君のとなり〜拓実と〜

 二学期が始まった。

 夏休みが終わると、毎日が一気に忙しくなった。

 拓実は本格的に受験勉強が始まり、放課後は塾へ行く日が増えた。

 私も文化祭の実行委員と部活。

 お互いに忙しくなって、毎日のように一緒に帰ることはできなくなった。

 それでも朝は、駅で待ち合わせる。

 昼休みには、屋上で一緒にお弁当を食べる。

 短い時間でも、顔を見られるだけで嬉しかった。

 だけど――。

 そんな私たちを見て、周りではいつの間にか、こんな噂が流れ始めていた。

「ねえ、拓実先輩と瑠夏って……別れたんじゃない?」

「えっ?」

「最近、放課後一緒にいるところ見ないよね」

「そういえば……」

「受験で忙しいのかな?」

「でも、前はいつも一緒だったじゃん」

 噂は少しずつ広がっていった。

 もちろん、私たちは別れてなんかいない。

 ただ、会える時間が減っただけ。

 そんな私の周りでは、別の変化も起きていた。

「瑠夏ってさ……」

「ん?」

「前より可愛くなったよね」

「え?」

「なんか、雰囲気変わった」

 別の友達も頷く。

「分かる。付き合い始めた頃より、今のほうが女の子っぽい」

「そうかな……」

「そうだよ。なんか、柔らかくなったっていうか」

 私は照れたように笑った。

 もともと、可愛い子だった。

 けれど、高校生になって少しずつ大人っぽくなったこと。

 そして、拓実と恋をしていたこと。

 好きな人と一緒にいる時間が増えるにつれて、表情も自然と柔らかくなっていった。

 笑うことも増えた。

 誰かを好きになることで、女の子らしさも少しずつ増していった。

 そんな変化に、男子たちも気づいていた。

 廊下ですれ違うと、声をかけられることが増えた。

 友達を通して、連絡先を聞かれることもあった。

 そして――。

「瑠夏ちゃん」

「はい?」

「俺、瑠夏ちゃんのことが好きです」

 突然の告白。

 胸が少しだけ跳ねた。

 でも――。

「ごめんなさい」

 私は相手の目を見た。

「私、好きな人がいるの」

 その言葉を口にすると、不思議なくらい心が落ち着いた。

 私の好きな人。

 それは――拓実。

 その頃、拓実のところにも女子からの告白が増えていた。

「拓実先輩、好きです」

 拓実は少し困ったように笑って、それから静かに首を横に振る。

「ごめん」

 そして――。

「大切にしたい人がいるんだ」

 その言葉に、告白した女子は少し寂しそうに笑って去っていく。

 拓実の頭に浮かぶのは、いつも同じ女の子だった。

 瑠夏。

 その噂が広がっていることも、二人への告白が増えていることも――。

 私たちは、まだ知らなかった。

 そして、昼休み。

 私は屋上へ向かった。

 重い扉を開ける。

「拓実」

「瑠夏」

 フェンスの近くにいた拓実が、私を見つけて笑った。

「来た」

「約束したもん」

「うん」

 拓実の隣に座る。

 二人でお弁当を広げた。

「いただきます」

「いただきます」

 並んでお弁当を食べる。

 教室とは違って、ここには私たちしかいない。

 風が気持ちいい。

「今日の実行委員、何するの?」

「文化祭のタイムスケジュール決めたり、出し物の確認したり」

「大変そう」

「拓実だって受験勉強、大変でしょ?」

「まあね」

 拓実が苦笑する。

「でも、瑠夏に会えるから頑張れる」

「……そういうこと、さらっと言うんだから」

「本当のことだよ」

「……もう」

 頬が熱くなる。

 お弁当を食べ終えると、拓実が空を見上げた。

「あと五分くらいか」

「うん」

 昼休みは短い。

 分かっている。

 だからこそ、少し寂しくなる。

「ねえ、拓実」

「ん?」

「最近……あんまり一緒にいられないね」

「うん」

「前は毎日のように一緒に帰ってたのに」

「俺も寂しいよ」

 拓実が私を見る。

「でも、今は受験があるから」

「うん。分かってる」

 私は笑った。

「拓実、頑張ってるもんね」

「ありがとう」

 拓実が、私の髪をそっと撫でる。

 優しい手。

 それだけで胸が温かくなった。

「……拓実」

「ん?」

「もうちょっとだけ、ここにいたい」

「俺も」

 私は拓実の肩に、そっと頭を預けた。

 拓実の腕が、自然に私の肩を抱く。

「落ち着くね」

「うん」

 しばらく、何も言わなかった。

 ただ隣にいる。

 それだけで幸せだった。

 でも――。

 ふと思い出した。

「ねえ、拓実」

「ん?」

「今日、告白された?」

 拓実が少しだけ目を丸くする。

「聞いたの?」

「うん」

「……された」

「そっか」

 胸の奥が、少しだけざわつく。

「私も」

「え?」

「今日、告白された」

 今度は拓実の表情が変わった。

「……誰に?」

「同じ学年の人」

「そう……」

 拓実の声が、ほんの少し低くなる。

「断った?」

「うん」

「なんて?」

 私は少しだけ笑った。

「好きな人がいるの、って」

 拓実が黙る。

「……そっか」

「拓実は?」

「俺も断ったよ」

「なんて言ったの?」

 拓実が私を見る。

「俺には、大切にしたい人がいるって」

「……」

 胸が、きゅっと締めつけられた。

「それって……私?」

「他に誰がいるの?」

 思わず笑ってしまう。

 拓実も笑った。

 だけど――。

「でも、嫌だった」

「え?」

「瑠夏が告白されたって聞いたの」

 拓実が少しだけ眉を寄せる。

「俺、結構嫉妬するみたい」

「……私も」

「瑠夏も?」

「うん」

 私は拓実の肩に、もう一度頭を預けた。

「拓実が誰かに好きって言われるの、嫌」

「……嬉しい」

「どうして?」

「瑠夏が俺のこと好きだって分かるから」

 私は顔を上げた。

 拓実と目が合う。

 そのまま、少しだけ身体を近づける。

「……瑠夏?」

 私は答えなかった。

 ただ、目を閉じる。

 そして、ほんの少しだけ顔を上げた。

 拓実が息を止める気配がした。

「……それ、ずるい」

 小さな声。

 次の瞬間、拓実の手が私の頬に触れる。

 そして――。

 優しく唇が重なった。

 ほんの一瞬。

 唇が離れる。

 頬が熱い。

 だけど今度は、ちゃんと拓実の顔を見ることができた。

 目が合う。

 拓実は、しばらく何も言わなかった。

「……拓実?」

「……いや」

 拓実が困ったように笑う。

「可愛すぎて、どうしたらいいか分からない」

「……え?」

「そんな顔されたら……我慢できないだろ」

 そう言って、拓実は照れたように目を逸らした。

「……参ったな」

 その表情が可愛くて、私は思わず笑ってしまった。

 そのとき――。

 屋上に予鈴が響いた。

「あ……」

「戻らないと」

「うん」

 拓実が立ち上がり、私に手を差し出す。

「行こう」

「うん」

 その手を取る。

 会える時間は減った。

 放課後に一緒に帰ることも、前より少なくなった。

 それでも――。

 私たちは、ちゃんと恋人だった。

 忙しい毎日の中で、ほんの少しでも二人の時間を作る。

 その時間が、今は何より愛おしかった。