高く澄み渡った空から、透明な秋風が吹き寄せる、夕暮れ前。
普段は街行く人の目に留まることのない緑の一角だが、金色の花の咲くこの時期だけは、些か例外だった。
――金木犀。
人々がこの甘い秋の香りに想うのは、一時の安らぎか、在り日の思い出か、過ぎ去った夏の面影か。
◆ 秋に降る雪
通り沿いに植えられた金木犀の傍に、しゃがみこんだサラの小さな背中があった。
ゆっくりと散る花を、絵にするでもなく、ただじっと見つめている。
(金色の、雪が降ってる)
実のところを言えば、サラはこの花の長く続く強い香りが苦手だ。
それは香り自体ではなく、彼女の敏感な嗅覚には刺激が強すぎるのが理由だった。
散り行く花を見ると、サラは少しだけ嬉しく思う。
だがそれと同時に、皆が話題にするこの香りが、もうすぐ終わってしまうことを残念にも思った。
(みんなはお店に来た時だけだけど、サラは毎日だから)
自分なりの答えを噛みしめて、ゆっくり、ゆっくりと落ちる花びらを一つ拾い上げる。
その時、遠くに『カラン』と鳴る、ドアベルの音がサラの耳に届いた。
スッと立ち上がったサラは、掌にある金色の雪に別れを告げてから、急いで店へと戻った。
◆ 二人の客
裏口からサラが店に戻ると、入口には大学生と思われる男女が立っていた。
「やっぱりお店だったんだ! 別の世界に来ちゃったみたいだね!」
目を丸くして、キョロキョロと店内を見回す女性。その姿を、男性は優しい表情を浮かべてながら頷き見つめている。
「いらっしゃいませ、お好きな席へどうぞ」
美広の柔らかく落ち着いた声が、二人を出迎える。
男性は店の主に気が付いて会釈を返したが、女性の方はというと――
「ねぇ、見て! カウンターから壁まで、全部木で作られてる!」
興奮が抑えきれないのか、目を輝かせながら歓喜の声を上げる。
美広はこういう賑やかな客が訪れるのが好きだった。
誰かが喜んでいる姿を見るのが好きなだけではない。
ツァイトロスの全ては心に訴えかけるように設計したもの。
女性が喜び、跳ねまわっている姿は、美広の目指したもの、そのもののように感じるからだった。
だが、些か感情に訴え過ぎたようで。
女性が好奇心を抑えきれずカウンターを覗き込んだ瞬間、サラと視線がぶつかった。
「わっ! ご、ごめんなさい……」
「……いらっしゃいませ」
我に返る女性と、接客に出遅れたサラ。
二人ともバツが悪そうにして、それぞれ目を逸らした。
◆ 伝わる気持ち
二人を席に案内し、注文を聞いた美広がカウンターに戻ってきた。
「店長。ごめんなさい。遅れました」
「ふふっ。金木犀、どうでしたか? もう散ってしまっていますね」
「うん……」
サラには美広の様子が楽しそうに映る。だが、その理由は見当がつかない。
「……店長」
「どうかしましたか?」
「なんだか楽しそう」
透明な氷に沿うように、細く、静かに、ほろ苦い芳醇な香りがグラスへ注がれていく。
美広は、その淀みない所作のまま、ふっと口元を綻ばせた。
「楽しそうにしている人を見ると、こっちも楽しくなってしまうのですよ」
それが女性客のことを指していると理解したサラは、親密そうに話す二人に視線を移した。
だが、その姿を瞳に映してみても、彼女の心は動かない。
「そうなんだ」
サラはそう呟くと、掌の残り香を確かめる。
僅かに秋の面影を感じ取ると、彼女の固く結ばれていた口元が、微かに緩んだ。
普段は街行く人の目に留まることのない緑の一角だが、金色の花の咲くこの時期だけは、些か例外だった。
――金木犀。
人々がこの甘い秋の香りに想うのは、一時の安らぎか、在り日の思い出か、過ぎ去った夏の面影か。
◆ 秋に降る雪
通り沿いに植えられた金木犀の傍に、しゃがみこんだサラの小さな背中があった。
ゆっくりと散る花を、絵にするでもなく、ただじっと見つめている。
(金色の、雪が降ってる)
実のところを言えば、サラはこの花の長く続く強い香りが苦手だ。
それは香り自体ではなく、彼女の敏感な嗅覚には刺激が強すぎるのが理由だった。
散り行く花を見ると、サラは少しだけ嬉しく思う。
だがそれと同時に、皆が話題にするこの香りが、もうすぐ終わってしまうことを残念にも思った。
(みんなはお店に来た時だけだけど、サラは毎日だから)
自分なりの答えを噛みしめて、ゆっくり、ゆっくりと落ちる花びらを一つ拾い上げる。
その時、遠くに『カラン』と鳴る、ドアベルの音がサラの耳に届いた。
スッと立ち上がったサラは、掌にある金色の雪に別れを告げてから、急いで店へと戻った。
◆ 二人の客
裏口からサラが店に戻ると、入口には大学生と思われる男女が立っていた。
「やっぱりお店だったんだ! 別の世界に来ちゃったみたいだね!」
目を丸くして、キョロキョロと店内を見回す女性。その姿を、男性は優しい表情を浮かべてながら頷き見つめている。
「いらっしゃいませ、お好きな席へどうぞ」
美広の柔らかく落ち着いた声が、二人を出迎える。
男性は店の主に気が付いて会釈を返したが、女性の方はというと――
「ねぇ、見て! カウンターから壁まで、全部木で作られてる!」
興奮が抑えきれないのか、目を輝かせながら歓喜の声を上げる。
美広はこういう賑やかな客が訪れるのが好きだった。
誰かが喜んでいる姿を見るのが好きなだけではない。
ツァイトロスの全ては心に訴えかけるように設計したもの。
女性が喜び、跳ねまわっている姿は、美広の目指したもの、そのもののように感じるからだった。
だが、些か感情に訴え過ぎたようで。
女性が好奇心を抑えきれずカウンターを覗き込んだ瞬間、サラと視線がぶつかった。
「わっ! ご、ごめんなさい……」
「……いらっしゃいませ」
我に返る女性と、接客に出遅れたサラ。
二人ともバツが悪そうにして、それぞれ目を逸らした。
◆ 伝わる気持ち
二人を席に案内し、注文を聞いた美広がカウンターに戻ってきた。
「店長。ごめんなさい。遅れました」
「ふふっ。金木犀、どうでしたか? もう散ってしまっていますね」
「うん……」
サラには美広の様子が楽しそうに映る。だが、その理由は見当がつかない。
「……店長」
「どうかしましたか?」
「なんだか楽しそう」
透明な氷に沿うように、細く、静かに、ほろ苦い芳醇な香りがグラスへ注がれていく。
美広は、その淀みない所作のまま、ふっと口元を綻ばせた。
「楽しそうにしている人を見ると、こっちも楽しくなってしまうのですよ」
それが女性客のことを指していると理解したサラは、親密そうに話す二人に視線を移した。
だが、その姿を瞳に映してみても、彼女の心は動かない。
「そうなんだ」
サラはそう呟くと、掌の残り香を確かめる。
僅かに秋の面影を感じ取ると、彼女の固く結ばれていた口元が、微かに緩んだ。


