滅びの魔女と楽園の神官

 かつて、国が彼女の仲間を滅ぼした。ノインにとって、この国は彼女を守ってくれるものではない。
 だからこそ、彼女は身軽だ。

 道理の通らないこととわかっていながら、彼女がうらやましかった。

 ノインと正反対に、ヴィンセントは国を背負い込んでいる。それが重苦しく、けれど、決して放り出すことはできない。

 一方で、たとえこの国が滅びても、ノインは今のまま生きてゆけるのだと思うと、それがせめてもの贖罪になるような気もした。

 ヴィンセントは、身勝手な願いに近いその思考を、軽く頭を振って追いやる。

「運命……そうして諦めてしまえば、本当に国は滅びます」
「そうかもしれないわね」
「目的を見失った魔女狩り、乱れた人心、まとまらない宮廷……。今、この国は揺らいでいます。それぞれが少しずつ、滅びを引き寄せているのかもしれません」
「……政治や文化や人の想いや……複雑に成り立つひとつの国の運命を、変えるのはきっと簡単じゃないわ」

 国ひとつの重みを思わせる口調だった。

 ノインはこの国が滅ぶことを望んでいるわけではない。あくまで、この国に寄りかからない立場から、なりゆきを観察しているにすぎない。そんな彼女に、この国の滅亡が贖罪になると考えるのは、あまりにも都合がよすぎた。

 それで救われるのは、ノインではなく、ヴィンセントだろう。

「難しいからと諦めてしまうことも、僕にはできません」

 ヴィンセントはついうつむいた。乾いた土を、自分の足が踏みしめて歩く。

「あなたが諦めるか諦めないかでこの国の行く先が変わるかは知らないけれど」

 ノインはそう前置きをして、すっきりと明瞭な声で続けた。

「何が運命で、何が運命ではないのか、わたしたち人間にはわからない。嫌だと思うなら、最後まで諦めないでいるしかないわ」
「でも、何をしたらいいのかもわかりません。僕は、無力です」
「国を救うと言って、さっとできちゃったら、とんでもない力じゃない?」

 こともなげに言う。それから、彼女はひとさし指を立ててくるくると回し、指に纏わせた魔力で小さな風を起こした。

「国を救う力だなんて、こうやったら嵐を起こせる人くらいでしょう、そんなものを持っているのは」

 ノインの起こした風が、ヴィンセントの前髪をさらりと揺らした。嵐どころか、せいぜい、妖精のいたずら程度だ。

「そして、国を滅ぼす力も」

 ノインの風は、最後にヴィンセントの頬をそっと撫でて空気に溶けた。
 ノインには、国を救う力も、滅ぼす力もないと示すかのようである。

「もし、国を救うか、滅ぼす力を持っていたら、ノインはどうしましたか」

 力があったら、ノインは、この国を滅ぼしただろうか。そうする理由が、彼女にはあるはずだ。

『わたしは、何かを憎んではいけない』

 かつて彼女はそう言った。なぜなのか、理由は知れない。けれど本当に、この国や、あのとき村を焼いた将校たちを、憎まずにいられるのだろうか。

「……どうしたかしらね」

 ノインの声には、翳りがあった。ヴィンセントははっと、自分が迂闊で心ないことを言ってしまったのに気づいた。

「ごめんなさい、ノイン」
「何を謝るの?」
「…………」

 ヴィンセントは答えに詰まって口をつぐんだ。

「力があれば、何でも望み通りにできる……とは限らないと思うの。あったらあったで、何かしら制約や苦労があるわよ」

 そういう人間を直接知っているかのように言い、ノインは同意を求めるようにヴィンセントを横目に見た。その手のひらは、胸元に添えられていた。

「あなたは、星読みの力が無かったら、と思ったことはない?」

 ぎくりとした。ノインが知るはずもないヴィンセントの秘密を、見抜かれたかのようだった。
 星読みの力ではないが、もしもを考えたことは、ヴィンセントにもある。

 もし、宮廷に影響を及ぼすことができるほどの力や、立場を、保っていられたなら。

「もしも……でも、もしそうだったとして、自分がどうしたか、どうするのが正しいのか、わかりません」

 宮廷にいて大事に守られていながら、魔女狩りをやめさせるという発想が、できたかどうか。

 そんな地位にあったなら、あの忌まわしい夜に連れ出されることもなかったろう。

 ノインに出会うこともなく、だから国のおこないに疑問を抱くこともなかったかもしれない。

 何より、きっと人の嘆きに鈍感だった。

「そうでしょうね。何が正しい道なのかなんて、誰にもわからないわ。自分のおこないが『正しい』と、信じるしかない」

 旅のためのそれなりの荷物を背負っているのに、ノインの足取りは軽い。

「歴史に『もしも』はないのと同じよ。そしてね、人は、振り返って過去の過ちに気づくことはできるけれど、正解を知ることはできないの」
「歴史の、正解……」
「だって、もしこうしていたら、の答えを得ることもないのだもの」

 何かの詩をそらんじるような口調だった。そのように達観した言葉を口にしながら、足下にあった小石を蹴飛ばす幼い仕草が不釣り合いで、ヴィンセントの無力感と庇護欲を同時に刺激する。

「もしもを考えてしまうのは、人のさがなのだと思います。自分のおこないに、絶対の自信なんてないから」
「そうね」

 ノインは、口元に柔らかな微笑を浮かべた。彼女にも覚えがあるのだろう。