君のとなり〜拓実と〜

 11月。

 文化祭まで、あと一週間。

 廊下には色とりどりの画用紙や模造紙が並び、教室のあちこちから準備に追われる声が聞こえてくる。

「そこ、もう少し右!」

「これ、どこに貼るの?」

「実行委員、こっち手伝ってー!」

 そんな声を聞きながら、私は掲示物を抱えて廊下を歩いていた。

 今年も私は、文化祭実行委員。

 去年と同じように、文化祭の準備に追われる毎日を過ごしている。

 掲示物を貼ろうと、廊下の壁際で椅子を引き寄せる。

 その上に立った瞬間――ふと、去年のことを思い出した。

 ここで、私はバランスを崩した。

 そして――拓実に抱き止められた。

 あのときのことを思い出すと、今でも少しだけ胸がくすぐったくなる。

 あのあと、拓実が私の代わりに掲示物を貼ってくれた。

 そして文化祭の後夜祭で――私に告白してくれた。

 あれから、もうすぐ一年。

 付き合って、もうすぐ一年なんだ……。

 そう思うと、胸の奥がふわっと温かくなった。

「……懐かしいな」

 小さく呟いて、掲示物を持ち上げる。

 そのときだった。

「――瑠夏?」

 聞き慣れた声に、心臓が跳ねた。

 振り返る。

「拓実!」

 廊下の向こうから、拓実が歩いてくる。

「何してるの?」

「掲示物貼ってるの」

 拓実は私を見る。

 それから、椅子に視線を落とした。

「また椅子の上?」

「うん」

「危ないよ」

「大丈夫だよ」

「ほんと?」

「もう。私、そんなに危なっかしくないです」

 私は少し胸を張った。

「これでも新体操部だから、バランスは得意」

 拓実が、ふっと笑う。

「よく言うよ」

 拓実は笑いながら、私の手から掲示物を受け取った。

「ほら。降りて」

「でも、まだ途中……」

「俺が貼る」

 そう言って、拓実が手を差し出した。

「足元、気をつけて」

「……うん」

 私はその手を取る。

 拓実に支えられながら、ゆっくり椅子から降りた。

 床に足がつくと、拓実は私の手をそっと離す。

「大丈夫?」

「うん。ありがとう」

「なら、よかった」

 拓実はそう言って、私が持っていた掲示物を壁に合わせる。

「ここ?」

「うん。そこ」

「じゃあ、押さえてて」

「はい」

 二人で掲示物を貼っていく。

 去年と同じ場所。

 でも、去年とは違う。

 去年は、ここで拓実に抱き止められた。

 今は――その拓実が、私の恋人として隣にいる。

「……去年も、ここだったね」

 私が言うと、拓実が笑った。

「うん」

「なんか不思議」

「何が?」

「一年経ったんだなって」

 拓実が一瞬だけ私を見る。

「……そうだな」

 掲示物を貼り終える。

「できた」

「ありがとう」

「どういたしまして」

 私は完成した掲示物を見上げた。

「そういえば……」

「ん?」

「もうすぐ一年記念日だね」

 口にすると、なんだか照れくさくなった。

 拓実も少しだけ目を細める。

「もうそんなになるか」

「早いよね」

「うん」

 拓実が笑う。

「いろいろあったな」

「うん」

 私も笑った。

 付き合い始めた日のこと。

 一緒に帰ったこと。

 休日に出かけたこと。

 何気ない時間まで、全部大切な思い出になっている。

「今年の文化祭さ」

 拓実が言った。

「一緒に回ろう」

「え?」

「俺、今年は実行委員じゃないから」

「三年生は実行委員できないもんね」

「そう」

 拓実は笑った。

「だから、今年は瑠夏と一緒に文化祭を楽しみたい」

「……うん!」

 嬉しくて、自然と笑顔になる。

「約束ね?」

「約束」

 拓実が小指を差し出す。

「ふふっ」

 私は笑いながら、その小指に自分の小指を絡めた。

「約束」

「うん」

 指先が繋がる。

 たったそれだけなのに、胸が温かくなる。

「楽しみだね」

「俺も」

 拓実が優しく笑った。

 けれど――。

 その胸の奥には、瑠夏には見せないものがあった。

 高校生活最後の文化祭。

 去年は、そんなことを考えもしなかった。

 来年も、この学校で文化祭を迎える。

 そう思っていた。

 けれど今年は違う。

 高校生活の終わりが、少しずつ近づいている。

 まだ先だと思っていた卒業が、一日ずつ近くなっている。

 だからこそ――。

 この文化祭も。

 瑠夏と過ごす一日一日も。

 大切にしたいと思う。

「じゃあ、俺そろそろ塾行くわ」

「うん」

「準備、頑張って」

「拓実も頑張ってね」

「ありがとう」

 拓実が歩き出す。

 数歩進んだところで、振り返った。

「瑠夏」

「ん?」

「文化祭の日、楽しみにしてる」

「うん! 私も!」

 瑠夏の笑顔を見て、拓実も笑った。

 そして、廊下の向こうへ歩いていく。

 私はその背中を見送った。

 去年と同じ場所。

 同じ季節。

 同じ文化祭。

 でも、私たちはもう恋人同士だ。

「……楽しみだな」

 小さく呟く。

 その頃、廊下を歩く拓実は、ふと足を止めた。

 振り返ると、まだ瑠夏が見える。

 拓実は静かに笑った。

 そして、心の中でそっと呟く。

 ――高校最後の文化祭。

 もう、そんな時期なんだ。

 少しずつ。

 本当に少しずつ。

 卒業が近づいていた。