「えーっと……エルルーナ姫の護衛騎士をやってます、ディレイ・ハーレンです。あー……その、なんていうか……こんな格好ですけど、今日はよろしくお願いします」
「…………」
ダンスのレッスン当日。
侍女や文官のみんな、それに少しの近衛騎士が集まったホールで、鎧をなくして完全に見えなくなったディレイさんの声が響く。
「ディレイさんは、先日の戦いで身を挺して僕を守ってくれました。でもそのときに呪いの効果を抑える鎧を壊されて、本当に見えなくなってしまったんです。だからディレイさんは、みんなが怖がらないように――」
「よろしくって……見えない人間とどう仲良くするんだよ……」
「いくら姫様のご推薦でも、やっぱり気味が悪いわ……」
「鎧がなくなったのなら、私たちにまで呪いが移るかもしれんぞ……」
続けて事情を説明する僕の耳に、集まったみんなの声が聞こえてくる。
言い返したい気持ちを、ぐっと抑える。
誰が悪いわけでも、間違ったわけでもない。
誰だって、知らない人のことは怖い。
だからこそディレイさんは、こう言われることを覚悟でここに来たんだから。
「――エルルーナ様のお話はまだ終わっていませんよ。くだらない私語は慎むように」
でもその時。
予想どおりの冷たい反応を受けて固まる僕の耳に、横からもっと冷たい声が聞こえてきた。
だけどその声は僕やディレイさんじゃなくて、集まった他のみんなに向けられていた。
「サレンさん……」
「大変失礼いたしました、エルルーナ様。本日は私が講師を務めるレッスンの場。そこで姫様への粗相があれば、全て講師である私の責任でございます」
そう言って、僕に向かって深々とお辞儀をしたのは、ヴェルテウスさんの秘書官のサレンさんだ。
サレンさんはいつもの白い執務服じゃなくて、必要最低限の装飾が施された白いドレスを着ている。
着こなしは完璧で、もともと綺麗なサレンさんをさらに引き立てていた。
実はサレンさんはこのルーナ神聖領国でも一番の踊り手で、他の国のお客様をもてなすときにも、よくみんなの前で素敵な踊りを披露してくれている。
「舞踊……特に社交の場においての舞は、自分のために踊るものではありません。共に手を取って踊るパートナーを引き立て、その場に集まった大勢の来賓の皆様をもてなすために踊るもの。エルルーナ様への敬意すらないというのなら、社交の場で踊る資格などないとお心得くださいませ」
まるで氷のナイフみたいな鋭い声に、ホールが一瞬で静まりかえる。
「ディレイ様も、どうか他の者の無礼をお許しください」
「俺っ!? あ、いや……そんな、ぜんぜん! 俺のほうこそ、無理を言って参加させてもらって……ありがとうございます。今日はよろしくお願いします」
続けてディレイさんにも頭を下げたサレンさんに、謝られたディレイさんはびっくりしたみたいに鈴の音を鳴らした。
「お気になさらず。講師である私が参加を許可したのですから、ディレイ様がこの場にいることになにも後ろめたいことなどありません……途中、ご不便があれば遠慮せずお申し出ください」
サレンさんって、こんな人なんだ……。
サレンさんとはこれまでほとんど話したことがなくて、実はちょっと怖い人なのかなって、勝手に思ってた。
けど透明なディレイさんにも最初からみんなと同じ対応をし続けるサレンさんに、僕は申し訳なさと好感を同時に抱き始めていた。
「では、本日のレッスンを始めます。まずは心得のある方と未経験の方で、二組に分かれていただきます」
――――――
――――
――
「ほら、どうですか? ディレイさんに触れると僕の手も消えちゃうんですけど、体全部が消えたりはしません。それに――」
「こんな感じで、俺から離れればすぐに元どおりってわけ」
「へ、へぇ~……」
「ふむ……」
「なるほど……」
サレンさんのおかげで、ダンスのレッスンは問題なく進んだ。
最初はディレイさんを怖がっていたみんなも、少しずつだけど声をかけてくれるようになった。
もちろん変化はごくわずかで、ほとんどの人は遠巻きに様子をうかがっているだけだったけど。
「では、次の課題は基礎的な所作の確認です。ディレイ様については確認ができませんので、これから私が行うステップを見て、本来の所作とは異なる誤った動作を指摘してください」
途中、体が見えないディレイさんにはできない課題もあった。
けどサレンさんは事前にディレイさん用の課題を用意してくれていて、そこで僕とディレイさんはまた驚かされた。
「ディレイ様が足をついてから、足元の床が消えるまでの時間は……『十二拍』といったところでしょうか。なかなか消えないものなのですね」
「床は大きいからね。外の土の上なら、それこそ一晩寝転んでようやく少し消えるかなーってくらいだよ」
「僕の手が消えるのは、もっと早いですもんね」
「興味深いです」
レッスンが半ばを過ぎる頃には、僕たちはすっかりサレンさんといろいろお話しするようになった。
サレンさんはその間もずっと無表情で、一度も笑ったりしなかったけど。
それでも僕は、サレンさんと仲良くなれた気がして嬉しかった。
「サレンさんは、いつ頃からお城で働いているんですか?」
「いつ頃、ですか……」
その合間、僕はサレンさんに自分から声をかけた。
本当に何気なく……ただ、もっとサレンさんと仲良くなりたくて。
「ヴェルテウス様が宰相になられた際に、私も登用されました。私はそれ以前から、ヴェルテウス様に個人的にお仕えしておりましたので」
「そうだったんですね。なら、ヴェルテウスさんとはどちらで?」
そう尋ねたあとで、すぐに僕は自分の軽率さを後悔した。
昨日今日、初めて話したような人にしていい質問じゃなかったって。
だけど――
「――戦場です。戦場で死にかけていた私を、まだ宰相になる以前のヴェルテウス様が救ってくださったのです」
「ヴェルテウスさんが……」
「ですから、私にとってヴェルテウス様のご意志は、私自身の命よりもはるかに重い……ヴェルテウス様以外の全てが、私には平等なのです」
まるで、自分に言い聞かせるみたいにそう呟いて。
サレンさんは僕に一礼して、また別の人のところに歩いていった。
その覚悟のあまりの重さに。
僕はしばらく、離れていくサレンさんを見送ることしかできなかった――。
