竜の羅針盤 お硬い師匠の裏の顔は執着心で狂っていました

 森の小屋の窓から、オレンジ色の光が斜めに差し込む夕暮れ時。

「ネネティアー!いるー?」 

 研究小屋の扉が勢いよく開いて、うすい色の髪を後ろで束ねた若い男性が顔を出した。白衣の袖を肘までまくり、工具と書類を抱えている。
 その顔を見た瞬間、ネネティアの目が輝いた。

「チロル先生!」

 作業台で複雑な魔導回路の配線をルーペで覗き込んでいたエヴァンも顔を上げた。
 チロルはネネティアが去年までいた学校の教師であり、実験好きで、生徒にやたら近い人だ。先生と呼びつつも、友達のように話せる数少ない大人でもある。

「ランプが切れたんだよ」

 チロルは困った顔で、荷物の中からランプを取り出す。

「夜の獣道で明かりが消えるとたまらないからさー」

「ランプですか」

「ネネティアー、王都の研究所で噂になってるぞ」

​ チロルは面白そうに口角をあげた。

​「王都を揺るがした『見えない宝物庫』の呪いを解き明かした、若き天才魔導士!ってさ。名前を聞いたら、なんと――ネネティアじゃないか!」

​「もう、チロル先生、大げさですよー」

​ ネネティアは照れくさそうに目をそらした。
 その後ろで、エヴァンの動きも止まっていた。

​「大げさなもんか。教師としてほこらしいよ。王都の特命魔導士にスカウトされたって、本当か?」

 チロルはランプをネネティアに差し出す。

​「ふふ、仕掛けを解くのはパズルみたいで楽しかったんですけど、やっぱり私はエヴ様と研究してるのが好きですから!」

 ネネティアは顔いっぱいに愛嬌のある笑顔を浮かべて、チロルのランプを受け取った。

「頼むよ」

 彼はそう言って、昔と変わらない気安さでネネティアの肩を叩く。それを見たエヴァンの頬がピクリと動いた。
 チロルはエヴァンの視線に気づきもしない。

 ネネティアはエヴァンの隣に座り、ランプをいじる。

「エヴ様、芯の魔力伝導率が落ちてます」

 ネネティアは作業台にランプを置いた。手際よく古い魔光草の芯を取り出し、新しく特殊な液体に浸した魔光草の芯を準備する。
 エヴァンはネネティアが支度した魔光草の芯を受け取ると、ランプに新しく取り付けた。

「これで新月の夜でも、曇り空の夜でも、明るく照らしてくれるよ」

 エヴァンはランプに魔力を込めた後、チロルに手渡した。

「ありがとう」

 人当たりのいい笑顔でチロルはお礼を言い、温かい自家製パンを包んだ布巾をかわりに置いて帰っていった。

「チロル先生だなんて、学園時代を思い出しますね!」

 ネネティアは両手を上げて伸びをした。

「教壇のエヴ様……すごくかっこよかった」

 エヴァンはできたての温かいパンを手に取り、立ち上がった。
 ネネティアはエヴァンに向き直って、気持ちのこもった視線を投げかける。

「エヴ様、私の熱い気持ち届いた?私に狂いそう?」

 いつも通りエヴァンは平然としている。

「ネネティア、そろそろ休憩しようか?」

 エヴァンは一息つく。

「特命魔導師か。ネネティアにふさわしい職だよ」

 そう言い残して、お茶を淹れに台所へ向かってしまった。
 残されたネネティアは眉を寄せたが、すぐに小さく笑った。

「……次はもっと効くのでいきますからね」


 その夜。
 ネネティアが眠りにつく頃になると、エヴァンはときおり、地下室に続くドアを開ける。

 地下室の床一面に描かれた魔導陣。

 その片隅の机で、エヴァンはペンを走らせていた。机の上の論文の束には表紙もつけられていない。
 几帳面な文字で埋まっている見出しだけが、こう読めた。

『羅針盤の摘出術式に関する考察』

 ランプの明かりの中、今日までに集めた手がかりを書き付けていく。彼の中の異物の正体に、少しずつ近づいていた。

「この術式が完成すれば、始末をつけられる……」

 始末、という言葉を書いたエヴァンのペンは、しばらく紙の上で止まった。それから彼は、乱暴に紙をめくり、新しいページに移った。
 まるで、その言葉を消し去りたいかのように。