疲れた。
 今日はもう早々に寝てしまおう。
 風呂を済ませて布団に入り、目を閉じる。
 すると、今日1日の出来事が次々と浮かんできた。

『ありがとう』
『助かったよ』
『本当にありがとう』

 ありがとう。
 ありがとう。
 ありがとう。

 いろんな人の、いろんな「ありがとう」が頭の中で反響する。
 これまでも何度も聞いた言葉だ。
 家を訪ねてきた人たちは、俺に礼を言った。
 食べ物をくれた。
 酒をくれた。
 金をくれた人だっている。
 そのたびに悪い気はしなかった。
 得をしているのだから当然だ。
 でも、今日のは少し違った。
 目の前にいる人が、俺を見て笑う。
 俺がしたことに対して、俺に礼を言う。

「…………」

 人から感謝されるって、結構気持ちいいのかもな。
 そんなことを考えながら、俺は眠りについた。
 あの日以来、俺は数日に1度、アキラを外出させず、自分で街へ出るようになった。
 最初は、アキラとの違いを怪しまれないためだった。
 だが、今では少し違う。
 俺自身が外へ出たいと思うようになっていた。
 街を歩きながら、辺りを見る。
 ただ歩くんじゃない。
 センサーでも巡らせるように、人を見る。
 困っている奴はいないか。
 何かを運ぼうとしている奴。
 道に迷っている奴。
 手が足りなくて困っている奴。
 探してみれば、いくらでもいる。
 そして見つけたら考える。

 アキラならどうする?

 それだけで、何をすればいいのかすぐに分かった。
 両手いっぱいに買い物袋を抱えた老婆がいる。

 アキラなら。

「持ちますよ」

「あら、明人さん。ありがとうねぇ」

 道端で自転車のチェーンを直そうとしている男がいる。

 アキラなら。

「ちょっと見せてください」

「助かったよ! ありがとう!」

 高いところの商品に手が届かず困っている女がいる。

 アキラなら。

「これですか?」

「あ、そうです! ありがとうございます」

 午前中だけで、何度「ありがとう」と言われただろう。
 差し入れをもらった。
 飲み物をもらった。
 それだけじゃない。
 笑顔。
 感謝。
 そういうものまで受け取っている気がした。
 物をもらえるのは、もちろん嬉しい。
 金をもらえれば、もっと嬉しい。
 でも。
 それだけじゃなかった。

「ありがとう」

 その一言が、思っていたより気持ちいい。
 自分が必要とされている。
 自分が誰かの役に立っている。
 そんな実感が、今までろくに満たされたことのなかった何かを満たしていく。
 良いことをした。
 そう思うだけで、少しだけ自分まで良い人間になったような気がする。

「……なんだよ」

 思わず笑った。

「親切って気持ちいいじゃん」

 こんな簡単なことだったのか。
 困っている人を見つけるのだって難しくない。
 アキラが見つけているように見つければいい。
 アキラならどうするかを考えて、その通りにすればいい。
 それだけだ。

「なんだよ」

 また1人、困っている人を見つけた。
 手を貸す。
 礼を言われる。

「なんだよ」

 また見つける。
 助ける。
 また礼を言われる。

「なんだよ」

 こんな簡単なことで。
 こんなに気持ちよくなってもいいのかよ。
 気づけば、その日も夕方まで街を歩き回っていた。
 夜。
 家に帰ると、アキラは朝からずっと同じ場所にいた。
 俺と同じ顔。
 俺と同じ体。
 俺の代わりに働かせるために、何年もかけて作ったロボット。

「アキラ」

「はい」

「お前のお陰で分かったよ」

「はい」

 俺は少し照れ臭くなって、頭を掻いた。

「親切にするって、いいことだよな」

「はい」

「今まで俺、そういうの全然分かんなかったんだよ」

 誰かのために動くなんて面倒なだけだと思っていた。
 礼をされるならともかく、何の得にもならないことをする意味なんてないと思っていた。
 でも、違った。
 ありがとうと言われる。
 喜んでもらえる。
 それだけでも、ちゃんと返ってくるものはある。
 アキラが教えてくれた。

「だからさ」

 俺はアキラの肩に手を置いた。

「俺、これからは自分で頑張るから」

「はい」

「もう、お前が俺の代わりに外へ出なくても大丈夫だ」

「はい」

 相変わらず、何を言っても同じ返事だ。
 それが少しおかしくて笑った。

「今までありがとうな」

「はい」

 俺はアキラの電源を落とした。
 目が閉じる。
 体から力が抜ける。
 何年もかけて作った俺の分身を抱え、押し入れの中へしまった。

「……よし」

 明日からは俺がやる。
 自分で外へ出て。
 自分で困っている人を見つけて。
 自分で助ける。
 もう、アキラに頼る必要はない。
 押し入れを閉める。
 そこに映る俺の顔は、以前と同じ顔のはずだった。
 それなのに、少しだけ違って見えた。
 卑屈で意地悪な明人の姿は、もうそこにはなかった。
         完?
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