いまさら家に男が一人増えたところで構いません!

5人が榊家を出た頃には

もうとっくに夜も更けていた

日向と桐生先生と別れて三人で帰路につく

私は大きく伸びをした

「つかれた~」

「大丈夫?」
「美緒さん」

「大丈夫」
「帰ったらお風呂入って寝ようよ」

千鶴が自分の髪の毛を気にしている

「お兄様が投げつけてきた砂」
「何か混ぜてあったようです」
「髪がべたべたして気持ち悪い」

「千鶴も大変ね」
「お兄ちゃんってちょっと憧れてたけど」
「幻想は粉々に打ち砕かれたわ」

「よければ差し上げますよ」

「遠慮します」

それから時計を見る

「家には静かに入ろうね」
「みんな寝てるだろうし」
「お父さんに見つかったら絶対面倒だわ」

高梨家の夜は早い

お父さんだって九時を過ぎれば寝ている

出かける時には

家の中は確かに静まり返っていた

あとは起こさないように

そっと帰れば一件落着

そんなことを考えながら私は家へ向かった

玄関の前へ着く

「あれ?」

家の中から明かりが漏れている

消してあったはずだけど……

私は静かに扉を開けた

リビングの明かりが煌々とついている

その瞬間

バタバタバタッ!!

リビングからものすごい足音が聞こえた

「ねえちゃん!?」

陸が飛び出してきた

「うわっ!」

「どこ行ってたんだよ!!」

「え?」

なんで起きてるの?

陸は寝間着姿で髪もぼさぼさ

どう見ても一度寝てから起こされた顔だ

「なによ」
「そんな大声出して」

「大声にもなるだろ!」

陸が私を指さす

「父ちゃんと湊が」
「ねえちゃん探しに行ってんだぞ!」

「……え?」

私は固まった

「えええええ!?」
「なんで!?」

「なんでって!」

陸が呆れた顔になる

「十一時くらいに父ちゃんがトイレに起きて」
「ねえちゃんの部屋の扉がちょっと開いてて」
「中を見たらいなかったって」

「あ……」

そういうことか

なんで今日に限って起きるのよ……

「それで俺と湊が叩き起こされて」

陸がスマホを取り出す

「ずっと大騒ぎだったんだからな!」

「ちょ、ちょっと待って」

陸はもう電話をかけていた

「湊!」
「ねえちゃん帰ってきた!」

電話の向こうから大声が聞こえる

「うん!」
「いる!」
「家!」

陸が電話を切る

すぐに、もう一度かける

「父ちゃん!」
「ねえちゃん帰ってきた!」

私は玄関に立ち尽くした

そんなに心配してたの……?

そっと帰ればいいなんて

私が勝手に思っていただけだった

悪いことしちゃった……

その時

玄関の外からばたばたと足音が聞こえてきた

バンッ!

勢いよく扉が開く

「ねえちゃん!!」

「湊?」

寝間着の上に上着だけ羽織った湊が立っていた

髪はぼさぼさ、額には汗

肩で息をしている

「どこ行ってたんだよ!?」

「どこって……」

私は千鶴を見る

「千鶴を迎えに――」

湊が私の黒い道着姿を見て眉をひそめた

「変だとは思ってたけどよ……」
「連絡くらいしろよ!」
「ってか言えよ心配すんだろうが!」

「ご、ごめん」

湊が大きく息を吐く

「親父が大変だったんだぞ!」

「お父さん?」

「ねえちゃんがいなくなったって」
「俺と陸を叩き起こして」

「それは……今聞いた……」
「ごめん……」

「しかも」

湊が伊織くんを見る

「伊織もいねえし!」

「僕?」

伊織くんが自分を指さす

「親父が」
「ねえちゃんが伊織と駆け落ちしたとか言い出して」

「はあ!?」

「二人で逢い引きして」
「どっか行ったんじゃないかとか」

「なによそれ!?」
「そんなわけないでしょ!?」

私は伊織くんを見る

「ねえ!?」

伊織くんがすごく困った顔をする

「そ、そうだよね……」
「そんなわけ……ないか……」

「俺もそう言ったって!」

湊が頭を掻く

「でも親父」
「全然聞かねえんだもん」

「もう……」
「変な心配の仕方して……」

私はため息をつく

その時

湊の目が私の後ろへ向いた

「ん?」

千鶴を見る

「千鶴姉ちゃん?」

「はい」

「なにその格好」

千鶴が自分の黒い忍び装束を見る

「これですか?」
「忍び装束です」

湊の目が輝いた

「忍者!?」

「そうですよ」

「マジで!?」

陸まで目を輝かせて近づいてくる

「千鶴姉ちゃん」
「忍者だったの!?」

「そうです」

「手裏剣ある!?」

「ありますよ」

「見せて!」

「危ないので駄目です」

「壁走れる!?」

「少しなら」

「天井に張り付ける!?」

「天井ですか?」

千鶴が少し考える

「聞いてもいないのに兄が教えてきたので」
「できますよ」

「見たい!」
「やって見せて!」

「俺も見たい!」

千鶴が少し困った顔をした

「んー……」
「イメージが悪いので」
「あまりやらないようにしているのですが」

私は千鶴を見つめる

たまに感じるけど

千鶴って宗一郎さんのこと

あんまりよく思ってなさそうね

まぁ……突然

妹を殴って気絶させて家に連れ帰るような兄なんだから

そりゃそうかも……

それに千鶴も困ってるし

そろそろ止めてあげよう

私は横から口を挟んだ

「もう夜中だから」
「また今度ね」

「一回だけ!」

「天井だけ!」

「天井が駄目なのよ!」

千鶴がくすりと笑う

「一度だけですよ」

「え!? 千鶴、いいの?」

「やったー!」

千鶴が軽く助走をつける

たっ

壁を蹴った

そのまま梁へ手をかけ体を持ち上げる

するすると上へ

あっという間に天井にぴたりと張り付いた

「すげええええ!!」

「蜘蛛みたい!!」
「ほんとに忍者だ!」

湊と陸が大騒ぎする

千鶴もちょっと得意そうだ

私は腰へ手を当てる

「だから!」
「静かにしなさいって」
「下の子が起きちゃうでしょ!?」

その時

玄関の扉が開いた

上から押さえつけられるようなプレッシャー

明らかに空気が重くなった

私はゆっくりと振り返る

「美緒!」

「お、お父さん!」

お父さんが立っていた

寝間着のままで足元には適当に履いたサンダル

全身が汗でぐっしょりだった

しかも

服には返り血みたいな赤いシミまでついている

……ど、どこを探してきたのよ

ものすごく怖い顔

まるで……鬼

「た、ただいま……」
「心配かけてごめんね」
「お父さん……」

お父さんは答えない

無事を確かめるように

私の頭から足元までゆっくり視線を動かした

そして私の前に歩み寄って大きな手を私の頭へ置いた

「無事だったか」

「う、うん」

頭を優しく撫でられる

「そうか」

お父さんが小さく息を吐いた

「よかった」

……これなに?

なんか怖い

絶対怒られると思ってたのに

ものすごく優しい

だから逆に怖い

お父さんの視線が一瞬、私の黒い道着に落ちる

でもすぐに私の顔へ戻って

優しく微笑んだ

「外を歩き回って」
「汗もかいただろ」
「服も汚れてるな」

「まあ……」

「先に風呂へ入ってこい」

「え?」

「疲れただろ」

また頭を撫でられる

「ゆっくり入ってこい」

「う、うん……」

なんなの?

私は伊織くんを見る

伊織くんも少し困惑している

「じゃあ……」
「お風呂入ってくるね」

私はお風呂場へ向かった

脱衣所へ入って扉を閉める

ガチャ



◇ ◇ ◇


その音がした瞬間

美緒の父、剛志の顔から笑顔が消えた

しばらく確認するように脱衣所の扉を見つめる

そして

ゆっくりと伊織へ顔を向けた

「伊織」

「は、はい」

低く響くような声

さっきまでとはまるで違う

「立ち合いだ」

「……え? 師匠?」

剛志が両腕を大きく広げてから

両手を腰のあたりまで引いた

ゆっくりと深く腰を落としていく

深く息を吐く

「え……?」

伊織の顔が固まった

剛志の周りだけ

何かが膨れ上がっていくようだった

ぞわっ

その場にいた全員の肌が粟立った

「うお……」

湊が一歩後ろへ下がる

「親父やべえな……」
「なんだよそれ」

「湊?」

湊が剛志の構えを見つめる

いつもの両手掌とは違う

見たことのない構えだった

「俺もこんなの初めて見るぞ」

「初めて?」

剛志がゆっくり息を吐く

目に見えるような闘気をまといだした

伊織の顔から血の気が引いていく

伊織もさすがに気づいた

これは殺気だ

剛志の低い声が静かな家の中へ響いた

「この技はかつて……」
「拳友を再起不能にした」

「へ?」

「その反省から」

剛志の腰がさらに沈む

「二十年間」
「封印してきた」

「ちょ」
「ちょっと待ってください!!」

伊織が慌てて両手を上げる

「なんで今」
「そんな技を出すんですか!?」

剛志が伊織を真っ直ぐに睨む

「分かったんだ」

「なにがですか!?」

「この技は」

剛志の両腕にかつてない力が集まっていく

「貴様に使うために」
「存在していたのだと」

「えええええ!?」

「伊織」

「は、はい!」

「美緒を手籠めにして」

剛志の目が完全に据わる

「生きていられると思うな!」

「何もしてませんって!!」

「安心しろ」

「何をですか!?」

剛志が真顔で言った

「貴様を殺したら」
「俺も刑務所に入ってやる」

「全然安心できない!!」
「師匠!」
「誤解です!」

伊織がじりじりと後ずさる

「一回!」
「一回話を聞いてください!」

「言い残すことはそれだけか」

「遺言を言ってるんじゃないんです!!」

剛志の足が床を擦る

じりっ

その瞬間

すたっ

黒い影が二人の間へ落ちてきた

「待ってください!」

「ん?」

剛志の動きが止まる

忍び装束姿の千鶴がそこに立っていた

「千鶴?」

「はい」

剛志が目を瞬かせる

「いたのか?」

「ずっといました」

「どこに?」

千鶴が天井を指さした

「上です」

剛志が天井を見る

「そうか」

普通に納得した

伊織が信じられないものを見るように剛志を見る

「そこは素直に信じるんですね……」

千鶴が剛志へ向き直る

「師匠」
「完全な誤解です」

「なに?」

「私も一緒にいました」

剛志の構えが少しだけ緩む

「美緒と伊織ちゃんは」
「二人で出かけていたわけではありません」
「私を迎えに来てくれたんです」

剛志の眉が上がる

「千鶴を?」
「どういうことだ?」

「最初から説明します」

千鶴がリビングを指さした

「ですから」

ちらっと伊織を見る

「伊織ちゃんを殺すのは」
「私の話を聞いてからにしてください」

「分かった」
「聞く価値はありそうだ」
「話は聞いてやる」
「聞いた後にそいつの節操のないものを引き抜いて始末する」

「全然分かってないじゃないですか!?」

伊織の叫びが家中に響いた

こうしてリビングで剛志の前に

伊織と千鶴が正座した

なぜか湊までその横へ正座している

「なんで俺も?」

「お前も聞け」

「俺もう」
「だいたい分かってるんだけど」

陸はあくびをしながら自分の部屋に戻っていった

千鶴が今日あったことを最初から説明した

榊家へ連れ戻されたこと

美緒が一人で迎えに来るつもりだったこと

伊織が玄関で待っていて

一緒に来てくれたこと

日向と桐生先生も同行したこと

兄と戦ったこと

そして

最後は自分で兄と向き合って

高梨家へ帰ると認めさせたこと

全部聞き終えると剛志は腕を組んだ

「なるほど」
「そうだったのか」

「はい」

剛志が伊織を見る

そして大きく頷いた

「伊織」
「俺はお前を信じてたぞ」

伊織の目がゆっくり細くなる

「さっき」
「僕のこと殺そうとしてましたよね?」

「してない」

「二十年間封印していた技を」
「僕に使おうとしてましたよね?」

「気のせいだ」

「貴様を殺したら」
「俺も刑務所に入ってやるって」

「言ってない」

「誤魔化さないでください!」
「本気で言ってましたよね!?」

「まあ、なんだ」

剛志は気まずそうに伊織から目をそらした

そして急にものすごく上機嫌になる

「美緒がそんなことをしたか!」

豪快に笑う

「我が娘ながら肝が据わってる!」
「友達を取り返しに榊家に乗り込むとはな!」

「そこ褒めるところですか!?」

伊織が叫ぶ

剛志はまったく気にしない

「さすが俺の娘だ!」

千鶴が少し困ったように笑う

「美緒には」
「本当に助けられました」

「そうか!」

剛志がさらに嬉しそうに笑った

「美緒には昔から」
「そういうところがあるからな!」

「師匠」

「なんだ?」

「僕を殺そうとしたことだけは」
「ちゃんと謝って――」

◇ ◇ ◇


廊下から足音が聞こえた

「ふぅ~」

私はタオルで髪を拭きながらリビングへ入る

「さっぱりした」

お父さんの正面には

伊織くんが正座している

その横には同じく正座の千鶴と湊

「なにしてるの?」

しーん

誰も答えない

「どうしたの?」

お父さんがにっこりと笑った

「なんでもないぞ!」

千鶴も慌てたように笑う

「なんでもありません」

湊が面倒そうに頷く

「なんでもねえ」

私は伊織くんを見る

「ほんとに?」

伊織くんがお父さんをちらっと見る

お父さんも笑顔で伊織くんを見た

その大きな手が伊織くんの肩へ乗った

ぎりっ

伊織くんが俯いた

「な、なんでもないよ……」

「そう?」

なにか空気が変だった

「伊織くん」
「ちょっと顔色悪くない?」

「うん」
「生まれて初めて」
「死を身近に感じたからね」

「え?」

……ああ

榊家での戦いのこと?

そんなに心配してくれてたんだ

そこではっと気づく

私は時計を見た

「もう遅いよ」
「みんなもお風呂入りなよ」
「早く寝なきゃ」
「明日も学校あるし」
「お父さんだって仕事でしょ?」

「そうだな!」

お父さんが立ち上がる

それから順番にお風呂へ入る

お父さんは嫌がる湊を連れて一緒に

そのあと千鶴

最後に伊織くん

みんながお風呂を済ませると

それぞれ自分の部屋へ戻っていった

しばらくして家の中が静かになる

私も布団へ入った

「つかれた……」

目を閉じると

すぐに意識が遠のいていく

こうして

長かった一日が

ようやく終わった