放課後、毒キノコに恋をする

 自分の気持ちを自覚してから、私は以前にも増して颯真との距離感に悩むようになった。
 好きだと認めてしまったからこそ、これまでのように軽口を叩き合うことができなくなった。彼の何気ない一言に、いちいち心が反応してしまう。それを悟られたくなくて、かえってぎこちない態度を取ってしまう。悪循環だった。
「穂乃果、今日も静かだね」
「べつに、普通です」
「普通に見えないけど」
「気のせいです」
 以前なら、こういうやり取りも軽く受け流せていたはずなのに、今は颯真の視線ひとつに動揺してしまう自分がいた。
「で、まだ告らないの?」
 話を聞き終えるなり、美月はあっさりとそう聞いてきた。
「告らない」
「なんで?」
「毒キノコを好きになったからって、食べる必要はないでしょ」
「その理屈、無理があると思うけどな」
 美月は呆れたように笑ったけれど、それ以上は深く追及してこなかった。ただ、心配そうな目でこちらを見ていた。
「でも、そんなに苦しいなら、隠してるのもしんどくない?」
「隠してるわけじゃない。ただ、伝える気がないだけ」
「それを世間では隠してるって言うんだよ」
 美月の指摘は的確だったけれど、私はそれを認めるつもりはなかった。認めてしまえば、この中途半端な状態を続けることすら、もっと苦しくなってしまう気がした。
 恋愛トラブルには近づかない。それが私の信条だったはずなのに、よりによって学年で一番危険な男子を好きになってしまった。せめて、この気持ちを表に出さないことだけは、自分の中で守り続けようと決めていた。
 けれど、颯真の方は、私の態度の変化を敏感に感じ取っているようだった。
 以前よりも、颯真は明らかに私との距離を詰めようとしてきていた。休み時間だけでなく、放課後も理由をつけては一緒に帰ろうとする。私が図書室に行けば、当然のようについてくる。以前と変わらないように見えて、その頻度と粘り強さは、明らかに増していた。
「今日、一緒に帰ろう」
「用事があります」
「じゃあ、その用事終わってからでいいから」
「終わる時間がわかりません」
「待つよ」
 こういうやり取りが、日常的に繰り返されるようになった。以前なら、鬱陶しいと感じていたはずのその粘り強さが、今は違う意味で私の心を揺さぶってくる。距離を詰めてくる彼に、内心では少し嬉しさを感じてしまっている自分がいる。それが、余計に苦しかった。
 一方で、颯真は決して「好き」とは言わなかった。
 保健室の一件のときも、噂が広まったときも、彼は「まだ」というような曖昧な言葉を使うだけで、はっきりとした感情を口にすることはなかった。距離は詰めてくるくせに、肝心なところでは、はっきりとした言葉を避け続ける。
 その曖昧さが、私を苦しめた。
 もし彼が本当に私を好きなら、この状況で告白してくれてもいいはずだ。けれど、それをしない。ということはつまり、私に対する態度は、単なる気まぐれか、あるいは誰にでも向けるものの延長線上にあるものなのかもしれない。瑠璃子の忠告が、また頭の中で蘇る。
 ――一ノ瀬くんって、ああいうこと誰にでも言うよ。
 そうかもしれない。彼にとって、私との今の関係は、これまで通りの「誰にでも優しくする」ことの一環に過ぎないのかもしれない。だとしたら、私だけが一人で舞い上がって、一人で傷ついているだけということになる。
 その考えに至るたびに、胸の奥がじくじくと痛んだ。
          ☆
 放課後、いつものように図書室に向かおうとしていた私を、颯真が呼び止めた。
「穂乃果」
「なんですか」
 振り返ると、颯真はいつものように笑ってはいなかった。
「俺、何かした?」
「……何がですか」
「最近、前みたいに話してくれないから」
 その言い方は、責めるというより、確かめようとしているようだった。
「そんなことないです」
「あるよ」
 颯真は少しだけ視線を落とした。
「前はもっと、くだらないことで言い返してきたじゃん」
「それ、喜ぶところなんですか」
「今は、それでもいいから話してほしい」
 思いがけない言葉に、胸の奥が大きく跳ねた。
 冗談めかした調子ではなかった。
「……一ノ瀬くん、最近変ですよ」
「穂乃果に言われたくない」
 そう言って笑ったけれど、その笑顔には以前のような余裕がなかった。

 家に帰ってからも、颯真のあの表情が頭から離れなかった。
 ――今は、それでもいいから話してほしい。
 思い出すたびに、胸の奥が落ち着かなくなる。
 その夜、スマートフォンが震えた。颯真からだった。
『俺、穂乃果に嫌われた?』
 その一文を、私は何度も読み返した。
 返信欄を開く。
『気のせいです』
 打って、消した。
『そんなことないです』
 それも消した。
 嫌ってなんかいない。
 むしろ、その逆だから困っている。
 けれど、そんなことを言えるはずもなかった。
 結局、私はしばらく迷った末に、短く返した。
『嫌ってないです』
 送信したあと、スマートフォンを伏せる。
 これ以上近づけば、きっと隠せなくなる。
 でも、離れてしまうのも嫌だった。
 毒キノコに恋をするというのは、たぶん、こういうことなのだ。
 危険だとわかっているのに、もう目を逸らすことができない。
 その夜も、私はなかなか眠れなかった。