文化祭の準備が進む中、ある日の放課後、美月が唐突に提案を持ち出してきた。
「ねえ、今度の土曜、みんなでカラオケ行かない?」
装飾班の作業を終え、片づけをしていると、美月がにこにこしながらそう切り出した。「みんな」というのが誰を指すのか、私にはすぐにピンときた。
「みんなって、誰」
「私と穂乃果、あと一ノ瀬くんと桐谷くん。それと、香坂さんも誘おうかなって」
案の定だった。私は片づけの手を止めて、美月をじっと見つめた。
「それ、絶対何か企んでるでしょ」
「企んでないよ。ただ、文化祭準備の息抜きっていうか、みんなでワイワイしたいだけ」
美月はしらばっくれた顔でそう言ったけれど、その目の奥にはっきりとした企みの色が見えていた。
「瑠璃子まで誘うのは、さすがに変じゃない?」
「変じゃないよ。最近、瑠璃子と穂乃果、仲良くなったし。それに、あの子、意外といい子だから、もっと絡んでほしいなって」
理由としては筋が通っているようで、どこか無理があるようにも聞こえた。けれど、これ以上追及したところで、美月が計画を撤回するとは思えなかった。
「桐谷くんは誘っていいの? 一ノ瀬くんが変な反応しそうだけど」
「だからこそ面白いんじゃん」
美月は悪びれもせずにそう言い切った。私はもう、深いため息をつくしかなかった。
☆
土曜日、指定されたカラオケ店の前に、私たちは順番に集まっていった。最初に着いたのは私と美月で、少し遅れて瑠璃子が到着した。
「ごめん、待った?」
「ううん、全然」
瑠璃子は、以前とは違って、私に対してすっかり打ち解けた様子を見せてくれていた。以前、一ノ瀬くんについて話して以来、私たちの間には、以前にはなかった気安さが生まれていた。
拓翔は時間通りにやってきたけれど、颯真は少し遅れているようだった。
「あいつ、また誰かに捕まってるんじゃないか」
拓翔が呆れたように言った。
しばらく待っていると、息を切らせた颯真が駆けてきた。
「ごめん、遅れた」
「なんで遅れたの」
美月が興味津々に尋ねると、颯真は少し困ったように頭をかいた。
「後輩に道聞かれて、案内してたら」
「相変わらずだね」
美月は笑いながらそう言ったけれど、その視線がちらりと私に向けられているのに気づいて、私はなんとなく気恥ずかしくなった。
カラオケの部屋に入ると、五人という人数のせいか、それとも部屋自体が少し狭めだったせいか、席順が微妙に窮屈だった。美月が真っ先にソファの端に座り、その隣に瑠璃子。そして、なぜか美月は私を瑠璃子の隣に座るように誘導した。
「穂乃果、ここ座りなよ」
美月の意図はあまりにも見え透いていたけれど、断る理由も見つからず、私は素直に従った。すると、残った席は、私の反対側の隣と、対面の二席だけになる。
拓翔が当然のように対面の席に腰を下ろし、颯真が最後に残った、私の隣の席に座ることになった。
「なんか、この配置、露骨じゃない?」
颯真が、席に着きながら小声でそう漏らした。
「気のせいだと思う」
私はそう答えたけれど、内心では美月の作為を確信していた。
「気のせいじゃないぞ」
対面に座った拓翔が即座に否定した。
「美月、さっきから座る場所三回変えてたから」
「桐谷くん、余計なこと言わない」
「証拠隠滅が雑なんだよ」
拓翔が笑う。
歌が始まると、最初は他愛のない選曲が続いた。美月が流行りの曲を熱唱し、瑠璃子がそれに合わせてハモる。拓翔は意外にも歌がうまく、時折鋭いツッコミを入れながら場を盛り上げていた。
「桐谷くん、そういうところあるんだ」
瑠璃子が感心したように言うと、拓翔は照れくさそうに笑った。
「べつに、普通だろ」
「普通じゃないよ、それ結構うまいって」
そんな会話が続く中、颯真は珍しく、私の様子を横目でちらちらと窺っていた。
「一ノ瀬くん、歌わないの?」
美月が水を向けると、颯真は少し考えるような素振りを見せた。
「今日は聞き役でいいかな」
「えー、珍しい。いつも積極的に歌うのに」
美月の指摘は正しかった。普段の颯真なら、誰よりも先にマイクを取って盛り上げ役に徹するタイプのはずだった。それが今日は、どこか大人しい。
しばらくして、瑠璃子が私に話を振ってきた。
「間下さんは、何か歌わないの?」
「私、あんまり歌得意じゃなくて」
「そんなの気にしなくていいよ、みんなで楽しむのが目的なんだから」
瑠璃子にそう言われて、私は少し迷った末、無難な曲を選んで歌うことにした。マイクを持つと、隣に座る颯真の視線が、いつもよりずっと熱心に、こちらに向けられているのを感じた。
歌い終わって席に戻ると、颯真が小さく拍手をしていた。
「上手だったよ」
「お世辞でしょ」
「本当に。声、きれいだった」
その素直な感想に、私は少し照れくさくなって、視線を逸らした。
「はい出ました、本人無自覚の口説き文句」
美月がすかさず茶々を入れてきた。
「実況しないで」
「今の、めちゃくちゃ甘い空気じゃなかった?」
「そんなことないです」
私は慌てて否定したけれど、瑠璃子も面白そうに頷いていた。
「うん、確かに今の、ちょっと甘かったかも」
「瑠璃子さんまで」
囲まれるようにからかわれて、私は居心地の悪さを感じながらも、どこか嫌ではない自分に気づいていた。
その後、拓翔が新しい曲を入れようとタッチパネルを操作していると、瑠璃子がふと立ち上がった。
「私、ちょっとドリンク取ってくる。間下さんも一緒に来ない?」
「あ、うん」
私は素直に立ち上がり、瑠璃子と一緒に部屋を出た。ドリンクバーへ向かう廊下で、瑠璃子が意味ありげな笑みを浮かべた。
「わざとあの三人を部屋に残したの、気づいてる?」
「え?」
「美月ちゃんと打ち合わせしてたの。一ノ瀬くんに、間下さんのことをもっと意識させようって作戦」
その言葉に、私は驚いて足を止めた。
「そんな作戦立ててたの?」
「うん。二人のこと、ちょっと後押ししてみようって、私も協力することにした」
瑠璃子は悪びれもせずにそう言った。その顔には、以前見せていたような複雑な感情は、もう感じられなかった。
「二人が付き合ったら、私も見ていて楽しいと思うから」
その言葉には、素直な応援の気持ちが込められているように感じられた。私は少し照れくさくなりながら、小さく頷いた。
「……ありがとうございます」
「べつに、お礼を言われるようなことじゃないけどね」
瑠璃子はそう言って笑うと、ドリンクを取りながら、わざとゆっくりとした足取りで時間を稼いでいるようだった。
一方、部屋に残された颯真と拓翔、そして美月の間では、穂乃果の知らないところで、ある話が始まっていた。
「颯真、お前さっきから穂乃果ばっかり見てるよな」
拓翔が、からかうような口調で切り出した。
「見てないけど」
「見てたよ、めちゃくちゃ」
美月も加勢する。
「私も見てた。歌ってるとき、ずっとそっち向いてたよね」
颯真は少し狼狽えたように、視線を泳がせた。
「べつに、普通に聞いてただけだけど」
「普通に聞くのと、あんな熱心に見つめるのとは違うでしょ」
拓翔の追及は容赦なかった。
「お前、自分の気持ちに、いい加減気づけよ」
「だから、違うって言ってるじゃん」
颯真は反論したけれど、その声には、いつもの余裕がなかった。
美月が、ここぞとばかりに畳み掛けた。
「穂乃果が拓翔くんと話してるとき、一ノ瀬くん、なんか機嫌悪くなるよね。あれ、なんで?」
「そんなことないけど」
「あるって。瑠璃子ちゃんも言ってたよ、一ノ瀬くんが穂乃果のことになると、いつもと違う顔するって」
その指摘に、颯真は言葉を失ったように黙り込んだ。
しばらくの沈黙の後、颯真はぽつりと呟いた。
「……なんか、穂乃果が拓翔と楽しそうに話してるの見ると、モヤモヤする」
「それ」
拓翔が、すかさず口を挟んだ。
「それ、普通に好きってことだから」
「違うと思う」
「頑固だな、お前」
拓翔は呆れたように笑った。美月も、同じように呆れた表情を浮かべている。
「一ノ瀬くんって、本当に自分の気持ちに鈍いよね」
「鈍いんじゃなくて、たぶん、認めるのが怖いんだと思う」
拓翔がそう言うと、颯真は虚を突かれたような顔をした。
「認めるのが怖い、って」
「今まで、誰かのこと本気で好きになったことないだろ、お前。だから、この感情が何なのか、わからないふりしてるんじゃないの」
拓翔の言葉は、颯真の核心を鋭く突いていた。颯真は何も言い返せずに、ただ俯いていた。
その様子を見て、美月が少し優しい口調で付け加えた。
「べつに、無理に急かすつもりはないけど。ただ、穂乃果のこと、ちゃんと考えてあげてほしいな」
颯真は、しばらく黙り込んだまま、何かを考えているようだった。
そこへ、瑠璃子と私が戻ってきた。部屋の空気が、少し前とは違って感じられたけれど、その理由を尋ねる勇気は私にはなかった。
「何かあった?」
瑠璃子が、拓翔と美月に小声で尋ねると、二人は意味ありげな笑みを交わすだけで、詳しいことは教えてくれなかった。
その後もカラオケは続いたけれど、颯真はどこか上の空で、以前のような積極性を見せることはなかった。私が誰かと話していると、その視線がこちらに向けられているのを、何度か感じた。
「一ノ瀬くん、今日、なんか静かだね」
私がそう声をかけると、颯真は少し考え込むような表情を見せた。
「……ちょっと、色々考えてて」
「何を?」
「まだ、うまく言葉にできない」
その答えに、私は少し違和感を覚えたけれど、それ以上深く追及することはしなかった。
カラオケが終わり、それぞれが帰路につく段になって、瑠璃子と美月と拓翔は、示し合わせたように、颯真と私を先に帰らせる形を作ろうとした。
「私たち、まだ寄りたいところあるから、二人は先に帰って」
美月がそう言うと、拓翔と瑠璃子も頷いた。あまりにもわざとらしい態度だったけれど、颯真も私も、それを指摘する気力はもう残っていなかった。
結局、私たちは二人で駅へ向かう道を歩くことになった。
「今日、みんな、なんか変じゃなかった?」
私がそう尋ねると、颯真は少し困ったように笑った。
「変だったね、確かに」
「何かあったの?」
「……いや、まだ、うまく言えない」
その答えに、私はそれ以上追及することができなかった。颯真の横顔には、いつもとは違う、何かを考え込んでいるような影が見えた。
駅の分岐点で、私たちは別れることになった。
「じゃあ、また月曜日」
「うん、また」
私はそう言って、自分の帰る方向へ歩き出した。
一方、一人残された颯真は、しばらくその場に立ち尽くしていた。
夕暮れの空を見上げながら、拓翔や美月に言われた言葉が、頭の中で何度も反響していた。
――それ、普通に好きってことだから。
――認めるのが怖いんだと思う。
颯真は、自分の胸の奥にある感情を、改めて確かめるように呟いた。
「……なんで俺、こんなに気になるんだろ」
その問いに、彼自身、まだ明確な答えを出すことはできずにいた。けれど、これまで意識的に目を逸らし続けてきた何かが、今、少しずつ形を持ち始めていることだけは、確かに感じ取っていた。
夕日が沈みかけた駅前の風景を、颯真はしばらくの間、一人で見つめ続けていた。
「ねえ、今度の土曜、みんなでカラオケ行かない?」
装飾班の作業を終え、片づけをしていると、美月がにこにこしながらそう切り出した。「みんな」というのが誰を指すのか、私にはすぐにピンときた。
「みんなって、誰」
「私と穂乃果、あと一ノ瀬くんと桐谷くん。それと、香坂さんも誘おうかなって」
案の定だった。私は片づけの手を止めて、美月をじっと見つめた。
「それ、絶対何か企んでるでしょ」
「企んでないよ。ただ、文化祭準備の息抜きっていうか、みんなでワイワイしたいだけ」
美月はしらばっくれた顔でそう言ったけれど、その目の奥にはっきりとした企みの色が見えていた。
「瑠璃子まで誘うのは、さすがに変じゃない?」
「変じゃないよ。最近、瑠璃子と穂乃果、仲良くなったし。それに、あの子、意外といい子だから、もっと絡んでほしいなって」
理由としては筋が通っているようで、どこか無理があるようにも聞こえた。けれど、これ以上追及したところで、美月が計画を撤回するとは思えなかった。
「桐谷くんは誘っていいの? 一ノ瀬くんが変な反応しそうだけど」
「だからこそ面白いんじゃん」
美月は悪びれもせずにそう言い切った。私はもう、深いため息をつくしかなかった。
☆
土曜日、指定されたカラオケ店の前に、私たちは順番に集まっていった。最初に着いたのは私と美月で、少し遅れて瑠璃子が到着した。
「ごめん、待った?」
「ううん、全然」
瑠璃子は、以前とは違って、私に対してすっかり打ち解けた様子を見せてくれていた。以前、一ノ瀬くんについて話して以来、私たちの間には、以前にはなかった気安さが生まれていた。
拓翔は時間通りにやってきたけれど、颯真は少し遅れているようだった。
「あいつ、また誰かに捕まってるんじゃないか」
拓翔が呆れたように言った。
しばらく待っていると、息を切らせた颯真が駆けてきた。
「ごめん、遅れた」
「なんで遅れたの」
美月が興味津々に尋ねると、颯真は少し困ったように頭をかいた。
「後輩に道聞かれて、案内してたら」
「相変わらずだね」
美月は笑いながらそう言ったけれど、その視線がちらりと私に向けられているのに気づいて、私はなんとなく気恥ずかしくなった。
カラオケの部屋に入ると、五人という人数のせいか、それとも部屋自体が少し狭めだったせいか、席順が微妙に窮屈だった。美月が真っ先にソファの端に座り、その隣に瑠璃子。そして、なぜか美月は私を瑠璃子の隣に座るように誘導した。
「穂乃果、ここ座りなよ」
美月の意図はあまりにも見え透いていたけれど、断る理由も見つからず、私は素直に従った。すると、残った席は、私の反対側の隣と、対面の二席だけになる。
拓翔が当然のように対面の席に腰を下ろし、颯真が最後に残った、私の隣の席に座ることになった。
「なんか、この配置、露骨じゃない?」
颯真が、席に着きながら小声でそう漏らした。
「気のせいだと思う」
私はそう答えたけれど、内心では美月の作為を確信していた。
「気のせいじゃないぞ」
対面に座った拓翔が即座に否定した。
「美月、さっきから座る場所三回変えてたから」
「桐谷くん、余計なこと言わない」
「証拠隠滅が雑なんだよ」
拓翔が笑う。
歌が始まると、最初は他愛のない選曲が続いた。美月が流行りの曲を熱唱し、瑠璃子がそれに合わせてハモる。拓翔は意外にも歌がうまく、時折鋭いツッコミを入れながら場を盛り上げていた。
「桐谷くん、そういうところあるんだ」
瑠璃子が感心したように言うと、拓翔は照れくさそうに笑った。
「べつに、普通だろ」
「普通じゃないよ、それ結構うまいって」
そんな会話が続く中、颯真は珍しく、私の様子を横目でちらちらと窺っていた。
「一ノ瀬くん、歌わないの?」
美月が水を向けると、颯真は少し考えるような素振りを見せた。
「今日は聞き役でいいかな」
「えー、珍しい。いつも積極的に歌うのに」
美月の指摘は正しかった。普段の颯真なら、誰よりも先にマイクを取って盛り上げ役に徹するタイプのはずだった。それが今日は、どこか大人しい。
しばらくして、瑠璃子が私に話を振ってきた。
「間下さんは、何か歌わないの?」
「私、あんまり歌得意じゃなくて」
「そんなの気にしなくていいよ、みんなで楽しむのが目的なんだから」
瑠璃子にそう言われて、私は少し迷った末、無難な曲を選んで歌うことにした。マイクを持つと、隣に座る颯真の視線が、いつもよりずっと熱心に、こちらに向けられているのを感じた。
歌い終わって席に戻ると、颯真が小さく拍手をしていた。
「上手だったよ」
「お世辞でしょ」
「本当に。声、きれいだった」
その素直な感想に、私は少し照れくさくなって、視線を逸らした。
「はい出ました、本人無自覚の口説き文句」
美月がすかさず茶々を入れてきた。
「実況しないで」
「今の、めちゃくちゃ甘い空気じゃなかった?」
「そんなことないです」
私は慌てて否定したけれど、瑠璃子も面白そうに頷いていた。
「うん、確かに今の、ちょっと甘かったかも」
「瑠璃子さんまで」
囲まれるようにからかわれて、私は居心地の悪さを感じながらも、どこか嫌ではない自分に気づいていた。
その後、拓翔が新しい曲を入れようとタッチパネルを操作していると、瑠璃子がふと立ち上がった。
「私、ちょっとドリンク取ってくる。間下さんも一緒に来ない?」
「あ、うん」
私は素直に立ち上がり、瑠璃子と一緒に部屋を出た。ドリンクバーへ向かう廊下で、瑠璃子が意味ありげな笑みを浮かべた。
「わざとあの三人を部屋に残したの、気づいてる?」
「え?」
「美月ちゃんと打ち合わせしてたの。一ノ瀬くんに、間下さんのことをもっと意識させようって作戦」
その言葉に、私は驚いて足を止めた。
「そんな作戦立ててたの?」
「うん。二人のこと、ちょっと後押ししてみようって、私も協力することにした」
瑠璃子は悪びれもせずにそう言った。その顔には、以前見せていたような複雑な感情は、もう感じられなかった。
「二人が付き合ったら、私も見ていて楽しいと思うから」
その言葉には、素直な応援の気持ちが込められているように感じられた。私は少し照れくさくなりながら、小さく頷いた。
「……ありがとうございます」
「べつに、お礼を言われるようなことじゃないけどね」
瑠璃子はそう言って笑うと、ドリンクを取りながら、わざとゆっくりとした足取りで時間を稼いでいるようだった。
一方、部屋に残された颯真と拓翔、そして美月の間では、穂乃果の知らないところで、ある話が始まっていた。
「颯真、お前さっきから穂乃果ばっかり見てるよな」
拓翔が、からかうような口調で切り出した。
「見てないけど」
「見てたよ、めちゃくちゃ」
美月も加勢する。
「私も見てた。歌ってるとき、ずっとそっち向いてたよね」
颯真は少し狼狽えたように、視線を泳がせた。
「べつに、普通に聞いてただけだけど」
「普通に聞くのと、あんな熱心に見つめるのとは違うでしょ」
拓翔の追及は容赦なかった。
「お前、自分の気持ちに、いい加減気づけよ」
「だから、違うって言ってるじゃん」
颯真は反論したけれど、その声には、いつもの余裕がなかった。
美月が、ここぞとばかりに畳み掛けた。
「穂乃果が拓翔くんと話してるとき、一ノ瀬くん、なんか機嫌悪くなるよね。あれ、なんで?」
「そんなことないけど」
「あるって。瑠璃子ちゃんも言ってたよ、一ノ瀬くんが穂乃果のことになると、いつもと違う顔するって」
その指摘に、颯真は言葉を失ったように黙り込んだ。
しばらくの沈黙の後、颯真はぽつりと呟いた。
「……なんか、穂乃果が拓翔と楽しそうに話してるの見ると、モヤモヤする」
「それ」
拓翔が、すかさず口を挟んだ。
「それ、普通に好きってことだから」
「違うと思う」
「頑固だな、お前」
拓翔は呆れたように笑った。美月も、同じように呆れた表情を浮かべている。
「一ノ瀬くんって、本当に自分の気持ちに鈍いよね」
「鈍いんじゃなくて、たぶん、認めるのが怖いんだと思う」
拓翔がそう言うと、颯真は虚を突かれたような顔をした。
「認めるのが怖い、って」
「今まで、誰かのこと本気で好きになったことないだろ、お前。だから、この感情が何なのか、わからないふりしてるんじゃないの」
拓翔の言葉は、颯真の核心を鋭く突いていた。颯真は何も言い返せずに、ただ俯いていた。
その様子を見て、美月が少し優しい口調で付け加えた。
「べつに、無理に急かすつもりはないけど。ただ、穂乃果のこと、ちゃんと考えてあげてほしいな」
颯真は、しばらく黙り込んだまま、何かを考えているようだった。
そこへ、瑠璃子と私が戻ってきた。部屋の空気が、少し前とは違って感じられたけれど、その理由を尋ねる勇気は私にはなかった。
「何かあった?」
瑠璃子が、拓翔と美月に小声で尋ねると、二人は意味ありげな笑みを交わすだけで、詳しいことは教えてくれなかった。
その後もカラオケは続いたけれど、颯真はどこか上の空で、以前のような積極性を見せることはなかった。私が誰かと話していると、その視線がこちらに向けられているのを、何度か感じた。
「一ノ瀬くん、今日、なんか静かだね」
私がそう声をかけると、颯真は少し考え込むような表情を見せた。
「……ちょっと、色々考えてて」
「何を?」
「まだ、うまく言葉にできない」
その答えに、私は少し違和感を覚えたけれど、それ以上深く追及することはしなかった。
カラオケが終わり、それぞれが帰路につく段になって、瑠璃子と美月と拓翔は、示し合わせたように、颯真と私を先に帰らせる形を作ろうとした。
「私たち、まだ寄りたいところあるから、二人は先に帰って」
美月がそう言うと、拓翔と瑠璃子も頷いた。あまりにもわざとらしい態度だったけれど、颯真も私も、それを指摘する気力はもう残っていなかった。
結局、私たちは二人で駅へ向かう道を歩くことになった。
「今日、みんな、なんか変じゃなかった?」
私がそう尋ねると、颯真は少し困ったように笑った。
「変だったね、確かに」
「何かあったの?」
「……いや、まだ、うまく言えない」
その答えに、私はそれ以上追及することができなかった。颯真の横顔には、いつもとは違う、何かを考え込んでいるような影が見えた。
駅の分岐点で、私たちは別れることになった。
「じゃあ、また月曜日」
「うん、また」
私はそう言って、自分の帰る方向へ歩き出した。
一方、一人残された颯真は、しばらくその場に立ち尽くしていた。
夕暮れの空を見上げながら、拓翔や美月に言われた言葉が、頭の中で何度も反響していた。
――それ、普通に好きってことだから。
――認めるのが怖いんだと思う。
颯真は、自分の胸の奥にある感情を、改めて確かめるように呟いた。
「……なんで俺、こんなに気になるんだろ」
その問いに、彼自身、まだ明確な答えを出すことはできずにいた。けれど、これまで意識的に目を逸らし続けてきた何かが、今、少しずつ形を持ち始めていることだけは、確かに感じ取っていた。
夕日が沈みかけた駅前の風景を、颯真はしばらくの間、一人で見つめ続けていた。



