美緒、湊、剛志
三人の親子が長い廊下を進んでいく
やがて廊下が三方向へ分かれる場所へ出た
その分かれ道の前に一人の老婆が立っている
小柄な体で白くなった髪を後ろで綺麗にまとめている
腰は少し曲がっているけれど
立ち姿は不思議なほど凛としている
三人が近づくと
老婆は静かに頭を下げた
「お待ちしておりました」
顔を上げる
「伊織様がお生まれになった折に」
「産婆を務めました」
「トキにございます」
「産婆?」
湊が思わず声に出した
美緒が隣から説明する
「出産を助けたり」
「生まれた赤ちゃんのお世話をする人のことよ」
「それは分かってるよ!」
「ねえちゃん俺のこと子供扱いしすぎなんだよ」
「生意気言うな」
「あんたは子供よ」
そう美緒に言われて湊が少しむくれた顔をした
「なんで伊織の産婆が」
「こんなところで待ってんだよ」
トキは美緒に目を向けた
「わしが伊織様に願いでたのじゃよ」
「美緒様を一目みたあてな」
「え? 私?」
「なんとも勝気そうで元気なややを産みそうなおなごじゃて」
「わしゃ気に入った」
「ややって!?」
トキが右側の通路へ手を向ける
「湊様は」
「右の通路へ」
続いて正面
「剛志様は」
「中央の通路へ」
最後に左側の通路を示す
「美緒様は」
「左の通路へお進みください」
剛志の目がわずかに細くなる
「三人を」
「分けようってのか?」
「はい」
トキは表情を変えなかった
「従っていただけない場合」
「伊織様のもとへ」
「お通しすることはできません」
三人が互いの顔を見る
罠かもしれない
それでも
ここまで来て引き返すという選択肢はなかった
剛志が最初に答えた
「分かった」
「言われたとおりにしよう」
美緒と湊も頷く
「うん」
「仕方ねえな」
湊は右側の通路へ体を向ける
そして歩き出す前に美緒を見た
「姉ちゃん」
「なに?」
「何かあったら悲鳴を上げろよ」
湊が自分の胸を叩く
「すぐに助けに行くからよ」
「生意気言ってんじゃない!」
美緒が湊の頭を軽く叩いた
「いった!」
「私の心配より」
「自分の心配をしなさい!」
「俺は大丈夫だって」
湊がからかうように笑う
「姉ちゃんこそ」
「もう泣くなよ」
「誰が泣くか!」
そんな二人を見て剛志が小さく笑った
「向こうで会おう」
「おう」
「うん」
三人はそれぞれ指定された通路へ足を踏み入れた
右側の通路を湊が一人で進んでいく
それほど長くはなかった
すぐに通路の先から明るい光が見えてくる
大きく開かれた襖のその向こうに広い部屋があった
湊が部屋へ入る
畳が敷き詰められた広い座敷
家具も飾りも何もない
その部屋の中央に一人の男が立っていた
腰には鞘に納められた日本刀
湊がその男を見て笑う
「よお、伊織」
伊織は静かに湊を見て小さく笑い返した
「やあ、湊」
二人の視線がぶつかる
「さすがに剛志さんと君」
「二人を同時に相手にする気にはなれなくてね」
「まずは君からということさ」
「へえ」
湊が足元を見る
靴と靴下を脱ぎ、廊下へ揃えて置いた
裸足で畳の感触を確かめる
「いいね」
湊が首を左右へ傾ける
「兄弟弟子の初喧嘩ってわけだ」
「兄弟弟子?」
伊織の笑みが消える
「僕はもう」
「剛志さんの弟子じゃないよ」
湊がゆっくりと前へ出る
「知ってるか?」
「弟子ってのは家族同然なんだよ」
伊織を真っすぐ見据える
「家族ってのはな」
「嫌でもなんでも勝手には抜けられねえんだ」
「そう」
伊織はそれ以上は言い返さなかった
伊織がちらりと廊下の方を見た
「あまり時間をかけてはいられない」
「剛志さんがここへ来てしまうからね」
再び湊へ視線を戻す
「早くかかってきなよ」
「言われなくても」
湊が片足を前へ出す
腰を落とし両手を上げた
「伊織」
「刀を抜いておいた方がいいぜ!」
伊織は腰に刀を差したまま構えようともしない
ただその場に立っている
湊が大きく息を吸う
その目が一気に鋭くなる
「高梨剛志が長男! 湊!」
「この立ち合い!」
「お受けします!」
次の瞬間
湊の姿が消えた
畳を蹴る音すらほとんど聞こえない
一瞬で伊織の正面へ入り込む
刀の間合いよりさらに内側
湊の右拳が伊織の胸へ放たれた
しかし
ぱしっ
拳は伊織へ届かなかった
伊織の左手が湊の手首を掴んでいる
「なっ――」
湊の目が見開かれた
「それは」
「前に見たよ」
伊織が掴んだ手首を引きながら腰を落とす
湊の懐へ半歩入る
伊織が右の掌底を湊の腹へ打ち込んだ
どんっ!!
「ぐっ……!」
その衝撃に湊の両足が畳から離れる
湊は後ろへ大きく吹き飛ばされた
すぐに体勢を立て直して畳に足をつける
そのまま滑るように後ろへ下がり
片膝をついて腹を押さえた
「ぐ……」
息ができない
内臓を直接揺らされたような感覚
それでも湊は顔を上げた
伊織はさっきと同じ場所に立っている
刀には一度も触れていない
「君の足運びは」
「見事だ」
湊がゆっくり立ち上がる
「そりゃ」
「どうも……」
「ただ速いだけじゃない」
伊織が静かに湊を見る
「ほんの一瞬の意識の隙間を」
「天性の感覚で抜けてくる」
「本当に」
「素晴らしい才能だと思うよ」
「ずいぶん」
「余裕じゃねえか」
湊がもう一度構える
「けれど九条にも」
「過去に君とよく似た才を持つ者がいた」
「なに?」
「その者が残した歩法は長い時間をかけて」
「研究され、受け継がれ」
伊織の重心がわずかに沈む
「今も」
「九条の武術に残っている」
その瞬間
湊の意識から伊織の姿が消えた
「え――」
目の前にいたはずなのに見失った
速いからじゃない
気づいた時には伊織がすぐ目の前にいる
間合いが完全に消えていた
伊織が踏み込みながら腰を落とす
左肘を湊の左胸へ打ち込んだ
どんっ!!
「がっ……!」
衝撃が胸の奥へ突き刺さる
心臓が強く握り潰されたような感覚
湊の体から一瞬で力が抜けた
両膝が落ちる
胸を押さえ苦しそうにうずくまった
心臓が不規則に跳ねている
伊織が膝をついた湊を見下ろす
「似たようなことなら」
「僕にもできるよ」
「才能だけで九条には勝てない」
湊は胸を押さえ呼吸が定まらない
それでも伊織を睨み上げる
「湊」
「君はうぬぼれが強いね」
伊織が静かに告げる
「君を倒すのに刀なんか」
「必要ないよ」
伊織は腰の刀に
まだ一度も触れていなかった
湊が胸を押さえながら
ゆっくりと立ち上がる
「いらない?」
荒い呼吸を整える
口元に滲んだ血を手の甲で拭った
それから伊織を見て笑う
「本当に」
「そうかな?」
湊が構え直した
右足を前へ、左足を後ろへ
両拳を体の中心線に置く
高梨の正眼の構え
湊が一歩前へ出る
畳の上を摺るように少しずつ前へ進んでいく
やがて互いに手が届く距離に近づく
伊織がわずかに目を細めて腰を落とす
そして左突きを湊の胸へ向けて放った
鋭い突きに湊の右腕が動く
手首の近くへ自分の前腕を添える
ほんの少しだけ外へ流した
伊織の突きが湊の胸元を外れる
同時に湊がすっと内側へ入った
右拳を腰へ引く
捻った腰を一気に戻す
正拳突きが伊織の胸へ真っすぐ放たれる
伊織が右腕で払い落とした
すぐに左の突きを返す
湊も左腕で小さく流す
そのまま二人の拳が途切れなく続く
湊が打てば伊織が払う
伊織が返せば湊が流す
二人の腕が何度もぶつかり合う
まるで何かを比べ合っているかのように
向き合ったまま互いに真っすぐな突きを放ち合う
最初は互角だった
一つの攻撃に一つの反撃
だけど少しずつその均衡が崩れていく
伊織が湊の右拳を払った
すぐに自分の左拳を打とうとする
その前に湊の左拳が飛んできた
「っ!」
伊織が咄嗟に右腕で払って反撃しようとする
だけどもう次の拳が来ている
湊の拳が止まらない
打った拳を引く動きが反対の拳を押し出す
一発を防げば次
それを防げばさらに次
伊織が突きを返すと
湊が小さく流し
湊の拳が続けて二発飛んでくる
「くっ……!」
伊織の足が半歩下がった
さらにもう半歩
一歩
また一歩
少しずつ伊織が押し込まれていく
伊織の表情に初めて小さな陰りが浮かんだ
次の瞬間
湊の右拳が伊織の防御を抜けた
どんっ!
胸へ真っすぐ突き刺さる
「ぐっ……!」
伊織の上半身が揺れた
そこから湊は止まらなかった
どんっ!
左拳が伊織の脇腹へ入る
続く右拳が頬を捉えた
ばきっ!
伊織の顔が横へ弾かれた
「まだだ!」
湊がさらに一歩踏み込む
右拳を腰へ引き戻し
伊織の胸へ追い打ちをかけようとする
その瞬間
伊織の右手が腰の刀へ伸びた
柄を握り、鯉口を切る
しゃりん!
刀が鞘から抜き放たれる
抜く勢いのまま下から右上へ鋭い斬撃が振り抜かれた
「っ!」
湊が咄嗟に後ろへ跳ぶ
銀色の刀身が湊の胸元を通過した
刀の刃は潰されている
斬られることはない
それでも金属の塊で殴られることになる
あと少し反応が遅れていれば
胸をまともに薙ぎ払われていた
湊が畳の上へ着地する
二歩後ろへ滑ってから腰を落として止まった
そして抜き身の刀を構える伊織を見て
にやりと笑う
「抜いたな」
「刀!」
湊の声が広い座敷へ響く
伊織の手には鈍い光を放つ刀
先ほどまでとは空気が違う
伊織の目が
さらに一段冷たいものへ変わった
三人の親子が長い廊下を進んでいく
やがて廊下が三方向へ分かれる場所へ出た
その分かれ道の前に一人の老婆が立っている
小柄な体で白くなった髪を後ろで綺麗にまとめている
腰は少し曲がっているけれど
立ち姿は不思議なほど凛としている
三人が近づくと
老婆は静かに頭を下げた
「お待ちしておりました」
顔を上げる
「伊織様がお生まれになった折に」
「産婆を務めました」
「トキにございます」
「産婆?」
湊が思わず声に出した
美緒が隣から説明する
「出産を助けたり」
「生まれた赤ちゃんのお世話をする人のことよ」
「それは分かってるよ!」
「ねえちゃん俺のこと子供扱いしすぎなんだよ」
「生意気言うな」
「あんたは子供よ」
そう美緒に言われて湊が少しむくれた顔をした
「なんで伊織の産婆が」
「こんなところで待ってんだよ」
トキは美緒に目を向けた
「わしが伊織様に願いでたのじゃよ」
「美緒様を一目みたあてな」
「え? 私?」
「なんとも勝気そうで元気なややを産みそうなおなごじゃて」
「わしゃ気に入った」
「ややって!?」
トキが右側の通路へ手を向ける
「湊様は」
「右の通路へ」
続いて正面
「剛志様は」
「中央の通路へ」
最後に左側の通路を示す
「美緒様は」
「左の通路へお進みください」
剛志の目がわずかに細くなる
「三人を」
「分けようってのか?」
「はい」
トキは表情を変えなかった
「従っていただけない場合」
「伊織様のもとへ」
「お通しすることはできません」
三人が互いの顔を見る
罠かもしれない
それでも
ここまで来て引き返すという選択肢はなかった
剛志が最初に答えた
「分かった」
「言われたとおりにしよう」
美緒と湊も頷く
「うん」
「仕方ねえな」
湊は右側の通路へ体を向ける
そして歩き出す前に美緒を見た
「姉ちゃん」
「なに?」
「何かあったら悲鳴を上げろよ」
湊が自分の胸を叩く
「すぐに助けに行くからよ」
「生意気言ってんじゃない!」
美緒が湊の頭を軽く叩いた
「いった!」
「私の心配より」
「自分の心配をしなさい!」
「俺は大丈夫だって」
湊がからかうように笑う
「姉ちゃんこそ」
「もう泣くなよ」
「誰が泣くか!」
そんな二人を見て剛志が小さく笑った
「向こうで会おう」
「おう」
「うん」
三人はそれぞれ指定された通路へ足を踏み入れた
右側の通路を湊が一人で進んでいく
それほど長くはなかった
すぐに通路の先から明るい光が見えてくる
大きく開かれた襖のその向こうに広い部屋があった
湊が部屋へ入る
畳が敷き詰められた広い座敷
家具も飾りも何もない
その部屋の中央に一人の男が立っていた
腰には鞘に納められた日本刀
湊がその男を見て笑う
「よお、伊織」
伊織は静かに湊を見て小さく笑い返した
「やあ、湊」
二人の視線がぶつかる
「さすがに剛志さんと君」
「二人を同時に相手にする気にはなれなくてね」
「まずは君からということさ」
「へえ」
湊が足元を見る
靴と靴下を脱ぎ、廊下へ揃えて置いた
裸足で畳の感触を確かめる
「いいね」
湊が首を左右へ傾ける
「兄弟弟子の初喧嘩ってわけだ」
「兄弟弟子?」
伊織の笑みが消える
「僕はもう」
「剛志さんの弟子じゃないよ」
湊がゆっくりと前へ出る
「知ってるか?」
「弟子ってのは家族同然なんだよ」
伊織を真っすぐ見据える
「家族ってのはな」
「嫌でもなんでも勝手には抜けられねえんだ」
「そう」
伊織はそれ以上は言い返さなかった
伊織がちらりと廊下の方を見た
「あまり時間をかけてはいられない」
「剛志さんがここへ来てしまうからね」
再び湊へ視線を戻す
「早くかかってきなよ」
「言われなくても」
湊が片足を前へ出す
腰を落とし両手を上げた
「伊織」
「刀を抜いておいた方がいいぜ!」
伊織は腰に刀を差したまま構えようともしない
ただその場に立っている
湊が大きく息を吸う
その目が一気に鋭くなる
「高梨剛志が長男! 湊!」
「この立ち合い!」
「お受けします!」
次の瞬間
湊の姿が消えた
畳を蹴る音すらほとんど聞こえない
一瞬で伊織の正面へ入り込む
刀の間合いよりさらに内側
湊の右拳が伊織の胸へ放たれた
しかし
ぱしっ
拳は伊織へ届かなかった
伊織の左手が湊の手首を掴んでいる
「なっ――」
湊の目が見開かれた
「それは」
「前に見たよ」
伊織が掴んだ手首を引きながら腰を落とす
湊の懐へ半歩入る
伊織が右の掌底を湊の腹へ打ち込んだ
どんっ!!
「ぐっ……!」
その衝撃に湊の両足が畳から離れる
湊は後ろへ大きく吹き飛ばされた
すぐに体勢を立て直して畳に足をつける
そのまま滑るように後ろへ下がり
片膝をついて腹を押さえた
「ぐ……」
息ができない
内臓を直接揺らされたような感覚
それでも湊は顔を上げた
伊織はさっきと同じ場所に立っている
刀には一度も触れていない
「君の足運びは」
「見事だ」
湊がゆっくり立ち上がる
「そりゃ」
「どうも……」
「ただ速いだけじゃない」
伊織が静かに湊を見る
「ほんの一瞬の意識の隙間を」
「天性の感覚で抜けてくる」
「本当に」
「素晴らしい才能だと思うよ」
「ずいぶん」
「余裕じゃねえか」
湊がもう一度構える
「けれど九条にも」
「過去に君とよく似た才を持つ者がいた」
「なに?」
「その者が残した歩法は長い時間をかけて」
「研究され、受け継がれ」
伊織の重心がわずかに沈む
「今も」
「九条の武術に残っている」
その瞬間
湊の意識から伊織の姿が消えた
「え――」
目の前にいたはずなのに見失った
速いからじゃない
気づいた時には伊織がすぐ目の前にいる
間合いが完全に消えていた
伊織が踏み込みながら腰を落とす
左肘を湊の左胸へ打ち込んだ
どんっ!!
「がっ……!」
衝撃が胸の奥へ突き刺さる
心臓が強く握り潰されたような感覚
湊の体から一瞬で力が抜けた
両膝が落ちる
胸を押さえ苦しそうにうずくまった
心臓が不規則に跳ねている
伊織が膝をついた湊を見下ろす
「似たようなことなら」
「僕にもできるよ」
「才能だけで九条には勝てない」
湊は胸を押さえ呼吸が定まらない
それでも伊織を睨み上げる
「湊」
「君はうぬぼれが強いね」
伊織が静かに告げる
「君を倒すのに刀なんか」
「必要ないよ」
伊織は腰の刀に
まだ一度も触れていなかった
湊が胸を押さえながら
ゆっくりと立ち上がる
「いらない?」
荒い呼吸を整える
口元に滲んだ血を手の甲で拭った
それから伊織を見て笑う
「本当に」
「そうかな?」
湊が構え直した
右足を前へ、左足を後ろへ
両拳を体の中心線に置く
高梨の正眼の構え
湊が一歩前へ出る
畳の上を摺るように少しずつ前へ進んでいく
やがて互いに手が届く距離に近づく
伊織がわずかに目を細めて腰を落とす
そして左突きを湊の胸へ向けて放った
鋭い突きに湊の右腕が動く
手首の近くへ自分の前腕を添える
ほんの少しだけ外へ流した
伊織の突きが湊の胸元を外れる
同時に湊がすっと内側へ入った
右拳を腰へ引く
捻った腰を一気に戻す
正拳突きが伊織の胸へ真っすぐ放たれる
伊織が右腕で払い落とした
すぐに左の突きを返す
湊も左腕で小さく流す
そのまま二人の拳が途切れなく続く
湊が打てば伊織が払う
伊織が返せば湊が流す
二人の腕が何度もぶつかり合う
まるで何かを比べ合っているかのように
向き合ったまま互いに真っすぐな突きを放ち合う
最初は互角だった
一つの攻撃に一つの反撃
だけど少しずつその均衡が崩れていく
伊織が湊の右拳を払った
すぐに自分の左拳を打とうとする
その前に湊の左拳が飛んできた
「っ!」
伊織が咄嗟に右腕で払って反撃しようとする
だけどもう次の拳が来ている
湊の拳が止まらない
打った拳を引く動きが反対の拳を押し出す
一発を防げば次
それを防げばさらに次
伊織が突きを返すと
湊が小さく流し
湊の拳が続けて二発飛んでくる
「くっ……!」
伊織の足が半歩下がった
さらにもう半歩
一歩
また一歩
少しずつ伊織が押し込まれていく
伊織の表情に初めて小さな陰りが浮かんだ
次の瞬間
湊の右拳が伊織の防御を抜けた
どんっ!
胸へ真っすぐ突き刺さる
「ぐっ……!」
伊織の上半身が揺れた
そこから湊は止まらなかった
どんっ!
左拳が伊織の脇腹へ入る
続く右拳が頬を捉えた
ばきっ!
伊織の顔が横へ弾かれた
「まだだ!」
湊がさらに一歩踏み込む
右拳を腰へ引き戻し
伊織の胸へ追い打ちをかけようとする
その瞬間
伊織の右手が腰の刀へ伸びた
柄を握り、鯉口を切る
しゃりん!
刀が鞘から抜き放たれる
抜く勢いのまま下から右上へ鋭い斬撃が振り抜かれた
「っ!」
湊が咄嗟に後ろへ跳ぶ
銀色の刀身が湊の胸元を通過した
刀の刃は潰されている
斬られることはない
それでも金属の塊で殴られることになる
あと少し反応が遅れていれば
胸をまともに薙ぎ払われていた
湊が畳の上へ着地する
二歩後ろへ滑ってから腰を落として止まった
そして抜き身の刀を構える伊織を見て
にやりと笑う
「抜いたな」
「刀!」
湊の声が広い座敷へ響く
伊織の手には鈍い光を放つ刀
先ほどまでとは空気が違う
伊織の目が
さらに一段冷たいものへ変わった


