放課後
私は日向と千鶴の間を歩いていた
右に日向
左に千鶴
二人ともずっと笑顔だが会話はない
怖い
すごく怖い
なんか変な圧が両側から来る……
少し後ろでは
伊織くんが困惑した顔で
私たちについてきている
うん
私にもよく分からないから
そんな顔しないで
「ねえ」
私は二人を交互に見る
「本当にやるの?」
「やるよ~」
「もちろんです」
ほぼ同時に即答
「やめない?」
「嫌です」
「やめないよ~」
また即答
駄目だこの二人
絶対にやるつもりだ
私がなんとかして今日は止めたとしても
すぐに私のいないところで勝手に始めるに決まってる
それならまだ
私の見ている前でやらせた方がいい
私は大きく息を吐いた
「分かった」
二人が同時に私を見る
「ただし!」
私は足を止めた
「条件があります!」
日向が首を傾げる
「条件~?」
「うん」
私は二人を指さした
「場所はうちの道場の庭」
「お父さんと私が立ち会う」
「それから」
二人の顔を交互に見る
「私かお父さんが止めたら」
「その時点で終わり!」
「絶対に続けないこと!」
日向が笑顔で頷く
「いいよ~」
千鶴も少しだけ考えてから頷いた
「承知しました」
私は少し拍子抜けする
意外とすんなり受け入れてくれた
「本当に?」
「止めたらやめる?」
「はい」
「もちろんです」
日向も嬉しそうに笑う
「約束するよ~」
やけに素直だ
逆にそこが余計に怖い気もするけど
これ以外の方法は思いつかない
とにかく
二人きりでは絶対にやらせちゃ駄目だ
死闘になるに決まってる
「じゃあ」
私は重い足取りで歩き出した
「うちの道場へ行くよ」
「は~い」
「はい」
二人の声は遠足へ行くみたいに明るかった
少し後ろを歩いていた伊織くんが近づいてきて私に耳打ちした
「僕が千鶴にやめるように言おうか?」
私は伊織くんの匂いをかがないよう
気を付けながら小声で返す
「女同士の話に伊織くんが口出ししちゃ駄目よ」
「それに……」
「仲が悪いわけじゃないのよ」
「どういうこと?」
「私にもよく分からない……」
「でもそうなのよ」
私たちは真っ直ぐに道場へ向かった
道場に着いて中に入ると
お父さんは道場の中央で門下生の指導をしていた
「お父さん!」
「美緒?」
「ちょっと来て!」
私が呼ぶと
お父さんが首をかしげて歩いてくる
事情を説明すると
「いいんじゃねえか?」
まぁ……予想通りの答えだった
「よくはないのよ」
「本人たちがやりたいって言ってるんだろ?」
「そういう子たちなの」
「それに二人とも戦い方がひどいんだから」
「怪我は確定なんだからね」
お父さんが私の後ろに立つ二人を見る
日向と千鶴が二人とも笑顔で
仲良く並んで道場の稽古を見ている
二人の視線を意識して
明らかに門下生がいつもより張り切っている
見た目だけなら
二人とも可愛い女の子だから無理もない
これから戦うためにここにいるようにはとても見えない
お父さんが二人を見る
「お前ら」
「本気でやるのか?」
「はい」
「やるよ~」
「そうか」
お父さんがにやりと笑った
「面白え」
「面白くはない!」
やっぱりこの父親に相談したのは間違いだった
でもいざって時に私ひとりじゃ
この二人を力づくでは止められない
「ただし」
お父さんの声が低くなる
「殺すなよ」
二人の表情がほんの少しだけ変わった
「取り返しのつかねえ怪我もなしだ」
「俺か美緒が止めたら」
「その瞬間に終わり」
「一発でも続けたら」
お父さんが二人を睨む
「俺が相手になる」
おお~、お父さん見直したわ!
ちゃんとそういうの分かる子だったのね!
日向が少しだけ嬉しそうに笑った
「それはそれで~」
「日向!」
「冗談だよ~」
とても冗談には聞こえなかった
千鶴は静かに頭を下げた
「承知しました」
こうして
二人の立ち合いが決まってしまった
伊織くんも心配して
庭までついてこようとしたが
お父さんに止められて
道場に残って稽古するように言われた
お父さんの考えなんて
私には手に取るように分かる
伊織くんがいたら
千鶴を止めるかもしれないからだ
この父親……
本当は死闘を見たいだけじゃないでしょうね……
場所は道場の裏にある庭
道場ほど広くはないけれど木や植え込みがあって
地面には砂利が敷かれている
周りは高い塀に囲まれているから
外から見られる心配もない
しばらくして日向が道場から出てきた
学校へ持ってきていた鞄の中に
自分の道着を入れていたらしい
「なんで持ってきてるのよ……」
日向が笑う
「いつも持ち歩いてるよ~」
「美緒がいつその気になるか分からないから~」
「そ、そうなんだ……」
日向が着ているのは朱色の道着でズボンは黒だった
普通の空手着とは違い腰には帯がない
道着の裾が袴のように腰回りを覆っている
いつもの制服姿とはまるで印象が違う
日向が軽く肩を回す
その表情はいつもと変わらない
にこにこふわふわ
だけど体から感じる空気だけが違っていた
そして千鶴も庭へ出てきた
黒い忍び装束
長い髪を後ろでまとめ
両腕と両脚には布が巻かれている
腰や袖、胸元
あちこちが少しだけ膨らんでいた
何かを隠し持っている
私と戦った時の千鶴は
体の線が見えるようなメイド服を着ていた
武器らしい武器も持っていなかった
使ったのは庭の砂利くらい
だけど今は違う
完全に戦うための姿
二人が庭の中央へ向かう
ぞくっ
背中が震えた
二人とも本気だ
どうなっちゃうのよ……
「ねえ」
私はお父さんを見る
「やっぱり」
「今からでも止めた方が――」
「もう遅えよ」
お父さんは二人から目を離さなかった
「始まるぞ」
庭の中央で日向と千鶴が向かい合う
距離は五メートルほど
千鶴が先に口を開いた
「日向」
「なに~?」
「念のため」
「先にお伝えしておきます」
千鶴が自分の袖へ手を触れる
「私の戦い方は」
「正面から殴り合うものではありません」
「使えるものはなんでも使います」
日向が少しだけ首を傾げた
「美緒とは~」
「どうしたの~?」
「もちろん」
「使いましたよ」
日向が嬉しそうに笑った
「だったら~」
「私にもそれでいいよ~」
「そうですか」
千鶴の口元がほんの少しだけ上がる
その笑顔を見て私は息をのんだ
私と戦った時の千鶴とは違う
今の千鶴は戦うための服を着ている
最初から全部使うつもりだ
「双方」
お父さんが右手を上げた
「前へ」
二人が一歩ずつ前へ出る
「礼!」
日向が頭を下げる
千鶴も頭を下げた
二人が同時に顔を上げる
なんで二人とも嬉しそうに笑ってるのよ
お父さんが二人を見た
そして上げていた手を勢いよく振り下ろす
「始め!」
次の瞬間
千鶴の右手が動いた
黒いものが日向の顔へ飛ぶ
小さな玉
速い!
日向が頭を横へずらした
黒い玉が日向の左頬をかすめる
避けた!
そう思った
その瞬間
パンッ!
黒い玉が破裂して赤い煙が広がる
「っ!」
日向の顔の左側が赤い煙に包まれた
日向がすぐに後ろへ跳ぶ
煙の中から離れて
左手で左目を押さえた
「日向!?」
「大丈夫~」
声はいつも通り
でも左目が開いていない
その目から涙が流れている
日向が少しだけ舌を出した
「うえ~」
「これって唐辛子~?」
そんな日向を見て
千鶴が薄く笑っている
いつの間にか両手には
地面に敷かれた砂利が握られていた
「正解です」
「私の手作りなんですよ」
千鶴が右手の砂利をゆっくりと握り直す
「おいしいでしょう?」
日向が少し首を傾げた
「私~」
「辛いものはちょっと~」
「あら」
「それは残念ですね」
千鶴の姿勢が一気に低くなった
次の瞬間
地面をはうように日向へ迫る
速い!
同時に右手の砂利を投げた
日向の顔を狙っていくつもの小石が飛ぶ
左目を閉じたまま日向が右手を前へ出す
その右手が流れるように動いた
ぱしっ
ぱしっ
ぱしっ
飛んできた砂利が日向の右手の中へ次々と収まっていく
「すご!」
飛んできた全ての砂利を右手だけで掴んだ
日向が少し右手を開く
その中には千鶴が投げた砂利が握られていた
「千鶴~」
「そんなにいっぱい投げたら~」
「危ないよ~」
「そうですか」
千鶴が残った左手の砂利を投げる
今度は日向の顔だけじゃない
的を絞らず広がるように無数の砂利が飛ぶ
日向も右手に持っていた砂利を千鶴へ投げ返した
二人が同時に前へ出る
ばらばらばら!
砂利が二人の道着へ当たる
頬へ当たる
腕へ当たる
それでも二人は止まらない
距離が一気になくなる
千鶴が日向の左側へ回り込んだ
日向の左手首を掴む
そのまま体ごと巻きつくように左腕へ絡みついた
肘が普通とは逆の方向へ曲がろうとする
まずい!
あれは本当に壊す技だ
「お父さん!」
「止めて!」
私が叫んだ
でも次の瞬間
日向の全身からふっと力が抜けた
日向が千鶴の力へ逆らわず体を回す
千鶴の体がその動きに引き込まれた
重心が流れる
その瞬間
千鶴の手から日向の左腕が抜けた
体を回した勢いで
力の抜けた左腕がしなった
まるで一本のムチみたいに
千鶴の肩口へ飛んだ
バチン!!
庭にムチで叩いたような音が響く
千鶴の体が大きく弾かれた
肩口から脇腹へ
忍び装束が斜めに引き裂かれる
裂けた布の下には
ムチで切りつけられたような
細長い傷が走っていた
一瞬遅れて
そこから血がにじみ出した
「ぐっ……!」
千鶴が苦しそうに顔を歪める
その体が小さく震えて
そのまま後ろへ飛ぶ
地面へ片手をつき
もう一度さらに後ろへ跳んだ
砂利の上へ着地する
片膝をついて肩を押さえた
痛そう……
息をするたび顔が歪んでいる
日向はその場に立って動かない
左目は閉じられたままだった
それでも
いつもの笑顔を浮かべている
「やるじゃ~ん」
「こんなに怖い子とは思わなかった~」
「でもさ~」
日向が千鶴の肩を見て笑う
「それ~」
「すごく痛いでしょ~?」
「まだ動ける~?」
千鶴は歯を食いしばりながら
ゆっくりと立ち上がった
「あなたの方こそ」
千鶴が日向の左腕を見る
「その腕」
「動きます?」
日向が自分の左腕を見る
肩から下が力なく垂れ下がっていた
いつもの力を抜いた構えじゃない
本当に動いていない
日向が左腕を動かそうとする
だけどぴくりともしなかった
「ん~」
「全然動かないね~」
日向は面白そうに首を傾げる
「肘を取った時に何かしたの~?」
千鶴が答える
「親指で神経を圧迫しました」
「あ~」
日向が右手で自分の左肘を指す
「この辺を~」
「親指で押し込んでたやつ~?」
「はい」
「本来は相手の抵抗を封じて」
「容易に肘を折るための技です」
「時間が経てば」
「少しずつ動くようになりますよ」
「つまり~」
日向が笑う
「当分は動かないんだ~」
「そういうことです」
「千鶴~」
「なんです?」
日向は右手で自分の左目と左腕を指さした
「酷いことするね~」
千鶴は肩口から脇腹まで
斜めに裂けた忍び装束へ目を落とす
裂けた布の下の皮膚には
細長い傷が走っている
千鶴が痛む肩をわずかに動かした
「っ……」
焼けるような痛みに顔が歪む
それでも日向へ薄く笑い返した
「お互い様では?」
「それもそうだね~」
二人が笑い合う
いや……
笑い事じゃないから!
日向が左足を後ろへ引いた
千鶴も痛む肩から手を離す
二人の空気がまた変わった
「うそでしょ!?」
「まだやる気なの?」
日向は左目が開かなくて
左腕も動かないのに
千鶴だって
傷が腫れて
息をするだけでも辛そうなのに
「待って!」
私は二人の間へ飛び出した
「もう終わり!」
二人の動きが止まる
日向が私を見る
「美緒~」
「まだ始まったばっかりだよ~」
「始まったばっかりでこれでしょ!?」
「これ以上は駄目よ!」
私は日向の左腕を指さす
「腕が動いてないじゃん!」
「左目だって見えないでしょ!?」
今度は千鶴の肩を指さす
「千鶴も!」
「服も肌も破れてるし!」
「少し動くだけでもすごく痛いんでしょ!?」
「早く治療しないと!」
「ですが」
「駄目!」
「でも~」
「駄目ったら駄目!」
私は大きく両手を広げた
「約束したでしょ!?」
「私かお父さんが止めたら!」
「そこで終わり!」
二人が黙って私を見る
その時
お父さんが口を開いた
「美緒」
「二人とも闘志が高まっている」
「この戦いはいい経験に――」
あ
やっぱり
こいつはもっとやれと言うと思ったわ
「うるさいわね!」
「お父さんは黙ってて!」
「二人とも女の子なのよ!」
「傷でも残ったらどうするのよ!」
日向と千鶴が顔を見合わせた
「仕方ないね~」
「そうですね」
二人が同時に構えを解いた
あっさり本当にやめた
約束はちゃんと守るらしい
お父さんだけが不満そうな顔をしている
今にも何か言い出しそうだ
私は横目でお父さんを睨む
「お父さんの服だけ洗わなくていいの?」
「お布団干さないよ」
「シーツ替えないよ」
「プロテイン自分で用意する?」
「飲みやすくしてあげないと飲めないくせに」
それでもお父さんは不満そうな顔のままだ
「道場とジムの会員管理と経理入力やらないよ」
「確定申告も手伝わないよ」
「私に背いてまともな生活できると思ってるの?」
少し間を置いて
お父さんが渋々
片手を上げた
「そこまで!」
こうして
本当の死闘になる一歩手前で
二人の戦いを終わらせた
私は日向と千鶴の間を歩いていた
右に日向
左に千鶴
二人ともずっと笑顔だが会話はない
怖い
すごく怖い
なんか変な圧が両側から来る……
少し後ろでは
伊織くんが困惑した顔で
私たちについてきている
うん
私にもよく分からないから
そんな顔しないで
「ねえ」
私は二人を交互に見る
「本当にやるの?」
「やるよ~」
「もちろんです」
ほぼ同時に即答
「やめない?」
「嫌です」
「やめないよ~」
また即答
駄目だこの二人
絶対にやるつもりだ
私がなんとかして今日は止めたとしても
すぐに私のいないところで勝手に始めるに決まってる
それならまだ
私の見ている前でやらせた方がいい
私は大きく息を吐いた
「分かった」
二人が同時に私を見る
「ただし!」
私は足を止めた
「条件があります!」
日向が首を傾げる
「条件~?」
「うん」
私は二人を指さした
「場所はうちの道場の庭」
「お父さんと私が立ち会う」
「それから」
二人の顔を交互に見る
「私かお父さんが止めたら」
「その時点で終わり!」
「絶対に続けないこと!」
日向が笑顔で頷く
「いいよ~」
千鶴も少しだけ考えてから頷いた
「承知しました」
私は少し拍子抜けする
意外とすんなり受け入れてくれた
「本当に?」
「止めたらやめる?」
「はい」
「もちろんです」
日向も嬉しそうに笑う
「約束するよ~」
やけに素直だ
逆にそこが余計に怖い気もするけど
これ以外の方法は思いつかない
とにかく
二人きりでは絶対にやらせちゃ駄目だ
死闘になるに決まってる
「じゃあ」
私は重い足取りで歩き出した
「うちの道場へ行くよ」
「は~い」
「はい」
二人の声は遠足へ行くみたいに明るかった
少し後ろを歩いていた伊織くんが近づいてきて私に耳打ちした
「僕が千鶴にやめるように言おうか?」
私は伊織くんの匂いをかがないよう
気を付けながら小声で返す
「女同士の話に伊織くんが口出ししちゃ駄目よ」
「それに……」
「仲が悪いわけじゃないのよ」
「どういうこと?」
「私にもよく分からない……」
「でもそうなのよ」
私たちは真っ直ぐに道場へ向かった
道場に着いて中に入ると
お父さんは道場の中央で門下生の指導をしていた
「お父さん!」
「美緒?」
「ちょっと来て!」
私が呼ぶと
お父さんが首をかしげて歩いてくる
事情を説明すると
「いいんじゃねえか?」
まぁ……予想通りの答えだった
「よくはないのよ」
「本人たちがやりたいって言ってるんだろ?」
「そういう子たちなの」
「それに二人とも戦い方がひどいんだから」
「怪我は確定なんだからね」
お父さんが私の後ろに立つ二人を見る
日向と千鶴が二人とも笑顔で
仲良く並んで道場の稽古を見ている
二人の視線を意識して
明らかに門下生がいつもより張り切っている
見た目だけなら
二人とも可愛い女の子だから無理もない
これから戦うためにここにいるようにはとても見えない
お父さんが二人を見る
「お前ら」
「本気でやるのか?」
「はい」
「やるよ~」
「そうか」
お父さんがにやりと笑った
「面白え」
「面白くはない!」
やっぱりこの父親に相談したのは間違いだった
でもいざって時に私ひとりじゃ
この二人を力づくでは止められない
「ただし」
お父さんの声が低くなる
「殺すなよ」
二人の表情がほんの少しだけ変わった
「取り返しのつかねえ怪我もなしだ」
「俺か美緒が止めたら」
「その瞬間に終わり」
「一発でも続けたら」
お父さんが二人を睨む
「俺が相手になる」
おお~、お父さん見直したわ!
ちゃんとそういうの分かる子だったのね!
日向が少しだけ嬉しそうに笑った
「それはそれで~」
「日向!」
「冗談だよ~」
とても冗談には聞こえなかった
千鶴は静かに頭を下げた
「承知しました」
こうして
二人の立ち合いが決まってしまった
伊織くんも心配して
庭までついてこようとしたが
お父さんに止められて
道場に残って稽古するように言われた
お父さんの考えなんて
私には手に取るように分かる
伊織くんがいたら
千鶴を止めるかもしれないからだ
この父親……
本当は死闘を見たいだけじゃないでしょうね……
場所は道場の裏にある庭
道場ほど広くはないけれど木や植え込みがあって
地面には砂利が敷かれている
周りは高い塀に囲まれているから
外から見られる心配もない
しばらくして日向が道場から出てきた
学校へ持ってきていた鞄の中に
自分の道着を入れていたらしい
「なんで持ってきてるのよ……」
日向が笑う
「いつも持ち歩いてるよ~」
「美緒がいつその気になるか分からないから~」
「そ、そうなんだ……」
日向が着ているのは朱色の道着でズボンは黒だった
普通の空手着とは違い腰には帯がない
道着の裾が袴のように腰回りを覆っている
いつもの制服姿とはまるで印象が違う
日向が軽く肩を回す
その表情はいつもと変わらない
にこにこふわふわ
だけど体から感じる空気だけが違っていた
そして千鶴も庭へ出てきた
黒い忍び装束
長い髪を後ろでまとめ
両腕と両脚には布が巻かれている
腰や袖、胸元
あちこちが少しだけ膨らんでいた
何かを隠し持っている
私と戦った時の千鶴は
体の線が見えるようなメイド服を着ていた
武器らしい武器も持っていなかった
使ったのは庭の砂利くらい
だけど今は違う
完全に戦うための姿
二人が庭の中央へ向かう
ぞくっ
背中が震えた
二人とも本気だ
どうなっちゃうのよ……
「ねえ」
私はお父さんを見る
「やっぱり」
「今からでも止めた方が――」
「もう遅えよ」
お父さんは二人から目を離さなかった
「始まるぞ」
庭の中央で日向と千鶴が向かい合う
距離は五メートルほど
千鶴が先に口を開いた
「日向」
「なに~?」
「念のため」
「先にお伝えしておきます」
千鶴が自分の袖へ手を触れる
「私の戦い方は」
「正面から殴り合うものではありません」
「使えるものはなんでも使います」
日向が少しだけ首を傾げた
「美緒とは~」
「どうしたの~?」
「もちろん」
「使いましたよ」
日向が嬉しそうに笑った
「だったら~」
「私にもそれでいいよ~」
「そうですか」
千鶴の口元がほんの少しだけ上がる
その笑顔を見て私は息をのんだ
私と戦った時の千鶴とは違う
今の千鶴は戦うための服を着ている
最初から全部使うつもりだ
「双方」
お父さんが右手を上げた
「前へ」
二人が一歩ずつ前へ出る
「礼!」
日向が頭を下げる
千鶴も頭を下げた
二人が同時に顔を上げる
なんで二人とも嬉しそうに笑ってるのよ
お父さんが二人を見た
そして上げていた手を勢いよく振り下ろす
「始め!」
次の瞬間
千鶴の右手が動いた
黒いものが日向の顔へ飛ぶ
小さな玉
速い!
日向が頭を横へずらした
黒い玉が日向の左頬をかすめる
避けた!
そう思った
その瞬間
パンッ!
黒い玉が破裂して赤い煙が広がる
「っ!」
日向の顔の左側が赤い煙に包まれた
日向がすぐに後ろへ跳ぶ
煙の中から離れて
左手で左目を押さえた
「日向!?」
「大丈夫~」
声はいつも通り
でも左目が開いていない
その目から涙が流れている
日向が少しだけ舌を出した
「うえ~」
「これって唐辛子~?」
そんな日向を見て
千鶴が薄く笑っている
いつの間にか両手には
地面に敷かれた砂利が握られていた
「正解です」
「私の手作りなんですよ」
千鶴が右手の砂利をゆっくりと握り直す
「おいしいでしょう?」
日向が少し首を傾げた
「私~」
「辛いものはちょっと~」
「あら」
「それは残念ですね」
千鶴の姿勢が一気に低くなった
次の瞬間
地面をはうように日向へ迫る
速い!
同時に右手の砂利を投げた
日向の顔を狙っていくつもの小石が飛ぶ
左目を閉じたまま日向が右手を前へ出す
その右手が流れるように動いた
ぱしっ
ぱしっ
ぱしっ
飛んできた砂利が日向の右手の中へ次々と収まっていく
「すご!」
飛んできた全ての砂利を右手だけで掴んだ
日向が少し右手を開く
その中には千鶴が投げた砂利が握られていた
「千鶴~」
「そんなにいっぱい投げたら~」
「危ないよ~」
「そうですか」
千鶴が残った左手の砂利を投げる
今度は日向の顔だけじゃない
的を絞らず広がるように無数の砂利が飛ぶ
日向も右手に持っていた砂利を千鶴へ投げ返した
二人が同時に前へ出る
ばらばらばら!
砂利が二人の道着へ当たる
頬へ当たる
腕へ当たる
それでも二人は止まらない
距離が一気になくなる
千鶴が日向の左側へ回り込んだ
日向の左手首を掴む
そのまま体ごと巻きつくように左腕へ絡みついた
肘が普通とは逆の方向へ曲がろうとする
まずい!
あれは本当に壊す技だ
「お父さん!」
「止めて!」
私が叫んだ
でも次の瞬間
日向の全身からふっと力が抜けた
日向が千鶴の力へ逆らわず体を回す
千鶴の体がその動きに引き込まれた
重心が流れる
その瞬間
千鶴の手から日向の左腕が抜けた
体を回した勢いで
力の抜けた左腕がしなった
まるで一本のムチみたいに
千鶴の肩口へ飛んだ
バチン!!
庭にムチで叩いたような音が響く
千鶴の体が大きく弾かれた
肩口から脇腹へ
忍び装束が斜めに引き裂かれる
裂けた布の下には
ムチで切りつけられたような
細長い傷が走っていた
一瞬遅れて
そこから血がにじみ出した
「ぐっ……!」
千鶴が苦しそうに顔を歪める
その体が小さく震えて
そのまま後ろへ飛ぶ
地面へ片手をつき
もう一度さらに後ろへ跳んだ
砂利の上へ着地する
片膝をついて肩を押さえた
痛そう……
息をするたび顔が歪んでいる
日向はその場に立って動かない
左目は閉じられたままだった
それでも
いつもの笑顔を浮かべている
「やるじゃ~ん」
「こんなに怖い子とは思わなかった~」
「でもさ~」
日向が千鶴の肩を見て笑う
「それ~」
「すごく痛いでしょ~?」
「まだ動ける~?」
千鶴は歯を食いしばりながら
ゆっくりと立ち上がった
「あなたの方こそ」
千鶴が日向の左腕を見る
「その腕」
「動きます?」
日向が自分の左腕を見る
肩から下が力なく垂れ下がっていた
いつもの力を抜いた構えじゃない
本当に動いていない
日向が左腕を動かそうとする
だけどぴくりともしなかった
「ん~」
「全然動かないね~」
日向は面白そうに首を傾げる
「肘を取った時に何かしたの~?」
千鶴が答える
「親指で神経を圧迫しました」
「あ~」
日向が右手で自分の左肘を指す
「この辺を~」
「親指で押し込んでたやつ~?」
「はい」
「本来は相手の抵抗を封じて」
「容易に肘を折るための技です」
「時間が経てば」
「少しずつ動くようになりますよ」
「つまり~」
日向が笑う
「当分は動かないんだ~」
「そういうことです」
「千鶴~」
「なんです?」
日向は右手で自分の左目と左腕を指さした
「酷いことするね~」
千鶴は肩口から脇腹まで
斜めに裂けた忍び装束へ目を落とす
裂けた布の下の皮膚には
細長い傷が走っている
千鶴が痛む肩をわずかに動かした
「っ……」
焼けるような痛みに顔が歪む
それでも日向へ薄く笑い返した
「お互い様では?」
「それもそうだね~」
二人が笑い合う
いや……
笑い事じゃないから!
日向が左足を後ろへ引いた
千鶴も痛む肩から手を離す
二人の空気がまた変わった
「うそでしょ!?」
「まだやる気なの?」
日向は左目が開かなくて
左腕も動かないのに
千鶴だって
傷が腫れて
息をするだけでも辛そうなのに
「待って!」
私は二人の間へ飛び出した
「もう終わり!」
二人の動きが止まる
日向が私を見る
「美緒~」
「まだ始まったばっかりだよ~」
「始まったばっかりでこれでしょ!?」
「これ以上は駄目よ!」
私は日向の左腕を指さす
「腕が動いてないじゃん!」
「左目だって見えないでしょ!?」
今度は千鶴の肩を指さす
「千鶴も!」
「服も肌も破れてるし!」
「少し動くだけでもすごく痛いんでしょ!?」
「早く治療しないと!」
「ですが」
「駄目!」
「でも~」
「駄目ったら駄目!」
私は大きく両手を広げた
「約束したでしょ!?」
「私かお父さんが止めたら!」
「そこで終わり!」
二人が黙って私を見る
その時
お父さんが口を開いた
「美緒」
「二人とも闘志が高まっている」
「この戦いはいい経験に――」
あ
やっぱり
こいつはもっとやれと言うと思ったわ
「うるさいわね!」
「お父さんは黙ってて!」
「二人とも女の子なのよ!」
「傷でも残ったらどうするのよ!」
日向と千鶴が顔を見合わせた
「仕方ないね~」
「そうですね」
二人が同時に構えを解いた
あっさり本当にやめた
約束はちゃんと守るらしい
お父さんだけが不満そうな顔をしている
今にも何か言い出しそうだ
私は横目でお父さんを睨む
「お父さんの服だけ洗わなくていいの?」
「お布団干さないよ」
「シーツ替えないよ」
「プロテイン自分で用意する?」
「飲みやすくしてあげないと飲めないくせに」
それでもお父さんは不満そうな顔のままだ
「道場とジムの会員管理と経理入力やらないよ」
「確定申告も手伝わないよ」
「私に背いてまともな生活できると思ってるの?」
少し間を置いて
お父さんが渋々
片手を上げた
「そこまで!」
こうして
本当の死闘になる一歩手前で
二人の戦いを終わらせた


