ログアウト

東京に行けば、何かになれると思ってた。

何かって何?

って聞かれたら、
たぶん答えられなかったけど。


*


「ねえ、この子うちらと同い年だよ」

菜々がスマホを私の顔の前に出した。

「誰?」

「この子。この前TikTokで流れてきた子」

画面の中では、知らない女の子が大きな花束を抱えて笑っていた。

背景には東京の夜景。

テーブルの上には、名前は知らないけど高そうなシャンパン。

隣にはブランド物っぽいバッグ。

画面の端には、

19歳になりました♡
みんな本当にありがとう🥹🩷

って書いてある。

「フォロワー何人?」

「28万」

「やば」

「しかも18から東京住んでるらしいよ」

「へえ」

そう言いながら、私はその子のプロフィールを開いた。

フォロワー、28.4万人。

Instagramも見た。

表参道。

渋谷。

ホテル。

旅行。

ブランドバッグ。

美容。

撮影。

また旅行。

スクロールしても、私たちが今いるような場所は一枚も出てこなかった。


私たちは神奈川県の西の方にある、いつものファミレスにいた。

高校から自転車で10分。

中学のころから何回来たか分からない。

ドリンクバー。

ポテト。

菜々。

窓の外には、暗い国道。

いつもの景色。


「東京住んでるだけじゃん」

私はスマホを菜々に返した。

「出た。美月のそれ」

「なに」

「自分も東京行ったらこうなれると思ってるやつ」

「いや、なれるでしょ」

「はいはい」

菜々が笑った。

「美月かわいいもんねー」

「そういうことじゃないし」

「じゃあ何?」

「……なんかさ」

言いかけて、やめた。

上手く説明できなかった。


私は別に、自分の人生が嫌いだったわけじゃない。

友達もいる。

家族とも、まあ普通。

高校生活も楽しかった。

彼氏もいる。

地元ではたまに、

「あ、美月ちゃんじゃん」

って知らない子から言われることもあった。

TikTokのフォロワーは1,842人。

多くはない。

でも普通の高校生なら、ちょっと多い方だと思う。

文化祭で友達と撮った動画が一回だけ伸びて、17万再生されたことがある。

そのときは学校で、

「TikTokerじゃん」

って散々いじられた。


嬉しかった。


たぶん、思ってたよりずっと。


知らない人から、

「かわいい」

ってコメントが来ること。

フォロワーの数字が増えること。

朝起きたら通知がいっぱい来ていること。


でも数日したら、何もなくなった。

次に投稿した動画は2,000再生。

その次は800。

また普通の高校生に戻った。


私はそれが、ちょっとだけ寂しかった。


「美月、東京行ったら何すんの?」

菜々が聞いた。

「美容系」

「ざっくりすぎ」

「まだいいじゃん。18だよ?」

「で、インフルエンサーになるんでしょ?」

「ならないし」

「絶対なりたいじゃん」

「なれたらなる」

「それ、なりたい人の答えだから」

二人で笑った。


テーブルの上のスマホが震えた。


陸

《終わった。迎え行く》


「彼氏?」

「うん」

「いいなー。卒業しても続くんでしょ?」

私はすぐに返事をしなかった。


菜々が私を見る。

「なにその顔」

「いや」

「別れるの?」

「……分かんない」

「え、なんで?」

「だって私、東京行くじゃん」

「東京って外国じゃないんだけど」

「そうだけど」

「陸、めっちゃ美月のこと好きじゃん」

「知ってる」

「じゃあいいじゃん」

「うん」


本当に、そうだった。


陸には何も問題がなかった。


*


高校一年の夏から付き合っていた。

最初に告白してきたのは陸だった。

私は一回断った。

別に嫌いじゃなかったけど、
そのとき他に気になってる人がいたから。

それでも陸は普通に話しかけてきた。

しつこくもなく、
拗ねるわけでもなく。

気づいたら毎日LINEしていた。


二回目に告白されたとき、

「じゃあ付き合ってみる?」

って私から言った。


陸は今でも、

「俺が告ったのに、なんでお前が上からなんだよ」

って言う。


付き合って二年半。


すっぴんも見られた。

寝起きも見られた。

人生で一番太っていた時期も知ってる。

お母さんと大喧嘩して泣いているところも見られた。

陸の前では、盛れている写真を選ばなくてよかった。


それが普通だった。


「お待たせ」

ファミレスを出ると、駐車場に陸がいた。

「菜々も送る?」

「私はチャリだから大丈夫」

「寒くね?」

「近いから余裕」

「じゃーね、美月。また明日」

「うん」

菜々が自転車で走っていく。


陸の車に乗った。

正確には、陸のお兄ちゃんのお下がりの軽自動車。

助手席の足元にはコンビニの袋。

後部座席には仕事で使うらしい作業着。

全然おしゃれじゃない。


でも私は、この車が好きだった。


「腹減った」

陸が言った。

「さっき食べてきた」

「俺が」

「知らないよ」

「コンビニ寄って」

「自分で寄れば?」

「冷た」

笑った。


こういう時間が、あと何回あるんだろう。


卒業まで、あと二週間。


「陸さ」

「ん?」

「卒業したらどうすんの?」

「仕事」

「それは知ってる」

「金貯めて車買う」

「何買うの?」

「まだ決めてない」

「その次は?」

「次?」

「そのあと」

「知らねえよ」

「結婚とか」

陸がこっちを見る。

「急に何?」

「例えば」

「まあ、いつかするんじゃね」

「誰と?」

「お前じゃねえの?」

笑いながら言った。


冗談みたいな言い方だった。


でも、なぜか胸が苦しくなった。


この人と結婚する。

この辺に住む。

子供ができる。

近くのスーパーで買い物する。

たまに東京に遊びに行く。

夏は地元の友達とBBQ。

年末はみんなで飲む。


別に悪くない。


むしろ幸せなんだと思う。


でも。


それで私の人生、
全部決まっちゃうの?


「何?」

陸が言った。

「なんでもない」

「なんか今日変じゃね?」

「普通だし」

「東京行くの不安?」

「別に」

「無理だったら帰ってくればいいじゃん」

またそれ。


お母さんも同じことを言う。


帰ってくればいい。

いつでも戻ってくればいい。


どうしてみんな、
私が戻ってくると思ってるんだろう。


「私、帰ってこないよ」

「え?」

「東京行ったら、帰ってこない」

「正月くらい帰ってこいよ」

「そういう意味じゃなくて」

「じゃあどういう意味?」

「……分かんない」

陸はそれ以上聞かなかった。


車はいつもの道を走っていた。

何百回も通った道。

コンビニ。

ガソリンスタンド。

ファミレス。

ドラッグストア。


私は窓の外を見ながら思った。


全部知ってる。


だから、つまらないのかな。


*


その夜。

ベッドに入ってからTikTokを開いた。

さっき菜々に見せてもらった女の子が出てきた。


MIYASHITA PARK。

大きな鏡。

綺麗な服。

知らない女の子たち。

東京の夜。


コメント欄。


《人生勝ち組すぎる》

《こういう生活したい》

《東京行きたい😭》

《かわいすぎ》

《憧れ》


私はプロフィールを開いた。


28.4万人。


自分のプロフィールに戻る。


1,842人。


数字を見比べた。


別にフォロワーが多いから偉いわけじゃない。


そんなの分かってる。


スマホを閉じた。


三秒後。


また開いた。


「東京 一人暮らし」

検索。


「18歳 東京」

検索。


「インフルエンサー 東京」

検索。


気づいたら深夜二時を過ぎていた。


*


卒業式の日。

校門の前で何百枚も写真を撮った。

菜々と泣いた。

クラスのみんなとも撮った。

先生とも撮った。

陸とも撮った。


菜々が言った。

「美月、東京行っても調子乗んなよ」

「乗らないし」

「有名になってもうちら無視すんなよ」

「なるわけないじゃん」

「絶対ね」

「当たり前じゃん」


四人のグループLINEに写真が大量に送られてきた。


《卒業しても一生友達ね!!》


私も送った。


《当たり前😭🩷》


本気だった。


このときは。


*


陸とは、その三日後に別れた。


海沿いに車を停めた。


「別れたい」

私が言った。


陸は驚かなかった。


しばらく黙って海を見ていた。


「東京行くから?」

「……うん」

「遠距離無理ってこと?」

「それだけじゃない」

「好きな奴できた?」

「いない」

「じゃあ何」

私は答えられなかった。


陸が嫌いになったわけじゃない。


むしろ好きだった。


でも、それが怖かった。


好きなまま東京へ行ったら、
私はたぶん毎週帰ってくる。


東京で嫌なことがあったら陸に電話する。


寂しくなったら地元に戻る。


それじゃ何も変わらない気がした。


「私、一回全部変えたい」

「全部?」

「うん」

「俺も?」

その言葉だけ、痛かった。


「……ごめん」

陸はしばらく黙っていた。


「美月」

「ん?」

「東京行ったらさ」

「うん」

「変な奴についてくなよ」

「子供じゃないし」

「お前、意外とバカだから」

「うざ」

「あと金貸すな」

「貸さない」

「知らない男の車乗るな」

「お父さん?」

「薬とかやんなよ」

「やるわけないじゃん」

二人で笑った。


本当に笑った。


あまりに私たちらしい別れ方で、
泣くタイミングを逃した。


車を降りる前。

陸が言った。


「まあ、でも」

「なに?」

「東京行っても、お前はお前だろ」


私は笑った。


「当たり前じゃん」


*


上京の日。

お母さんは駅まで来た。


スーツケースは一個。

段ボールは先に送ってある。


「ちゃんと食べなよ」

「分かってる」

「知らない人についてかない」

「陸にも言われた」

「何かあったら電話して」

「うん」

「あと」

「なに?」

「ダメだったら帰ってくればいいんだから」


また、それ。


私は笑った。


「ダメになる前提で言わないでよ」


お母さんも笑った。


「そうじゃないよ」


電車が来る。


扉が開く。


乗り込む直前、
お母さんが言った。


「帰ってくる場所があるってこと」


「はいはい」


私は電車に乗った。


窓の向こうで、
お母さんが小さく手を振っている。


私も振った。


電車が動き出した。


地元の駅が遠ざかっていく。


寂しい。


でも、それ以上に。


楽しみだった。


怖いくらいに。


*


荷物を部屋に置いたあと、
私は渋谷へ行った。


別に用事なんてなかった。


ただ、行きたかった。


ハチ公前。

スクランブル交差点。


巨大なビジョン。

外国人。

信号が青になる。


何百人もの人が、
一斉に交差点へ流れ込んでいく。


私もその中へ入った。


何度も遊びに来たことはある。


でも今日は違った。


もう帰らなくていい。


終電を調べなくていい。


私は今日から、
東京に住んでいる。


それだけで景色が違って見えた。


センター街を歩いた。


知らない人ばかり。


誰も私を知らない。


地元では、
駅に行けば誰かに会った。


「あ、美月じゃん」

って言われた。


ここでは誰も振り返らない。


少しだけ寂しかった。


でも同時に思った。


ここなら、
今までの私を知っている人はいない。


だったら。


好きな自分になれる。


*


そのまま原宿方面へ歩いた。


MIYASHITA PARK。


TikTokで何度も見た場所。


同い年くらいの女の子たちが写真を撮っていた。


可愛い。


細い。


服も可愛い。


知らない男の子がカメラを向けて、
何かの動画を撮っている。


「あの子TikTokで見たことある」


誰かが言った。


私は反射的にそっちを見た。


フォロワー何人なんだろう。


そんなことを考えてから、
自分で少し笑った。


まだ東京に来て数時間なのに。


*


夜。


新しい部屋。


まだ家具もほとんどない。


床に座って、
コンビニで買ったおにぎりを食べた。


窓を開けても、
東京タワーなんて見えない。


向かいのマンションしか見えない。


さっき撮った写真を開く。


スクランブル交差点。

MIYASHITA PARK。

自撮り。


47枚。


一番盛れている一枚を選ぶ。


明るさを上げる。


肌を少し綺麗にする。


顔をほんの少しだけ小さくする。


Instagramを開いた。


ストーリー。


文字を打つ。


TOKYO LIFE START 🗼♡


少し考えて、もう一行。


絶対人生変える。


投稿。


数秒後。


閲覧者が増え始める。


菜々。


高校の友達。


知らない人。


そして。


riku_sano


陸が見た。


それだけ確認して、
私はスマホを伏せた。


東京に行けば、
何かになれると思ってた。


あの夜の私は、
まだ知らなかった。


半年後。


スクランブル交差点を歩く私を、
知らない女の子が振り返るようになることも。


ずっと画面の中で見ていた人たちと、
朝まで遊ぶようになることも。


この街で、
欲しかったものを全部手に入れることも。


そして。


東京で最初に失うのが、


自分だってことも。