「おやおや、誰かと思えばノルンちゃんじゃないか。あんたが街に出てくるなんて珍しいねぇ」
「やっほー! 今日はいろいろやることがあってさー」
「……」
どこまでも広がる青空と、ほんの少しだけ肌寒い朝の風。
いつもなら視界いっぱいに飛び込んでくる城下町の景色だけど、今の僕の目はそんな景色のすべてを見ることはできなかった。
「しかもそんな強そうな騎士さんを二人も連れてさ。もしかして……例の大魔王が、アタシらの姫様を狙ってるって件かい?」
「そだねー。みんなも知ってると思うけど、この街はわたしが張った守護結界が守ってるからね。なにかあるといけないから、たまには点検しようかなーって」
「そうかい、そうかい。なら、アンタたちにはこいつをやるよ。いつもありがとねぇ!」
去り際、ノルンに話しかけてきた露店のおばさんは、僕たち三人に向かっておいしそうなリンゴを放り投げてくれた。
「えへへー。リンゴもらっちゃったー! かぷかぷ」
「ほい、これは君の分」
「あ、ありがとうございます……」
隣を歩くディレイさんからリンゴを受け取って、腰にぶら下げた革袋の中に入れた。
今の僕はノルンとディレイさんが用意した、僕の体にぴったりの鎧と兜を着てる。
僕の鎧はディレイさんほどじゃないけど、それでもフルプレートは重くて動きづらい。視界も悪いし、音だってよく聞こえない。
ディレイさんは、こんな不自由な格好で僕と模擬戦を……。
改めて周りを見回すと、都の大通りは大勢の人で賑わっていて、大きな荷物を積み上げた馬車が何台も行ったり来たりしてる。
けど、誰も僕に気づく人はいない。
誰も僕を見て足を止める人も、声を掛ける人もいない。
「どう? 『透明人間』になった気分は」
「正直、よくわかりません……」
「まあ、今日はのんびりお忍び視察ってことでいいんじゃない? 普段の街の様子を知るのだって、姫勇者様には大切なことでしょ」
僕だけに聞こえるように、くぐもった声でディレイさんが笑う。
たしかにそう言われると、僕は普段のみんなの様子をほとんど知らない。
お父様はとても立派な王様で、その娘の僕も生まれたときからずっと王女として扱われてきた。
街のみんなも僕を王女として見ていたし、そんな僕と対等に話してくれたのは、これまでノルンくらいで――
「エルルもリンゴ食べるっしょ? 半分こしようか?」
「ええっ!? いくら顔が見えないからって、僕たちは今ノルンの護衛で……」
「いいよいいよー! みんなで食べよー!」
「だってさ」
「あ、う……じゃあ、ちょっとだけ……」
僕と普通に接してくれたのは、ノルンだけ……だったのに。
通りから外れた軒先で、ディレイさんが器用に分けてくれた真っ赤なリンゴ。
兜の口元を少しだけ持ち上げて、こっそり食べたそのリンゴはとっても新鮮で、おいしかった。
――――――
――――
――
「お疲れ、騎士さん! 姫様に会ったら、応援してますって伝えてくれよ!」
「けどいくらなんでも、最近の姫様って頑張りすぎじゃない? この前遠くから見たけど、なんだか疲れてるみたいで心配ね……」
「俺たち平民には姫様なんて遠い存在だよ。でもまだ若いのに大魔王を倒して魔族も追い返してくれるなんて、本当にすごい人だよね」
「よーし、勇者ごっこやろうぜー! 俺は勇者のエルル様やるから、お前大魔王なー!」
「けっ……勇者だの姫だの、お高くとまりやがって。小娘のくせに気に入らねぇ……」
三人で街を歩いている間も、僕のことを話すみんなの声は何度も聞こえてきた。
そこには羨望も、憧れも、親しみも……もちろん、妬みや反感だってあったけど。
なぜだか僕には、そんなみんなの本音が少し嬉しかった。
「はい、これでもう大丈夫です。気をつけてくださいね」
「ほんとに助かったよ。騎士様もいつもありがとうねぇ」
車輪が泥に埋まった荷押し車を押し出してあげて、お婆さんから気軽に感謝される。
これだってもし僕がこんな鎧を着てなかったら、お婆さんはすんなり助けさせてくれなかったかもしれない。
ありがとうの言葉も、もっと大げさだったのかもしれない。
ディレイさんが言った透明人間体験は、間違いなく姫勇者としての僕が透明になったような時間だった。
「僕、わかりました……! ディレイさんは、僕にこれを教えたかったんですね!」
「んー?」
最初はどうしてこんなことをって思ってた。
けどこうして顔を隠して、勇者や姫っていう肩書きも隠してみんなと同じ目線に立って、なんだかとっても大切なことを学べた気がする。
きっとディレイさんも、僕にこれを気づかせるためにこんなことをしてくれたんだ!
「お城からみんなを見下ろしている僕は、そこにいる一人一人のことなんて見ていませんでした……『みんな』っていう言葉でくくって、勝手に一纏めにしてしまっていたんです。だからディレイさんは、僕にそのことを――!」
「なにそれ? 別にそんなこと考えてないんだけど。こわ……」
「え……? ええええっ!?」
でもそんな僕の言葉に、ディレイさんは呆れたみたいに首を振った。
「俺はただ、エルルがいつも言ってる勇者だからとか姫だからって、いっつもそれだと疲れるだろうなーって思ったんよ。なら顔を隠して名無しの騎士になれば、エルルも気楽に休めるんじゃないかなって」
「そ、それだけ……? 本当に、ただ僕を休ませるために?」
「強くて立派な勇者姫様じゃ、街中でリンゴの食べ歩きもできないだろうし。そういうの、大変そうだなって思っただけ」
「あう……」
その返事は、一人で勝手に盛り上がっていた僕にはあまりにも肩透かしで。
恥ずかしくなって、思わず革袋の中にしまっていた最後のリンゴを手に取った。
「ただまあ、今日は俺もいろいろわかってよかったかな。俺だってよそ者だから、実際にエルルがこの街でどう思われてるのかは知らなかったし」
少し離れて先頭を歩くノルンに追いつこうと、ディレイさんは少しだけ足を速めながら言った。
「この街の人は、エルルのことをちゃんと見てる。みんな好き勝手いろんなこと言ってるけど、もしも君になにかあったら……きっと、悲しむ人のほうが多いんじゃないかな」
「それは……」
「ま、頑張るのもほどほどにね。なんたって、エルルになにかあったら俺は死刑――」
けど、その瞬間。
ディレイさんが話しながら僕を振り向いたのと同時。
遠くに見える街の屋根の向こうに、大きな火柱と土煙が上がった――。
