火曜日の朝
高梨家の朝は戦場だった
「晴!」
「お味噌汁に手を入れない!」
「奏太!」
「自分で食べなさい!」
私は台所で卵を焼きながら
食卓へ指示を飛ばしていた
今日の朝食は
ご飯に味噌汁
目玉焼き、ソーセージ、納豆
下の弟二人
奏太と晴はもう起きて食卓についている
その二人の間では
千鶴が楽しそうに二人の世話を焼いていた
奏太が口を大きく開ける
「千鶴お姉ちゃん」
「あーん」
千鶴が嬉しそうにソーセージを箸でつまむ
「はい」
「あーん」
奏太の口へソーセージが入った
「おいしいですか?」
「うん!」
「千鶴!」
私はフライパンを振りながら声を上げた
「自分で食べさせて!」
「え?」
「そんなに甘やかしたら」
「弱い男に育つでしょう!?」
「この家で生き残れなくなるわ!」
「生き残る……?」
千鶴が奏太を見る
奏太も千鶴を見た
「私」
千鶴が少しだけ残念そうに箸を置く
「弟というものを持ってみたかったんです」
「お世話をするのが」
「こんなに楽しいとは思いませんでした」
「気持ちは分かるけど」
「自分でできることは」
「自分でやらせて」
「はい……」
千鶴が名残惜しそうに奏太を見る
「奏太ちゃん」
「自分で食べられますか?」
「食べられる!」
「あら」
「偉いのですね」
奏太が元気よく箸を持った
そう
それでいい
高梨家の朝食には厳格な決まりがある
朝食はサバイバル方式ではなく
食卓へ座った者から私が決まった量を配る順番方式
交換禁止
略奪禁止
争い絶対禁止
昔は大皿へ盛って好きに食べさせていた
その結果
毎朝食卓で争いが起きた
そしてこいつらは私を巻き添えにして遅刻する
今の方式は
数々の失敗によって生み出された
我が家で最も平和的な制度なのだ
ちなみにお父さんは
朝早くに家を出ている
火曜日は警察の道場で指導をする日だからだ
だからこの時間
高梨家を統率するのは私しかいない
階段から足音が聞こえてきた
眠そうな顔をした陸と悠真が下りてくる
「おはよ……」
「ねむ……」
「二人とも!」
私はできあがった目玉焼きを皿へ移す
「すぐに顔を洗う!」
「ご飯できてるから!」
「早くしなさい!」
「はーい」
「はーい」
二人がのそのそと洗面所へ向かう
「駆け足!」
「はーい!」
「はーい!」
ばたばたと足音が速くなった
顔を洗った二人が食卓へ座る
私はそれぞれのお盆に朝食を載せていった
「いただきます」
二人が食べ始める
そこで食卓を見回した
一人足りない
「あれ?」
「湊は?」
陸が味噌汁を飲みながら答える
「まだ寝てんじゃね?」
「遅刻するじゃない!」
私はキッチンから飛び出した
その瞬間
陸が悠真のお盆を指さす
「お前」
「納豆好きだろ?」
「ソーセージと交換しようぜ」
「嫌だね」
悠真が目玉焼きを指さす
「目玉焼きとなら――」
ぱしんっ!
陸の手が悠真のお盆へ伸びる直前
私の掌底がその腕を弾いた
「いっ!」
陸が腕を押さえて私を見る
「ねえちゃん?」
「朝は!」
私は二人を睨んだ
「私が配給したもののみを食す!」
「交換禁止!」
「争い禁止!」
「黙って食べて!」
「歯を磨いて!」
「学校へ行きなさい!」
「泣かすわよ!?」
「はーい……」
二人が自分のお盆へ向き直る
危なかった
今のやり取りを放置していたら
まず陸が悠真のソーセージを勝手に取る
怒った悠真が陸の目玉焼きを奪う
陸が仕返しにまた何かを取る
最終的には殴り合いになる
そして私もろとも遅刻する
間違いなくそうなる
今までそうなってきた
こいつらは
口で言っただけでは分からない
姉の私が
逆らえない力で従わせなければ
この家の朝は成り立たないのよ
私は階段を駆け上がった
湊の部屋の前へ立ち
勢いよく扉を開ける
「湊!」
返事はない
ずかずかと部屋の中へ入る
「起きなさい!」
湊は布団を蹴飛ばし
腹を丸出しにして気持ちよさそうに眠っていた
「湊!」
「起きなさい!!」
まったく反応しない
そういえば昨日の夜
私が寝る前にもお父さんと立ち合ってたわね
湊は稽古で疲れ果てた翌朝は
とことん起きない
もう!
なんでお父さんは
次の日に学校があるって分かってるのに
こういうことするのよ!
その時
私は気づいた
あ……
まただ……
おちんちんが……立ってるわね
最近は朝になるとよくこんな感じだ
初めて気づいた時は病気かもしれないと不安になった
お父さんにも言い辛くて
困り果てた私は担任の桐生先生に相談した
すると先生は笑いながら教えてくれた
これは体のメンテナンス
大人になるための準備
女の子の生理みたいなもの
だから慌てなくていいと言われた
放っておきなさいと
そういうものらしい
そういうものなら
気にしている暇はない
「起きなさい!!!」
やっぱり起きない
私は大きく息を吸った
腰を落とした
右の掌を湊の丸出しの腹へ向ける
「遅刻するって」
「言ってるでしょ!」
どんっ!!
「ぐはっ!!」
湊の体が布団の上で跳ねた
一発で目が開く
「なっ……」
「なんだ!?」
「顔を洗う!」
私は湊を指さした
「食事!」
「歯磨き!」
「着替え!」
「早く学校へ行く!」
「お、おう……」
「早くしなさい!」
「はい!」
よし起きた
私はすぐに一階へ戻った
食卓では奏太と晴がまだ朝食を食べている
私は二人の靴下を持ってくる
椅子へ座ったままの二人へ
片方ずつ履かせ始めた
伊織くんが食卓から私を見る
「な、何か」
「手伝おうか?」
「ありがとう」
私は晴の足へ靴下を通す
「でも今日はいいわ」
「もうすぐ保育園のお迎えが来るの」
今は伊織くんへ説明している余裕がない
何を任せればいいのか
考えている暇もない
「私も」
千鶴が食器を片づけながら声を上げる
「お手伝いします」
「食器は洗っておきますね」
「ありがとう!」
「助かる!」
階段から湊が下りてくる
寝癖だらけでまだ寝間着姿
「飯……」
「顔くらい洗ってきなさい!」
私は湊の頭を指さした
「寝癖も酷いよ!」
「いいよ」
「先に飯食ってから」
千鶴が食器を洗ってくれている
今なら湊に手をかけられる
「来い!」
私は湊の頭を掴んだ
「湊が一番手間かかるわよ!」
「自分でやるって!」
「晴を見習いなさい!」
「俺は長男だぜ?」
「やれば出来るのにねえちゃんが――」
「だったら!」
「一人で起きなさい!」
そのまま洗面所まで引っ張っていく
湊に顔を洗わせている間に
私は風呂場から水を入れた洗面器を持ってくる
そして
そのまま湊の頭へぶっかけた
「冷たっ!」
「姉ちゃん!」
「何すんだよ!?」
「あんたが一人でできないからでしょう!」
「もう時間がないのよ!」
湊の髪をタオルでごしごしと拭く
ドライヤーをかけながら何度も櫛を通す
頑固な寝癖がようやく収まった
「よし!」
私はまた湊の首根っこを掴んだ
「食卓に座って!」
「だから」
「自分で歩けるって!」
湊が食卓へ座る
私はすぐに朝食を載せたお盆を置いた
湊がお盆を見る
それから
隣に座った陸のお盆を見た
「陸」
「目玉焼きとソーセージを――」
ドンっ
私は湊の背中へ掌底を撃ち込んだ
湊がゆっくりと振り返る
私は笑顔で告げた
「それ以上言ったら」
「泣かすわよ」
「……分かったよ」
湊は諦めて自分の朝食を食べ始めた
私は湊の背中を打った手を見る
前はこのくらいの力で掌底を入れれば
もっと大げさに痛がっていたのに
また背中が厚くなった
最近急に背が伸びて
すぐに私を追い抜きそうだ
少し茶色がかった短めの髪に
まだ少し幼さの残る顔
前より輪郭はすっきりして
目元も少し精悍になってきた
姉バカなのは自覚している
でも
それを差し引いても
湊はそれなりに見た目がいい
学校ではそこそこモテているようで
バレンタインには毎年いくつかチョコを持って帰ってくる
……いつかは湊も
どこかの女の子に取られるのよね
そう想像すると
ほんの少しだけ寂しくなった
……いや
何をしんみりしてるのよ
べつにいいわ
湊くらいならあげても
似たようなのが
まだ四人もいるし
湊は何事もなかったような顔で
ご飯を食べている
二割の力じゃ……もう駄目か
今度から四割ね
弟の成長は嬉しいが
姉を侮らせるわけにはいかない
私という恐怖を失えば
こいつはきっと
弟たちのソーセージを全部奪い取るわ
その時
家の前から短いクラクションが聞こえた
「来た!」
私は奏太と晴を椅子から下ろし
鞄を背負わせ
帽子と上着を次々と身につけさせる
「奏太!」
「ハンカチ持った!?」
「持った!」
「晴!」
「鞄は!?」
「ない!」
「背負ってるじゃない!?」
「あった!」
二人の手を引いて
玄関を飛び出す
家の前には保育園の送迎バスが止まっていた
扉のところで待っていた先生へ
二人を引き渡す
「よろしくお願いします!」
「いってきまーす!」
「いってらっしゃい!」
バスが走り出す
見送る時間も惜しい
私はすぐに家へ戻った
「陸!」
「悠真!」
「もう着替えなさい!」
「遅刻するよ!」
「ランドセル!」
「昨日も投げっぱなしだったでしょう!」
「今日の準備はできてるの!?」
「忘れ物しないでよ!」
二人が慌てて服を着替える
陸がランドセルを開けた
「あ」
中から一枚の紙を取り出す
「ねえちゃん」
「なに!?」
「このプリント」
「家の人に見せろって」
「なっ!」
私は陸からプリントをひったくった
校外学習の参加同意書
提出期限は昨日
「なんでもっと早く見せないのよ!?」
「忘れてた」
「これ!」
「いつ貰ったの!?」
「先週」
「先週!?」
私は棚から印鑑を取り出す
必要事項を記入し
保護者の欄へお父さんの名前を書く
印鑑を力いっぱい押した
陸の胸へプリントを突き返す
「次から必ず貰ったその日に」
「ねえちゃんに見せなさい!」
陸が素直に頷く
「分かった!」
「ねえちゃん」
こいつはいつも返事だけはいい
そして同じことを繰り返すんだ
でも今は説教している暇はない
私は湊の制服を確認する
Yシャツはちゃんとある
シワもない
よし
これは準備してある
その横の学ランを見る
「え?」
ボタンが一つない
「湊!」
「なに?」
「制服のボタン!」
「一個ないよ!?」
「ああ」
湊がご飯を食べながら答える
「どっかいった」
「なんで言わないのよ!?」
「忘れてた」
まただ!
こいつらはいつも
平気な顔して忘れてたと言うんだ!
私は学ランの内ポケットを探る
予備のボタンが入っていた
裁縫箱を開き針へ糸を通して
急いでボタンを縫いつけていく
「ねえちゃん」
ランドセルを背負った陸と悠真が
私を見ていた
「なに!?」
「俺ら」
「もう学校行っていい?」
「いいわよ!!」
私はボタンを縫いながら叫んだ
「行けって言ったでしょう!?」
「なんでそういうことだけ」
「ちゃんと確認を取るのよ!?」
「いってきまーす」
「いってきます」
私はそこで一瞬冷静になった
あ
ひょっとして
私は陸と悠真の顔に目を向けた
「いってらっしゃい」
言って欲しかったのね
忘れずにちゃんと言ってあげないと
可愛いところもあるのよ
陸と悠真が嬉しそうに手を振り
ばたばたと玄関から出ていった
ようやくまた二人減った
私は縫いつけたボタンを引っ張って確認する
取れない!
「湊!」
「食べ終わった!?」
「おう」
「歯を磨く!」
「おう」
「返事してないで動く!」
湊が洗面所へ走っていく
戻ってきた湊へ
用意しておいたYシャツを着せ
私が一番上からボタンを留めていく
湊はこの時
ものすごく嫌そうな顔をする
でも湊が自分で留めると
力加減を間違えて三回に一回はボタンを引きちぎる
湊が悪いわけじゃない
こればっかりは完全にお父さん譲りだ
お父さんなんてボタンを留めれば
ほぼ確実に引きちぎる
だからボタンのある服自体を着ない
特にYシャツのボタンは小さく脆い
だから私が留めることになった
手が掛かることこの上ないが
ボタンをつけ直す回数は劇的に減った
学ランも着せて鞄を持たせる
「ほら!」
湊の背中を叩いた
「行け!」
「授業中に寝たら泣かすからね!」
「分かってるよ」
湊が靴を履く
「いってきまーす」
「いってらっしゃい!」
玄関の扉が閉まると静かになった
やっと弟たちが全員いなくなった
「終わった……」
違う
終わってない
今度は自分の支度だ
私は冷めた味噌汁を一気に飲み
残っていたご飯を急いで口へ詰め込む
食器を流しへ置いて
二階へ駆け上がった
制服へ着替えて髪を整え
鞄の中身を確認する
忘れ物なし
たぶん
急いで玄関へ下りる
そこには伊織くんと千鶴が靴を履いて待っていた
「お待たせ!」
「美緒さん」
伊織くんが心配そうに私を見る
「毎朝……」
「こうなの?」
「そうよ」
「た、大変だね」
「もう慣れたわ」
「何か手伝えることがあったら」
「遠慮なく言ってね」
千鶴も勢いよく頷いた
「私も明日からはもっとお手伝いします」
「ありがとう」
私は二人を見て笑った
「じゃあ行こうか」
三人で家を出る
そこで私はようやく千鶴の姿をちゃんと見た
昨日まで九条家でメイド服を着ていた女の子
容赦なく私の顔に石を投げて
関節まで壊そうとしてきた
そんな子が今日は
普通に制服を着て笑顔を向けている
なんだろう……ちょっと変な感じ
ってか、可愛いわね
美少女よ……この子
伊織くんと並んで立つと
現実味がないくらいに絵になった
「それでは私はこちらなので」
千鶴が私たちとは別の方向の道を指差した
「う、うん」
「また夕方ね」
「いってらっしゃい」
「千鶴」
「いってらっしゃい」
「美緒」
「それと伊織ちゃん」
千鶴は小さく手を振って歩いていった
私と伊織くんも
駅へ向かって歩き出した
高梨家の朝は戦場だった
「晴!」
「お味噌汁に手を入れない!」
「奏太!」
「自分で食べなさい!」
私は台所で卵を焼きながら
食卓へ指示を飛ばしていた
今日の朝食は
ご飯に味噌汁
目玉焼き、ソーセージ、納豆
下の弟二人
奏太と晴はもう起きて食卓についている
その二人の間では
千鶴が楽しそうに二人の世話を焼いていた
奏太が口を大きく開ける
「千鶴お姉ちゃん」
「あーん」
千鶴が嬉しそうにソーセージを箸でつまむ
「はい」
「あーん」
奏太の口へソーセージが入った
「おいしいですか?」
「うん!」
「千鶴!」
私はフライパンを振りながら声を上げた
「自分で食べさせて!」
「え?」
「そんなに甘やかしたら」
「弱い男に育つでしょう!?」
「この家で生き残れなくなるわ!」
「生き残る……?」
千鶴が奏太を見る
奏太も千鶴を見た
「私」
千鶴が少しだけ残念そうに箸を置く
「弟というものを持ってみたかったんです」
「お世話をするのが」
「こんなに楽しいとは思いませんでした」
「気持ちは分かるけど」
「自分でできることは」
「自分でやらせて」
「はい……」
千鶴が名残惜しそうに奏太を見る
「奏太ちゃん」
「自分で食べられますか?」
「食べられる!」
「あら」
「偉いのですね」
奏太が元気よく箸を持った
そう
それでいい
高梨家の朝食には厳格な決まりがある
朝食はサバイバル方式ではなく
食卓へ座った者から私が決まった量を配る順番方式
交換禁止
略奪禁止
争い絶対禁止
昔は大皿へ盛って好きに食べさせていた
その結果
毎朝食卓で争いが起きた
そしてこいつらは私を巻き添えにして遅刻する
今の方式は
数々の失敗によって生み出された
我が家で最も平和的な制度なのだ
ちなみにお父さんは
朝早くに家を出ている
火曜日は警察の道場で指導をする日だからだ
だからこの時間
高梨家を統率するのは私しかいない
階段から足音が聞こえてきた
眠そうな顔をした陸と悠真が下りてくる
「おはよ……」
「ねむ……」
「二人とも!」
私はできあがった目玉焼きを皿へ移す
「すぐに顔を洗う!」
「ご飯できてるから!」
「早くしなさい!」
「はーい」
「はーい」
二人がのそのそと洗面所へ向かう
「駆け足!」
「はーい!」
「はーい!」
ばたばたと足音が速くなった
顔を洗った二人が食卓へ座る
私はそれぞれのお盆に朝食を載せていった
「いただきます」
二人が食べ始める
そこで食卓を見回した
一人足りない
「あれ?」
「湊は?」
陸が味噌汁を飲みながら答える
「まだ寝てんじゃね?」
「遅刻するじゃない!」
私はキッチンから飛び出した
その瞬間
陸が悠真のお盆を指さす
「お前」
「納豆好きだろ?」
「ソーセージと交換しようぜ」
「嫌だね」
悠真が目玉焼きを指さす
「目玉焼きとなら――」
ぱしんっ!
陸の手が悠真のお盆へ伸びる直前
私の掌底がその腕を弾いた
「いっ!」
陸が腕を押さえて私を見る
「ねえちゃん?」
「朝は!」
私は二人を睨んだ
「私が配給したもののみを食す!」
「交換禁止!」
「争い禁止!」
「黙って食べて!」
「歯を磨いて!」
「学校へ行きなさい!」
「泣かすわよ!?」
「はーい……」
二人が自分のお盆へ向き直る
危なかった
今のやり取りを放置していたら
まず陸が悠真のソーセージを勝手に取る
怒った悠真が陸の目玉焼きを奪う
陸が仕返しにまた何かを取る
最終的には殴り合いになる
そして私もろとも遅刻する
間違いなくそうなる
今までそうなってきた
こいつらは
口で言っただけでは分からない
姉の私が
逆らえない力で従わせなければ
この家の朝は成り立たないのよ
私は階段を駆け上がった
湊の部屋の前へ立ち
勢いよく扉を開ける
「湊!」
返事はない
ずかずかと部屋の中へ入る
「起きなさい!」
湊は布団を蹴飛ばし
腹を丸出しにして気持ちよさそうに眠っていた
「湊!」
「起きなさい!!」
まったく反応しない
そういえば昨日の夜
私が寝る前にもお父さんと立ち合ってたわね
湊は稽古で疲れ果てた翌朝は
とことん起きない
もう!
なんでお父さんは
次の日に学校があるって分かってるのに
こういうことするのよ!
その時
私は気づいた
あ……
まただ……
おちんちんが……立ってるわね
最近は朝になるとよくこんな感じだ
初めて気づいた時は病気かもしれないと不安になった
お父さんにも言い辛くて
困り果てた私は担任の桐生先生に相談した
すると先生は笑いながら教えてくれた
これは体のメンテナンス
大人になるための準備
女の子の生理みたいなもの
だから慌てなくていいと言われた
放っておきなさいと
そういうものらしい
そういうものなら
気にしている暇はない
「起きなさい!!!」
やっぱり起きない
私は大きく息を吸った
腰を落とした
右の掌を湊の丸出しの腹へ向ける
「遅刻するって」
「言ってるでしょ!」
どんっ!!
「ぐはっ!!」
湊の体が布団の上で跳ねた
一発で目が開く
「なっ……」
「なんだ!?」
「顔を洗う!」
私は湊を指さした
「食事!」
「歯磨き!」
「着替え!」
「早く学校へ行く!」
「お、おう……」
「早くしなさい!」
「はい!」
よし起きた
私はすぐに一階へ戻った
食卓では奏太と晴がまだ朝食を食べている
私は二人の靴下を持ってくる
椅子へ座ったままの二人へ
片方ずつ履かせ始めた
伊織くんが食卓から私を見る
「な、何か」
「手伝おうか?」
「ありがとう」
私は晴の足へ靴下を通す
「でも今日はいいわ」
「もうすぐ保育園のお迎えが来るの」
今は伊織くんへ説明している余裕がない
何を任せればいいのか
考えている暇もない
「私も」
千鶴が食器を片づけながら声を上げる
「お手伝いします」
「食器は洗っておきますね」
「ありがとう!」
「助かる!」
階段から湊が下りてくる
寝癖だらけでまだ寝間着姿
「飯……」
「顔くらい洗ってきなさい!」
私は湊の頭を指さした
「寝癖も酷いよ!」
「いいよ」
「先に飯食ってから」
千鶴が食器を洗ってくれている
今なら湊に手をかけられる
「来い!」
私は湊の頭を掴んだ
「湊が一番手間かかるわよ!」
「自分でやるって!」
「晴を見習いなさい!」
「俺は長男だぜ?」
「やれば出来るのにねえちゃんが――」
「だったら!」
「一人で起きなさい!」
そのまま洗面所まで引っ張っていく
湊に顔を洗わせている間に
私は風呂場から水を入れた洗面器を持ってくる
そして
そのまま湊の頭へぶっかけた
「冷たっ!」
「姉ちゃん!」
「何すんだよ!?」
「あんたが一人でできないからでしょう!」
「もう時間がないのよ!」
湊の髪をタオルでごしごしと拭く
ドライヤーをかけながら何度も櫛を通す
頑固な寝癖がようやく収まった
「よし!」
私はまた湊の首根っこを掴んだ
「食卓に座って!」
「だから」
「自分で歩けるって!」
湊が食卓へ座る
私はすぐに朝食を載せたお盆を置いた
湊がお盆を見る
それから
隣に座った陸のお盆を見た
「陸」
「目玉焼きとソーセージを――」
ドンっ
私は湊の背中へ掌底を撃ち込んだ
湊がゆっくりと振り返る
私は笑顔で告げた
「それ以上言ったら」
「泣かすわよ」
「……分かったよ」
湊は諦めて自分の朝食を食べ始めた
私は湊の背中を打った手を見る
前はこのくらいの力で掌底を入れれば
もっと大げさに痛がっていたのに
また背中が厚くなった
最近急に背が伸びて
すぐに私を追い抜きそうだ
少し茶色がかった短めの髪に
まだ少し幼さの残る顔
前より輪郭はすっきりして
目元も少し精悍になってきた
姉バカなのは自覚している
でも
それを差し引いても
湊はそれなりに見た目がいい
学校ではそこそこモテているようで
バレンタインには毎年いくつかチョコを持って帰ってくる
……いつかは湊も
どこかの女の子に取られるのよね
そう想像すると
ほんの少しだけ寂しくなった
……いや
何をしんみりしてるのよ
べつにいいわ
湊くらいならあげても
似たようなのが
まだ四人もいるし
湊は何事もなかったような顔で
ご飯を食べている
二割の力じゃ……もう駄目か
今度から四割ね
弟の成長は嬉しいが
姉を侮らせるわけにはいかない
私という恐怖を失えば
こいつはきっと
弟たちのソーセージを全部奪い取るわ
その時
家の前から短いクラクションが聞こえた
「来た!」
私は奏太と晴を椅子から下ろし
鞄を背負わせ
帽子と上着を次々と身につけさせる
「奏太!」
「ハンカチ持った!?」
「持った!」
「晴!」
「鞄は!?」
「ない!」
「背負ってるじゃない!?」
「あった!」
二人の手を引いて
玄関を飛び出す
家の前には保育園の送迎バスが止まっていた
扉のところで待っていた先生へ
二人を引き渡す
「よろしくお願いします!」
「いってきまーす!」
「いってらっしゃい!」
バスが走り出す
見送る時間も惜しい
私はすぐに家へ戻った
「陸!」
「悠真!」
「もう着替えなさい!」
「遅刻するよ!」
「ランドセル!」
「昨日も投げっぱなしだったでしょう!」
「今日の準備はできてるの!?」
「忘れ物しないでよ!」
二人が慌てて服を着替える
陸がランドセルを開けた
「あ」
中から一枚の紙を取り出す
「ねえちゃん」
「なに!?」
「このプリント」
「家の人に見せろって」
「なっ!」
私は陸からプリントをひったくった
校外学習の参加同意書
提出期限は昨日
「なんでもっと早く見せないのよ!?」
「忘れてた」
「これ!」
「いつ貰ったの!?」
「先週」
「先週!?」
私は棚から印鑑を取り出す
必要事項を記入し
保護者の欄へお父さんの名前を書く
印鑑を力いっぱい押した
陸の胸へプリントを突き返す
「次から必ず貰ったその日に」
「ねえちゃんに見せなさい!」
陸が素直に頷く
「分かった!」
「ねえちゃん」
こいつはいつも返事だけはいい
そして同じことを繰り返すんだ
でも今は説教している暇はない
私は湊の制服を確認する
Yシャツはちゃんとある
シワもない
よし
これは準備してある
その横の学ランを見る
「え?」
ボタンが一つない
「湊!」
「なに?」
「制服のボタン!」
「一個ないよ!?」
「ああ」
湊がご飯を食べながら答える
「どっかいった」
「なんで言わないのよ!?」
「忘れてた」
まただ!
こいつらはいつも
平気な顔して忘れてたと言うんだ!
私は学ランの内ポケットを探る
予備のボタンが入っていた
裁縫箱を開き針へ糸を通して
急いでボタンを縫いつけていく
「ねえちゃん」
ランドセルを背負った陸と悠真が
私を見ていた
「なに!?」
「俺ら」
「もう学校行っていい?」
「いいわよ!!」
私はボタンを縫いながら叫んだ
「行けって言ったでしょう!?」
「なんでそういうことだけ」
「ちゃんと確認を取るのよ!?」
「いってきまーす」
「いってきます」
私はそこで一瞬冷静になった
あ
ひょっとして
私は陸と悠真の顔に目を向けた
「いってらっしゃい」
言って欲しかったのね
忘れずにちゃんと言ってあげないと
可愛いところもあるのよ
陸と悠真が嬉しそうに手を振り
ばたばたと玄関から出ていった
ようやくまた二人減った
私は縫いつけたボタンを引っ張って確認する
取れない!
「湊!」
「食べ終わった!?」
「おう」
「歯を磨く!」
「おう」
「返事してないで動く!」
湊が洗面所へ走っていく
戻ってきた湊へ
用意しておいたYシャツを着せ
私が一番上からボタンを留めていく
湊はこの時
ものすごく嫌そうな顔をする
でも湊が自分で留めると
力加減を間違えて三回に一回はボタンを引きちぎる
湊が悪いわけじゃない
こればっかりは完全にお父さん譲りだ
お父さんなんてボタンを留めれば
ほぼ確実に引きちぎる
だからボタンのある服自体を着ない
特にYシャツのボタンは小さく脆い
だから私が留めることになった
手が掛かることこの上ないが
ボタンをつけ直す回数は劇的に減った
学ランも着せて鞄を持たせる
「ほら!」
湊の背中を叩いた
「行け!」
「授業中に寝たら泣かすからね!」
「分かってるよ」
湊が靴を履く
「いってきまーす」
「いってらっしゃい!」
玄関の扉が閉まると静かになった
やっと弟たちが全員いなくなった
「終わった……」
違う
終わってない
今度は自分の支度だ
私は冷めた味噌汁を一気に飲み
残っていたご飯を急いで口へ詰め込む
食器を流しへ置いて
二階へ駆け上がった
制服へ着替えて髪を整え
鞄の中身を確認する
忘れ物なし
たぶん
急いで玄関へ下りる
そこには伊織くんと千鶴が靴を履いて待っていた
「お待たせ!」
「美緒さん」
伊織くんが心配そうに私を見る
「毎朝……」
「こうなの?」
「そうよ」
「た、大変だね」
「もう慣れたわ」
「何か手伝えることがあったら」
「遠慮なく言ってね」
千鶴も勢いよく頷いた
「私も明日からはもっとお手伝いします」
「ありがとう」
私は二人を見て笑った
「じゃあ行こうか」
三人で家を出る
そこで私はようやく千鶴の姿をちゃんと見た
昨日まで九条家でメイド服を着ていた女の子
容赦なく私の顔に石を投げて
関節まで壊そうとしてきた
そんな子が今日は
普通に制服を着て笑顔を向けている
なんだろう……ちょっと変な感じ
ってか、可愛いわね
美少女よ……この子
伊織くんと並んで立つと
現実味がないくらいに絵になった
「それでは私はこちらなので」
千鶴が私たちとは別の方向の道を指差した
「う、うん」
「また夕方ね」
「いってらっしゃい」
「千鶴」
「いってらっしゃい」
「美緒」
「それと伊織ちゃん」
千鶴は小さく手を振って歩いていった
私と伊織くんも
駅へ向かって歩き出した


