一週間後、リリーは馬車に揺られ、海辺の街までやってきた。
城塞都市ペンバートン。ドラクル辺境伯が治める、高い壁に囲まれた堅牢な街だ。
周囲には潮風に強い大麦畑が広がり、かすかな潮の香りを乗せた風が穏やかに吹き抜けていた。
遠くでは波が砕ける音が絶え間なく響き、空には白い海鳥が輪を描いている。石造りの城壁は潮風に削られ、ところどころ白く塩を吹いているのが馬車からも見えた。
王都の磨き上げられた街並みとは違う。荒々しい海と共に生きる街だった。
リリーが都市の入り口で名乗ると、門番は恭しく頭を下げ、扉を開けた。そのまま城へ向かうと、そこでも同じように中へ通され、薄暗い応接室へ案内された。
厚い石壁に囲まれた室内はひんやりとしていて、窓の外からは風に乗って潮騒がかすかに聞こえる。調度品は質実剛健で、王都の貴族邸のような華やかさはない。
出されたお茶に口をつけていると、ほどなくして城主のオーガスト・ドラクルが家令を伴ってやってきた。
背が高く、引き締まった体つきの男だった。張り詰めた険しい雰囲気と、釣書の写真そのままの鋭い眼差しで、リリーを見下ろしている。
年齢はリリーより十歳年上の二十七歳だと聞いている。貴族男性がこの年まで独身なのは珍しいが、あの悪意に満ちた釣書を読めば無理もない。そう思いながら、リリーは立ち上がって頭を下げた。
「お初にお目にかかります。ブルグマンシア伯爵の長女、リリーと申します」
「オーガスト・ドラクルだ。楽にしてくれていい。……僕は、君に妻としての役割を求める気はない」
低く静かな声が頭上から降ってきた。リリーはにこりと微笑み、腰を下ろす。
そのままオーガストを見上げて口を開いた。
「あら、舐めたことをおっしゃいますのね」
オーガストは座ろうとした中途半端な体勢のまま、目を丸くした。
「あなた、貴族の成人男性でいらっしゃるのでしょう? わたくしを娶るおつもりで縁談を申し込まれたのではなくて?」
「そうだが……しかし、王都でぬくぬくと育った小娘に、辺境伯夫人など」
「なら、最初からわたくしに縁談など申し込まないでください」
リリーがぴしゃりと言い切ると、オーガストの後ろに控える家令の肩がぴくりと震えた。
「あなたはわたくしに縁談を申し込んだ。わたくしはそれを受け入れた。ならば、どうであれあなたとわたくしは一蓮托生です。ここへ来てそんな御託を並べるのは卑怯だわ」
「……だが」
「なんですか」
「この街にはドレスも、宝石も、貴族の娘が求めるようなものなど」
言葉を重ねるごとに声が小さくなっていくオーガストに、リリーは背筋を伸ばしたまま答えた。
「そんなものは不要です。失礼しちゃうわ。いったい、あなた様はどういうおつもりで我がブルグマンシア伯爵家に縁談を申し込まれましたの? わたくしに必要なのは土だけです。あ、あと温室とホースとジョウロと……肥料と種はこちらで用意しますから、それから――」
「我が城を、花畑にでもするつもりか?」
リリーは顔をしかめた。どうやら彼は、本当にブルグマンシア伯爵家がどういう家なのか知らないらしい。
「どうとでもお思いください。ただし、わたくしが育てる植物に許可なく触れませんよう」
「ふん、草花の棘ごときで傷つくようなやわな鍛え方をしているとでも?」
「手をお出しになって」
オーガストがいぶかしげに右手を差し出した。
「まあ、素直に利き手を差し出されるなんて、かわいらしいこと」
リリーは微笑みながらドレスのレースの陰から一枚の尖った葉を取り出し、太く硬い中指の爪の際へすっと刺した。
「なっ、あ……っ!」
「やわですこと」
オーガストがぎろりと睨みつけるが、手はしびれ、リリーの小さな手から引き抜くことができない。家令が慌ててベルを鳴らす。兵士が五人駆けつけ、リリーを取り囲んで剣を向けた。
「我がブルグマンシア伯爵家は植物の専門家ですの。王命により、ドラクル辺境伯の補佐に参りました。どうぞ、よろしくお願いいたします。旦那様」
首筋へ五本の剣を突きつけられながらも、リリーはにこりと微笑んだ。
「その毒に効く薬はありませんけれど、小一時間もすればしびれは取れますから、安心なさってね」
城塞都市ペンバートン。ドラクル辺境伯が治める、高い壁に囲まれた堅牢な街だ。
周囲には潮風に強い大麦畑が広がり、かすかな潮の香りを乗せた風が穏やかに吹き抜けていた。
遠くでは波が砕ける音が絶え間なく響き、空には白い海鳥が輪を描いている。石造りの城壁は潮風に削られ、ところどころ白く塩を吹いているのが馬車からも見えた。
王都の磨き上げられた街並みとは違う。荒々しい海と共に生きる街だった。
リリーが都市の入り口で名乗ると、門番は恭しく頭を下げ、扉を開けた。そのまま城へ向かうと、そこでも同じように中へ通され、薄暗い応接室へ案内された。
厚い石壁に囲まれた室内はひんやりとしていて、窓の外からは風に乗って潮騒がかすかに聞こえる。調度品は質実剛健で、王都の貴族邸のような華やかさはない。
出されたお茶に口をつけていると、ほどなくして城主のオーガスト・ドラクルが家令を伴ってやってきた。
背が高く、引き締まった体つきの男だった。張り詰めた険しい雰囲気と、釣書の写真そのままの鋭い眼差しで、リリーを見下ろしている。
年齢はリリーより十歳年上の二十七歳だと聞いている。貴族男性がこの年まで独身なのは珍しいが、あの悪意に満ちた釣書を読めば無理もない。そう思いながら、リリーは立ち上がって頭を下げた。
「お初にお目にかかります。ブルグマンシア伯爵の長女、リリーと申します」
「オーガスト・ドラクルだ。楽にしてくれていい。……僕は、君に妻としての役割を求める気はない」
低く静かな声が頭上から降ってきた。リリーはにこりと微笑み、腰を下ろす。
そのままオーガストを見上げて口を開いた。
「あら、舐めたことをおっしゃいますのね」
オーガストは座ろうとした中途半端な体勢のまま、目を丸くした。
「あなた、貴族の成人男性でいらっしゃるのでしょう? わたくしを娶るおつもりで縁談を申し込まれたのではなくて?」
「そうだが……しかし、王都でぬくぬくと育った小娘に、辺境伯夫人など」
「なら、最初からわたくしに縁談など申し込まないでください」
リリーがぴしゃりと言い切ると、オーガストの後ろに控える家令の肩がぴくりと震えた。
「あなたはわたくしに縁談を申し込んだ。わたくしはそれを受け入れた。ならば、どうであれあなたとわたくしは一蓮托生です。ここへ来てそんな御託を並べるのは卑怯だわ」
「……だが」
「なんですか」
「この街にはドレスも、宝石も、貴族の娘が求めるようなものなど」
言葉を重ねるごとに声が小さくなっていくオーガストに、リリーは背筋を伸ばしたまま答えた。
「そんなものは不要です。失礼しちゃうわ。いったい、あなた様はどういうおつもりで我がブルグマンシア伯爵家に縁談を申し込まれましたの? わたくしに必要なのは土だけです。あ、あと温室とホースとジョウロと……肥料と種はこちらで用意しますから、それから――」
「我が城を、花畑にでもするつもりか?」
リリーは顔をしかめた。どうやら彼は、本当にブルグマンシア伯爵家がどういう家なのか知らないらしい。
「どうとでもお思いください。ただし、わたくしが育てる植物に許可なく触れませんよう」
「ふん、草花の棘ごときで傷つくようなやわな鍛え方をしているとでも?」
「手をお出しになって」
オーガストがいぶかしげに右手を差し出した。
「まあ、素直に利き手を差し出されるなんて、かわいらしいこと」
リリーは微笑みながらドレスのレースの陰から一枚の尖った葉を取り出し、太く硬い中指の爪の際へすっと刺した。
「なっ、あ……っ!」
「やわですこと」
オーガストがぎろりと睨みつけるが、手はしびれ、リリーの小さな手から引き抜くことができない。家令が慌ててベルを鳴らす。兵士が五人駆けつけ、リリーを取り囲んで剣を向けた。
「我がブルグマンシア伯爵家は植物の専門家ですの。王命により、ドラクル辺境伯の補佐に参りました。どうぞ、よろしくお願いいたします。旦那様」
首筋へ五本の剣を突きつけられながらも、リリーはにこりと微笑んだ。
「その毒に効く薬はありませんけれど、小一時間もすればしびれは取れますから、安心なさってね」



