文化祭の熱気が冷めやらぬ翌日、私は朝から落ち着かない気分で登校した。
昨日、颯真から告白されたことは、まだ誰にも話していなかった。美月にさえ、まだ心の準備ができていなかった。
教室に入ると、颯真はいつもの席に座っていた。目が合うと、彼は少し緊張したような表情を見せた。以前のような、余裕を纏った笑顔ではなく、返事を待つ者の、素直な不安が滲んだ顔だった。
授業中、私はほとんど内容が頭に入ってこなかった。昨日の夕方、彼が口にした言葉が、何度も頭の中で再生されていた。
――穂乃果に、好きになってほしい。
その言葉を、私はもう、疑う理由を見つけられなくなっていた。
放課後、私は自分から颯真に声をかけた。
「一ノ瀬くん、少し話せますか」
颯真は少し驚いたような顔をしたけれど、すぐに頷いた。
昨日と同じ、屋上に近い階段の踊り場に、私たちは再び向かった。夕方の光が、昨日と同じように窓から差し込んでいる。けれど、今日の私の心は、昨日とは違う確かな決意に満ちていた。
「昨日の答え、決めました」
私は、まっすぐに颯真を見て、そう切り出した。
颯真は、緊張した面持ちで、私の次の言葉を待っていた。
「私も、好きです」
その言葉を口にした瞬間、颯真の表情が、大きく崩れた。安堵と、それから隠しきれない喜びが、彼の顔いっぱいに広がっていくのがわかった。
「……ほんとに?」
「ほんとです」
颯真は、しばらく言葉を失ったように、ただ私を見つめていた。それから、深く息を吐き出すように、小さく笑った。
「よかった……」
その声には、これまでの彼から聞いたことのないような、心からの安堵が滲んでいた。
けれど、私はここで、はっきりさせておきたいことがあった。
「ただし、条件があります」
「条件?」
颯真は少し戸惑ったような顔をした。
「もう曖昧なこと言わないで」
私は、これまでの数々の出来事を思い返しながら、はっきりと告げた。
「はい」
颯真は、素直に頷いた。
「嫉妬したら、嫉妬したって言って」
「努力する」
その返答に、私は少し引っかかった。
「努力するじゃなくて、ちゃんと言って」
「……言う」
颯真は、苦笑しながら訂正した。
「あと」
私は、少し意地悪な気持ちで、もう一つの条件を付け加えることにした。
「人の返事聞かずに名前呼びするの、やめて」
颯真は、それを聞いて、はっきりと首を横に振った。
「それは無理」
即答だった。
「なんでそこだけ即答なの?」
私は思わず突っ込んだ。他の条件には素直に応じたのに、この一点だけは頑として譲らない態度に、呆れと、それからどこか微笑ましさを感じてしまった。
「だって、もう穂乃果って呼ぶの、慣れちゃったし」
颯真は悪びれもせずにそう答えた。その様子に、私は思わず小さく笑ってしまった。
「本当に、都合のいいときだけ強気ですね」
「そういう性格なんで」
軽口を交わしながら、私は自分の中に、以前とは違う穏やかな安心感が広がっていくのを感じていた。曖昧な関係に振り回されていた日々が嘘のように、今、この瞬間の空気は、はっきりとした確かさに満ちていた。
正式に交際が始まったことは、その日のうちに教室中に広まった。もっとも、これまでの経緯を知っているクラスメイトたちにとっては、むしろ「ようやく」という反応の方が多かった。
「やっと正式になったか」
拓翔は報告を聞くなり、そう言って笑った。
「お前ら、遠回りしすぎ」
瑠璃子も、廊下で私を見つけると、少し複雑そうな、けれど清々しい表情で声をかけてきた。
「よかったね、間下さん」
「ありがとうございます」
「一ノ瀬くんのこと、ちゃんと変えたの、間下さんだと思う」
瑠璃子はそう言って、小さく微笑んだ。その笑顔には、以前見せていたような複雑な感情は、もう見当たらなかった。
美月は報告を聞くなり、盛大にはしゃいだ。
「ほら見なさい、私が最初から言ってたじゃん!」
「何を?」
「一ノ瀬くんに構われてるとき、絶対嬉しそうな顔してたって!」
その指摘には、もう反論する気力もなく、私は素直に頷くしかなかった。
放課後、颯真と二人で帰る道すがら、彼はふと思い出したように言った。
「じゃあ、俺のこと、颯真って呼んで」
「嫌です」
「なんで」
「まだ早いので」
颯真は、少し不満そうな顔をした。
「彼氏なのに?」
「彼氏でも、まだ早いです」
「彼氏ってそんな権限弱いの?」
「何の権限を期待してたんですか」
「名前で呼んでもらえる権利」
「ありません」
「厳しいな、この彼女」
「今さら気づいたんですか」
「一回だけでいいから」
「うるさい、毒キノコ」
颯真は、その呼び方を聞いて、声を立てて笑った。
「その呼び方、まだ続いてるんだ」
「一ノ瀬くんが毒キノコである限り、続きます」
「じゃあ、一生続きそうだね」
その言葉に、私は思わず頬が緩むのを感じた。
一生。その言葉が、これほど自然に、これほど心地よく響く日が来るとは、少し前の私には想像もつかなかった。
夕暮れの道を、二人並んで歩きながら、私は自分の中に確かな幸福感が広がっていくのを感じていた。
毒があると知っていながら、それでも手を伸ばしてしまった。その選択を、私はもう、後悔していなかった。
昨日、颯真から告白されたことは、まだ誰にも話していなかった。美月にさえ、まだ心の準備ができていなかった。
教室に入ると、颯真はいつもの席に座っていた。目が合うと、彼は少し緊張したような表情を見せた。以前のような、余裕を纏った笑顔ではなく、返事を待つ者の、素直な不安が滲んだ顔だった。
授業中、私はほとんど内容が頭に入ってこなかった。昨日の夕方、彼が口にした言葉が、何度も頭の中で再生されていた。
――穂乃果に、好きになってほしい。
その言葉を、私はもう、疑う理由を見つけられなくなっていた。
放課後、私は自分から颯真に声をかけた。
「一ノ瀬くん、少し話せますか」
颯真は少し驚いたような顔をしたけれど、すぐに頷いた。
昨日と同じ、屋上に近い階段の踊り場に、私たちは再び向かった。夕方の光が、昨日と同じように窓から差し込んでいる。けれど、今日の私の心は、昨日とは違う確かな決意に満ちていた。
「昨日の答え、決めました」
私は、まっすぐに颯真を見て、そう切り出した。
颯真は、緊張した面持ちで、私の次の言葉を待っていた。
「私も、好きです」
その言葉を口にした瞬間、颯真の表情が、大きく崩れた。安堵と、それから隠しきれない喜びが、彼の顔いっぱいに広がっていくのがわかった。
「……ほんとに?」
「ほんとです」
颯真は、しばらく言葉を失ったように、ただ私を見つめていた。それから、深く息を吐き出すように、小さく笑った。
「よかった……」
その声には、これまでの彼から聞いたことのないような、心からの安堵が滲んでいた。
けれど、私はここで、はっきりさせておきたいことがあった。
「ただし、条件があります」
「条件?」
颯真は少し戸惑ったような顔をした。
「もう曖昧なこと言わないで」
私は、これまでの数々の出来事を思い返しながら、はっきりと告げた。
「はい」
颯真は、素直に頷いた。
「嫉妬したら、嫉妬したって言って」
「努力する」
その返答に、私は少し引っかかった。
「努力するじゃなくて、ちゃんと言って」
「……言う」
颯真は、苦笑しながら訂正した。
「あと」
私は、少し意地悪な気持ちで、もう一つの条件を付け加えることにした。
「人の返事聞かずに名前呼びするの、やめて」
颯真は、それを聞いて、はっきりと首を横に振った。
「それは無理」
即答だった。
「なんでそこだけ即答なの?」
私は思わず突っ込んだ。他の条件には素直に応じたのに、この一点だけは頑として譲らない態度に、呆れと、それからどこか微笑ましさを感じてしまった。
「だって、もう穂乃果って呼ぶの、慣れちゃったし」
颯真は悪びれもせずにそう答えた。その様子に、私は思わず小さく笑ってしまった。
「本当に、都合のいいときだけ強気ですね」
「そういう性格なんで」
軽口を交わしながら、私は自分の中に、以前とは違う穏やかな安心感が広がっていくのを感じていた。曖昧な関係に振り回されていた日々が嘘のように、今、この瞬間の空気は、はっきりとした確かさに満ちていた。
正式に交際が始まったことは、その日のうちに教室中に広まった。もっとも、これまでの経緯を知っているクラスメイトたちにとっては、むしろ「ようやく」という反応の方が多かった。
「やっと正式になったか」
拓翔は報告を聞くなり、そう言って笑った。
「お前ら、遠回りしすぎ」
瑠璃子も、廊下で私を見つけると、少し複雑そうな、けれど清々しい表情で声をかけてきた。
「よかったね、間下さん」
「ありがとうございます」
「一ノ瀬くんのこと、ちゃんと変えたの、間下さんだと思う」
瑠璃子はそう言って、小さく微笑んだ。その笑顔には、以前見せていたような複雑な感情は、もう見当たらなかった。
美月は報告を聞くなり、盛大にはしゃいだ。
「ほら見なさい、私が最初から言ってたじゃん!」
「何を?」
「一ノ瀬くんに構われてるとき、絶対嬉しそうな顔してたって!」
その指摘には、もう反論する気力もなく、私は素直に頷くしかなかった。
放課後、颯真と二人で帰る道すがら、彼はふと思い出したように言った。
「じゃあ、俺のこと、颯真って呼んで」
「嫌です」
「なんで」
「まだ早いので」
颯真は、少し不満そうな顔をした。
「彼氏なのに?」
「彼氏でも、まだ早いです」
「彼氏ってそんな権限弱いの?」
「何の権限を期待してたんですか」
「名前で呼んでもらえる権利」
「ありません」
「厳しいな、この彼女」
「今さら気づいたんですか」
「一回だけでいいから」
「うるさい、毒キノコ」
颯真は、その呼び方を聞いて、声を立てて笑った。
「その呼び方、まだ続いてるんだ」
「一ノ瀬くんが毒キノコである限り、続きます」
「じゃあ、一生続きそうだね」
その言葉に、私は思わず頬が緩むのを感じた。
一生。その言葉が、これほど自然に、これほど心地よく響く日が来るとは、少し前の私には想像もつかなかった。
夕暮れの道を、二人並んで歩きながら、私は自分の中に確かな幸福感が広がっていくのを感じていた。
毒があると知っていながら、それでも手を伸ばしてしまった。その選択を、私はもう、後悔していなかった。



