実りの贄

 ある秋の朝。
 毎朝確認している無料の運勢占いには、『新しい出会いがあるでしょう』とあった。
 主婦は近くのドラッグストアで働いている。
 また新人が入ってくるのだろうかと、主婦は気にも留めなかった。

 -*-

 その日は休日で、主婦がゴミ出しを終えた後のことだった。
 宅配便で、注文した覚えのない見知らぬ店から荷物が届いた。
 80サイズの白い段ボール箱が一つ。
 何が入っているのか、箱はずっしりと重い。
 主婦は荷札を見たが、記載されているのは紛れもなく自分の名前に自分の住所。
 そしてスマホの番号。
 届ける時刻も指定されており、到着は午前中になっている。

「何だろうねえ……」

 不思議に思って主婦はスマホのメールを探した。
 すると三日前に来ていた『秋の感謝祭キャンペーン』というメールを見つけた。
 メールには、数か月前に主婦がキャンペーンに参加した結果、A賞を当てたことしか書かれていなかった。

 ――そうか、懸賞が当たったのか。

 しかしいつこんな懸賞に応募したのだろうか?
 そう疑問に思いながらも、主婦はこの白い箱を『開けていいもの』と認識した。

 -*-

 主婦が箱のガムテープをカッターで切り裂く。
 するとまるで棺の蓋が開くような鈍い音が聞こえた。
 そして白い箱から出てきたのは、圧倒的な量の「栗」だった。
 光沢がある、こげ茶色のまるまるとした大粒の和栗。
 白い箱にそれがぎっしりと詰められている。
 主婦はその一つを取り上げ、見つめた。

「大きさは3Lぐらいかねえ。ずいぶん大きいじゃないか」

 折角入手した貴重な和栗。
 これほど買えば万札一枚では済まないかもしれない。
 近々娘が孫を連れて泊まりに来るという。
 その時に栗ご飯を作ろうかと、主婦は大き目のボウルに水を張り、洗った栗を浸した。
 それにしても大鍋にも入らないほどの量だ。
 主婦はそのうちの幾つかを、懇意にしている近所の家に持って行った。

 帰宅した主婦は栗の様子を見る。
 ぷかぷか浮かぶ栗はなく、みなボウルの底に沈んでいる。
 虫食いなどはなさそうだ。
 主婦は期待に心を躍らせ、口角を上げた。
 三時間ほど水に浸けた後、栗を鍋に入れて茹でる。
 一度には茹で終わらず、三度に分けて茹でることにした。

「はぁ。ものすごい量だね……。これ全部一日で剥けるかねえ……」

 栗の量に圧倒されて主婦は深いため息をついた。
 しかしタダで頂いた良質の栗。
 無駄にしては勿体ないと、主婦は栗の処理をすると決めた。
 時間を測り、頃合いを見て栗を鍋から降ろす。
 白い湯気の中で、栗をざるに流し入れ、どこか赤みを帯びた薄い黒の水を捨てる。
 黒い水はザザザっと音を立て、排水溝に吸い込まれるようにして流れていった。
 アルミ製のボウルに水を切って栗を入れ、主婦は温かいうちに栗の皮を剥き始めた。
 熱いうちは鬼皮もまだ柔らかい。
 時間との勝負だと思いながら、鬼皮を取り外していく。
 鬼皮を外した後は渋皮だが、ここで次の栗を茹でなければならない。
 茹でながら渋皮を剥き取ると、ホクホクに茹で上がった黄金の栗が姿を現した。

「これは見事だね……」

 主婦はうっとりと栗を見つめた。
 コロンとした丸い栗の形状が、ふと何かに似ていると思った。
 しかし主婦はまたしても深く考えなかった。

 -*-

 それから栗を大鍋で茹でては皮を剥くという作業を数回繰り返した。
 孫が好きな栗ご飯を作ろうという目的のため、主婦は栗の鬼皮を夢中で裂いていた。
 途中から茹で時間を変えたのにもかかわらず、栗の鬼皮はどんどん硬くなっていく。
 それとは逆に渋皮は妙にするりと簡単に剥がれた。
 美しい黄金色の栗が見たかった。
 指先が硬い鬼皮に傷つき始めても、主婦にはこの栗を剥くことを止められなかった。
 ――止めたくなかった。
 剥けば剥くほど、栗は人間の脳のような形を見せた。
 主婦はそんな栗を見たいと強く思い始めた。
 栗を剥くたびに、もっと、もっと、心の奥から欲求が沸き上がる気がした。
 そうして剥き終えた栗を見つめニタリとする。

 そして――。
 その脳に似た、黄金色の栗の味を知りたくなった。
 味見は必要だと、衝動的に口に入れる。
 なぜかこの栗の味がわからなかった。
 ――いや、味がしなかった。

「外れでも食べたかね……」

 そう思いながら、ボウルにまだまだ残っている茹で栗を見つめた。
 時計を見ると、栗剥きを始めてからもう五時間が経っている。
 せめて茹でた栗だけは剥いてしまおうと、主婦はまた栗を剥き始めた。
 それでも主婦はただ高級な和栗を味わいたいだけなのだと思っていた。

 -*-

 異変が訪れたのは、橙色の栗を手にしてからだった。
 血まみれの指で剥いたその栗は、異様なほど美しかった。
 主婦はゴクリと喉を鳴らし、その栗を口に入れた。
 何度か咀嚼を繰り返す。
 噛めば噛むほど甘栗のように甘美な味がした。

「美味しい……」

 その栗を食べた後、無性に喉が渇いた。
 主婦は狂ったように水を飲み、満足するとまた栗を剥き始めた。
 部屋の中は暗闇になっている。
 主婦はキッチンの電気を点け、無我夢中で栗を剥き続けたが、それでも茹でた栗は減る様子もなかった。

 -*-

 そんな時だった。
 仕事に行っていた夫が家に帰ってきた。

「ただいま。……帰ったよ」

 カーテンは引かれておらず、電気が点いていない薄暗い居間。
 ただ、キッチンで物音がするため向かった。
 明るいキッチンでは、妻が笑いながら栗を剥き続けていた。
 夫は驚き、思わず小さな悲鳴を漏らす。
 鼻をつく血の匂いがする。
 夫は妻の血まみれの手を見て、後ろから慌てて妻の腕を掴んで止めた。

「なにをしてる!」

 キッチンの作業台には三つの大きなボウルが並ぶ。
 剥いた栗が二つのボウルに山積みになって入っていた。
 そのボウルよりももう一回り大きなボウルには、剥いた大量の栗の殻がある。
 ガスコンロには正月用の煮物を作るための大鍋が、蒸気を発していた。
 何を茹でていたんだろうかと、夫は妻の足元の白い段ボール箱を見る。
 すると妻はその隙に、また茹で栗を手に取った。

「裕美、やめろ!……もうやるな!」

 夫はガスコンロの火を止め、妻から栗を無理やりはがし取った。
 夫の声を聞き、妻は夫の顔を見つめた。

「あれ、帰ってきたんだね……」

 すると指先にズキズキと痛みが起こった。

「……血が出てる」

 指先は栗と血でぐちゃぐちゃだった。
 夫はその指を冷水で洗い流し、丁寧に絆創膏を貼った。
 妻が痛みをこらえていると、夫がため息をついた。

「こんなになるまで剥かなくてもいいだろ……」

 剥かれた栗がボウルの中にいくつも入っているが、それはいずれも複雑に皺が寄った、コロンと丸い黄金色の塊だった。
 妻はしばらくそれを見つめてから、かすれるような声で呟いた。

「……違う」

 キッチンで栗の皮を処分していた夫が、手を動かしながら訊ねる。

「何が?」

 妻は一粒を指先でつまみ、恍惚とした表情で告げた。

「これは栗じゃない」
「……何を言ってるんだ? どう見ても栗だろ」

「苦離なんだよ」

 そしてあの白い段ボール箱の中には、また栗がぎっしりと詰まっていた。