君のとなり〜拓実と〜

 文化祭当日。

 朝から校内は、いつもとはまるで違う空気に包まれていた。

 廊下にはたくさんの人が行き交い、あちこちから笑い声が聞こえる。

 私は午前中、文化祭実行委員の仕事に追われていた。

 案内をしたり、備品を運んだり、急に足りなくなったものを探しに走ったり。

 その合間には、部活の模擬店の当番もある。

「瑠夏、こっちお願い!」

「はーい!」

 気づけば、お昼を過ぎていた。

 忙しかったけれど、不思議と疲れは感じなかった。

 みんなで一つのものを作って、笑って、走り回る。

 やっぱり、こういう時間が好き。

 去年と同じように忙しい文化祭。

 でも――今年は、去年とは違う。

 だって今日は、拓実と一緒に文化祭を回る約束をしている。

 そう思っただけで、胸の奥がふわっと熱くなった。

 午後になり、ようやく自由になった私は、廊下を急いで歩いていた。

 会いたい。

 朝からずっと、そう思っていた。

 人の波の向こうに、見慣れた姿を見つける。

「――拓実!」

 声をかけると、拓実が振り返った。

「瑠夏」

 その瞬間、拓実の顔に笑みが浮かぶ。

 人の間を縫うように、こちらへ歩いてくる。

「やっと会えた」

「うん。お待たせ」

「待ってた」

 その一言だけで、胸がきゅっとなる。

 拓実も、私に会いたいと思ってくれていた。

 そう思うだけで嬉しい。

「拓実、お団子食べる?」

 私は、部活の模擬店で買ったみたらし団子を見せた。

「食べる」

「どれがいい?」

 拓実は団子を見て、それから私を見る。

「それ」

「これ?」

「うん」

 私は一本取り出して、拓実に差し出した。

「はい」

 拓実は少し笑って、それを受け取る。

「ありがとう」

 ぱくっと一口。

「……美味しい」

「ほんと?」

「うん」

 拓実が笑う。

 その笑顔を見ているだけで、私まで嬉しくなる。

「じゃあ、行こうか」

「うん」

 歩き出そうとしたとき、拓実が私の手に持っていた荷物に気づいた。

「それ、持つよ」

「え?」

「貸して」

「大丈夫だよ。これくらい」

「いいから」

 拓実は自然に私の荷物を受け取った。

「でも……」

「今日は俺が持つ」

 さらっと言われて、胸が跳ねる。

「……ありがとう」

「どういたしまして」

 拓実は何でもないことのように笑った。

 そして、人の多い廊下を歩き出す。

「こっち」

 拓実が少し前を歩く。

 人とぶつかりそうになった瞬間、私の肩にそっと手を添えた。

「気をつけて」

「うん」

 そのまま自然に、人の少ないほうへ私を誘導してくれる。

 その動きがあまりにも自然で、私は思わず拓実を見上げた。

「……どうした?」

「ううん」

 なんでもない。

 ただ――こういうところ。

 拓実は、いつも私が気づくより先に、さりげなくエスコートしてくれる。

 少し先に階段が見えてくる。

 拓実は先に一段下りて、私のほうへ手を差し出した。

「ほら」

「……?」

「階段」

「あ……」

 私はその手に自分の手を重ねる。

「ありがとう」

「うん」

 手を引かれるまま、一段ずつ下りる。

 階段を下り終えると、拓実はそのまま私の手を離さなかった。

 指を絡める。

 ぎゅっと握られた手が温かい。

「……拓実?」

「ん?」

「手……」

「繋ぎたい?」

 私は少しだけ恥ずかしくなって頷いた。

「……うん」

 拓実が嬉しそうに笑った。

「じゃあ、このまま」

「……うん」

 人でいっぱいの校内を、拓実と並んで歩く。

 すれ違う生徒たちが、ちらちらとこちらを見る。

「あれ、拓実先輩じゃない?」

「え、瑠夏と一緒?」

「手、繋いでる……」

 そんな声が聞こえてきて、私は少し恥ずかしくなる。

 けれど拓実は気にする様子もない。

 むしろ、繋いだ手にほんの少し力を込めた。

「どこから行く?」

「えっと……」

 私が考えていると、拓実が笑った。

「今日は瑠夏の行きたいところ、全部付き合う」

「全部?」

「うん」

「いいの?」

「もちろん」

 拓実は、当たり前のように答えた。

「じゃあ、いっぱい行きたい!」

「いいよ」

「疲れない?」

「大丈夫」

「ほんと?」

「瑠夏と一緒なら」

「……もう」

 また胸がきゅっとなる。

 拓実は、こういうことをさらっと言う。

「じゃあ、最初はあっち!」

 私が指差すと、

「了解」

 拓実は笑って、私の手を引いた。

 去年の文化祭は、友達と一緒に過ごした。

 拓実とは、まだ恋人じゃなかった。

 そして――文化祭の後夜祭。

 あの日、拓実から想いを伝えられた。

 それから、もうすぐ一年。

 今年は違う。

 私は今、拓実の隣にいる。

 恋人として。

 繋いだ手の温もりを感じながら、私は笑った。

「ねえ、拓実」

「ん?」

「今年の文化祭、すごく楽しいね」

 拓実が私を見る。

「うん」

 その笑顔は、いつもと変わらない。

 でも、その胸の奥には――静かに刻まれているものがあった。

 高校生活最後の文化祭。

 去年は、こんなふうに思わなかった。

 来年も、この学校で文化祭を迎える。

 そんな未来が、当たり前にあると思っていた。

 けれど今年は違う。

 少しずつ、高校生活の終わりが近づいている。

 だからこそ――。

 今日という一日を、瑠夏と一緒に楽しみたい。

 この笑顔を。

 この温もりを。

 今はまだ、何も知らない瑠夏の隣で。

 拓実は、繋いだ手を優しく握り直した。