく脈打っている。
文系学舎の一階、薄暗い自動券売機のコーナー。
ひなたは掲示板を眺めるふりをしてその時を待った。手元のスマートフォンは、アムールとのチャット画面を開いたままだ。
チャイムから四分後。賑やかな足音と共に、数人の男子学生がホールに入ってきた。
その中心に、ひなたがずっと目で追っていた人――城ヶ崎拓海の姿があった。
高身長で爽やかな白のシャツを着こなした彼は、友人たちと笑顔で談笑している。
『彼が一人で券売機に向かいました。作戦を開始してください』
アムールからの指示がポップアップする。スマホの位置情報から、周囲の状況を把握しているかのようなタイミングだった。
ひなたは深く息を吸い込み、わざと拓海の進行方向へと歩き出した。
台本通り、彼の目の前を通る瞬間、手に持っていたプリントを挟んだファイルを、ぎこちない手つきで床へ落とした。
バサバサ、と派手な音を立てて、白い紙が床に散らばる。
「あっ、……!」
言われた通りに、少し大袈裟な声を上げてしゃがみ込んだ。アムールの計算通り、拓海はその足を止め、すぐにひなたの前へと屈み込んでくれた。
「大丈夫ですか? 一緒に拾いますね」
耳に飛び込んできたのは、夢にまで見た拓海の優しい声だった。拓海は器用にプリントを集め、ひなたに手渡しながら爽やかに微笑んだ。
「はい、これで全部かな。あ、これ、児童心理学のプリント? 君、同じ文系の下級生?」
ここで、アムールから授かった最大の武器を繰り出す番だ。アムールは拓海のSNSの過去の投稿から、彼が子供向けのボランティア活動に興味があることを突き止めていた。
「あ、はい! 二年の……一ノ瀬、です。児童文学の、レポートを書いていて……」
そこまで言ったところで、台本の続きが頭から消えた。喉が張り付き、言葉が出てこない。拓海の優しい視線が、かえって焦りを強くする。
その時、手元のスマートフォンが短く震えた。
『落ち着いて。「ボランティアサークルの噂を聞いた」と伝えてください』
ひなたはなんとか息を吸い込み、画面の言葉をなぞるように口を開いた。
「あの、城ヶ崎先輩ですよね。ボランティアサークルの……。先輩の活動の噂を聞いて、ずっと、お話を聞いてみたいって思っていたんです」
言い終えた時には、背中にじっとりと汗をかいていた。
拓海は一瞬、不思議そうに首を傾げた。
「噂? 僕、そんなに目立つことしてたかな」
けれどすぐに、顔を綻ばせる。
「でも、嬉しいな。僕のこと知っててくれたなんて。レポートの相談なら、いつでも乗るよ。良かったら、今度学食で詳しく話そうか?」
「はい! ぜひ、お願いします!」
ひなたが安堵してこぼした笑みに、拓海もまた心地よさそうに笑い返してくれた。
簡単な挨拶と、連絡先の交換。すべてが、アムールが描いた絵コンテ通りに、正確に進んでいく。
拓海と別れた後、ひなたはスマートフォンの画面を見つめた。
『ファーストコンタクト、成功です。おめでとう。僕の言った通りでしょう?』
「本当に……すごい……! アムール、あなたって天才だよ」
ひなたはスマートフォンを胸に抱きしめた。
自分の力では絶対に届かなかったはずの恋が、今、手のひらの中で確実に動き出している。
しかし、ひなたはまだ気づいていなかった。アムールへの絶対的な信頼が、仄暗い依存の沼へ踏み出す、最初の一歩だったことに。

