君のとなり〜拓実と〜

 文化祭の準備が始まって、少しずつ忙しくなってきた。

 放課後になると、実行委員の仕事で教室を移動することも増えた。

 今日も私は、資料を抱えて廊下を歩いていた。

「瑠夏ちゃん」

 後ろから声がした。

 振り返る。

「あ……」

 昨日会った先輩だった。

「拓実……先輩?」

「そう、正解」

 先輩が嬉しそうに笑った。

「名前、覚えてくれたんだ」

「はい」

 昨日、帰ってから何度か思い出した。

 拓実先輩。

 ちゃんと覚えた。

「よかった」

 そう言って、先輩は私の持っている資料に目を向けた。

「また一人で持ってる」

「今日はそんなに多くないです」

「本当に?」

「はい」

「じゃあ確認」

 先輩が一番上のファイルをひょいと取る。

「あっ」

「これくらいなら持ってもいいでしょ?」

「……はい」

「よし」

 先輩は満足そうに笑った。

「今日は何するの?」

「企画書の確認です」

「じゃあ一緒だ」

「先輩も?」

「うん。俺も同じ担当」

 並んで歩く。

 昨日初めて話したばかりなのに。

 今日はもう、昨日よりずっと自然に話せていた。

「そういえば」

 先輩が私を見る。

「新体操、毎日練習?」

「基本はそうです」

「大変じゃない?」

「慣れてるので」

「小さい頃から?」

「はい。小学生の頃にやってました」

「じゃあ経験長いんだ」

「でも中学生の間はやってなかったので、ちょっとブランクあります」

「それでも上手いんだ?」

「……先輩、見てたんですよね?」

「うん」

「じゃあ分かるじゃないですか」

「分かるよ」

 先輩が笑った。

「すごいと思ってる」

 胸の奥が、ほんの少しだけくすぐったくなる。

「……ありがとうございます」

「照れてる?」

「照れてません」

「絶対照れてる」

「もう!」

 先輩が声を出して笑った。

 私もつられて笑う。

 しばらく歩いてから、私はふと思った。

「そういえば、先輩は部活何してるんですか?」

「あれ、言ってなかった?」

「聞いてないです」

「そっか」

 先輩は少し考えるように首を傾けた。

「陸上部」

「陸上?」

「うん」

「じゃあ、体育祭とか速そうですね」

「どうだろ」

 先輩が苦笑する。

「最近、後輩に負けそう」

「えっ、先輩なのに?」

「そこ笑うところ?」

「ふふっ」

「ほら、笑った」

「だって……」

 先輩が少しだけ拗ねたような顔をする。

 その表情がおかしくて、私はまた笑ってしまった。

「でも、陸上って大変そうですね」

「まあね。でも好きだから続けてる」

「好きなんですね」

「うん」

 先輩は少しだけ前を向いた。

「走ってると、余計なこと考えなくていいから」

 その横顔が、さっきまでとは少し違って見えた。

 いつも笑っている人だけど。

 こういう顔もするんだ。

 私は何となく、先輩の横顔を見ていた。

「瑠夏ちゃん?」

「え?」

「どうした?」

「……なんでもないです」

「そう?」

「はい」

 先輩は不思議そうにしながらも、それ以上は聞かなかった。

     *

 その日の帰り。

 文化祭の資料を提出し終え、私たちは昇降口まで一緒に歩いた。

「今日、結構進んだね」

「はい」

「これなら何とか間に合いそう」

「よかったです」

 靴を履き替える。

 校門へ向かいながら、先輩がふと足を止めた。

「じゃあ、また明日」

「はい。また明日」

 先輩が手を振る。

 私も手を振り返した。

 少し歩いてから、何となく振り返る。

 先輩はもう歩き出していた。

 私はその背中を少しだけ見つめてから、前を向いた。

 明日も、会える。

 そう思ったら。

 なぜか、少しだけ嬉しかった。

 私は小さく笑って、家への道を歩き出した。