そして夜が深まり
家の中が静まり返る
伊織くんはまだ帰ってきていない
九条家の用事が長引いているんだろう
私は自分の部屋で黒い道着に袖を通して帯を締める
高梨家には
道着の色について一つルールがある
普段は白
覚悟を決めて戦う時だけ黒を着る
鏡の中の自分を見る
もう迷いはない
千鶴を連れ戻す時が来た
それだけだ
音を立てないように階段を下りる
玄関で靴を履いてそっと扉を開けた
夜風が頬を撫でる
そのまま門へ向かって歩き出す
「美緒さん」
「ひゃっ!」
飛び上がるように振り返った
玄関脇の壁際
そこに伊織くんが体育座りをしていた
しかも制服姿のままだ
「待ってたよ」
「え!?」
「伊織くん!?」
慌てて駆け寄る
「なにしてるの!?」
伊織くんが立ち上がった
「美緒さんを待ってた」
「待ってたって……」
「まさか放課後から!?」
「うん」
「九条家に用があるって言ってたのは!?」
「あれは嘘だよ」
「夕飯いらないって言ってたのって」
「このため!?」
こんな夜中に玄関の横で体育座りをして
いったい何時間そこにいたのよ
伊織くんは私の道着姿を見た
「美緒さんがいつ出るか分からなかったから」
「それじゃ……」
「ご飯も食べてないってこと!?」
「そんなことより」
「千鶴を連れ戻しに行くんでしょ?」
「う……」
思わず肩が跳ねた
「な、なんでそう思うのよ」
「美緒さん分かりやすいもん」
「え?」
「ばればれだったよ」
「うそ……」
できる限り普通にしていたつもりだった
学校でも家でもいつも通りに
「ずっと千鶴のこと気にしてたでしょ」
伊織くんが続ける
「それに今日になって」
「歩き方が普通に戻ったし」
「何か気持ちを固めたような顔をしてたから」
「そこまで見てたの!?」
「そりゃ見てるよ」
どくん
胸が跳ねた
私は慌てて視線をそらす
今は心を乱している場合じゃない
そういう意味じゃないって……
「と、とにかく!」
伊織くんを見る
「私のせいなの」
「私が余計なことをして」
「その隙を突かれて千鶴は連れていかれた」
拳を握る
「だから私が迎えに行く」
「伊織くんには関係ないから」
伊織くんが少し考えるように首を傾げた
「じゃあ」
「ここで問題です」
「え?」
「問題?」
伊織くんが人差し指を立てる
「美緒さん一人で榊家に行って」
「榊家の手練れ十数人を相手に戦う」
「そ、そんなにいるの!?」
「それとも」
伊織くんがもう一本の指を立てた
「九条家の跡継ぎである僕を連れて行って」
「榊家の当主と話し合う」
そして私に笑いかける
「どちらがいいでしょう?」
「はい」
「回答者の美緒さん」
「どうぞ」
「ええ……」
眉を寄せて考える
いや……
考えるまでもなかった
「は、話し合う方……」
「正解!」
伊織くんが嬉しそうに笑った
「だから僕も一緒に行くよ」
「でも……」
「千鶴は僕の幼馴染でもあるから」
伊織くんの表情が少しだけ真面目になる
「僕は」
「美緒さんにも千鶴にも」
「関係ないなんて嫌だよ」
「伊織くん……」
「それに」
また笑った
「美緒さんと夜にお出かけなんて」
「なんかワクワクするんだ」
「え……」
どくん
また胸が鳴った
反射的に胸元を押さえる
まただ
私は知る限りの方法で精神を整えた
心を乱さないようにした
ファブリーズで伊織くんの香りも封じた
なのに
伊織くんにこんなことを言われただけで
簡単に乱れる
私がこんなに弱いから……
「美緒さん?」
「だ、誰にでもそんなこと言うんでしょ!?」
「え?」
本気で分からないという顔をされた
「美緒さんにしか言わないけど」
「……っ」
どくん
まずい……やぶ蛇だ
「と、とにかく!」
私は勢いよく門へ向かった
「いいよ!」
「ついてきても!」
「その方がいいもの!」
伊織くんが後ろからついてくる
門の前で私は足を止めた
「その……」
「伊織くん」
「なに?」
「美緒さん」
「きっと私だけじゃ無理だった」
「本当に……ありがとう」
「それじゃ」
伊織くんが少し楽しそうに笑う
「全部上手くいったら」
「ご褒美とか貰っちゃおうかな」
「ご褒美?」
「実は奏太くんと晴くんを見て」
「真似したいな~って思ってたことがあるんだ」
「奏太と晴?」
「なによ」
「たいしたことじゃないよ」
「上手くいったらお願いするね」
「なによそれ……」
私は門の鍵を開けて大きく息を吐く
これから榊家へ行く
遊びじゃない
場合によっては本当に戦うことになる
気を引き締めないと
「お邪魔でした~?」
「……は?」
門の外に制服姿の日向が
にやにやしながら立っていた
その隣には桐生先生
学校でいつも着ている姿
短めのスカートにジャケット
「なっ……」
日向が私と伊織くんを交互に見る
「二人きりになりたいなら~」
「私たち帰ろっか~?」
「ち、違うわよ!」
「え~?」
日向がさらに楽しそうに笑う
「じゃあ伊織くんは~?」
突然話を振られた伊織くんが首を傾げる
「僕は二人きりがよかったよ」
「伊織くん!?」
「ははは~!」
「やっぱお邪魔じゃん~」
「違うって言ってるでしょ!」
先生が小さくため息をついた
「あなたたち……近所迷惑よ」
「あ……」
私は口を閉じる
それより
「っていうか」
二人を見る
「なんでいるのよ!?」
日向があっさり答えた
「美緒~」
「今週ずっと変だったじゃん~」
「え?」
「それで今日なんかさ~」
日向の目が少しだけ細くなる
「す~ごい闘気が出てた~」
先生も頷いた
「どう見ても決闘前だったからね」
「心配になって張ってたのよ」
「張ってたって……」
私が呆れていると
伊織くんが口を開いた
「千鶴を迎えに行くんです」
二人の視線が伊織くんへ向く
「千鶴~?」
「誰~?」
「僕の幼馴染だよ」
私も続ける
「私の友達でもある」
「榊千鶴」
「榊家に連れ去られたの」
その瞬間
二人の表情が変わった
さっきまで笑っていた日向から笑みが消える
先生も目を細めた
「……榊家?」
日向が聞き返す
先生が私を見る
「古流武術の榊のこと?」
「知ってるんですか?」
「知ってるも何も……」
日向が答えた
「武術やってて~」
「榊家を知らない方が珍しいかも~」
「え、そんな有名なの?」
「私そういうの全然知らないんだけど」
日向が改めて私の道着を見る
「なるほどね~」
「一人で榊家に乗り込むつもりだったんだ~」
「……うん」
「馬鹿すぎ~」
「下手したら死ぬよ~」
「うるさいな!」
先生が小さく息を吐いた
「詳しい事情は歩きながら聞くわ」
そして、そのまま歩き出す
「こんなところで話してていいの?」
「行くわよ」
「え?」
私は先生の背中を見る
「桐生先生たちも来るの?」
日向がにやりと笑った
「私には見向きもしない美緒が~」
「あんなに自分を高めて戦いたい相手~」
「きっと楽しいと思って待ってたんだよ~」
「それに榊家って聞いちゃったら~」
「帰れないよね~」
日向が先生の後を追う
私は二人の背中を見つめた
「美緒さん」
隣から伊織くんの声がした
「なに?」
「行こうよ」
「大丈夫だから」
「僕に任せて」
「う……うん」
私たちは夜道を歩き出した
目的地は九条家邸の隣にある
古流武術の名家
榊家
そこに千鶴を迎えに行く
四人で夜道を歩き
やがて大きな屋敷の前で足を止めた
高い塀
その中央には重厚な造りの大きな門
九条家ほどではないにしても
普通の家とは比べものにならないほど広い
ただ九条家とは雰囲気がまるで違った
豪華というより無骨
飾り気がなく
古くからそこにあり続けているような
近づくだけで背筋が伸びるような佇まいだった
門の両脇には男が二人
長い棒を手に持って立っている
私は門を見上げた
「ここが榊家……」
思っていた以上だった
「なんか威厳があるわね」
日向も門を見上げる
「あれって~」
「どうやって中に入るの~?」
「インターホンとかあるのかな~」
「あるわけないでしょ」
先生が呆れたように屋敷を見る
それから小さく息を吐いた
「ほんっと……」
「世の中って理不尽だわ」
「先生~」
「なんか闘気が急に大きくなったよ~」
「何と戦ってるの~?」
「格差社会よ」
「急に話が大きくなったね~」
すると……
すたすた
伊織くんが一人で門へ向かって歩き出した
「え?」
私は慌てて声を上げる
「伊織くん!?」
でも伊織くんは止まらない
門の前まで行く
警備の男たちが伊織くんを見る
「こんばんは」
伊織くんが声をかけた
二人の男がすぐに棒を構えた
「誰だ!」
だが
一人が伊織くんの顔を確認した瞬間
表情が変わった
「あ……」
二人ともすぐに棒を下ろす
そして深く頭を下げた
「これは伊織様」
「このような夜分に」
「なぜ当家へ?」
私は少し離れたところから
その様子を見る
さっきまで私の隣で普通に歩いていた伊織くん
その伊織くんに大の大人が二人そろって頭を下げている
やっぱり住んでいる世界が違う
「千鶴に会いにきた」
「通せ」
すると警備の一人がわずかに間を置いた
「千鶴様は現在」
「留守にしております」
空気が変わった
伊織くんの顔から笑みが消える
「僕に」
冷たく響く低い声
「嘘をつくということが」
「どういうことか分かっているのか?」
「……っ」
警備の男の顔が一気に青ざめた
私は目を見開く
伊織くん?
なんだか……いつもと違う
もう一人の警備がすぐに前へ出た
「失礼いたしました!」
深く頭を下げる
「この者は本日まで不在にしており」
「事情を把握しておりませんでした」
「千鶴様は宗一郎様とともにお戻りになり」
「現在、屋敷内にいらっしゃいます」
伊織くんは表情を変えない
「そんなことは知っている」
警備の男を見る
「宗一郎に」
「伊織が会いに来たと伝えろ」
「はっ!」
警備の男が勢いよく頭を下げる
そのまま門の脇を抜け
駆け足で屋敷の中へ消えていった
残された警備の男は
まだ顔を青くしたまま頭を下げている
伊織くんがその男へ近づき
顔を寄せて何かを囁いた
次の瞬間
男は地面へ額をつけるように深く平伏した
私は伊織くんへ駆け寄った
「伊織くん?」
「なに?」
いつもの声だった
私はまじまじと顔を見る
「なんか……すごいね」
「え?」
「なんかすごい」
自分でも語彙がひどいと思う
でもこれしか出てこなかった
伊織くんが少しだけ首を傾げる
私をしばらく見つめた
「……美緒さんは」
「こういう僕をどう思う?」
「へ?」
「冷たく感じたりしない?」
「怖かったり……」
「嫌だったりしない?」
「うーん……」
さっきの伊織くんを思い返す
確かにいつもの伊織くんとは違った
表情も声も立ち方まで
一緒に暮らす前
学校で遠くから見た時や
九条家で見た時と同じで近寄りがたい
冷たく感じる伊織くん
だけど……
「そうかもしれないけど……」
「ちょっとかっこいいかも」
「お父さんもたまにそういう時あるし」
伊織くんが勢いよく私を見た
「え?」
「へ?」
「そうだったの?」
「え?」
「まあ、そうだけど」
なんでそんな驚くのよ
「堂々としてるところとか」
「いつもの伊織くんと違うし」
「そういうところがあった方がいいわよ」
「でないと」
「生き残れないわよ」
伊織くんの口元がゆっくり緩んだ
「そうなんだ」
「な……なによ」
伊織くんが意味ありげに笑いかけてくる
「何よ……その顔」
「別に」
「絶対なんか思ってるでしょ」
「思ってないよ」
絶対……嘘だ
なんか意味ありげな顔してた
少し離れたところで
日向がにやにやしながら私たちを見ていた
桐生先生がその横へ顔を寄せる
そして小声で聞いた
「ねえ」
「なに~?」
「あの二人って」
「どこまでいってるの?」
日向の笑みがさらに深くなる
「どこまでって~?」
「一緒に住んでるんでしょ?」
「そうだよ~」
先生が私と伊織くんを見る
「付き合ってるの?」
「友達以上~」
日向が少し間を置く
「弟未満~」
「ふーん」
先生が納得したように頷いた
「高梨って鈍そうだもんね」
「すっごく鈍いよ~」
「ん? 呼んだ?」
私が振り返る
「なにも~」
日向が楽しそうに笑った
その時
ぎぎぎぎ
重い音が響いた
全員の視線が門へ向く
大きな門がゆっくりと開いていく
開いた門の向こう
広い敷地の中央に一人の男が立っていた
榊宗一郎
千鶴を連れ去った男
宗一郎は私たちを見ても表情を変えない
ゆっくりと頭を下げた
「伊織様」
「突然のご到来に驚きました」
顔を上げる
「どうぞ中へ」
伊織くんの表情から
さっきまで私に向けていた笑みが消えた
一瞬でまたあの冷たい顔に戻る
「ああ」
短く返事をする
そして何のためらいもなく門の中へ歩いていった
私はその背中を見る
家で見てきたそれとはまるで違う
あれが九条家の跡継ぎとしての伊織くんなんだ
「美緒~」
日向に呼ばれて我に返る
「行くよ~」
「う、うん」
私は伊織くんの後を追った
日向と桐生先生も続く
四人で榊家の門をくぐった
広い屋敷の中を歩く
九条家とは違って
廊下も柱もどこか古めかしく華やかさはない
でも
長い年月を積み重ねてきたことだけは分かる
壁には古そうな武具
廊下の奥には木刀や槍まで並んでいる
本当に武術の家なんだ
先を歩く宗一郎さんについていき
私たちは広い和室へ通された
「こちらへどうぞ」
宗一郎さんに促され
四人で畳の上に座った
家の中が静まり返る
伊織くんはまだ帰ってきていない
九条家の用事が長引いているんだろう
私は自分の部屋で黒い道着に袖を通して帯を締める
高梨家には
道着の色について一つルールがある
普段は白
覚悟を決めて戦う時だけ黒を着る
鏡の中の自分を見る
もう迷いはない
千鶴を連れ戻す時が来た
それだけだ
音を立てないように階段を下りる
玄関で靴を履いてそっと扉を開けた
夜風が頬を撫でる
そのまま門へ向かって歩き出す
「美緒さん」
「ひゃっ!」
飛び上がるように振り返った
玄関脇の壁際
そこに伊織くんが体育座りをしていた
しかも制服姿のままだ
「待ってたよ」
「え!?」
「伊織くん!?」
慌てて駆け寄る
「なにしてるの!?」
伊織くんが立ち上がった
「美緒さんを待ってた」
「待ってたって……」
「まさか放課後から!?」
「うん」
「九条家に用があるって言ってたのは!?」
「あれは嘘だよ」
「夕飯いらないって言ってたのって」
「このため!?」
こんな夜中に玄関の横で体育座りをして
いったい何時間そこにいたのよ
伊織くんは私の道着姿を見た
「美緒さんがいつ出るか分からなかったから」
「それじゃ……」
「ご飯も食べてないってこと!?」
「そんなことより」
「千鶴を連れ戻しに行くんでしょ?」
「う……」
思わず肩が跳ねた
「な、なんでそう思うのよ」
「美緒さん分かりやすいもん」
「え?」
「ばればれだったよ」
「うそ……」
できる限り普通にしていたつもりだった
学校でも家でもいつも通りに
「ずっと千鶴のこと気にしてたでしょ」
伊織くんが続ける
「それに今日になって」
「歩き方が普通に戻ったし」
「何か気持ちを固めたような顔をしてたから」
「そこまで見てたの!?」
「そりゃ見てるよ」
どくん
胸が跳ねた
私は慌てて視線をそらす
今は心を乱している場合じゃない
そういう意味じゃないって……
「と、とにかく!」
伊織くんを見る
「私のせいなの」
「私が余計なことをして」
「その隙を突かれて千鶴は連れていかれた」
拳を握る
「だから私が迎えに行く」
「伊織くんには関係ないから」
伊織くんが少し考えるように首を傾げた
「じゃあ」
「ここで問題です」
「え?」
「問題?」
伊織くんが人差し指を立てる
「美緒さん一人で榊家に行って」
「榊家の手練れ十数人を相手に戦う」
「そ、そんなにいるの!?」
「それとも」
伊織くんがもう一本の指を立てた
「九条家の跡継ぎである僕を連れて行って」
「榊家の当主と話し合う」
そして私に笑いかける
「どちらがいいでしょう?」
「はい」
「回答者の美緒さん」
「どうぞ」
「ええ……」
眉を寄せて考える
いや……
考えるまでもなかった
「は、話し合う方……」
「正解!」
伊織くんが嬉しそうに笑った
「だから僕も一緒に行くよ」
「でも……」
「千鶴は僕の幼馴染でもあるから」
伊織くんの表情が少しだけ真面目になる
「僕は」
「美緒さんにも千鶴にも」
「関係ないなんて嫌だよ」
「伊織くん……」
「それに」
また笑った
「美緒さんと夜にお出かけなんて」
「なんかワクワクするんだ」
「え……」
どくん
また胸が鳴った
反射的に胸元を押さえる
まただ
私は知る限りの方法で精神を整えた
心を乱さないようにした
ファブリーズで伊織くんの香りも封じた
なのに
伊織くんにこんなことを言われただけで
簡単に乱れる
私がこんなに弱いから……
「美緒さん?」
「だ、誰にでもそんなこと言うんでしょ!?」
「え?」
本気で分からないという顔をされた
「美緒さんにしか言わないけど」
「……っ」
どくん
まずい……やぶ蛇だ
「と、とにかく!」
私は勢いよく門へ向かった
「いいよ!」
「ついてきても!」
「その方がいいもの!」
伊織くんが後ろからついてくる
門の前で私は足を止めた
「その……」
「伊織くん」
「なに?」
「美緒さん」
「きっと私だけじゃ無理だった」
「本当に……ありがとう」
「それじゃ」
伊織くんが少し楽しそうに笑う
「全部上手くいったら」
「ご褒美とか貰っちゃおうかな」
「ご褒美?」
「実は奏太くんと晴くんを見て」
「真似したいな~って思ってたことがあるんだ」
「奏太と晴?」
「なによ」
「たいしたことじゃないよ」
「上手くいったらお願いするね」
「なによそれ……」
私は門の鍵を開けて大きく息を吐く
これから榊家へ行く
遊びじゃない
場合によっては本当に戦うことになる
気を引き締めないと
「お邪魔でした~?」
「……は?」
門の外に制服姿の日向が
にやにやしながら立っていた
その隣には桐生先生
学校でいつも着ている姿
短めのスカートにジャケット
「なっ……」
日向が私と伊織くんを交互に見る
「二人きりになりたいなら~」
「私たち帰ろっか~?」
「ち、違うわよ!」
「え~?」
日向がさらに楽しそうに笑う
「じゃあ伊織くんは~?」
突然話を振られた伊織くんが首を傾げる
「僕は二人きりがよかったよ」
「伊織くん!?」
「ははは~!」
「やっぱお邪魔じゃん~」
「違うって言ってるでしょ!」
先生が小さくため息をついた
「あなたたち……近所迷惑よ」
「あ……」
私は口を閉じる
それより
「っていうか」
二人を見る
「なんでいるのよ!?」
日向があっさり答えた
「美緒~」
「今週ずっと変だったじゃん~」
「え?」
「それで今日なんかさ~」
日向の目が少しだけ細くなる
「す~ごい闘気が出てた~」
先生も頷いた
「どう見ても決闘前だったからね」
「心配になって張ってたのよ」
「張ってたって……」
私が呆れていると
伊織くんが口を開いた
「千鶴を迎えに行くんです」
二人の視線が伊織くんへ向く
「千鶴~?」
「誰~?」
「僕の幼馴染だよ」
私も続ける
「私の友達でもある」
「榊千鶴」
「榊家に連れ去られたの」
その瞬間
二人の表情が変わった
さっきまで笑っていた日向から笑みが消える
先生も目を細めた
「……榊家?」
日向が聞き返す
先生が私を見る
「古流武術の榊のこと?」
「知ってるんですか?」
「知ってるも何も……」
日向が答えた
「武術やってて~」
「榊家を知らない方が珍しいかも~」
「え、そんな有名なの?」
「私そういうの全然知らないんだけど」
日向が改めて私の道着を見る
「なるほどね~」
「一人で榊家に乗り込むつもりだったんだ~」
「……うん」
「馬鹿すぎ~」
「下手したら死ぬよ~」
「うるさいな!」
先生が小さく息を吐いた
「詳しい事情は歩きながら聞くわ」
そして、そのまま歩き出す
「こんなところで話してていいの?」
「行くわよ」
「え?」
私は先生の背中を見る
「桐生先生たちも来るの?」
日向がにやりと笑った
「私には見向きもしない美緒が~」
「あんなに自分を高めて戦いたい相手~」
「きっと楽しいと思って待ってたんだよ~」
「それに榊家って聞いちゃったら~」
「帰れないよね~」
日向が先生の後を追う
私は二人の背中を見つめた
「美緒さん」
隣から伊織くんの声がした
「なに?」
「行こうよ」
「大丈夫だから」
「僕に任せて」
「う……うん」
私たちは夜道を歩き出した
目的地は九条家邸の隣にある
古流武術の名家
榊家
そこに千鶴を迎えに行く
四人で夜道を歩き
やがて大きな屋敷の前で足を止めた
高い塀
その中央には重厚な造りの大きな門
九条家ほどではないにしても
普通の家とは比べものにならないほど広い
ただ九条家とは雰囲気がまるで違った
豪華というより無骨
飾り気がなく
古くからそこにあり続けているような
近づくだけで背筋が伸びるような佇まいだった
門の両脇には男が二人
長い棒を手に持って立っている
私は門を見上げた
「ここが榊家……」
思っていた以上だった
「なんか威厳があるわね」
日向も門を見上げる
「あれって~」
「どうやって中に入るの~?」
「インターホンとかあるのかな~」
「あるわけないでしょ」
先生が呆れたように屋敷を見る
それから小さく息を吐いた
「ほんっと……」
「世の中って理不尽だわ」
「先生~」
「なんか闘気が急に大きくなったよ~」
「何と戦ってるの~?」
「格差社会よ」
「急に話が大きくなったね~」
すると……
すたすた
伊織くんが一人で門へ向かって歩き出した
「え?」
私は慌てて声を上げる
「伊織くん!?」
でも伊織くんは止まらない
門の前まで行く
警備の男たちが伊織くんを見る
「こんばんは」
伊織くんが声をかけた
二人の男がすぐに棒を構えた
「誰だ!」
だが
一人が伊織くんの顔を確認した瞬間
表情が変わった
「あ……」
二人ともすぐに棒を下ろす
そして深く頭を下げた
「これは伊織様」
「このような夜分に」
「なぜ当家へ?」
私は少し離れたところから
その様子を見る
さっきまで私の隣で普通に歩いていた伊織くん
その伊織くんに大の大人が二人そろって頭を下げている
やっぱり住んでいる世界が違う
「千鶴に会いにきた」
「通せ」
すると警備の一人がわずかに間を置いた
「千鶴様は現在」
「留守にしております」
空気が変わった
伊織くんの顔から笑みが消える
「僕に」
冷たく響く低い声
「嘘をつくということが」
「どういうことか分かっているのか?」
「……っ」
警備の男の顔が一気に青ざめた
私は目を見開く
伊織くん?
なんだか……いつもと違う
もう一人の警備がすぐに前へ出た
「失礼いたしました!」
深く頭を下げる
「この者は本日まで不在にしており」
「事情を把握しておりませんでした」
「千鶴様は宗一郎様とともにお戻りになり」
「現在、屋敷内にいらっしゃいます」
伊織くんは表情を変えない
「そんなことは知っている」
警備の男を見る
「宗一郎に」
「伊織が会いに来たと伝えろ」
「はっ!」
警備の男が勢いよく頭を下げる
そのまま門の脇を抜け
駆け足で屋敷の中へ消えていった
残された警備の男は
まだ顔を青くしたまま頭を下げている
伊織くんがその男へ近づき
顔を寄せて何かを囁いた
次の瞬間
男は地面へ額をつけるように深く平伏した
私は伊織くんへ駆け寄った
「伊織くん?」
「なに?」
いつもの声だった
私はまじまじと顔を見る
「なんか……すごいね」
「え?」
「なんかすごい」
自分でも語彙がひどいと思う
でもこれしか出てこなかった
伊織くんが少しだけ首を傾げる
私をしばらく見つめた
「……美緒さんは」
「こういう僕をどう思う?」
「へ?」
「冷たく感じたりしない?」
「怖かったり……」
「嫌だったりしない?」
「うーん……」
さっきの伊織くんを思い返す
確かにいつもの伊織くんとは違った
表情も声も立ち方まで
一緒に暮らす前
学校で遠くから見た時や
九条家で見た時と同じで近寄りがたい
冷たく感じる伊織くん
だけど……
「そうかもしれないけど……」
「ちょっとかっこいいかも」
「お父さんもたまにそういう時あるし」
伊織くんが勢いよく私を見た
「え?」
「へ?」
「そうだったの?」
「え?」
「まあ、そうだけど」
なんでそんな驚くのよ
「堂々としてるところとか」
「いつもの伊織くんと違うし」
「そういうところがあった方がいいわよ」
「でないと」
「生き残れないわよ」
伊織くんの口元がゆっくり緩んだ
「そうなんだ」
「な……なによ」
伊織くんが意味ありげに笑いかけてくる
「何よ……その顔」
「別に」
「絶対なんか思ってるでしょ」
「思ってないよ」
絶対……嘘だ
なんか意味ありげな顔してた
少し離れたところで
日向がにやにやしながら私たちを見ていた
桐生先生がその横へ顔を寄せる
そして小声で聞いた
「ねえ」
「なに~?」
「あの二人って」
「どこまでいってるの?」
日向の笑みがさらに深くなる
「どこまでって~?」
「一緒に住んでるんでしょ?」
「そうだよ~」
先生が私と伊織くんを見る
「付き合ってるの?」
「友達以上~」
日向が少し間を置く
「弟未満~」
「ふーん」
先生が納得したように頷いた
「高梨って鈍そうだもんね」
「すっごく鈍いよ~」
「ん? 呼んだ?」
私が振り返る
「なにも~」
日向が楽しそうに笑った
その時
ぎぎぎぎ
重い音が響いた
全員の視線が門へ向く
大きな門がゆっくりと開いていく
開いた門の向こう
広い敷地の中央に一人の男が立っていた
榊宗一郎
千鶴を連れ去った男
宗一郎は私たちを見ても表情を変えない
ゆっくりと頭を下げた
「伊織様」
「突然のご到来に驚きました」
顔を上げる
「どうぞ中へ」
伊織くんの表情から
さっきまで私に向けていた笑みが消えた
一瞬でまたあの冷たい顔に戻る
「ああ」
短く返事をする
そして何のためらいもなく門の中へ歩いていった
私はその背中を見る
家で見てきたそれとはまるで違う
あれが九条家の跡継ぎとしての伊織くんなんだ
「美緒~」
日向に呼ばれて我に返る
「行くよ~」
「う、うん」
私は伊織くんの後を追った
日向と桐生先生も続く
四人で榊家の門をくぐった
広い屋敷の中を歩く
九条家とは違って
廊下も柱もどこか古めかしく華やかさはない
でも
長い年月を積み重ねてきたことだけは分かる
壁には古そうな武具
廊下の奥には木刀や槍まで並んでいる
本当に武術の家なんだ
先を歩く宗一郎さんについていき
私たちは広い和室へ通された
「こちらへどうぞ」
宗一郎さんに促され
四人で畳の上に座った


