君のとなり〜拓実と〜

 体育祭が終わった。

 閉会式が終わっても、グラウンドから生徒たちが帰る気配はなかった。

 毎年恒例のハチマキ交換を楽しみにしている生徒たちが、あちらこちらで友達と笑い合っている。

「誰と交換する?」

「もう決めてる!」

「えー、誰?」

 そんな声が飛び交う中、瑠夏も友達と一緒にいた。

「瑠夏は?」

「え?」

「誰と交換するの?」

 瑠夏が答えようとした、そのとき。

「瑠夏」

 後ろから声がした。

 振り返る。

「翔くん?」

 翔が立っていた。

「少し、いい?」

「うん」

 二人は、人の流れから少し外れた場所へ歩いた。

 グラウンドの賑やかな声は、まだ聞こえている。

 翔は立ち止まると、瑠夏を見る。

 しばらく、何も言わなかった。

「……どうしたの?」

 瑠夏が尋ねる。

 翔は一度だけ息を吐いた。

「俺……瑠夏が好きだ」

「……え?」

 瑠夏の目が大きくなる。

 胸が、どくんと鳴った。

「中学の頃からずっと」

 その言葉に、瑠夏の中で中学生の頃の記憶が一気によみがえった。

 まだ背丈もほとんど変わらなかった頃。

 放課後、一緒に笑ったこと。

 翔が高跳びの練習をしている姿。

 何度も見た、あの跳躍。

 そして――自分が翔を好きだった、あの頃。

「……翔くん」

 瑠夏はゆっくり口を開いた。

「ありがとう」

 翔をまっすぐ見つめる。

「私も……中学生のころ、翔くんのこと好きだったよ」

 翔の表情が揺れた。

「……そっか」

「うん」

 瑠夏は小さく頷いた。

「だから、翔くんがこうやって言ってくれたこと……嬉しい」

 けれど、その先を言おうとすると胸が痛んだ。

「でも……」

 瑠夏は、あの頃を思い出した。

 好きだった。

 大切だった。

 だけど――あの日、自分の初恋に自分でさよならをした。

「私の初恋は……中学生のころに、さよならしたの」

 一筋の涙が、瑠夏の頬を伝った。

 あの頃の自分を思い出して。

 あのときの気持ちを思い出して。

 もう戻れない時間を、ほんの一瞬だけ胸に抱いた。

「……瑠夏」

 翔が静かに呼ぶ。

 瑠夏は指先で涙を拭った。

「……ごめん」

「……」

 翔は何も言わず、瑠夏を見つめていた。

 そして、少しだけ笑う。

「そっか」

 その声は、思っていたより穏やかだった。

「じゃあ……これで終わりだな」

「翔くん……」

「俺、ちゃんと聞けてよかった」

 翔は空を見上げる。

「瑠夏が俺を好きだったことも知れたし」

 少し寂しそうに笑った。

「それだけでも、俺には大事なことだから」

 瑠夏の目に、また涙が浮かぶ。

「ありがとう、翔くん」

「泣くなよ」

 翔が少し困ったように笑う。

「俺、振られたんだからさ。瑠夏に泣かれたら、余計つらいだろ」

「……うん」

「じゃあ、戻ろうぜ」

「うん」

 二人はグラウンドへ戻った。

 瑠夏が歩いていると――。

「瑠夏」

 聞き慣れた声。

 拓実だった。

「拓実」

 拓実は瑠夏の顔を見る。

 そして、目元に残った涙に気づいた。

「……泣いたの?」

「え?」

 瑠夏は一瞬、言葉に詰まる。

「ううん」

 小さく首を振る。

「泣いてない」

 ほんの小さな嘘。

 拓実は瑠夏を見つめた。

 けれど、それ以上は聞かなかった。

「……そっか」

 ただ、優しく笑った。

「じゃあ、ハチマキ交換しよう」

「……うん」

 拓実が、自分の頭からハチマキを外す。

 そして瑠夏の前に立った。

「ちょっと、こっち向いて」

「うん」

 拓実が瑠夏の頭にハチマキを回す。

 結ぶために身体が近づき――瑠夏の頭が、拓実の胸元にすっぽり収まるような形になった。

「キャーーー!」

 近くから女子たちの声が上がる。

「ちょっと待って! 近すぎない!?」

「抱きしめてるみたい!」

「やばい、拓実先輩……!」

 瑠夏の顔が一気に熱くなる。

 でも、拓実は気にする様子もなく、瑠夏の髪をそっと避ける。

 乱れないようにハチマキの位置を整えて。

 そして――

 きゅっ。

 優しく結んだ。

「……できた」

 拓実が少し離れる。

 瑠夏が顔を上げる。

「どう?」

 拓実は瑠夏を見つめた。

「……可愛い」

「もう……」

 瑠夏は照れて俯いた。

 拓実はそんな瑠夏を見て、嬉しそうに笑う。

「俺のハチマキ、似合ってる」

「……うん」

「よかった」

 瑠夏は、自分の首にかけていたハチマキを外した。

「じゃあ、拓実の番」

「俺?」

「うん」

 瑠夏は拓実の手を取った。

 そして、自分のハチマキを拓実の手首にくるりと巻く。

 ほどけないように結んで――最後に、リボンの形に整えた。

「はい」

 拓実が自分の手首を見る。

「リボン?」

「うん」

「……可愛い」

「拓実に似合うと思って」

 拓実が瑠夏を見る。

 その目が、少しだけ細くなる。

「……瑠夏」

「なに?」

「そういうこと言われると、困る」

「え?」

「もっと好きになるから」

「……っ」

 瑠夏の頬が真っ赤になる。

 その瞬間。

「キャーーーー!」

「やっぱり付き合ってるじゃん!」

「誰よ、別れたって言ったの!」

「私じゃない!」

「でも、別れたって噂だったよね!?」

「こんなの見たら、別れてるわけないじゃん!」

 周囲の生徒たちが一斉に騒ぎ始めた。

「拓実先輩、王子様すぎる!」

「瑠夏ちゃん、めちゃくちゃ可愛い!」

「いいなぁ……!」

「羨ましい!」

「私もあんなふうにハチマキ交換したい!」

 女子たちの声が、グラウンドいっぱいに響く。

 瑠夏は恥ずかしそうに拓実の隣に立っていた。

 頭には、拓実のハチマキ。

 そして拓実の手首には、自分のハチマキ。

 まるで――

 みんなに見せるように。

 俺たちは、別れていない。

 そう言っているみたいだった。

 少し離れたところで、その光景を翔が見ていた。

 瑠夏が笑っている。

 拓実も笑っている。

 二人の間にある空気は、誰が見ても分かるほど幸せそうだった。

 翔は、ほんの少しだけ寂しそうに笑う。

「……そっか」

 そして、静かに二人から目を逸らした。

 瑠夏は、そんな翔には気づかない。

 ただ、隣にいる拓実を見上げていた。

「……すごいね」

「何が?」

「みんな、見てる」

 拓実が笑う。

「いいじゃん」

「え?」

「別れたって噂、消えたんじゃない?」

「……そうだね」

 瑠夏も笑った。

 すると拓実が、自然に手を差し出す。

「帰ろう」

 瑠夏は、その手を見る。

 そして、そっと自分の手を重ねた。

 拓実が優しく握り返す。

 二人は、たくさんの視線と歓声の中を歩き出した。

 瑠夏の頭には、拓実のハチマキ。

 拓実の手首には、瑠夏のハチマキ。

 そして――二人を繋ぐ手。

 秋の空の下。

 体育祭最後の恒例イベントは、二人にとって忘れられない一日になった。