いまさら家に男が一人増えたところで構いません!

道場へ着くと

すでにお父さんと湊がいた

道着姿で千鶴も準備をしている

すぐに私に気付いて駆け寄ってきた

「美緒」
「おかえりなさい」

「ただいま」

「美緒も今日は稽古をされるんですか?」

「今日は体を動かしたくて」
「晩御飯の支度もあるから」
「ちょっとだけね」

嘘ではない

じっくりと稽古したら家事に差し支えがある

私は辺りを見回す

本気でやり合える相手を見つけなきゃ

まず伊織くんは却下

そもそも

この人が原因なんだから

下手したらもっとおかしくなりかねない

次に湊に目が止まった

さすがに可愛い弟相手に本気は出したくない

それに最近の湊は侮れない

下手したら絶対に負けられない死闘になってしまう

目の前にいる千鶴を見る

昨日あれだけ本気で戦ったばかり

まだ私が与えたダメージが抜けていないはず

となると……

私はお父さんを見る

「一番やばいのしか……」
「残ってないわね」

でもやるしかない

その時

更衣室から伊織くんが道着姿で出てきた

「あ」

何気なく伊織くんを見る

そして目が止まった

道着の胸元が少し開いている

その隙間から白い肌と

意外と鍛えられた胸元が少し見えた

目が勝手に動く

慌てて自分の目を手で押さえた

なに見てんのよ!

目! 戻れ!

目から手を放した

見ないと決めて目を開く

なのに見る

なんで!?

なんで目が勝手に吸い寄せられるのよ!

「美緒さん?」

「なに!?」

伊織くんが不思議そうな顔をする

「いや」
「こっち見てたから」

「見てない!」

「そう?」

思いっきり見てた!

そりゃあもう

見てましたよ!

もう嫌!

本当に今日の私おかしい!

「お父さん!」

「おう!」

私は勢いよく声を上げた

お父さんが振り返る

「どうした!?」

「私とやろうよ」

「ん?」

お父さんの眉が上がる

「稽古か?」

「違う」

私は制服の上着を脱いで道場の端へ置く

そしてお父さんに向き直った

「私と本気で立ち合って!」

一瞬、道場が静かになった

「ねえちゃん?」

湊が驚いた顔をする

千鶴も私を見る

お父さんだけがにやりと笑った

「いいぞ!」

ゆっくり道場の中央へ出る

私は腰を深く下げて構える

「高梨美緒!」
「まいります!」

「久しぶりに」
「父親へ挑むか!」

「手加減無用!」

お父さんも構える

私は息を吐いた

これでいい

戦えばきっと元に戻る

最初に動いたのはお父さんだった

速い

巨体なのに一歩がとんでもなく速い

右拳が突き出された

私は頭をわずかにずらす

ぶんっ!

頬の横を拳が通り過ぎた

その瞬間

私も踏み込む

足で床を捉え腰を入れる

背中から肩へ力を通し

全身の力を両手へ乗せる

両手掌

ドンッ!!

「ぐっ!」

お父さんの体が止まった

千鶴が反応する

「あれは……」
「私を倒した時の」

私はすぐに離れた

お父さんが腹を押さえる

「美緒」

にやっと笑った

「最初から」
「それで来るか」

「本気って言ったでしょ」

千鶴戦で最後に使った技

全身の力を一瞬で両手へ集める

私の一撃必殺のとっておき

でもこの技の本来の姿は

一発しか撃てない技じゃない

私は構え直す

お父さんが踏み込んで左拳を突き出す

見える

私はほんの少しだけ体をずらして拳を外す

そして一歩入る

ドンッ!!

また腹へ両手掌

「ぐっ!」

お父さんが一歩下がった

「また!?」

千鶴が声を上げる

そう

私は両手掌を何度でも撃てる

相手の動きを見切って

最小限の動きだけで避けて

必殺の一撃だけを何度でも叩き込む

それが……

私の戦い方!

もう一度両手掌

ドンッ!!

お父さんの右前蹴りを半歩だけ引いて躱す

両手掌

ドンッ!!

「ぐっ!」

お父さんの顔から笑みが消えた

それでもまだ余裕がある

格上……それは分かってる

次の瞬間

視界からお父さんが消えた

「え?」

目の右端で何かが動いた

間に合わない

どんっ!!

私の脇腹へ拳が入った

「っ!」

体が浮く

そのまま吹き飛ばされ

床へ転がった

「美緒さん!」

伊織くんが声を上げた

私に駆け寄ろうとする

「来ないで!」

私はすぐに言った

床へ手をつく

痛い

息が苦しい

やっぱり強い

分かってたけど

お父さんは強い

「美緒」
「終わりか!?」

私はゆっくり立ち上がる

まだやれる

いや

やるんだ!

その瞬間

何かが変わった

道場の音が遠くなる

空気が急に澄んだように感じる

自分の呼吸だけがやけにはっきりと聞こえる

視界の端がゆっくりとぼやけていく

伊織くんも千鶴も湊も見えなくなる

見えるのはお父さんだけ

その肩の揺れ

腰の沈み

足の運び

視線

呼吸

次にどこが動くのか

手に取るように分かる

ああ……

やっと戻れた……

変じゃない私に……

お父さんが動く

分かる

私はほんの少しだけ頭をずらす

右拳が頬の横を抜ける

入る

両手掌

ドンッ!!

「ぐっ!」

すぐにお父さんの左中段突き

半歩だけ動いて外す

ドンッ!!

もう一度入る

両手掌

ドンッ!!

「ぐっ!」

お父さんを押し戻した

私は追う

また両手掌

ドンッ!!

「ぐうっ!」

私は止まらない

ただ見えてる

だから両手掌を撃つ

ドンッ!!

「ぐっ!」

ついにお父さんの膝が沈む

片膝が床についた

「姉ちゃんすげえ!」
「新しいモードだ!」

湊の声が聞こえた気がする

私は構えたままお父さんを見る

まだ終わってない

お父さんがゆっくり顔を上げる

腹を押さえながら笑った

「美緒」

立ち上がる

「そこまで来たか」

お父さんが構え直した

空気が変わる

「なら俺も」
「本気でいく」

背中にぞくっと寒気が走った

でも体は止まらない

お父さんが来る

私も踏み込む

もう一度、両手を引く

その瞬間

気づいた

お父さんも同じ構え

「え?」

伊織くんが声を漏らす

同じ技

私に教えたこの技を

お父さん自身が使う

足から腰へ

背中から肩へ

全身の力を両手へ

「ちぇりゃあああああ!!」

「おおおおおおおお!!」

同時に互いの両手が真正面からぶつかった

ドォンッ!!!

「っ――!」

一瞬

何が起きたのか分からなかった

視界が揺れる

足が床から離れてる

「美緒さん!」

伊織くんの声が聞こえた

やっと気づいた

私の体は

ものすごい勢いで後ろへ飛んでいる

まずい

このままじゃ壁に――

そう思った瞬間

誰かが私の背中を受け止めた

「え?」

腕が私の体を包む

次の瞬間

ドガッ!!

大きな音が道場に響いた

「ぐっ!」

耳元で伊織くんの声が漏れた

私を抱き止めたまま

伊織くんの背中が壁へ叩きつけられていた

そのまま二人で床へ崩れ落ちる

「伊織くん!?」

私は慌てて振り返る

「大丈夫!?」

伊織くんが苦しそうに息を吐いた

「うん……」
「僕は大丈夫」

「大丈夫じゃないでしょ!?」
「あんな勢いで壁にぶつかったのよ!?」
「なんで入ってくるのよ!」

「だって」

伊織くんが少しだけ笑った

「美緒さんが飛んできたから」

「なによそれ!?」
「怪我したらどうするの!?」

「美緒さんが怪我するより」
「ずっといいよ」

その時気づいた

伊織くんの腕が

まだ私の体を抱いている

ぴりぴり

ぴりぴりぴり

背中、腕、肩

触れているところ全部から

今までよりずっと強く

あの感覚が走ってくる

「っ……!」

なにこれ

さっきまで完全に消えてたのに

お父さんと戦ってる間は

このおかしな感覚は消えてた

なのに伊織くんに抱き止められた途端

全部戻ってきた

電気みたいなぴりぴりとした感覚に

伊織くんの体温まで加わる

そしてふわっと届くあの匂い

なんでよ

あれだけ戦ったのに!

治ってない!

全然治ってないじゃない!

「美緒さん?」

「なに!?」

「顔が真っ赤だけど」
「大丈夫?」

「今それどころじゃないでしょ!」

私は慌てて伊織くんの腕から抜け出した

ぴりぴりした感覚がすっと消える

やっぱり伊織くんに触った時だけおかしくなる

その向こうでお父さんがゆっくり構えを解いた

「美緒」

私はお父さんを見る

「……なに」

「もう終わりだ」

「まだ……」

私は立ち上がって

また構えようとした

でも膝に力が入らない

がくっ

「美緒さん!」

伊織くんがまた手を伸ばしてくる

だめだ

触られると

またおかしくなる

「触らないで!!」

私は反射的に叫んだ

伊織くんの手が止まる

「あ」

伊織くんの表情が曇ったのが分かった

「ごめん……」

違う

嫌なわけじゃない

むしろ……

私は床へ手をつき

震える足でもう一度立ち上がった

でももう構えなかった

「帰って……」
「ご飯の支度するね」

「美緒?」

お父さんが眉をひそめる

「今日は」
「もう少し休んでいけ」

「大丈夫」

「でも――」

「大丈夫だから」

私は上着を拾って道場の出口へ向かった

足がふらつく

それでも止まらなかった

「美緒さん」

後ろから伊織くんの声がする

「僕も――」

「伊織くんは稽古でしょ?」

振り返らずに言う

「ちゃんとやらないと」
「強くなれないよ」

「でも――」

「ご飯作って待ってるから」

私はそのまま道場を出た