いまさら家に男が一人増えたところで構いません!

決着がついてからしばらくして

千鶴の瞼がゆっくりと開いた

「ん……」

「気がついた?」

千鶴がぼんやりと私を見る

「あなた……」

そして自分が置かれている状況に気づいたらしい

目を見開いた

私は千鶴を畳の部屋まで運んで

今は私の膝を枕にして寝かせている

「動かないで」
「頭は打ってないと思うけど」
「無理しちゃ駄目だよ」

「でも……」

「いいから」

千鶴はしばらく私を見つめたあと

大人しく目を閉じた

私は千鶴の乱れた長い髪を手で撫でて整える

「千鶴」

「はい……」

「伊織くんのこと」
「大好きなんだね」

ぱっ

千鶴の目が開いた

ものすごく動揺した目で私を見る

「なっ……」
「なんで……」

「そりゃ分かるよ」
「あれだけ叫ばれたらね」

千鶴の顔が少し赤くなる

「それに」

私は庭を見る

「なにか事情があるんだろうなってのも」
「なんとなく伝わったよ」

千鶴は何も言わない

「でもさ」

私は少し考えた

「傍にいてもいいかって」
「伊織くんに聞いちゃえば?」

千鶴の目がさらに大きくなる

「そんなことは……」
「許されないことです」

「ん~」

私は首を傾げた

「そうなのかなぁ」

「そうです」
「私は九条家に仕える使用人ですから」

「ふーん」

しばらく考える

そして一つ思いついた

「あ! じゃあさ!」
「千鶴もお父さんの弟子になっちゃいなよ!」

「え!?」

千鶴が私の膝の上で固まった

「そうすれば」
「弟子だから居候になって」
「伊織くんの傍にいられるじゃん」

次の瞬間

がばっ!

千鶴が起き上がった

「ちょっと!」
「急に起きちゃだめだよ!」

「そんな恐れ多いこと」
「できません」
「それに……」

千鶴が私へ向き直る

「私は」
「この屋敷の使用人です」

「ふ~ん」
「じゃ」
「好きにすれば?」

私は額を押さえながら立ち上がった

まだ痛い

絶対腫れてる

「どうせ」
「お父さんと戦って認められないと」
「弟子にはしてもらえないし」

私は千鶴を見てニヤリと笑う

「同じことかもね」

千鶴の眉が動いた

「それは」
「私では力不足だと?」

お

食いついた

「さあね~」
「どう思う?」

「私が……」

千鶴が何かを考え始めた

その時

遠くから車輪の転がる音が聞こえてきた

ごろごろ

「美緒さん」

声の方へ振り向く

大きなスーツケースを引きながら

伊織くんがこちらへ歩いてきていた

「お待たせ」
「荷物が思ったより多く――」

言葉が止まった

伊織くんの目が

大きく見開かれる

「美緒さん?」

「ん?」

伊織くんの視線が

私の額から頬

腕へと下がっていく

最後に汚れた服を見た

あ

そうだった

額には石をぶつけられた傷

腕にも痣

服も乱れて汚れている

伊織くんの顔色が変わった

「なにがあったの!?」

「え~っと」

伊織くんが千鶴を見る

「千鶴!」
「美緒さんに」
「なにかしたのか!?」

千鶴は肩を小さくして俯いた

伊織くんが千鶴へ近づこうとする

私はその前へ出た

「はいはい」

「美緒さん?」

私は伊織くんへ向き直る

「女の子同士」
「親交を深めてたのよ」

「親交?」

「そう」

私は笑った

「私たち友達になったんだから」

伊織くんの眉がぴくりと動く

「友達?」

私は振り返った

「ね」
「千鶴!」

千鶴が一瞬だけ戸惑った

そして小さく頷いた

「うん……」

私を見る

「美緒」

お

ちゃんと呼んだ

か~わいい~

伊織くんはますます分からないという顔になる

「じゃあ」
「なんで怪我してるの?」

「転んだだけよ」

「そんなに?」

「転んだの!」

「そんなわけないだろ?」

伊織くんが千鶴を見る

声と目線が冷たいものに変わった

「本当のことを――」

私は自分の口元へ

人差し指を立てて伊織くんに見せる

「しーっ」

伊織くんの言葉が止まる

「女の子同士の話を」
「無理やり聞き出そうなんて」

私はにやりと笑った

「伊織くんって」
「エッチだね」

「え!?」

伊織くんが目を見開いた

そして何かに気付いたように目を細める

「今……」

「ん?」

「伊織って……」

「あ」

そういえばそうだった……

私は誤魔化すように大きく伸びをした

「さて!」
「帰るよ~」
「うちには飢えた男たちが沢山いるんだから」
「お昼ご飯食べさせないと暴れ出すわ~」

「ちょっと」
「美緒さん!」

私はそのまま歩き出した

伊織くんが呆気に取られながらも

私を追おうとする

その時

後ろから小さな声が聞こえた

「伊織ちゃん」

伊織くんの足が止まった

私も止まる

伊織くんがゆっくりと振り返った

「え?」

千鶴が立っている

両手を胸の前でぎゅっと握っていた

「私が……」

声が震える

「私が伊織ちゃんの傍にいたいって言ったら」

千鶴は伊織くんを真っ直ぐに見た

「迷惑かな?」

伊織くんが目を見開いた

しばらく千鶴を見つめた

そして

小さく笑って言った

「そんなわけないだろ」
「……千鶴ちゃん」

千鶴の目が大きくなる

伊織くんはそれ以上なにも言わず

私を追いかけてきた

「美緒さん待って」

その背中を千鶴はじっと見つめていた

胸の前で握りしめた手に

千鶴の涙が零れ落ちた

「そんなこと……」
「なかったんだ……」

私と伊織くんは

そのまま九条家をあとにした

帰り道

伊織くんは何度も

私の額の傷を気にしていたけれど

「転んだだけ」で押し通した

私はこういう時の対応に慣れている

私が少しでも元気がないと

お父さんと湊は特にしつこく聞いてくる

生理が少し重い時なんかはうざいことこの上ないが

役に立つときもあるらしい

家に戻ると

いつもの一日が始まった

「腹減ったー!」

「姉ちゃん昼飯!」

「僕もー!」

「はいはい!」
「分かったから!」

九条家での騒動なんてまるで関係ない

高梨家はいつも通りだった

そしてその日の夜

私は伊織くんと一緒に晩ご飯の支度をしていた

「伊織くん」
「そっちお願い」

「これ?」

「そう」
「玉ねぎの皮をむいてよ」
「やりかたは――」

「分かった」

伊織くんは手際よく玉ねぎの根元を切って

皮をむき始めた

「玉ねぎの皮の剥き方」
「知ってたんだ」

「知らなかった」
「手伝えそうなことを本で調べたんだ」

「そうなんだ……」

「美緒さんの助けになりたくて」

私は小さく笑った

伊織くんはうちの男どもとは

ちょっとだけ違うかも……

「ありがとう」

その時玄関から聞き慣れた大声が響いた

「ただいまー!」

「おかえりー!」

私はそのまま返事を返して鍋をかき混ぜる

すると

どたどたと父がリビングへ入ってきた

「美緒!」

「なに?」

振り返る

「あれ?」
「お父さん?」

父の頬

私と同じ場所に赤い傷ができていた

「その顔」
「どうしたの?」

父はものすごく嬉しそうに笑った

「今日から!」

嫌な予感がした

父が後ろを振り返った

「俺の弟子になった」
「千鶴だ!」

「え!?」

「よろしくお願いします」

そこにはにこやかな笑顔で

荷物を持った千鶴が立っていた

「そして!」

父が豪快に笑う

「こいつも」
「今日からここに住むぞ!」

「はああああ!?」

私と伊織くんの声が重なった

弟たちが一斉に集まってくる

「誰!?」

「女の子じゃん!」

「めっちゃ美人!」

「一緒に住むの!?」

「マジかよ!?」

一気に騒がしくなる

その中で伊織くんだけが顔色を変えた

「駄目だ!」

全員の動きが止まる

父が首を傾げる

「なにがだ?」

「千鶴は女の子なんだよ!」

伊織くんが千鶴を見る

「こんな」
「男しかいないような家で」
「一緒に暮らすなんて駄目だ!」

千鶴がむっとした顔をする

「美緒も」
「女の子ですよね」

私もすぐ横から追撃した

「私も」
「女の子なんですけど」

「う……」

伊織くんが怯む

でもすぐに言い返した

「美緒さんは」
「姉弟だろ!?」
「全然違うよ!」
「千鶴は危ないだろ!?」

「うちの弟たちは」

私はリビングの弟たちを見る

もう千鶴から興味が移って

ゲームで遊んで騒いでいる

「そういうことに」
「まだ興味ないわよ」

「いや」
「そういう問題じゃ――」

千鶴が伊織くんを見る

穏やかな口調のまま口を開いた

「それでは」
「美緒と一緒に暮らしている」
「伊織ちゃんは危ないということですか?」

「え?」

「女の子ですよね?」
「そのように思うのは」
「伊織ちゃんにこそ何か下心でもおありで?」

「いや!」

伊織くんが慌てる

「僕は危なくないよ!」

千鶴がにっこり笑った

「では」
「問題ありませんね」

「いや」
「それとこれは――」

千鶴はもう伊織くんを見ていなかった

そのまま

私のいるキッチンへ歩いて袖をまくる

「それに」
「自分の身は自分で守れます」
「ご心配には及びません」

父が伊織くんの肩を叩いた

「伊織」
「お前の負けだ」

「師匠まで……」

伊織くんががっくりと肩を落とした

私は千鶴を見ると

ちょうど千鶴もこちらを見ていて目が合った

「やるじゃん!」

千鶴が少しだけ口元を上げた

「美緒の言う通りにしただけです」
「何か手伝いますね」

私は大きく頷いた

「ありがとう!」
「大きな戦力が来たわね!」

じゃがいもを取り出す

「じゃ」
「これ剥いて」
「今日はカレーだから」

「分かりました」

千鶴がじゃがいもを受け取る

私は豚肉をまな板で切っていた

それを見て千鶴が言った

「あの」

「なに?」

「私」
「お肉は」
「あまり得意じゃないんです」

私は笑顔のまま千鶴へ顔を向けた

「千鶴」

「はい」

私はリビングを埋め尽くす男たちへ目配せする

「我が家で」
「好き嫌いが通ると思わないことね」
「一人でも許したら」
「我が家の秩序は崩壊します」

千鶴が初めて青ざめた

「え……」

私は鍋の蓋を開けた

「さあ!」
「九人分作るわよ!」

「毎日よろしくね! 千鶴!」

「はい」
「よろしくおねがいします」

その横で

伊織くんが深いため息をついた

こうして

昨日まで

私以外は男ばかりだった我が家に

今度は

女の子が一人

増えることになった