いまさら家に男が一人増えたところで構いません!

十分後

私たちは父の道場にいた

家から歩いて数分

広いトレーニングジムの奥に

空手や柔道の稽古ができる大きな道場がある

「姉ちゃん!」

「九条も来た!」

稽古中だった弟たちが一斉にこっちを見る

「姉ちゃん、何しに来たの?」

「私が聞きたい……」

「姉ちゃんもたまには稽古しようよ」

「やだ」
「あんた達すぐムキになるんだもん」

父は道場の中央へ進んだ

「伊織だったな」
「来い!」

「はい」

いつの間に名前で呼んでるのよ

父は九条くんに道着を投げた

「着替えろ」

「空手ですか?」

「経験は?」

「空手ではありませんが」
「護身術として日本古武術を習っています」

父の表情が変わった

「ほお」
「どれくらいだ?」

「小さい頃からです」

父が嬉しそうに笑う

嫌な予感しかしない

「お父さん」
「絶対に本気でやらないでよ!」

「分かってる」

その返事が一番信用できない

少しして道着に着替えた九条くんが戻ってきた

白い道着が妙に似合っている

色白だとは思ってたけど

胸元まで白くて

なんか……色っぽい

って

なんて目で見てるのよ私!

父と九条くんが向かい合う

体格差はかなりある

「ルールは簡単だ」

父が構える

「俺に一発入れてみろ」
「それだけだ」

九条くんも静かに構えた

さっきまでとは雰囲気が違う

構えは自然で余計な力が入っていない

「あれ?」
「九条くんって……相当やる?」

「始め!」

父が一気に踏み込んだ

右の拳が九条くんの顔へ伸びる

その瞬間

九条くんの体がするりと横へずれた

父の突きを紙一重でかわし

伸びた右腕の外側へ回り込む

そのまま一気に懐へ入った

ドンッ!

九条くんの左拳が

父の脇腹へ深く突き刺さる

「おお!」

「九条やった!」

「つえええ!」

弟たちが騒ぐ

私も思わず目を見開いた

「九条くん」
「強いんじゃん!」

父は脇腹へ手を当てた

そして笑った

嫌な笑いだった

「なるほどな」

「お父さん?」

父が構え直す

さっきとは明らかに空気が違う

「伊織」

「はい」

「今の結構効いたぞ」

「謝罪なら受け入れますよ」

「そういうな」
「もう少し遊んでいけ」

あ……

お父さんの悪い癖が……

父の笑みがさらに深くなる

「久しぶりに」
「面白えのが来た!」

「ちょっと!」
「お父さん!?」

九条くんも父の変化に気づいたらしい

腰を深く落として備えた

父が踏み込んで右の突きを放つ

九条くんが上体を逸らしてかわす

そこへ間髪入れず

父の前蹴りが腹へ飛んだ

九条くんは後ろへ跳んで

ぎりぎりでそれも避けた

「すげえ!」
「九条すげえええ!」

弟たちが大喜びする

「逃げてばかりじゃ様にならんだろ」

父が挑発的に笑う

それを見て九条くんが再び懐へ入った

九条くんの掌底が父の顎へ伸びる

バンッ!!

まともに入った

父の顔がわずかに跳ね上がる

「入った!」

弟たちが声を上げる

でも父は顔を戻すと

そのまま九条くんの手首をつかんだ

「あ」

父が体を入れ替え

九条くんの腕を引き込む

次の瞬間

九条くんの体が宙を舞った

「ちょっと!」
「お父さん!」
「投げちゃだめでしょ!」

ドンッ!

道場中に大きな音が響く

九条くんが畳へ叩きつけられた

体が一度跳ねる

そして動かなくなった

「九条くん?」

返事がない

「九条くん!」

私は慌てて駆け寄った

九条くんは目を閉じている

「ちょっと!」
「気を失ってるじゃない!」

父も横へしゃがみ込んだ

「おい」
「伊織!」

返事はない

父が頭をかく

「やべえ」

「やべえじゃない!」
「何してんのよ!」

「いや」
「思ったより強くてな」
「つい」

「ついで気絶させないで!」
「九条くんを誰だと思ってるの!?」
「怪我なんかさせたら大変なことになるよ!」

弟たちまで父を見る

「父ちゃんやりすぎ」

「九条死んだ?」

「死んでないから!」

「たぶんな」

「たぶんって言わないで!」

私は倒れている九条くんのすぐそばにしゃがむ

呼吸を確認する

「呼吸はある」

その直後

九条くんが目を開けた

「九条くん!」

九条くんはぼんやり天井を見たあと

「……僕、負けました?」

父が大きな声を上げた

「伊織!」
「腰抜けと言って悪かった!」
「お前はたいした男だ!」

九条くんがゆっくり体を起こそうとする

「動くな」

父が九条くんの肩を押さえた

「病院行くぞ」

「え?」

「一回でも意識が飛んだんだ」
「念のため診てもらう」

「でも」

「でもじゃねえ」

父は九条くんをひょいと抱き上げた

完全にお姫様抱っこだ

九条くんの顔立ちにサラっとした髪

……お姫様みたい……

「俺がやったんだ」
「俺が連れてく」

こういうところだけはちゃんとしている

と一瞬思ったが

やったのはこいつだったと思い直した

「美緒」
「お前達は先に帰れ」
「晩飯を頼む」
「今日は多めにな」

「う、うん」
「分かった」

私は九条くんを見る

「九条くん」
「本当に大丈夫?」

「平気だよ」
「心配してくれてありがとう」

九条くんはまだ少しぼんやりした顔で笑った

やっぱり……お姫様みたい

でも言うのはやめとこう

たぶん九条くん嫌がりそうだし

「それに」
「腰抜けじゃないって認めてもらえたからね」

「九条くんって意外と男の子だよね」

「意外ってところが気になるかな」

父が豪快に笑った

「はっはっは!」
「お前は大した男だ!」

その日の夜

私は台所で晩ご飯の支度に追われていた

鍋にはお味噌汁

フライパンでは豚と玉ねぎの生姜焼き

二つ並んだ炊飯器からは大量のご飯

いつもの光景だ

「湊!」
「お皿出して!」

「今無理!」
「ボス戦!」

「陸!」

「俺も一緒に戦ってる!」

「悠真!」

「ちょっと待って!」
「今いいところ!」

リビングからゲームの音と

弟たちの声が響いてくる

「もう!」
「誰か一人くらい手伝いなさいよ!」

返事がない

昼間と同じだ

本当にうちの男どもは……

私はため息をつきながら

冷蔵庫を開けてキャベツを取った

その時

外から聞き慣れた低い音が近づいてきた

ドドドドドド

「あ」
「帰ってきた」

バイクのエンジン音が止まる

少しして玄関が開いた

「ただいまー!」

父の大きな声

私はキャベツをキッチン台に置いてから

フライパンを取って振りながら答えた

「おかえりー!」
「九条くん大丈夫だった!?」

「ああ!」
「問題なし!」

「よかったー」

ようやく安心した

これで一件落着ね

そう思って料理を続ける

すると

「何か手伝うことはない?」

すぐ横から声がした

「え?」

私が振り向くと

そこには九条くんがいた

「なんでいるの!?」

しかも

すでに手を洗い

昼間使ったスライサーを手にしている

「キャベツ」
「切ろうか?」

「いやいやいや!」
「そうじゃなくて!」
「なんで帰ってきてるの!?」

九条くんは嬉しそうな笑顔で私を見る

その後ろから父が入ってきた

「美緒」
「話がある」

「なに?」

父は九条くんの肩を叩いた

「伊織は」
「俺に弟子入りすることになった」

「は?」

「今日から」
「ここで一緒に暮らす」

私は父を見る

九条くんを見る

もう一度父を見る

「はあああ!?」

リビングから弟たちが顔を出した

「なに!?」
「どうした姉ちゃん!」

「九条いるじゃん!」

「泊まんの?」

父が皆に向き直る

「今日から伊織はここに住む!」
「俺の弟子だ!」

「マジで!?」

「やった!」
「一緒にゲームできるじゃん!」

「九条」
「今度俺とも組手やってよ」

私は父へ詰め寄った

「ちょっと待って!」
「なに勝手に決めてんのよ!」

「いいだろ」
「部屋も余ってる」

「そういう問題じゃないでしょ!」

その横で

シャッ

シャッ

音がする

私が振り向くと

九条くんがキャベツを千切りにしていた

「九条くん!」
「なんで普通に料理始めてるの!?」

「手伝ったほうがいいと思って」

「それは」
「すごく助かるけど……」

シャッ

シャッ

昼間より明らかに上手くなっている

「なんか上達してる!」

「練習したからね」

「いつ練習したのよ!?」

「イメージトレーニング」

九条くんはキャベツを切りながら言った

「それと」
「僕の父さんに電話したんだ」

私は動きを止めた

「お父さんに?」

「うん」

九条くんの手も止まる

「父さんが再婚することに」
「反対するのはやめた」

「え……だって……」

「美緒さんと話して」
「少し分かった気がしたんだ」

九条くんはスライサーを置いた

「母さんがいなくなるわけじゃない」
「父さんが誰かを好きになったからって」
「僕から母さんとの思い出が消えるわけでもない」
「だから」
「もう反対しないって伝えた」

私は九条くんを見る

「そうなんだ……」

「うん」
「美緒さんにマザコンって言われたくないからね」

私は思わず笑ってしまった

「マザコンのなにが悪いのよ」
「私、悪いとは言ってないからね」

つい昼間まで

公園にテントを張って家出をしていた九条くんが

たった半日で

自分なりの答えを出したらしい

「じゃあ」
「普通に家に帰ればいいじゃん」

「そうなんだけど」

九条くんが少しだけ目を伏せた

「今すぐ」
「あの家に戻りたいとまでは」
「まだ思えないんだ」

私は九条くんを見る

九条くんが父へ視線を向けた

父がにやりと笑う

「俺が誘った」

「は?」

「帰りたくないなら」
「無理して帰る必要はない」

父は九条くんの肩を叩いた

「行くところがないなら」
「うちにいればいい」

「お父さん……」

「それにな!」

父の声が急に大きくなる

「伊織は筋がいい」
「古武術だけじゃもったいない!」
「鍛えりゃ」
「もっと強くなる」

やっぱり……

そっちが本音ね……

九条くんが頷く

「僕も」
「もっと強くなりたい」
「だから」
「師匠に住み込みで弟子入りすることにしたんだ」

「師匠!?」

私は父を指さした

「これが!?」

「これとはなんだ!」

「九条くんなんだよ!?」
「変な世界に連れ込まないでよ!」
「お父さん絶対分かってないでしょ!」

九条くんが小さく笑った

そして

またキャベツを切り始める

シャッ

シャッ

「ということで」
「今日からよろしくね」
「美緒さん」

私は我が家にいる男たちを見渡した

四十三歳の父、剛志(つよし)

十三歳の長男、湊(みなと)

十歳の次男、陸(りく)

八歳の三男、悠真(ゆうま)

五歳の四男、奏太(そうた)

三歳の五男、晴(はる)

そして

十六歳の居候、九条伊織

男ばかりが七人

いまさら……一人増えたところで

「分かったわよ!」

私はフライパンを勢いよく振った

「いまさら家に男が一人増えたところで」
「構いません!」
「よろしく!」
「九条くん!」

九条くんが嬉しそうに笑った

「うん」
「よろしく」
「美緒さん」

こうして

公園にテントを張っていた

雲の上のお人は

その日のうちに

我が家の七人目の男になった