いまさら家に男が一人増えたところで構いません!

千鶴が連れていかれたあと

家に帰った私は

何事もなかったように夕飯を作った

今日の夕飯はアジフライ

小麦粉、卵、パン粉を順番につけて

熱した油へ入れる

じゅわっ

大きな音を立てて油が跳ねた

私は黙ってアジを見つめる

千鶴は私の目の前で連れ去られた

自分の心すら治められない私が余計なことをして

あんな状態になっていなければ

重い荷物を千鶴に渡さなければ

私の心が弱かったからだ

強くないと家族は守れない

分かっていたはずなのに

私は唇を噛んだ

「おねえ」

奏太に呼ばれてはっとする

「な、なに?」

「もういいんじゃない?」

「え? あ!」

奏太に言われて慌ててアジを油から上げる

「あぶなっ」

「奏太」
「教えてくれてありがとう」

気がつけば

いつもリビングで遊んでいるはずの

奏太と晴が私のすぐ横に立っていた

ずっと近くで……私を見ていた?

二人の目を見て分かった

心配してくれてるんだ

ぱちん!

私は自分の両頬を思い切り両手で叩く

そうよ!

こんな姉じゃ駄目よ

「二人とも」
「揚げ物してるときは近づいちゃだめ」
「リビングで遊んでなさい」
「ねえちゃんは元気だから心配しないで!」

そう言われて二人は素直に言う事を聞いてくれた

考え事をしてる場合じゃない

八人分あるんだから

私は次々にアジを揚げていった

しばらくして皆が帰宅し

夕飯を食べる

弟たちが競うように

勢いよくアジフライへ箸を伸ばしている

伊織くんも負けじと箸を伸ばした

「美緒さん」
「すごく美味しいよ」

「ほんと?」

「うん」
「衣がすごくサクサクしてる」
「僕、アジフライが大好物になったよ」

「今日は結構うまくできたのよ」
「好きならお弁当にも入れとくね」

私はいつも通りに振る舞った

すると伊織くんが辺りを見回す

「そういえば千鶴は?」

追加のアジフライを油から上げる手が一瞬止まった

でも

そのまま何事もなかったように振る舞う

「実家に戻ったわよ」
「急用ができたんですって」

「そうなんだ」

「うん」

嘘をついた

無理やり連れ戻されたとは言わなかった

伊織くんが知れば

きっと何かしようとする

九条家と榊家の関係もある

巻き込みたくなかった

これは私の問題だ

私が何とかする

夕飯を終えて

片づけも終わって

弟たちもそれぞれ好きなことをしている

私はお皿を洗いながら考えていた

どうすれば千鶴を連れ戻せるのか

今すぐ行く?

無理だ

体が動かない

お父さんとの戦いと

宗一郎さんに投げられたせいで

あちこちが思うように動かない

特に踏み込むと足がついてこない

今行っても返り討ちにされるだけ

まず体を戻す

その間に乱れた心も整える

そう決めた時

「いいお湯だった」

伊織くんがリビングへ入ってきた

髪はまだ少し濡れている

その姿を見た瞬間

どくん

胸が鳴った

まただ

私はすぐに立ち上がった

テーブルの上に準備しておいたものを手に取る

伊織くんのいい匂いは

お風呂上がりに何故か強くなる

あの匂いには

私が抵抗しても崩されるだけ

その対策のために用意した秘密兵器

シュッ

「え?」

伊織くんに向けて吹きかけた

シュッ

「美緒さん?」

もう一回

シュッ

「ちょっと待って」

伊織くんが自分の服を嗅いだ

そして少し不安そうな顔になる

「僕って……ひょっとして臭い?」

「違うよ!」

私はすぐに否定した

「じゃあ……」
「なんでファブリーズを……?」

「これをよく見て!」

ボトルを伊織くんの目の前へ突き出す

「ここ!」

指をさす

「除菌って書いてあるでしょ!」

「うん」

「これはウイルス対策です!」

「ウイルス?」

「奏太と晴の保育園で流行ってるの!」
「だから家の中に持ち込まないようにしてるの!」

「え?」
「僕、今お風呂にはいってき――」

「ご協力をお願いします!」

「あ……うん」
「そ、そうなんだ」

伊織くんは少し複雑そうな顔をしながら

素直に頷いた

「そういうことなら」

そう言って背中を向ける

「背中もお願い」

「え?」

「前だけじゃ不安でしょ?」

「そ、そうね!」

シュッシュッ

これでもかと背中にも吹きかける

よし

これなら大丈夫

我ながらいいアイディアだわ

私はファブリーズを握りしめた

伊織くんが振り返る

「美緒さん」

「な、なに?」

「顔は?」

「顔?」

思わず伊織くんの顔を見る

湯上がりで頬が少しだけ火照っている

まだ乾ききっていない髪

そこから落ちた小さな水滴が

首筋へ流れていく

しまった!

思い切り見ちゃった!

でも目が離れない

いつもと同じ伊織くんなのに

お風呂上がりってだけで

なんか違って見える

というか

顔、整いすぎ

濡れた髪も首筋も

なんかもう白い肌が……反則でしょ

どくん

「美緒さん?」

「顔にはかけないから!」

思ったより大きな声が出た

伊織くんが目を瞬かせる

「そうなんだ」

「そうよ!」

私は伊織くんから目をそらした

危ない

本当に危ない

除菌したいのは伊織くんじゃない

この意味の分からない私の反応だ

私はファブリーズを自分の頭にひとふきして

逃げるようにキッチンへ向かった

翌朝

いつものように弟たちを送り出してから

玄関で靴を履く

私は密かに腹をくくった

伊織くんとのことが騒ぎになった翌日だ

学校に行けば必ずなにかある

「美緒さん、行こう」

制服姿の伊織くんが隣に立つ

「うん」

私は伊織くんと一緒に家を出た

もういい

どうせ昨日あれだけ騒ぎになったんだ

今さら一人で学校へ行ったところで遅い

だったら堂々と行く

駅まで伊織くんと二人並んで歩いて電車に乗る

電車の中で常に視線を感じた

学校の最寄り駅で降りる

そこから二人で学校へ向かって歩いた

すると

カシャ

撮られた……

カシャ

また撮られた

ちらっと横を見る

女子生徒がスマホをこちらへ向けている

その隣では別の子が必死に何かを打ち込んでいた

少し先でも

カシャ

素早い指の動きで何かを入力している

明らかに共有されている

「ねえ、伊織くん」

「なに?」

「私たち実況されてるよ」

伊織くんが周囲を見る

「実況?」

「そういうの知らないの?」

「テレビ?」

「いや、SNSとかそういうの」

「そうなんだ」

まったく気にする様子がない

なんでそういうところは鈍感なのか

「美緒さん」

「なに?」

伊織くんが私の足元を見た

「歩き方、変じゃない?」

「え?」

「右足を少しかばってない?」

気づかれた

「なんでもないわよ」

「でも」

「筋肉痛!」
「ちょっと運動しすぎただけ!」

伊織くんが私を見る

「本当に?」

「本当!」

「ならいいけど」

まだ少し心配そうな顔をしている

なんでそういうことには敏感なのよ

分からないようにしてたのに

そのまま学校へ入る

廊下を歩けば視線

ひそひそ声があちこちから聞こえる

昨日より

さらに視線が増えた気がする

そして私たちの教室の前まで来た

伊織くんの教室は隣だ

「じゃあ美緒さん」
「またあとで」

「うん」
「またね」

伊織くんが隣の教室へ入っていく

その背中を見送って

私は自分の教室へ入った

入ってすぐに足が止まった

自分の席があるはずの場所に異物がある

机が見えない

いや

机らしきものはある

でも

落書き

ゴミ

謎のシール

そしてなぜか

有刺鉄線

「なんで?」

机の周囲にぐるぐると有刺鉄線が巻かれている

それだけじゃない

机の上

何本もの有刺鉄線が複雑に曲げられ

中央から外へ広がるように組み上げられ

まるで巨大な薔薇のような形になっていた

私はしばらくそれを眺めた

すごい……

覚悟はしてたけど

見事に嫉妬と怨念が込められているのが分かる

ビンビンに伝わってくるわ

でも……

ここまで謎の熱意と努力の結晶を見せつけられると

いまいち怒る気になれない

むしろ……凄いと思うわ

「ある意味……」
「これは芸術なんじゃないかしら」

「美緒~」
「それ褒めちゃ駄目なやつじゃない~?」

横から日向の声がした

いつも通りの笑顔だ

「えっほ、えっほ」

ただ……なぜか机を抱えている

その上には椅子まで乗せてある

「ちょっと日向」

「なに~?」

「それ、どこから持ってきたの?」

「細かいことは~」
「気にしない気にしない~」

日向は私の横まで机を運ぶと

どんっと置いた

続いて椅子も下ろす

そして

私の芸術作品と化した机を持ち上げる

「えっほ」

「ちょっと」
「それどこに持っていくの?」

日向がにっこり笑った

「美術部が間違えて作品をここに置いちゃったみたいだから~」
「戻してくるだけだよ~」

「美術部?」

「あそこもファンクラブの巣窟だから~」

「え?」

それだけ言い残して

「えっほ、えっほ」

日向は有刺鉄線の薔薇が咲いた机を持って

教室から出ていってしまった

私はその背中を見送る

我が友人ながら……

色々な意味で強い

周りを見ると何人かの女子が目をそらした

なるほど……

日向なりに守ってくれたらしい

私は新しい机に鞄を置いた

その日も普通に授業を受けた

伊織くんとも普通に帰った

もう写真を撮られても気にしないことにした

どうせ止められない

今の私はそれどころじゃない

体はまだまだ戻っていない

一緒に歩いていると

伊織くんは時々

私の足元を見た

「美緒さん」
「まだ痛い?」

「い、痛くないから」

「そっか」

この目……絶対信じてないな

日向も同じだった

教室で椅子から立ち上がった時

階段を下りる時

体育の授業を見学している時

何も言わない

ただ時々こちらを見ていた

帰宅してから体を休める

夜は自分の部屋で正座する

目を閉じて呼吸を整えた

余計なことを考えない

千鶴のこと

榊家のこと

伊織くんのこと

全部いったん外へ追い出す

心を静めて乱れた体の流れを整える

木曜日

痛みはかなり減っていた

もう普通に歩ける

いつものように弟たちを送り出して学校へ行く

教室へ入ると

何ごともない私の机が待っていた

日向が何かをしたのかもしれない

でも今は聞かない方がいい気がした

教室で席につこうとした時

日向が私を見つめながら嬉しそうに笑っていた

「なんなのよ……その顔」

「別に~」
「美緒さ~」
「最近なんか変わったよね~」

「どこが?」

「ん~」

日向が私を上から下まで見る

「分かんない~」

「なによそれ」

「でもなんか変わったよ~」

「失礼ね」

「悪い意味じゃないよ~」
「今なら~」
「私とも遊んでくれそうなくらい~」

日向は笑った

「どんどん」
「美味しそうになっていくね~」

私は何も答えなかった

何を言いたいのかは分かる

私は戦う準備をしているから

日向なら……気づくよね

金曜日

朝に目を覚まして体を動かす

痛くない

軽く踏み込む

足から手まで思うように力が流せる

もう大丈夫だ

戻った

私が洗濯物を干して朝食を作りにリビングへ行くと

珍しく湊が早起きして座っていた

寝癖もない

「おはよう」
「姉ちゃん」

「お、おはよう」
「どうしたの?」
「こんなに早く起きて」

「ちょっと目が覚めちまってさ」
「何か手伝おうか?」

「う、うん」
「ありがとう……」
「じゃあ」
「キャベツ……切って」

湊は冷蔵庫からキャベツを取り出し

スライサーで刻んでいく

私はそんな湊をまじまじと見る

あの湊が……

早起きして

寝癖も直して

自らお手伝いをしているわ……

いったい何事?

頭でも打った?

逆反抗期?

てかこれは本当に私の弟の湊なの?

なんかキリッとしてる気がするわ

宇宙人?

すると伊織くんもリビングへ入ってきた

「おはよう」
「ごめん美緒さん」
「寝坊して洗濯の手伝いできなくて」

「おはよう伊織くん」

「おう伊織、おはよう」

「湊?」
「なんで起きてるの?」

伊織くんも湊の奇行を不思議がった

今日は伊織くんと偽湊が手伝ってくれた

他の弟たちも妙に素直だった

ひょっとしたら全員偽物かもしれない

いつもよりスムーズに皆を送り出したあと

制服を着て伊織くんと家を出た

駅から学校へ向かう

「美緒さん」

「なに?」

伊織くんが隣を歩きながら私の足元を見る

「歩き方が戻ったね」
「もう痛くないんでしょ?」

「う、うん……」

本当に私のことをよく見てる

「よかった」

伊織くんが笑った

どくん

また胸が鳴る

今はそれどころじゃないのに

学校へ着いて伊織くんと別れて教室へ入った

日向が私を見る

目を細めてにやりと笑った

「美緒~」
「今日なんかすごいね~」

「なんでもないから」

「それ~」
「私に向けてくれたらいいのにな~」

「変なこと言わないでよ」

そう言って席についた

授業もいつも通りに受けた

放課後に鞄を持って教室を出る

廊下には伊織くんが待っていた

いつのまにか

当たり前のことになっている

「伊織くんおまたせ」
「帰ろうか」

伊織くんが少し困ったような顔をした

「ごめん」
「美緒さん」
「今日は一緒に帰れないんだ」

「え?」
「なんで?」

「うん」
「ちょっと九条家に寄らないといけなくて」

「そうなんだ」

私は頷いた

「じゃあ夕飯は?」

「今日は大丈夫」
「向こうで食べると思う」

「分かった」

聞いておいてよかった

一人分多く作るところだった

「遅くなるの?」

「少しだけ」
「終わったらすぐに帰るよ」

「了解」
「気をつけてね」

「うん」
「美緒さんも」

校門のところで伊織くんと別れた

私は一人で駅へ向かう

なんだろう

少し前までは

ずっと一人で帰っていたのに

今日は隣が少しだけ広く感じた

家に帰って夕飯を作る

今日は一人分少ない

弟たちを叱る

お風呂に入る

いつもどおりに過ごす

誰にも気付かれないように

私は一日を過ごした