その日の夕方。
ネネティアはモジモジしながら、しかししっかりとエヴァンを見つめる。
「ね、ねえ、エヴ様、私たち、恋人同士……になったんですよね?」
エヴァンは一瞬、言葉を詰まらせた。
「……そう、なるな」
「他人事ですか」
「悪い。慣れなくてね」
そう言って苦笑するエヴァンに、ネネティアは意外そうな顔をした。あれほど強く、いつでも自分を律してみせる彼が、戸惑っている。その姿はたまらなく愛おしかった。
「エヴ様でも慣れないことが、あるんですね」
「ああ……。手加減を頼むよ」
「エヴ様が戸惑ってるのって、嬉しいです」
数日後。
辺境近くの小さな町をエヴァンとネネティアは並んで歩いていた。
二人の間には言いようのない初々しい空気が流れている。
ネネティアの姿をそっと横目で見るたびに、エヴァンは締め付けられるような気持ちにおそわれていた。
同時に、守るべき相手だという意識が、まだ抜けきっていない。
並木道を歩きながら、ネネティアは恥ずかしそうにエヴァンの顔を見上げた。
「あの……エヴ様?」
「どうした?」
「その……すごく……あの、緊張、しちゃうね……」
ネネティアは頬をバラ色に染め、視線を足元に落とした。
恋人として町に出かけるのは、これが初めてのことだった。急にその存在が気になりすぎて、どう手と足を動かしていいのか分からない。
エヴァンの表情は変わらなかったが、心臓は跳ね上がる。
――手に触れたい……。だが、驚かせてしまわないか。
静かにネネティアを見つめて想いにふける。
そんなとき、不意に露店からただよってきた甘い焼き菓子の香りが二人の鼻をかすめた。
「わぁ、エヴ様、見て! あそこ、焼きたてのクッキーを売っていますよ!」
ネネティアは目を輝かせ、そちらへ駆け出そうとして、バランスを崩した。
「あっ……!」
「ティア!」
エヴァンが反射的にネネティアを受け止めた。二人の距離が一瞬でゼロになる。
「……!」
エヴァンの胸の中にネネティアが収まる。ネネティアの目は、突然近くにきたエヴァンのまつ毛に奪われてしまった。頭が真っ白になったかのように、固まる。
「大丈夫か、ティア?」
エヴァンにしても、ネネティアの柔らかな身体と甘い花のような香りにどうにかなりそうだった。
「だ、大丈夫……っ! エヴ様、ありがとうございます……っ」
ネネティアは顔をトマトのように真っ赤にして身をよじらせる。エヴァンの腕は彼女を支えたまま、一瞬、彼女を離せなかった。
「怪我がないならよかった。 ティア、こうしようか」
エヴァンは少しだけ息を整え、意を決するようにネネティアの小さな手を自分の大きな手でそっと包み込んだ。
「手をつな……っ」
「ああ……。嫌か? 無理には」
エヴァンが目を向けると、ネネティアは首を横に振った。
「嬉しいです!嬉しいです……、エヴ様」
ネネティアはエヴァンの指にしっかりと指をからめ、ギュッと強く握りしめた。
その素直で愛らしい仕草。
「そうだな、とてもいいな」
言いながら、エヴァンは頭の中でネネティアの返事を反すうしていた。
木漏れ日の差す町のベンチに腰掛けた二人。
エヴァンは先ほどの露店で購入した一口サイズの温かいクッキーをつまんで、ネネティアの口元へと差し出した。
「ほら、ティア。口を開けて」
「ええっ……た、自分で食べられますよ、先生……っ」
「そうだな」
エヴァンのまっすぐで優しい瞳に負けたネネティアは、エヴァンの指のそのクッキーを口に含んだ。
「んっ…… おいしいです、エヴ様……甘くて温かい」
ネネティアが嬉しそうに目を細める。エヴァンは胸の奥がとろけていくような幸福感を覚えていた。
「何よりだね」
エヴァンは指先をそっと伸ばし、ネネティアの唇のはしに付いた甘い欠片を優しくふき取った。
その指先が彼女の柔らかな唇にほんの少し触れた瞬間、二人の時間が止まったかのような静寂が訪れた。
「っ……!」
ネネティアは心臓が口から飛び出しそうなほどの衝撃を受け、全身の血が一気に沸騰するように赤くなった。
「エヴ様……っ、はずかしいです……っ」
それを見たエヴァンの耳も赤くなっている。
「あ、ああ、ごめんよ。……あまりにも可愛かったから、ついね」
――どうにも、加減がむずかしい。
いちいち躊躇してしまうくせに、一度踏み出すととたんに突き進んでしまう。
エヴァンは困ったような笑みを浮かべ、ネネティアを見つめた。
夕暮れが近づき、町並みがオレンジ色の光に包まれていくころ。
二人は手をつないだまま、ゆっくりと辺境の森の小さな小屋への帰路についた。
道すがら、ネネティアは少しだけ背伸びをするようにエヴァンの顔を見上げ、ささやいた。
「エヴ様……今日のデート、すごく、すごく楽しかったです。
……私、お守りしてもらうばかりじゃなくて、もっとエヴ様をドキドキさせたいな……」
その言葉を聞いたエヴァンの胸は温かさで満ちあふれた。
「ありがとう。
……だがね、ティアはすでに俺の心を毎日狂おしくさせているよ」
ネネティアはエヴァンに近づき、そっと、エヴァンの肩に触れた。彼の体が、一瞬だけこわばるのが分かる。それでも拒まれることはなかった。
「……ティア」
困惑と、緊張が入り混じった声で、エヴァンが小さくつぶやく。長年、守るべき小さな弟子として見てきたはずの彼女。
彼はどうしようもなく戸惑っていた。
触れてもいいのか。この想いを、行動に移してもいいのか――。迷いが、一瞬、彼の中を駆け巡る。
「エヴ様」
ネネティアはエヴァンの服の布をつまむと、彼に顔を向けてそっと目を閉じた。
目の前で待つ彼女の頬が、夕日よりも赤く染まっているのを見て、エヴァンの躊躇はゆっくりと溶けていった。
「……ずっと待たせて、すまなかった」
ささやくようなその一言と共に、エヴァンはそっと、ネネティアの頬に手を添えた。初めて何かに触れる子供のように不慣れで、けれど誠実な仕草だった。
二人の距離が、そっと縮まっていく。
夕日が沈みきる光の中で、二人の唇がそっと重なった。
短く、ぎこちなく、けれどこの上なく温かい口づけだった。離れた後、エヴァンは視線をそらし耳まで真っ赤に染めていた。
「わ、エヴ様、その顔すごく可愛いー!」
ネネティアの頬も赤くなっている。
「――見るな、ネネティア」
照れ隠しに顔をそむけるエヴァンを見て、ネネティアは声を上げて笑った。長年あこがれ、恋いこがれてきた師が、今はこうして、不器用に照れる一人の男として、隣にいる。
「エヴ様、大好き」
まっすぐにつむがれたその言葉に、エヴァンは観念したように、ゆっくりと彼女を抱き寄せた。
「俺もだ」
短い、けれど確かな答えが、夕暮れの静かな森に溶けていく。
「愛している、ティア。何よりも大切に想っている」
森の奥、二人だけの小さな世界で、二人だけの日々が、静かに始まろうとしていた。
ネネティアはモジモジしながら、しかししっかりとエヴァンを見つめる。
「ね、ねえ、エヴ様、私たち、恋人同士……になったんですよね?」
エヴァンは一瞬、言葉を詰まらせた。
「……そう、なるな」
「他人事ですか」
「悪い。慣れなくてね」
そう言って苦笑するエヴァンに、ネネティアは意外そうな顔をした。あれほど強く、いつでも自分を律してみせる彼が、戸惑っている。その姿はたまらなく愛おしかった。
「エヴ様でも慣れないことが、あるんですね」
「ああ……。手加減を頼むよ」
「エヴ様が戸惑ってるのって、嬉しいです」
数日後。
辺境近くの小さな町をエヴァンとネネティアは並んで歩いていた。
二人の間には言いようのない初々しい空気が流れている。
ネネティアの姿をそっと横目で見るたびに、エヴァンは締め付けられるような気持ちにおそわれていた。
同時に、守るべき相手だという意識が、まだ抜けきっていない。
並木道を歩きながら、ネネティアは恥ずかしそうにエヴァンの顔を見上げた。
「あの……エヴ様?」
「どうした?」
「その……すごく……あの、緊張、しちゃうね……」
ネネティアは頬をバラ色に染め、視線を足元に落とした。
恋人として町に出かけるのは、これが初めてのことだった。急にその存在が気になりすぎて、どう手と足を動かしていいのか分からない。
エヴァンの表情は変わらなかったが、心臓は跳ね上がる。
――手に触れたい……。だが、驚かせてしまわないか。
静かにネネティアを見つめて想いにふける。
そんなとき、不意に露店からただよってきた甘い焼き菓子の香りが二人の鼻をかすめた。
「わぁ、エヴ様、見て! あそこ、焼きたてのクッキーを売っていますよ!」
ネネティアは目を輝かせ、そちらへ駆け出そうとして、バランスを崩した。
「あっ……!」
「ティア!」
エヴァンが反射的にネネティアを受け止めた。二人の距離が一瞬でゼロになる。
「……!」
エヴァンの胸の中にネネティアが収まる。ネネティアの目は、突然近くにきたエヴァンのまつ毛に奪われてしまった。頭が真っ白になったかのように、固まる。
「大丈夫か、ティア?」
エヴァンにしても、ネネティアの柔らかな身体と甘い花のような香りにどうにかなりそうだった。
「だ、大丈夫……っ! エヴ様、ありがとうございます……っ」
ネネティアは顔をトマトのように真っ赤にして身をよじらせる。エヴァンの腕は彼女を支えたまま、一瞬、彼女を離せなかった。
「怪我がないならよかった。 ティア、こうしようか」
エヴァンは少しだけ息を整え、意を決するようにネネティアの小さな手を自分の大きな手でそっと包み込んだ。
「手をつな……っ」
「ああ……。嫌か? 無理には」
エヴァンが目を向けると、ネネティアは首を横に振った。
「嬉しいです!嬉しいです……、エヴ様」
ネネティアはエヴァンの指にしっかりと指をからめ、ギュッと強く握りしめた。
その素直で愛らしい仕草。
「そうだな、とてもいいな」
言いながら、エヴァンは頭の中でネネティアの返事を反すうしていた。
木漏れ日の差す町のベンチに腰掛けた二人。
エヴァンは先ほどの露店で購入した一口サイズの温かいクッキーをつまんで、ネネティアの口元へと差し出した。
「ほら、ティア。口を開けて」
「ええっ……た、自分で食べられますよ、先生……っ」
「そうだな」
エヴァンのまっすぐで優しい瞳に負けたネネティアは、エヴァンの指のそのクッキーを口に含んだ。
「んっ…… おいしいです、エヴ様……甘くて温かい」
ネネティアが嬉しそうに目を細める。エヴァンは胸の奥がとろけていくような幸福感を覚えていた。
「何よりだね」
エヴァンは指先をそっと伸ばし、ネネティアの唇のはしに付いた甘い欠片を優しくふき取った。
その指先が彼女の柔らかな唇にほんの少し触れた瞬間、二人の時間が止まったかのような静寂が訪れた。
「っ……!」
ネネティアは心臓が口から飛び出しそうなほどの衝撃を受け、全身の血が一気に沸騰するように赤くなった。
「エヴ様……っ、はずかしいです……っ」
それを見たエヴァンの耳も赤くなっている。
「あ、ああ、ごめんよ。……あまりにも可愛かったから、ついね」
――どうにも、加減がむずかしい。
いちいち躊躇してしまうくせに、一度踏み出すととたんに突き進んでしまう。
エヴァンは困ったような笑みを浮かべ、ネネティアを見つめた。
夕暮れが近づき、町並みがオレンジ色の光に包まれていくころ。
二人は手をつないだまま、ゆっくりと辺境の森の小さな小屋への帰路についた。
道すがら、ネネティアは少しだけ背伸びをするようにエヴァンの顔を見上げ、ささやいた。
「エヴ様……今日のデート、すごく、すごく楽しかったです。
……私、お守りしてもらうばかりじゃなくて、もっとエヴ様をドキドキさせたいな……」
その言葉を聞いたエヴァンの胸は温かさで満ちあふれた。
「ありがとう。
……だがね、ティアはすでに俺の心を毎日狂おしくさせているよ」
ネネティアはエヴァンに近づき、そっと、エヴァンの肩に触れた。彼の体が、一瞬だけこわばるのが分かる。それでも拒まれることはなかった。
「……ティア」
困惑と、緊張が入り混じった声で、エヴァンが小さくつぶやく。長年、守るべき小さな弟子として見てきたはずの彼女。
彼はどうしようもなく戸惑っていた。
触れてもいいのか。この想いを、行動に移してもいいのか――。迷いが、一瞬、彼の中を駆け巡る。
「エヴ様」
ネネティアはエヴァンの服の布をつまむと、彼に顔を向けてそっと目を閉じた。
目の前で待つ彼女の頬が、夕日よりも赤く染まっているのを見て、エヴァンの躊躇はゆっくりと溶けていった。
「……ずっと待たせて、すまなかった」
ささやくようなその一言と共に、エヴァンはそっと、ネネティアの頬に手を添えた。初めて何かに触れる子供のように不慣れで、けれど誠実な仕草だった。
二人の距離が、そっと縮まっていく。
夕日が沈みきる光の中で、二人の唇がそっと重なった。
短く、ぎこちなく、けれどこの上なく温かい口づけだった。離れた後、エヴァンは視線をそらし耳まで真っ赤に染めていた。
「わ、エヴ様、その顔すごく可愛いー!」
ネネティアの頬も赤くなっている。
「――見るな、ネネティア」
照れ隠しに顔をそむけるエヴァンを見て、ネネティアは声を上げて笑った。長年あこがれ、恋いこがれてきた師が、今はこうして、不器用に照れる一人の男として、隣にいる。
「エヴ様、大好き」
まっすぐにつむがれたその言葉に、エヴァンは観念したように、ゆっくりと彼女を抱き寄せた。
「俺もだ」
短い、けれど確かな答えが、夕暮れの静かな森に溶けていく。
「愛している、ティア。何よりも大切に想っている」
森の奥、二人だけの小さな世界で、二人だけの日々が、静かに始まろうとしていた。

