いまさら家に男が一人増えたところで構いません!

美緒さんたちを乗せたタクシーが

家の前から走り去っていった

日向さんの目と腕

千鶴の肩

どちらも応急処置のおかげで落ち着いている

それでも念のため病院で診てもらうことになった

美緒さんが付き添い

師匠が三人を見送っている間

僕は美緒さんの弟たちや門下生の人たちと道場で稽古を続けていた

「伊織兄ちゃん!」

奏太が僕へ向かって踏み込んでくる

「やあっ!」

真っすぐな突き

僕は半歩だけ横へ動いてかわした

「うわっ!」

奏太がたたらを踏む

それでも転ばずすぐに振り返った

「もう一回」
「次は外されてもバランスを崩さないように」

「うん!」

元気だな

晴は道場の隅で正座して僕たちを見ている

陸と悠真は向かい合って組手をしていた

そして湊は少し離れた場所で

突きを延々と繰り返していた

十三歳とはとても思えないくらい

無駄がなくて速く鋭い突き

師匠の動きによく似ていた

その時

道場の入り口から声がした

「伊織」

聞き覚えのある低く冷たい声

僕の体が一瞬で固まった

「何をしている」

振り返ると道場の入り口に二人の男が立っていた

一人は整った顔立ちの男

隙なく整えられた髪

細く鋭い目

僕と同じ色の瞳

手には細長いものを持っている

布で包まれているけど

中に何があるのか僕にはすぐに分かった

その隣には大柄な男が立っていた

こちらも見覚えがあった

身長も肩幅も僕よりずっと大きい

黒い服の上からでも鍛えられているのが分かる

その男も同じように布で包まれた細長いものを持っていた

「冬弥兄さん……?」

そこにいたのは僕の兄

九条冬弥(くじょう・とうや)

「どうしてここに」

「どうして?」

冬弥兄さんがゆっくり道場の中へ入ってくる

僕を見てわずかに眉をひそめた

「俺を差し置いて九条の跡取りに選ばれたお前が」
「こんなお遊び拳法にうつつを抜かしていると聞いてね」

その声に道場の空気が変わった

稽古をしていた門下生たちが一斉に動きを止める

陸と悠真が冬弥兄さんを睨んだ

陸が奏太と晴を呼び寄せて

自分たちの後ろへ下がらせる

湊は動かなかった

少し離れた場所から冬弥兄さんをじっと見ていた

冬弥兄さんが続けた

「放っておくわけにもいかないだろう?」

「兄さん」
「僕は――」

「帰るぞ」

冬弥兄さんが僕の言葉を遮った

「こんな場所にいても」
「時間を無駄にするだけだ」

「待って」
「僕は帰らない」

「お前の意思は聞いていない」

昔からそうだ

冬弥兄さんは僕の話を聞かない

僕が何を考えているのか

何をしたいのか

何をしているのか

そんなことには興味がない

九条にとって相応しいか否か

兄さんが考えるのはいつもそれだけ

「ここは」

僕は拳を握った

「僕が自分で選んだ場所だ」

「自分で選んだ?」

冬弥兄さんが鼻で笑う

「お前に選ぶ資格があると思っているのか?」

陸が前へ出ようとする

すぐに湊が声をあげて止めた

「駄目だ」
「下がれ」

低い声だった

陸が悔しそうに足を止める

その時

冬弥兄さんの背後から大きな足音が聞こえた

師匠が道場へ入ってくる

「なんだ?」
「客か?」

美緒さんたちを見送り終えたらしい

道場の中にいる二人の男を見て

少しだけ目を細める

「どちらさまかな?」

冬弥兄さんが師匠を見る

頭から足まで値踏みするような視線

「九条の者です」

「九条?」

師匠が一瞬だけ僕を見る

それから冬弥兄さんへ視線を戻した

「伊織の親戚か?」

「九条冬弥と申します」
「伊織の兄ですよ」

冬弥兄さんは丁寧な口調で名乗った

だけど頭は下げなかった

「弟が世話になっていると聞いて」
「挨拶に伺いました」

「挨拶にしちゃあ」

師匠が二人の持っているものを見る

「物騒な手土産だな」

「これは失礼」

冬弥兄さんが布で包まれたものを持ち上げる

「我が九条は代々剣術を修めてきた家です」
「今日は少し」
「高梨の武術がどの程度のものなのか」

冬弥兄さんが薄く笑った

「ご指南いただこうかと思いまして」

「ほお」

師匠の目が少しだけ鋭くなる

「つまり」
「道場破りってことか?」

「そのような」
「大げさなものではありません」

冬弥兄さんが布を解いた

中から現れたのは一振りの日本刀

鞘から刀身が抜かれる

しゃりん

冷たい音が道場に響いた

門下生たちがざわめく

「安心してください」

冬弥兄さんが刀身を僕たちへ見せる

「刃は潰してあります」
「切っ先も丸めてある」
「斬ったり刺したりすることはありませんよ」

その隣で大柄な男も刀を抜いた

二人分の刀身が道場の明かりを反射する

さらに道場のざわめきが大きくなった

刃が潰してあるからといって安全なわけじゃない

あれだけの鉄の塊で殴られれば

骨くらい簡単に折れる

当たりどころが悪ければ命だって危ない

師匠は二人の刀を見ても表情を変えなかった

「それで?」
「どうしろってんだ?」

「簡単な話です」

冬弥兄さんが刀を下げる

「高梨剛志」
「私と立ち合っていただきたい」

「断ると言ったら?」

「構いませんよ」

冬弥兄さんが微笑む

「頭を下げて」
「自分たちでは九条に敵わないと認めるなら」
「今日は引いて差し上げます」

道場の中が完全に静かになった

陸が歯を食いしばっている

悠真も拳を握っていた

門下生たちも冬弥兄さんを睨んでいる

それでも師匠は何も言わなかった

道場の中をゆっくりと見回す

そして師匠は冬弥兄さんへ向き直り

ゆっくりと頭を下げた

「今日は」
「ここまでで引いてくれ」

「師匠……」

僕は何も言えなかった

師匠が僕の兄に頭を下げている

道場を侮辱した男に

師匠は頭を下げたまま動かなかった

「あはははは!」

冬弥兄さんの笑い声が道場中に響く

「なるほど」
「これが高梨の当主か」

冬弥兄さんは刀を鞘へ戻して僕を見る

「伊織」
「よく見ておけ」

その時

湊が陸を見た

目を合わせると陸はすぐに頷く

「こんな臆病者から武術を学んでも」

陸が悠真へ目配せする

悠真は何も聞かず道場の裏口を開けた

「得るものなど何もない」

陸が門下生たちへ声をかける

「今日の稽古は終わり」
「裏口から帰って」

戸惑う門下生たちを悠真が外へ誘導する

奏太と晴も残された荷物を集めて渡しながら

門下生たちを裏口へ送る

声を掛け合う必要すらない

美緒さんの弟たちは湊が何を考えているのか分かっているみたいだった

冬弥兄さんが僕へ背を向ける

「伊織!」
「帰るぞ」
「父上には俺から説明しておく」

悔しい

師匠に頭を下げさせた

この人にこんなことまでさせて

僕は……

いったい何をしている……

最後の門下生が外へ出る

悠真が誰も残っていないことを確認する

陸が裏口を閉めて湊へ向かって頷いた

湊も小さく頷き返す

門下生が全員帰ったことを確認して湊が動いた

「伊織」

湊の声だった

「どこ見てんだよ」

顔を上げると湊が僕を見ていた

「足元になんかあるのか?」

「湊……」

湊は僕から目を離すと

頭を下げたままの師匠を見る

「父ちゃん」

師匠がゆっくり顔を上げた

「誰に頭下げてんだよ」

「湊」

湊が冬弥兄さんを睨んだ

「その頭は」
「父ちゃんだけのもんじゃねえだろ」

美緒さんの弟たちも全員が師匠を見る

「高梨道場の主の頭だ」
「俺たちの親父の頭だ」

湊が一歩前へ出る

その目が鋭くなる

「そいつらが怖いなら」
「俺たちも一緒に頭を下げてやる」

師匠が小さく息を吐いた

「湊」

「さあ答えろよ親父!」
「俺たちは一緒に頭を下げりゃいいのか?」

湊が僕の隣へ立つ

「それにな」

僕の肩へ拳を軽く当てた

「伊織はもう」
「俺たちの家族だ」

胸の奥で何かが熱くなった

「勝手に連れて帰るとか」

湊が冬弥兄さんを見る

「ふざけたこと言ってんじゃねえ」

冬弥兄さんの足が止まった

ゆっくりと振り返る

「今」
「何と言った?」

湊が笑う

「聞こえなかったのか?」
「伊織は」
「俺たちの家族だって言ったんだよ」

「家族?」

冬弥兄さんの顔から笑みが消えた

「九条の人間を」
「お前たちの家族だと?」

「そうだ」

湊が拳を握る

「俺は」
「家族のためなら引かないぜ!」

道場の空気が震えたような気がした

冬弥兄さんが目を細める

「くだらない」

再び背を向けようとする

「待てよ!」

冬弥兄さんが立ち止まった

「せっかく来たんだから」

湊が道場の中央へ向かって一歩を踏み出す

そう見えた

次の瞬間

湊の姿が消えた

「え?」

床を蹴る音も道着が擦れる音も聞こえなかった

それなのに気づいた時には

湊は道場の中央に立っていた

数メートルあった距離を一瞬で移動している

冬弥兄さんの目がわずかに見開かれた

隣にいた大柄な男も初めて表情を変えた

「少しくらい」

湊が冬弥兄さんへ向き直る

「俺と遊んでいけよ」