東京に行けば、何かになれると思ってた。
何かって何?
って聞かれたら、
たぶん答えられなかったけど。
*
「ねえ、この子うちらと同い年だよ」
菜々がスマホを私の顔の前に出した。
「誰?」
「この子。この前TikTokで流れてきた子」
画面の中では、知らない女の子が大きな花束を抱えて笑っていた。
背景には東京の夜景。
テーブルの上には、名前は知らないけど高そうなシャンパン。
隣にはブランド物っぽいバッグ。
画面の端には、
19歳になりました♡
みんな本当にありがとう🥹🩷
って書いてある。
「フォロワー何人?」
「28万」
「やば」
「しかも18から東京住んでるらしいよ」
「へえ」
そう言いながら、私はその子のプロフィールを開いた。
フォロワー、28.4万人。
Instagramも見た。
表参道。
渋谷。
ホテル。
旅行。
ブランドバッグ。
美容。
撮影。
また旅行。
スクロールしても、私たちが今いるような場所は一枚も出てこなかった。
私たちは神奈川県の西の方にある、いつものファミレスにいた。
高校から自転車で10分。
中学のころから何回来たか分からない。
ドリンクバー。
ポテト。
菜々。
窓の外には、暗い国道。
いつもの景色。
「東京住んでるだけじゃん」
私はスマホを菜々に返した。
「出た。美月のそれ」
「なに」
「自分も東京行ったらこうなれると思ってるやつ」
「いや、なれるでしょ」
「はいはい」
菜々が笑った。
「美月かわいいもんねー」
「そういうことじゃないし」
「じゃあ何?」
「……なんかさ」
言いかけて、やめた。
上手く説明できなかった。
私は別に、自分の人生が嫌いだったわけじゃない。
友達もいる。
家族とも、まあ普通。
高校生活も楽しかった。
彼氏もいる。
地元ではたまに、
「あ、美月ちゃんじゃん」
って知らない子から言われることもあった。
TikTokのフォロワーは1,842人。
多くはない。
でも普通の高校生なら、ちょっと多い方だと思う。
文化祭で友達と撮った動画が一回だけ伸びて、17万再生されたことがある。
そのときは学校で、
「TikTokerじゃん」
って散々いじられた。
嬉しかった。
たぶん、思ってたよりずっと。
知らない人から、
「かわいい」
ってコメントが来ること。
フォロワーの数字が増えること。
朝起きたら通知がいっぱい来ていること。
でも数日したら、何もなくなった。
次に投稿した動画は2,000再生。
その次は800。
また普通の高校生に戻った。
私はそれが、ちょっとだけ寂しかった。
「美月、東京行ったら何すんの?」
菜々が聞いた。
「美容系」
「ざっくりすぎ」
「まだいいじゃん。18だよ?」
「で、インフルエンサーになるんでしょ?」
「ならないし」
「絶対なりたいじゃん」
「なれたらなる」
「それ、なりたい人の答えだから」
二人で笑った。
テーブルの上のスマホが震えた。
陸
《終わった。迎え行く》
「彼氏?」
「うん」
「いいなー。卒業しても続くんでしょ?」
私はすぐに返事をしなかった。
菜々が私を見る。
「なにその顔」
「いや」
「別れるの?」
「……分かんない」
「え、なんで?」
「だって私、東京行くじゃん」
「東京って外国じゃないんだけど」
「そうだけど」
「陸、めっちゃ美月のこと好きじゃん」
「知ってる」
「じゃあいいじゃん」
「うん」
本当に、そうだった。
陸には何も問題がなかった。
*
高校一年の夏から付き合っていた。
最初に告白してきたのは陸だった。
私は一回断った。
別に嫌いじゃなかったけど、
そのとき他に気になってる人がいたから。
それでも陸は普通に話しかけてきた。
しつこくもなく、
拗ねるわけでもなく。
気づいたら毎日LINEしていた。
二回目に告白されたとき、
「じゃあ付き合ってみる?」
って私から言った。
陸は今でも、
「俺が告ったのに、なんでお前が上からなんだよ」
って言う。
付き合って二年半。
すっぴんも見られた。
寝起きも見られた。
人生で一番太っていた時期も知ってる。
お母さんと大喧嘩して泣いているところも見られた。
陸の前では、盛れている写真を選ばなくてよかった。
それが普通だった。
「お待たせ」
ファミレスを出ると、駐車場に陸がいた。
「菜々も送る?」
「私はチャリだから大丈夫」
「寒くね?」
「近いから余裕」
「じゃーね、美月。また明日」
「うん」
菜々が自転車で走っていく。
陸の車に乗った。
正確には、陸のお兄ちゃんのお下がりの軽自動車。
助手席の足元にはコンビニの袋。
後部座席には仕事で使うらしい作業着。
全然おしゃれじゃない。
でも私は、この車が好きだった。
「腹減った」
陸が言った。
「さっき食べてきた」
「俺が」
「知らないよ」
「コンビニ寄って」
「自分で寄れば?」
「冷た」
笑った。
こういう時間が、あと何回あるんだろう。
卒業まで、あと二週間。
「陸さ」
「ん?」
「卒業したらどうすんの?」
「仕事」
「それは知ってる」
「金貯めて車買う」
「何買うの?」
「まだ決めてない」
「その次は?」
「次?」
「そのあと」
「知らねえよ」
「結婚とか」
陸がこっちを見る。
「急に何?」
「例えば」
「まあ、いつかするんじゃね」
「誰と?」
「お前じゃねえの?」
笑いながら言った。
冗談みたいな言い方だった。
でも、なぜか胸が苦しくなった。
この人と結婚する。
この辺に住む。
子供ができる。
近くのスーパーで買い物する。
たまに東京に遊びに行く。
夏は地元の友達とBBQ。
年末はみんなで飲む。
別に悪くない。
むしろ幸せなんだと思う。
でも。
それで私の人生、
全部決まっちゃうの?
「何?」
陸が言った。
「なんでもない」
「なんか今日変じゃね?」
「普通だし」
「東京行くの不安?」
「別に」
「無理だったら帰ってくればいいじゃん」
またそれ。
お母さんも同じことを言う。
帰ってくればいい。
いつでも戻ってくればいい。
どうしてみんな、
私が戻ってくると思ってるんだろう。
「私、帰ってこないよ」
「え?」
「東京行ったら、帰ってこない」
「正月くらい帰ってこいよ」
「そういう意味じゃなくて」
「じゃあどういう意味?」
「……分かんない」
陸はそれ以上聞かなかった。
車はいつもの道を走っていた。
何百回も通った道。
コンビニ。
ガソリンスタンド。
ファミレス。
ドラッグストア。
私は窓の外を見ながら思った。
全部知ってる。
だから、つまらないのかな。
*
その夜。
ベッドに入ってからTikTokを開いた。
さっき菜々に見せてもらった女の子が出てきた。
MIYASHITA PARK。
大きな鏡。
綺麗な服。
知らない女の子たち。
東京の夜。
コメント欄。
《人生勝ち組すぎる》
《こういう生活したい》
《東京行きたい😭》
《かわいすぎ》
《憧れ》
私はプロフィールを開いた。
28.4万人。
自分のプロフィールに戻る。
1,842人。
数字を見比べた。
別にフォロワーが多いから偉いわけじゃない。
そんなの分かってる。
スマホを閉じた。
三秒後。
また開いた。
「東京 一人暮らし」
検索。
「18歳 東京」
検索。
「インフルエンサー 東京」
検索。
気づいたら深夜二時を過ぎていた。
*
卒業式の日。
校門の前で何百枚も写真を撮った。
菜々と泣いた。
クラスのみんなとも撮った。
先生とも撮った。
陸とも撮った。
菜々が言った。
「美月、東京行っても調子乗んなよ」
「乗らないし」
「有名になってもうちら無視すんなよ」
「なるわけないじゃん」
「絶対ね」
「当たり前じゃん」
四人のグループLINEに写真が大量に送られてきた。
《卒業しても一生友達ね!!》
私も送った。
《当たり前😭🩷》
本気だった。
このときは。
*
陸とは、その三日後に別れた。
海沿いに車を停めた。
「別れたい」
私が言った。
陸は驚かなかった。
しばらく黙って海を見ていた。
「東京行くから?」
「……うん」
「遠距離無理ってこと?」
「それだけじゃない」
「好きな奴できた?」
「いない」
「じゃあ何」
私は答えられなかった。
陸が嫌いになったわけじゃない。
むしろ好きだった。
でも、それが怖かった。
好きなまま東京へ行ったら、
私はたぶん毎週帰ってくる。
東京で嫌なことがあったら陸に電話する。
寂しくなったら地元に戻る。
それじゃ何も変わらない気がした。
「私、一回全部変えたい」
「全部?」
「うん」
「俺も?」
その言葉だけ、痛かった。
「……ごめん」
陸はしばらく黙っていた。
「美月」
「ん?」
「東京行ったらさ」
「うん」
「変な奴についてくなよ」
「子供じゃないし」
「お前、意外とバカだから」
「うざ」
「あと金貸すな」
「貸さない」
「知らない男の車乗るな」
「お父さん?」
「薬とかやんなよ」
「やるわけないじゃん」
二人で笑った。
本当に笑った。
あまりに私たちらしい別れ方で、
泣くタイミングを逃した。
車を降りる前。
陸が言った。
「まあ、でも」
「なに?」
「東京行っても、お前はお前だろ」
私は笑った。
「当たり前じゃん」
*
上京の日。
お母さんは駅まで来た。
スーツケースは一個。
段ボールは先に送ってある。
「ちゃんと食べなよ」
「分かってる」
「知らない人についてかない」
「陸にも言われた」
「何かあったら電話して」
「うん」
「あと」
「なに?」
「ダメだったら帰ってくればいいんだから」
また、それ。
私は笑った。
「ダメになる前提で言わないでよ」
お母さんも笑った。
「そうじゃないよ」
電車が来る。
扉が開く。
乗り込む直前、
お母さんが言った。
「帰ってくる場所があるってこと」
「はいはい」
私は電車に乗った。
窓の向こうで、
お母さんが小さく手を振っている。
私も振った。
電車が動き出した。
地元の駅が遠ざかっていく。
寂しい。
でも、それ以上に。
楽しみだった。
怖いくらいに。
*
荷物を部屋に置いたあと、
私は渋谷へ行った。
別に用事なんてなかった。
ただ、行きたかった。
ハチ公前。
スクランブル交差点。
巨大なビジョン。
外国人。
信号が青になる。
何百人もの人が、
一斉に交差点へ流れ込んでいく。
私もその中へ入った。
何度も遊びに来たことはある。
でも今日は違った。
もう帰らなくていい。
終電を調べなくていい。
私は今日から、
東京に住んでいる。
それだけで景色が違って見えた。
センター街を歩いた。
知らない人ばかり。
誰も私を知らない。
地元では、
駅に行けば誰かに会った。
「あ、美月じゃん」
って言われた。
ここでは誰も振り返らない。
少しだけ寂しかった。
でも同時に思った。
ここなら、
今までの私を知っている人はいない。
だったら。
好きな自分になれる。
*
そのまま原宿方面へ歩いた。
MIYASHITA PARK。
TikTokで何度も見た場所。
同い年くらいの女の子たちが写真を撮っていた。
可愛い。
細い。
服も可愛い。
知らない男の子がカメラを向けて、
何かの動画を撮っている。
「あの子TikTokで見たことある」
誰かが言った。
私は反射的にそっちを見た。
フォロワー何人なんだろう。
そんなことを考えてから、
自分で少し笑った。
まだ東京に来て数時間なのに。
*
夜。
新しい部屋。
まだ家具もほとんどない。
床に座って、
コンビニで買ったおにぎりを食べた。
窓を開けても、
東京タワーなんて見えない。
向かいのマンションしか見えない。
さっき撮った写真を開く。
スクランブル交差点。
MIYASHITA PARK。
自撮り。
47枚。
一番盛れている一枚を選ぶ。
明るさを上げる。
肌を少し綺麗にする。
顔をほんの少しだけ小さくする。
Instagramを開いた。
ストーリー。
文字を打つ。
TOKYO LIFE START 🗼♡
少し考えて、もう一行。
絶対人生変える。
投稿。
数秒後。
閲覧者が増え始める。
菜々。
高校の友達。
知らない人。
そして。
riku_sano
陸が見た。
それだけ確認して、
私はスマホを伏せた。
東京に行けば、
何かになれると思ってた。
あの夜の私は、
まだ知らなかった。
半年後。
スクランブル交差点を歩く私を、
知らない女の子が振り返るようになることも。
ずっと画面の中で見ていた人たちと、
朝まで遊ぶようになることも。
この街で、
欲しかったものを全部手に入れることも。
そして。
東京で最初に失うのが、
自分だってことも。
何かって何?
って聞かれたら、
たぶん答えられなかったけど。
*
「ねえ、この子うちらと同い年だよ」
菜々がスマホを私の顔の前に出した。
「誰?」
「この子。この前TikTokで流れてきた子」
画面の中では、知らない女の子が大きな花束を抱えて笑っていた。
背景には東京の夜景。
テーブルの上には、名前は知らないけど高そうなシャンパン。
隣にはブランド物っぽいバッグ。
画面の端には、
19歳になりました♡
みんな本当にありがとう🥹🩷
って書いてある。
「フォロワー何人?」
「28万」
「やば」
「しかも18から東京住んでるらしいよ」
「へえ」
そう言いながら、私はその子のプロフィールを開いた。
フォロワー、28.4万人。
Instagramも見た。
表参道。
渋谷。
ホテル。
旅行。
ブランドバッグ。
美容。
撮影。
また旅行。
スクロールしても、私たちが今いるような場所は一枚も出てこなかった。
私たちは神奈川県の西の方にある、いつものファミレスにいた。
高校から自転車で10分。
中学のころから何回来たか分からない。
ドリンクバー。
ポテト。
菜々。
窓の外には、暗い国道。
いつもの景色。
「東京住んでるだけじゃん」
私はスマホを菜々に返した。
「出た。美月のそれ」
「なに」
「自分も東京行ったらこうなれると思ってるやつ」
「いや、なれるでしょ」
「はいはい」
菜々が笑った。
「美月かわいいもんねー」
「そういうことじゃないし」
「じゃあ何?」
「……なんかさ」
言いかけて、やめた。
上手く説明できなかった。
私は別に、自分の人生が嫌いだったわけじゃない。
友達もいる。
家族とも、まあ普通。
高校生活も楽しかった。
彼氏もいる。
地元ではたまに、
「あ、美月ちゃんじゃん」
って知らない子から言われることもあった。
TikTokのフォロワーは1,842人。
多くはない。
でも普通の高校生なら、ちょっと多い方だと思う。
文化祭で友達と撮った動画が一回だけ伸びて、17万再生されたことがある。
そのときは学校で、
「TikTokerじゃん」
って散々いじられた。
嬉しかった。
たぶん、思ってたよりずっと。
知らない人から、
「かわいい」
ってコメントが来ること。
フォロワーの数字が増えること。
朝起きたら通知がいっぱい来ていること。
でも数日したら、何もなくなった。
次に投稿した動画は2,000再生。
その次は800。
また普通の高校生に戻った。
私はそれが、ちょっとだけ寂しかった。
「美月、東京行ったら何すんの?」
菜々が聞いた。
「美容系」
「ざっくりすぎ」
「まだいいじゃん。18だよ?」
「で、インフルエンサーになるんでしょ?」
「ならないし」
「絶対なりたいじゃん」
「なれたらなる」
「それ、なりたい人の答えだから」
二人で笑った。
テーブルの上のスマホが震えた。
陸
《終わった。迎え行く》
「彼氏?」
「うん」
「いいなー。卒業しても続くんでしょ?」
私はすぐに返事をしなかった。
菜々が私を見る。
「なにその顔」
「いや」
「別れるの?」
「……分かんない」
「え、なんで?」
「だって私、東京行くじゃん」
「東京って外国じゃないんだけど」
「そうだけど」
「陸、めっちゃ美月のこと好きじゃん」
「知ってる」
「じゃあいいじゃん」
「うん」
本当に、そうだった。
陸には何も問題がなかった。
*
高校一年の夏から付き合っていた。
最初に告白してきたのは陸だった。
私は一回断った。
別に嫌いじゃなかったけど、
そのとき他に気になってる人がいたから。
それでも陸は普通に話しかけてきた。
しつこくもなく、
拗ねるわけでもなく。
気づいたら毎日LINEしていた。
二回目に告白されたとき、
「じゃあ付き合ってみる?」
って私から言った。
陸は今でも、
「俺が告ったのに、なんでお前が上からなんだよ」
って言う。
付き合って二年半。
すっぴんも見られた。
寝起きも見られた。
人生で一番太っていた時期も知ってる。
お母さんと大喧嘩して泣いているところも見られた。
陸の前では、盛れている写真を選ばなくてよかった。
それが普通だった。
「お待たせ」
ファミレスを出ると、駐車場に陸がいた。
「菜々も送る?」
「私はチャリだから大丈夫」
「寒くね?」
「近いから余裕」
「じゃーね、美月。また明日」
「うん」
菜々が自転車で走っていく。
陸の車に乗った。
正確には、陸のお兄ちゃんのお下がりの軽自動車。
助手席の足元にはコンビニの袋。
後部座席には仕事で使うらしい作業着。
全然おしゃれじゃない。
でも私は、この車が好きだった。
「腹減った」
陸が言った。
「さっき食べてきた」
「俺が」
「知らないよ」
「コンビニ寄って」
「自分で寄れば?」
「冷た」
笑った。
こういう時間が、あと何回あるんだろう。
卒業まで、あと二週間。
「陸さ」
「ん?」
「卒業したらどうすんの?」
「仕事」
「それは知ってる」
「金貯めて車買う」
「何買うの?」
「まだ決めてない」
「その次は?」
「次?」
「そのあと」
「知らねえよ」
「結婚とか」
陸がこっちを見る。
「急に何?」
「例えば」
「まあ、いつかするんじゃね」
「誰と?」
「お前じゃねえの?」
笑いながら言った。
冗談みたいな言い方だった。
でも、なぜか胸が苦しくなった。
この人と結婚する。
この辺に住む。
子供ができる。
近くのスーパーで買い物する。
たまに東京に遊びに行く。
夏は地元の友達とBBQ。
年末はみんなで飲む。
別に悪くない。
むしろ幸せなんだと思う。
でも。
それで私の人生、
全部決まっちゃうの?
「何?」
陸が言った。
「なんでもない」
「なんか今日変じゃね?」
「普通だし」
「東京行くの不安?」
「別に」
「無理だったら帰ってくればいいじゃん」
またそれ。
お母さんも同じことを言う。
帰ってくればいい。
いつでも戻ってくればいい。
どうしてみんな、
私が戻ってくると思ってるんだろう。
「私、帰ってこないよ」
「え?」
「東京行ったら、帰ってこない」
「正月くらい帰ってこいよ」
「そういう意味じゃなくて」
「じゃあどういう意味?」
「……分かんない」
陸はそれ以上聞かなかった。
車はいつもの道を走っていた。
何百回も通った道。
コンビニ。
ガソリンスタンド。
ファミレス。
ドラッグストア。
私は窓の外を見ながら思った。
全部知ってる。
だから、つまらないのかな。
*
その夜。
ベッドに入ってからTikTokを開いた。
さっき菜々に見せてもらった女の子が出てきた。
MIYASHITA PARK。
大きな鏡。
綺麗な服。
知らない女の子たち。
東京の夜。
コメント欄。
《人生勝ち組すぎる》
《こういう生活したい》
《東京行きたい😭》
《かわいすぎ》
《憧れ》
私はプロフィールを開いた。
28.4万人。
自分のプロフィールに戻る。
1,842人。
数字を見比べた。
別にフォロワーが多いから偉いわけじゃない。
そんなの分かってる。
スマホを閉じた。
三秒後。
また開いた。
「東京 一人暮らし」
検索。
「18歳 東京」
検索。
「インフルエンサー 東京」
検索。
気づいたら深夜二時を過ぎていた。
*
卒業式の日。
校門の前で何百枚も写真を撮った。
菜々と泣いた。
クラスのみんなとも撮った。
先生とも撮った。
陸とも撮った。
菜々が言った。
「美月、東京行っても調子乗んなよ」
「乗らないし」
「有名になってもうちら無視すんなよ」
「なるわけないじゃん」
「絶対ね」
「当たり前じゃん」
四人のグループLINEに写真が大量に送られてきた。
《卒業しても一生友達ね!!》
私も送った。
《当たり前😭🩷》
本気だった。
このときは。
*
陸とは、その三日後に別れた。
海沿いに車を停めた。
「別れたい」
私が言った。
陸は驚かなかった。
しばらく黙って海を見ていた。
「東京行くから?」
「……うん」
「遠距離無理ってこと?」
「それだけじゃない」
「好きな奴できた?」
「いない」
「じゃあ何」
私は答えられなかった。
陸が嫌いになったわけじゃない。
むしろ好きだった。
でも、それが怖かった。
好きなまま東京へ行ったら、
私はたぶん毎週帰ってくる。
東京で嫌なことがあったら陸に電話する。
寂しくなったら地元に戻る。
それじゃ何も変わらない気がした。
「私、一回全部変えたい」
「全部?」
「うん」
「俺も?」
その言葉だけ、痛かった。
「……ごめん」
陸はしばらく黙っていた。
「美月」
「ん?」
「東京行ったらさ」
「うん」
「変な奴についてくなよ」
「子供じゃないし」
「お前、意外とバカだから」
「うざ」
「あと金貸すな」
「貸さない」
「知らない男の車乗るな」
「お父さん?」
「薬とかやんなよ」
「やるわけないじゃん」
二人で笑った。
本当に笑った。
あまりに私たちらしい別れ方で、
泣くタイミングを逃した。
車を降りる前。
陸が言った。
「まあ、でも」
「なに?」
「東京行っても、お前はお前だろ」
私は笑った。
「当たり前じゃん」
*
上京の日。
お母さんは駅まで来た。
スーツケースは一個。
段ボールは先に送ってある。
「ちゃんと食べなよ」
「分かってる」
「知らない人についてかない」
「陸にも言われた」
「何かあったら電話して」
「うん」
「あと」
「なに?」
「ダメだったら帰ってくればいいんだから」
また、それ。
私は笑った。
「ダメになる前提で言わないでよ」
お母さんも笑った。
「そうじゃないよ」
電車が来る。
扉が開く。
乗り込む直前、
お母さんが言った。
「帰ってくる場所があるってこと」
「はいはい」
私は電車に乗った。
窓の向こうで、
お母さんが小さく手を振っている。
私も振った。
電車が動き出した。
地元の駅が遠ざかっていく。
寂しい。
でも、それ以上に。
楽しみだった。
怖いくらいに。
*
荷物を部屋に置いたあと、
私は渋谷へ行った。
別に用事なんてなかった。
ただ、行きたかった。
ハチ公前。
スクランブル交差点。
巨大なビジョン。
外国人。
信号が青になる。
何百人もの人が、
一斉に交差点へ流れ込んでいく。
私もその中へ入った。
何度も遊びに来たことはある。
でも今日は違った。
もう帰らなくていい。
終電を調べなくていい。
私は今日から、
東京に住んでいる。
それだけで景色が違って見えた。
センター街を歩いた。
知らない人ばかり。
誰も私を知らない。
地元では、
駅に行けば誰かに会った。
「あ、美月じゃん」
って言われた。
ここでは誰も振り返らない。
少しだけ寂しかった。
でも同時に思った。
ここなら、
今までの私を知っている人はいない。
だったら。
好きな自分になれる。
*
そのまま原宿方面へ歩いた。
MIYASHITA PARK。
TikTokで何度も見た場所。
同い年くらいの女の子たちが写真を撮っていた。
可愛い。
細い。
服も可愛い。
知らない男の子がカメラを向けて、
何かの動画を撮っている。
「あの子TikTokで見たことある」
誰かが言った。
私は反射的にそっちを見た。
フォロワー何人なんだろう。
そんなことを考えてから、
自分で少し笑った。
まだ東京に来て数時間なのに。
*
夜。
新しい部屋。
まだ家具もほとんどない。
床に座って、
コンビニで買ったおにぎりを食べた。
窓を開けても、
東京タワーなんて見えない。
向かいのマンションしか見えない。
さっき撮った写真を開く。
スクランブル交差点。
MIYASHITA PARK。
自撮り。
47枚。
一番盛れている一枚を選ぶ。
明るさを上げる。
肌を少し綺麗にする。
顔をほんの少しだけ小さくする。
Instagramを開いた。
ストーリー。
文字を打つ。
TOKYO LIFE START 🗼♡
少し考えて、もう一行。
絶対人生変える。
投稿。
数秒後。
閲覧者が増え始める。
菜々。
高校の友達。
知らない人。
そして。
riku_sano
陸が見た。
それだけ確認して、
私はスマホを伏せた。
東京に行けば、
何かになれると思ってた。
あの夜の私は、
まだ知らなかった。
半年後。
スクランブル交差点を歩く私を、
知らない女の子が振り返るようになることも。
ずっと画面の中で見ていた人たちと、
朝まで遊ぶようになることも。
この街で、
欲しかったものを全部手に入れることも。
そして。
東京で最初に失うのが、
自分だってことも。
