君のとなり〜拓実と〜

 新体操部が休みの日。

瑠夏は、グラウンドのそばにあるベンチに座っていた。

今日は、陸上部の練習を見に来た。

拓実が走っている姿を見るのは、初めてだった。

スタートの合図が響く。

拓実が、勢いよく走り出した。

地面を蹴る音。

伸びていく身体。

あっという間にゴールへ駆け抜けていく。

「……速い」

思わず声が漏れた。

走り終えた拓実は、仲間たちと笑い合っている。

もう一度、スタートラインへ戻る。

そしてまた走る。

真剣な表情で走っているのに、終われば楽しそうに笑う。

「……楽しそう」

瑠夏も自然と笑っていた。

教室で見る拓実とは、少し違う。

走ることが好きなんだ。

そのことが伝わってくる。

そんな拓実を見ていると、なんだか嬉しくなった。

そのとき。

ふと、視線の先に別の姿が入った。

高跳びのマット。

その前に、翔がいる。

瑠夏の視線が、自然とそちらへ向いた。

翔は助走を取る。

まだ高いバーではない。

それでも、一歩ずつ助走を刻んでいく。

そして――

踏み切った。

身体が宙へ浮く。

背中を反らせる。

バーを越える。

そして、マットへ着地した。

「……!」

瑠夏の胸が高鳴った。

跳べた。

翔が、また跳べた。

その瞬間。

翔は立ち上がりながら、無意識に自分の胸を――

トントン。

二度、軽く叩いた。

瑠夏の目が、大きくなる。

その仕草を、知っている。

中学生の頃。

高跳びで上手く跳べたとき。

二人だけで使っていた合図。

――やった。

――できた。

言葉にしなくても伝わる、二人だけのサイン。

「……」

瑠夏は一瞬だけ迷って。

それから、自分の胸を――

トントン。

そして。

親指を立てた。

「グッド」

小さく笑う。

翔は、その仕草に気づいた。

一瞬だけ目を見開いて。

そして、嬉しそうに笑った。

二人の間に、言葉はない。

ただ、それだけ。

けれど。

二人だけには、それで十分だった。

その一連のやり取りを――

拓実は見ていた。

走り終えた拓実が、何気なく瑠夏へ視線を向けたとき。

そこにいたのは、自分の知らない瑠夏だった。

翔を見つめる目。

あの笑顔。

そして、二人だけにしか分からないような仕草。

「……」

拓実は、何も言わなかった。

ただ、胸の奥がきゅっと痛んだ。

こんな顔。

見たことがない。

自分には向けられたことのない、柔らかな笑顔。

その笑顔を向けている相手が、自分ではない男だという事実が――

拓実の胸を、静かに締めつけていた。