いまさら家に男が一人増えたところで構いません!

しばらく伊織くんと駅に向かって歩いていると

ふと思った

「そういえばさ」

「なに?」

「千鶴って」
「どこの学校行ってるの?」

「ここから歩いて行ける」
「女子校に通ってるはずだよ」

「え~!」
「いいなぁ~!」
「徒歩圏なんだ~」

私は思わず千鶴が歩いていった方向を見る

「私もそっちがよかったなぁ」

「そう?」

「だって」
「そうだったら」
「もう少しちゃんと弟たちの面倒をみられるわ」
「帰ってからも色々できるじゃん」

伊織くんが少しだけ笑った

「僕は美緒さんと同じ学校で嬉しいけど」

「え?」

思わず伊織くんを見る

朝日を受けた白い肌のせいで

ただでさえ整った顔が妙に幻想的に見える

ってか

なんか周りまで光ってる気すらする

本人は本当にただ思ったことを

言っただけなのだろう

「伊織くんってさ」

「なに?」

「そういうところあるよね」

「そういうところ?」

「たらしだわ」

「たらし?」
「僕は思ったことを言っただけだけど」

「そのせいで」
「勘違いする子が増産されてるんじゃないの?」

「そんなことはないと思うけど」
「なんだか難しいね」

「難しくないけど」

私はだんだんと分かってきた

伊織くんは女を惑わす何かを出している

外見や言葉は追い打ちの技よ

それよりフェロモン的なものが怖い

あれをきっかけに相手を崩してくる

お父さんから精神統一の修行を受けていなかったら

きっと私もなすすべもなくやられていた

色々な強さがあるのね

いい勉強になったわ

少し歩くと駅へ着いた

私は定期券で改札を通る

その横で伊織くんは切符を買っていた

私は今さら気づく

「そうか」
「伊織くん定期ないんだ」

「今までは車だったからね」

「ごめんね気づかなくて」
「帰りに定期買いに行こうよ」

「うん」

電車へ乗る

朝の車内はそれなりに混んでいた

電車に揺られること数駅

学校の最寄り駅で降りる

改札を抜け外へ出た

同じ制服を着た生徒たちが

あちこちから学校へ向かって歩いている

いつもの朝

いつもの通学路

そのはずだった

ざわ……

ん?

ざわざわ……

なんだろう

なんか周りが騒がしい

ちらちらとこっちを見る人もいる

私は首を傾げた

その時

伊織くんが

普通に私の横を歩いているのが目に入った

「あ」

待って

ちょっと待って

よく考えたら――

はっ!

私

伊織くんと二人で並んで登校してる!?

いやいやいや!

まずい!

これはまずい!

九条伊織といえば毎朝

黒塗りの車で学校へやってきて

校門の前で降りる

金色のバッジをつけた学校の貴族様だった

その伊織くんが普通に駅から歩いている

それだけでもおかしい

しかも

その横に女子生徒がいる

私だ

ざわざわ……

やっぱり!

完全に見られてる!

「伊織くん!」

「なに?」

「ここで別れましょう!」

「え?」

伊織くんが不思議そうな顔をする

「なんで?」

「なんでも!」

「私が伊織くんと」
「一緒に登校してたらまずいのよ!」

「なにが?」

「説明してる時間ないから!」

私は学校を指差した

「じゃ!」
「私」
「先に行くから!」

「美緒さん?」

私は走り出した

「またあとで!」

「ちょっと――」

伊織くんの声を置き去りにして

学校まで一気に走った

「はぁ……はぁ……」

靴箱まで来てようやく足を止める

「疲れた……」

私は膝に手をついた

完全に失敗した

なんで家を出た時に気づかなかったんだろう

あんなに一緒に歩いちゃった

「大丈夫かな……」

誰にも見られてない

わけないよねぇ……

「美緒~」
「おはよ~」

聞き慣れたのんびりした声が聞こえた

顔を上げると女の子が笑顔で

こちらへ歩いてきていた

「おはよ~」
「日向」

水野日向(みずの・ひなた)

同じクラスの友達

ふわりとしたショートヘアで

少し垂れた目元は優しげだ

いつもにこにこしていて

喋り方もちょっとのんびりしている

見た目も雰囲気も

ふんわりとした女の子だ

だけど合気道部で相当強い

日向のお父さんも合気道を教えている

お互い道場育ちのせいか

なんとなく気が合った

私が多少の怪我をしていても

いちいち驚かないところも話しやすい

ただ怒らせると怖い

「美緒~」
「朝から疲れてるね~」

「ちょっと走ってきた」

「健康的だね~」

「そんな爽やかな理由じゃないけどね」

私たちは並んで廊下を歩き始めた

「あ」

私は思い出す

「今日」
「体育あったよね?」

「あるよ~」

「やっぱり?」
「替えのシャツ忘れちゃった」

「あ~」

日向が少し考える

「私~」
「何枚かロッカーにあるよ~」
「貸そうか~?」

「ほんと!?」
「ありがとう、助かる~!」
「洗って返すからね」

「いいよ~」
「そのまま返してくれれば~」

「そうはいかないわよ」

そんな

いつも通りの話をしながら教室へ向かう

一年A組の教室が見えてきた

ああよかった

きっと大丈夫だったんだ

学校ではいつも通り――

「ところでさ~」
「美緒~」

「ん?」

ちょうど教室へ入ろうとした時だった

日向がスマホの画面を見せてきた

「これなんだけど~」

学年のグループLINE

一番上には『スクープ!』の文字

その下には電車に乗っている私たちや

駅から並んで歩いている二人の写真が

ずらりと並んでいた

「え」

いつ撮ったの!?

日向がいつもの笑顔のまま聞いてくる

「九条くんと~」
「いつの間に仲良くなったの~?」

「え!?」

足が止まる

恐る恐る教室の中を見る

クラス中の皆がこっちを見ていた

特に女子

ものすごい数の視線が

矢みたいに私へ突き刺さっている

て……

手遅れだったか……

「高梨さん!」

教室へ入った瞬間だった

女子に取り囲まれた

「九条くんとどういう関係!?」

「なんで一緒に電車乗ってたの!?」

「朝から一緒だったよね!?」

「どこで待ち合わせしたの!?」

「ちょっ」
「待って!」
「一人ずつ!」

席へ着く暇もない

クラスの女子たちが一斉に私の周りへ集まってくる

「付き合ってるの?」

「違う!」

「じゃあなんで一緒に登校してたの?」

「それは……」

一緒に私の家から来ました

なんて……言えるわけない!

「たまたまだよ!」

「電車も同じだったじゃん!」

「すごいたまたまだよ!」

「乗った駅から一緒じゃん!」

「ものすごいたまたまなんだよ!」

「写真めっちゃあるけど?」

「勝手に撮ってネットにあげないで!」

日向が少し離れたところから

にこにこしながらこちらを見ている

「日向!」
「助けて!」

「頑張って~」

「友達でしょ!?」

「面白いから〜」
「もうちょっと見てる~」

裏切り者!

その時

キーンコーンカーンコーン

予鈴が鳴った

ほぼ同時に教室の扉が開く

「おーい」
「席につけー」

若い女の先生が教室へ入ってきた

長い髪を後ろで一つに結んでいる

目元はきりっとしていて

気の強そうな綺麗な先生だ

背が高くスタイルもいい

桐生玲奈(きりゅう・れいな)先生

私たちの担任で体育教師

そして合気道部の顧問だ

先生の姿を見た瞬間

私を囲んでいたみんなが

蜘蛛の子を散らすように自分の席へ戻っていく

た……助かった……

私は自分の席へ座ると机へ突っ伏した

「はぁぁぁ……」

朝から疲れた……

「高梨」

「え?」

顔を上げる

桐生先生がこっちを見ていた

「はい?」

「体育委員だったよな」

「はい」

「今日の昼休み」
「体育館に来い」

「え?」

「午後の授業の準備を手伝ってくれ」
「お昼を食べてから」
「授業開始三十分前には来るように」

いつもだったら

昼休みまで先生の手伝いなんてちょっと嫌だ

でも今日は違う

昼休みを教室で過ごさなくていい

つまり

質問攻撃から逃げられる!

私は元気よく返事をした

「はい!」
「分かりました!」

桐生先生が少しだけ笑った

「よし」

なんだろう

今日は先生が救世主に見える

だけど現実は甘くなかった

一時間目が終わる

「高梨さん!」

また来た

「九条くんとは――」

二時間目が終わる

「ねえねえ!」

また!?

三時間目が終わる頃には

知らない顔まで教室の入口に増えていた

私は日向を見る

「なんか」
「人増えてない?」

「増えてるね~」

廊下を見る

女子

女子

女子

明らかにうちのクラスじゃない女子たちが

教室の中を覗き込んでいる

「何をしに来てるの?」

「美緒を見にでしょ~」

「やっぱりそうだよね」

「九条くんと一緒に登校してきた女の子って~」
「噂になってるよ~」

「そんなことで!?」

「九条くんだからね~」

日向がいつもの調子で笑う

私は改めて廊下に集まっている女子たちを見た

そうだった……忘れてた

家ではキャベツを切ったり

ゲームで弟たちに負けたり

おかずを奪い合ったりしてるけど

学校での九条伊織は雲の上のお人なんだった

「面倒なことになった……」

私は机へ突っ伏した

「美緒~」

「なに……」

「来たよ~」

「なにが?」

日向が教室の入口を指差した

そこには人だかりができていた

「え?」

女子たちがざわざわと道を開けていく

その真ん中から伊織くんが現れた

私を見つけるとにこやかな笑顔を向けた

「美緒さん」

しーん

教室が一瞬で静かになった

「ひっ」

思わず変な声が出た

なんで来るの!?

伊織くんは周りの視線なんて全く気にしていない

そのまま私の席まで歩いてくる

私は小声で言った

「九条くん」
「なにしてるの?」

伊織くんの表情が少しだけ曇った

「九条くんか……」

「え?」

伊織くんが少し目を伏せる

「学校では下の名前で呼んでくれないの?」

ざわっ!!

教室が揺れた

「ちょっ!」
「伊織くん!?」

さらに

ざわあああっ!!

あ……

しまった!!

私は両手で口を押さえた

誰かの声が聞こえた

「今、伊織くんって呼んだよ」

遅い

完全に遅い

伊織くんが嬉しそうに笑った

「うん」
「それがいいな」

なにその笑顔!

今ここでそれやめて!

女子たちの視線が痛い!

ものすごく痛い!

私は小声で聞いた

「それで」
「なんの用?」

「ああ」

伊織くんが自分の鞄を持ち上げた

「これ」

「なに?」

「さっき気づいたんだけど」

伊織くんが鞄の中から

お弁当箱を取り出した

あ

私が今朝入れといたやつ

「美緒さんが」
「入れてくれたんだよね?」

教室がまた静かになった

「え?」

誰かの声が小さく漏れた

まずい

これは

いよいよまずい

「いや!」

私は慌てて立ち上がる

「違うから!」

「なにが?」

伊織くんが不思議そうに私を見る

「弟たちにもやってるの!」
「お弁当が必要な日は」
「朝」
「勝手に鞄へ入れてるだけ!」

ざわ……

ん?

なんか

またさらに空気が変わった

女子の一人が恐る恐る手を上げた

「高梨さん」
「九条くんの鞄に」
「いつ入れたの?」

「あ」

しまった

伊織くんが普通に答えようとする

「今朝」

「伊織くん!?」

私はその口を両手で塞いだ

「ん!?」

伊織くんが目をぱちぱちさせる

教室がしんと静まり返った

教室中から

ものすごい視線が飛んでくる

「触った……」

誰かの声が小さく聞こえた

「え?」

「高梨さん」
「九条くんに触ってるよ」

別の場所から声が返ってくる

「普通に触ってる」

「しかも唇に……」

ざわっ!

その言葉をきっかけに

教室の空気が一気に弾けた

「両手で?」

「九条くんの口を?」

「高梨さんが?」

「距離」
「近すぎない?」

驚きの声が教室中へ広がっていく

しまった!

そう思った時にはもう遅かった

私の両手はまだ伊織くんの口を塞いでいる

日向だけがいつもの笑顔で

ものすごく楽しそうに私たちを見ていた

「美緒~」

「なによ!」

「仲いいね~」

「違うから!」

私は伊織くんの口から手を離した

伊織くんが妙に嬉しそうに私を見る

「僕は」
「お礼を言いに来ただけなんだけど」

そして

お弁当箱を大切そうに持った

「美緒さん」
「ありがとう」

にこっ

また

教室の女子たちがざわめく

だから!

その笑顔でそんなことを

ここで言うなあああ!!

「分かった!」
「分かったから!」
「早く自分の教室戻って!」
「もうすぐ授業始まるよ!」

「うん」

伊織くんが素直に頷く

そして教室を出る直前

もう一度私を振り返った

「お昼」
「楽しみにしてるね」

「早く行って!」

伊織くんが笑いながら教室を出ていった

しーん

私は恐る恐る振り返った

クラス中の女子が私を見ている

廊下を見ると知らない女子たちも私を見ている

日向を見る

いつもの笑顔でにこにこしている

「日向……」

「なに~?」

「私」
「今日」
「学校から無事に帰れるかな?」

日向が少し考えた

「どうだろうね~」

「怖いこと言わないでよ」